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2008年1月8日

原子核物理の超難問“三体力”に挑む研究者

理研仁科加速器研究センターに原子核物理の超難問、核子(かくし)間三体力(以下、三体力)の謎に迫る研究者がいる。本林(もとばやし)重イオン核物理研究室の関口仁子研究員だ。原子核内で働いている力“核力”は、湯川秀樹博士の中間子論により、核子(陽子、中性子の総称)と核子の間に中間子という粒子が介在する“二体力”として説明されていたが、そのころから三体力の存在も議論されていた。三体力とは、第三の核子が二つの核子の側(そば)に寄ってくることによって生じる力(図)。しかし、実験的な検証が難しく、近年まで三体力の研究は進展せずにいた。その難問に挑んだ関口研究員は2007年、三体力効果の研究基盤を構築した功績により、世界的な若手物理学会賞「IUPAP (アイユーパップ)Young Scientist Prize in Nuclear Physics」を受賞。その素顔をのぞいてみよう。

関口仁子研究員

関口仁子 研究員

仁科加速器研究センター 本林重イオン核物理研究室

埼玉県越谷市生まれ。私立桜蔭学園卒。1997年、東京大学理学部物理学科卒。1999年よりジュニア・リサーチ・アソシエイトとして理研へ。2002年、同大学大学院理学系研究科博士課程修了。同年4月、理研基礎科学特別研究員。

二体力と三体力

図:二体力と三体力

第三者の存在は、二体力のみでは予想もつかない影響を及ぼす。

「小学生のときは、歴史で頭がいっぱいでした」と語る関口研究員。「平安時代が好きでした。歴史の本を読んで頭の中で勝手に物語を想像して(笑)。“薬子(くすこ)の乱※”に興味がありました。藤原道長たちの繁栄の源流は? と疑問に思ったのがきっかけです。日本オリジナルなものに触れるのが好きでしたね」。その後、中高一貫教育の学校へ進学。「中学3年の自由研究課題で“薬子の乱”をもっとまじめに調べる機会を得ました。まわりには優秀な人が多く、授業で習ったこともない“素粒子”などを調べる人もいました。私も! と思ったのですが、母が“あなたには無理よ”って(笑)」。

歴史以外に哲学にも興味があった関口研究員。大学で物理学科を選んだ理由は?「哲学と自然科学は、実はすごく密接なんです。真理を突き詰めるとは、どういうものなのかという興味から、だんだん物理を意識するようになりました」。大学のサークル活動では狂言研究会に所属していた。「突拍子もないですかね? 日本オリジナルなものを自分で体験できる機会は、なかなかないと思ったので。おかげさまで舞台度胸はつきました(笑)」。

その後、大学院へ進学し三体力の問題と出会う。「三体力については中間子論が発表された1930年代から議論されていました。ですが、定量的な議論とその重要性が指摘され始めたのは、ここ10年のことなんです。私にとってはまさに“出会い”でした」。理研での研究は?「重陽子と陽子との弾性散乱の高精度測定。重陽子は一つの陽子と一つの中性子からなる原子核です。ですから、重陽子と陽子で三核子系。三体力を調べるには最も都合が良いシステムです。実際には、理研リングサイクロトロンを使って、私たちのグループが開発したスピン偏極している重陽子ビームと高分解能磁気分析器“SMART”を用いて弾性散乱の散乱角度と運動量を計測するという実験です」。苦労した点は?「散乱したものをただ数えるというと簡単に聞こえますが、測定の誤差を数パーセントに抑えるのはすごく難しい。高い精度を出すのに一番苦労しました」。この実験により、三体力の存在を示す明らかな証拠を見いだした。「三体力研究の変遷を文献から読み解くようにしています。とても難しいのですが(笑)。それを読み、実験をして、これから先、私が伝えられるものは何か? と想像すると、わくわくするし、緊張もします」。今後は理研の次世代加速器施設「RIビームファクトリー」で、三体力をさらに深く理解することを目指している。

最後に「今思うのは、やはり基礎科学に対する素養を高めなければならないということ。将来はそんなことに貢献できれば」とも語った関口研究員。さらなる活躍が楽しみだ。

※薬子の乱:
810年に起こった平城上皇と嵯峨天皇の抗争。嵯峨天皇側が迅速に兵を動かしたことにより、平城上皇が出家して決着した。平城上皇の愛妾(あいしょう)の藤原薬子や、その兄である藤原仲成らが処罰される。

『理研ニュース』2008年1月号より転載