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2007年2月5日

夜空に星をつくった研究者

2006年11月21日、理研は国立天文台との共同研究の成果として「レーザーガイド補償光学のファーストライト成功」をプレス発表し、翌朝、読売新聞をはじめ数多くの新聞に掲載された。地球の大気を通して宇宙を見る天体望遠鏡は、大気の揺らぎのため、本来もつ空間解像力を十二分に活用できない。この揺らぎを補償するため、地上90kmにあるナトリウム層に人工の星をつくるレーザー技術を2005年7月に開発。そして2006年10月、国立天文台ハワイ観測所のすばる望遠鏡で、この技術を使って実際の観測に成功した(図)。その開発を理研で主に担当したのが、中央研究所 固体光学デバイス研究ユニットの斎藤徳人ユニット協力研究員だ。高校時代まで将来のことはあまり考えていなかったという斎藤研究員、その素顔に迫る。

斎藤徳人ユニット協力研究員

斎藤徳人 ユニット協力研究員

中央研究所 固体光学デバイス研究ユニット

1970年9月21日、徳島県生まれ。36歳。徳島県立板野高校から1991年、東京理科大学理学部第一部物理学科へ。2000年、同大学大学院理学研究科博士課程修了。同年、理研 基礎科学特別研究員。2003年より固体光学デバイス研究ユニット協力研究員。

新画像(解像度0.06秒角)と1999年の画像(解像度0.6秒角)

図:新画像(解像度0.06秒角)[上左]と1999年の画像(解像度0.6秒角)[上右]

まず、小学校時代のことを聞くと、「理科の授業が面白いと思ったことは一度もない」と意外な答えが返ってきた。徳島県の吉野川流域で生まれ育ち、外で遊ぶことが多かった斎藤研究員。「子供のころは、遊ぶのに夢中で、将来の目標なんてありませんでした(笑)。それでも、4~5歳のころにテレビで見たアニメ“ゲッターロボ”の登場人物、早乙女博士にはあこがれました。“理科らしき”ものとの最初の出会いだったと思います。それを見て、ロケットをつくろうと思いました」。中学時代は野球部に所属し、高校でようやく物理学に出会った。大学進学を決めた理由をこう語る。「大学で修めたい学問は何か、それが数学か物理学でした。でも将来性を考えると、数学科に入るのは無謀かなと。東京に出たいということだけは、はっきりしていましたね。ものすごく安易な考え方なんですが……(笑)」

1991年、東京理科大学理学部に入学。「初めは理論物理学をやろうと思っていました」。ところが、帰省するたびに親に「“物理で将来何をやるんだ”、“それで食べていけるのか”と繰り返され……、それで理論物理は仕事がないかもしれないからまずいと思い、実験物理をやろうと決めました(笑)」。そして、大学4年の研究室配属で転機が訪れた。「長坂啓吾先生の研究室に入り、いろいろお世話になりました。長坂研には学生を理研に預ける経路があって、理研に来るようになったんです。理研でレーザーをやっていることは知っていたので、光を使って物性物理を、と思っていました」

2000年に博士課程を修了し、理研での本格的な研究生活が始まった。ガイド星レーザー開発のきっかけは、2001年に開かれた理研と国立天文台の交流会。「国立天文台の早野裕(ゆたか)さんを紹介され、“ガイド星レーザーをつくりたい”という話を聞きました。そのときは“できるかもしれませんね”と答えて話は終わったのですが、2年後、“実際にやりたい!”と早野さんからあらためて申し出があり、本格的にスタートしました。理研のメインワークは基礎研究ですから、最終的に安定したレーザーをつくることのできる協力者が必要だと思い、理研ベンチャー、(株)メガオプトの赤川和幸さんに参加していただくことになりました。私を含め、この3人が中心になって、ああでもない、こうでもないとディスカッションをしながら開発を進めました」。斎藤研究員は今回の成果をこう表現した。「すばる望遠鏡は一段と視力を上げましたね」。

趣味が“考え事”と話す斎藤研究員は最後に「今後もさまざまな固体材料を使って、観測、計測や現象の究明に必要な光源を実現するための原理的な研究を進めたいですね。そのための研究対象は“自分の足でも探す”ことにしています。ほかの分野のいろいろな人の話を聞いて、参考にしています。物理を基礎に世の中の役に立つ重要な研究をしたいです」と今後の展望を聞かせてくれた。斎藤研究員がつくり出す新しい光源、そこから何が見えるのか……。10年後、また話を聞いてみたくなった。

『理研ニュース』2007年2月号より転載