RIKEN ECO HILIGHT

猛毒酸素に適応するため
進化を遂げた生物の巧みな戦略

放射光科学総合研究センター  利用技術開拓研究部門 城 宜嗣 主任研究員

城 宜嗣   主任研究員

 温室効果は二酸化炭素の約300倍、しかもオゾン層を破壊する気体をご存知でしょうか? それは亜酸化窒素(N2O)。その排出量増加の大きな原因が、窒素酸化物を使ってエネルギーを作り出す微生物の「呼吸」にありました。その詳しい反応過程を知る上でカギとなる、N2Oをつくる酵素の立体構造を、世界で初めて明らかにしたのが城生体金属科学研究室の城宜嗣主任研究員です。実はこの酵素、私たち人類を含む、酸素呼吸を行う生物体内に欠かせない酵素の祖先であり、30億年前、地球上に起きた劇的な環境変化の実像に迫る重要な手がかりなのです。X線結晶構造解析から導き出された事実が、環境分野をはじめとし、医療・創薬などのさまざまな分野の発展につながると期待されます。

温室効果とオゾン層破壊の原因物質N2O

 温室効果ガスとは、大気中の赤外線を吸収し、気温を上昇させる気体のこと。二酸化炭素(CO2)のほかに、大気中に占める割合は小さいものの、温室効果が高いメタンや亜酸化窒素(N2O)が知られています。N2Oは病院で笑気として麻酔に利用されていますが、実はCO2の300倍に相当する温室効果があります。

窒素系の人工肥料などを分解する微生物が、硝酸呼吸の過程でつくりだした亜酸化窒素(N2O)が大気中に放出されると、二酸化炭素の300倍の温室効果を持つガスとなり、気温を上昇させる。成層圏に拡散すると、紫外線と反応し、オゾン層を破壊する原因となる。
図1 窒素系の人工肥料などを分解する微生物が、硝酸呼吸の過程でつくりだした亜酸化窒素(N2O)が大気中に放出されると、二酸化炭素の300倍の温室効果を持つガスとなり、気温を上昇させる。成層圏に拡散すると、紫外線と反応し、オゾン層を破壊する原因となる。

 このN2Oが対流圏から成層圏に拡散すると、宇宙から降り注ぐ紫外線と反応して、二酸化窒素(NO2)などの窒素酸化物(NOX)に変化します。NOXは成層圏で紫外線をブロックするオゾン(O3)と反応しやすく、オゾン層を破壊します。オゾン層が減少し地表に直接降り注ぐ紫外線が増加すると、生物の細胞内にある遺伝子やタンパク質を傷つけ、がんなどの病気を招きます。

 温室効果とオゾン層の破壊、これらの原因物質であるN2Oが年々、大気中に増加しています。

 なぜでしょうか。その一因として、人類の産業活動が活発になったこと、そしてアンモニアや窒素成分を含む人工肥料をたくさん使うようになったことがあげられます。図1

 地表に存在するN2Oのうち約70%は、ある種の微生物の体内でつくり出され、放出されたガスです。地中に多く生息するこうした微生物は、窒素系の人工肥料を分解する途中で、N2Oをつくりだします。したがって農作物を育てるときに窒素系の人工肥料をたくさん使うほど、微生物も活発にN2Oをつくり出してしまいます。

細胞にとって有毒なNOを無毒化する仕組み

 私たちヒトは、酸素(O2)を吸収し、食べ物から摂取した糖や脂肪を分解し、生命活動のエネルギーを獲得しています。そのエネルギーをつくる過程で、体外に二酸化炭素(CO2)を排出します。これが酸素呼吸です。

 一方、N2Oをつくり出す微生物は、酸素の代わりに、硝酸イオン(NO3-)を体内に取り込み、最終的にN2Oや窒素ガス(N2)に変換します。その過程でエネルギーを生み出すことから、後者を硝酸呼吸と呼びます。
 窒素がさまざまな化合物や、気体・液体・固体などに姿を変えながら、地球上を安定して循環しているのは、窒素化合物を分解し、硝酸呼吸を行う微生物の一群、脱窒(だっちつ)細菌の果たす役割が大きいからだと考えられています。

 「生物が酸素呼吸を行うようになったのは、いまから30億年前のこと。ちょうど地球で植物の祖先の微生物(シアノバクテリア)が光合成を始めた時代です。それまで地上には酸素がなく、窒素酸化物など酸素以外の物質を使って呼吸をする生物だけが生存していたと考えられています」

 しかし、窒素酸化物を分解する過程でできる一酸化窒素(NO)は、分子構造が不安定で、他の物質と反応しやすい性質をもっています。NOが体内に増え続けると、自らの細胞や組織を壊してしまい、死に至る恐れがあります。そこで、脱窒細菌はNOを比較的反応性の弱い物質に変換する仕組みを、長い年月をかけて、つくり上げたと考えられます。

