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2013年8月5日

物性の新現象+αを探求する理論物理学者

微細化・集積化により急速な性能向上を実現してきた半導体集積回路は、もうすぐ限界に突き当たるといわれている。微細な回路に電流が流れることによって、単位面積当たりの電気抵抗による発熱量が大きくなり、回路が正常に作動しなくなる可能性が高いからだ。そこで、電気抵抗による発熱が起こらない磁気の流れ「スピン流」を利用する研究が行われている。ところがスピン流には、長い距離を伝搬させることが難しいという大問題がある。強い磁性を示す強磁性体の中では、わずか10nm(1億分の1m)以下でスピン流は減衰してしまう。挽野真一 基礎科学特別研究員(以下、研究員)たちは、極低温で電気抵抗がゼロとなる超伝導体で強磁性体を挟んだ構造により、スピン流を数十~数百nm伝搬させることができる原理を発見した(図)。電気工事士を目指していた少年は、なぜ理論物理学者になったのか。

挽野真一

挽野真一 基礎科学特別研究員

准主任研究員研究室 柚木計算物性物理研究室

1979年、群馬県生まれ。博士(理学)。伊勢崎工業高校卒業。群馬大学工学部電気電子工学科卒業。東北大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。東北大学 研究員を経て、2010年、理研特別研究員。2013年より現職。
スピン流が長距離伝搬する構造と原理のイメージ図

図 スピン流が長距離伝搬する構造と原理のイメージ

挽野研究員たちは、磁化の方向が異なる2層の強磁性体を、スピンの向きが反対の電子対(スピン一重項クーパー対)が流れる超伝導体で挟んだ構造を考案。超伝導体からスピン一重項クーパー対が強磁性体へ染み出すと、スピン一重項クーパー対と、スピンの向きがそろったスピン三重項クーパー対に分離。前者は強磁性体の磁気の影響を受けて短距離で消滅するが、後者は磁気の影響を受けずに長距離伝搬することを理論的に発見した。

「小さいころ、家電製品に興味を持ち、家の掃除機を分解して元に戻せず、母に怒られたりしていました」

中学校まで勉強は好きではなかった、と語る挽野研究員。「将来は電気工事士になりたいと、工業高校の電気科に進みました。進学校ではないので授業の進み方はゆっくりで、先生が電気に関するいろいろな雑談を交えながら教えてくださいました。それで、勉強って実は面白いんだ、と思ったのです。もっと電気の勉強をしたいと、大学進学を考えました。親に経済的な負担をかけたくないので、地元の国立、群馬大学に行きたいと担任に相談すると、“寝言を言うな! 絶対に無理だ”と。カチンときた私は必死に勉強しました。物理学に興味を持ったのは浪人生のときです。高校物理の演習問題なので理想化された問題でしたが、どの角度でボールを投げると最も遠くまで飛ぶかという問題を、実際にボールを投げなくても物理公式を解くだけで結果を予言できることを知り、野球少年だった私は感心したのです」

群馬大学工学部電気電子工学科へ進学した挽野研究員は、さらに物理学にのめり込んでいく。「高校物理では、たくさんの公式を覚える必要があり、それが嫌いでした。それらの公式が一つの方程式から導き出せることを学び、方程式の魅力に取りつかれました」。さらに群馬大学の修士課程に進んだが、1年で中退した。「半導体の実験をしていたのですが、それは企業でもできることでした。大学でしかできない研究、半導体では実現できないことを理論的に探求する理論物理学をやりたいと思ったのです」

東北大学大学院を受験して前川禎通(さだみち)教授の研究室に進学。
「前川教授が世界的な研究者であることは、入ってから知りました(笑)。実験から理論へ移った私は、物理学の基礎が不足していました。睡眠時間を3~4時間に削って勉強しましたが、努力したという感覚は一切ありませんでした。これを実現するためには何が必要か、ということだけをひたすら考えていました。教授から与えられたテーマは、超伝導体とそうでない物質を組み合わせた複合体で初めて現れる現象を探すことでした。今回発表したスピン流が長い距離を伝搬するという現象も、単体の物質では起きないことです」

今後の目標は?「 スピン流を直接検出する方法がまだ見つかっていません。間接的に検出する方法はありますが効率が悪いため、回路に応用する際の大きな障害になっています。スピン流を直接検出する原理を発見できれば、大きなブレークスルーとなります。技術者志望だった私は、新しい現象を理論で予言するだけでなく、プラスアルファを目指しています。具体的な形でも社会に貢献したいのです」

挽野研究員は常にノートを持ち歩いている。「枕元にも置いてあります。アイデアをすぐに書き留めるためです。計算に行き詰まっていた時期のある朝、寝ぼけ眼に数式が現れ、間違っている箇所に気付いたこともあります。小学校のころ算数は苦手だったのですが、その時々で面白いと思ったことを追求していたら、理論物理学者になっていました」

(取材・執筆:立山 晃/フォトンクリエイト)

『理研ニュース』2013年8月号より転載