 「しかしNOが、一概にすべて有毒、ということではありません。むしろ生物は生存のためにNOを積極的につくり、巧みに利用しています。例えば、人間の体に侵入してきた病原菌を殺菌する免疫細胞の一つ、マクロファージは、NOを病原菌に浴びせかけて退治します。ほかにもNOが、学習・記憶を司る脳の神経回路に欠かせない物質であることも分かってきました。さらに、酸素が乏しい環境でも生存できる細菌や微生物は、人間など高等生物の体内にもたくさん共存し、生命維持に重要な役割を演じています。つまり、生物はNOを無害なN2Oに変換するなどして毒性を抑えながら、その反応性の高さをうまく利用して命を紡いでいます。私が興味を持ってきたのは、こうした生命システムの不思議です。特に、進化の過程でどのようにしてNOをN2Oに無毒化したり、エネルギー獲得に利用したりしているか、というメカニズムに関心がありました」

 N2Oは、2つのNOからNとNをつなぎOを1つ奪う還元反応です。この反応を助けるのが、脱窒細菌の細胞膜に存在するNOR(ノル)と呼ばれる酵素です。酵素とは、物質の化学反応を手助けするタンパク質のこと。その中の膜タンパク質とは、細胞内外の情報の伝達や物質の輸送を行います。NORは、約800のアミノ酸からなる膜タンパク質でした。

 「しかし、どのようなメカニズムで、NOからO原子を切り離し、別のNOと結合するのか、その詳しい化学反応のメカニズムや、反応が行われる場の形成プロセスは分かっていませんでした。正確な実像を捉えるには、NORの構造を明らかにすることが大切です。構造が分かると、化学反応の場が目に見えて理解できるようになるからです」

7年の歳月をかけて結晶化に成功

 NORを形作る分子の大きさは、わずか数オングストローム(1A=100億分の1メートル)ほど。100億分の1というのは、地球(直径約13,000km)と比べた砂粒(直径約1㎜)の大きさです。このように非常に小さいため、眼で直接その立体構造を見ることはできません。そこで、X線(電磁波)を使って、間接的に見ます。電子を光速に近い速度に加速した後、その電子の進路を磁石で曲げると強力な光(放射光)が放出されます。この放射光の中に含まれているX線は、タンパク質にあてると、そのタンパク質を構成する原子にぶつかって、さまざまな方向に散乱します。散乱したX線の方向、強さから、タンパク質を構成する一つ一つの原子の位置や配列が分かるのです。

 城主任研究員は、理研 播磨研究所にある大型放射光施設SPring-8を用いて、NORの解析を行いました。

 結果が出るまで7年を要したのは、膜タンパク質の結晶化が難しいことが大きな理由でした。結晶とは、物質を構成する原子が不純物なく、規則正しく配列した固体のこと。しかし、この解析で用いたNORは緑膿菌と呼ばれる微生物の細胞膜に深く埋まった形で存在する、水に溶けにくい膜タンパク質です。結晶化するには、まず細胞膜からNORを取り出す必要がありました。水に溶けるように他の物質と調合し、pHや温度の調整、沈殿材の付加など、さまざまな条件を調整して結晶をつくります。

 「理想とする条件がすべて整ったときに高品質の結晶ができます。結晶の品質が劣れば、放射光を当ててもうまく散乱せず、結晶の立体構造がぼやけてみえます。私たちの研究室では何度も結晶を作り直し、ようやく7年目にして理想的な結晶を作ることができました」

硝酸呼吸の仕組みを改変して酸素呼吸へ進化

毒性の高いNOをN2Oに無毒化する酵素NORの立体構造。細胞内外の情報伝達や物質輸送を司る膜タンパク質の中を貫通するように埋もれている。この複雑な構造が結晶化を難しくする一因となっている。
図2 毒性の高いNOをN2Oに無毒化する酵素NORの立体構造。細胞内外の情報伝達や物質輸送を司る膜タンパク質の中を貫通するように埋もれている。この複雑な構造が結晶化を難しくする一因となっている。

 2010年11月、ついに城主任研究員らは、NOを無毒化するNORの結晶構造を世界で初めて解析することに成功。NORは、2つの鉄原子の周りを複数のアミノ酸が取り囲む構造でした(図2)

「このNORの形は実は、酸素呼吸を行う生物の細胞膜にあるシトクロム酸化酵素(COX)ときわめて類似した構造でした。NORは、2つの鉄原子が中心にありますが、COXはそのうちの一つが銅原子に置き換わっています。金属原子を取り囲むアミノ酸の種類は異なっていましたが、立体的な構造は細部まで極めてよく似ていました」

 酸素が地表にあふれ始めた30億年前、微生物が硝酸呼吸から酸素呼吸への環境適応を果たす際に、呼吸に使う酵素の一部をつくり替えたのではないか。つまりNORはCOXの祖先である、という多くの科学者の予想を裏付ける証拠が、今回のX線結晶構造解析によって初めて得られたのです(図3)

 「硝酸呼吸をする生物にとって、酸素は"猛毒"です。逃げて生き延びた脱窒細菌のような微生物が、いまも深海の熱水噴出孔などに生息する一方で、酸素呼吸ができるような酵素を偶然にも獲得し、生存圏を広げた微生物もいました。不思議に思うのは、どうやって猛毒の酸素を無害化する酵素を手に入れたのか、という進化のプロセスです」と城主任研究員。
 もちろん、微生物の中にある、金属やアミノ酸に意思があって自ら勝手に行動することはあり得ません。

硝酸呼吸を行うために欠かせない酵素NORは、30億年前に出現した酸素呼吸に必要な酵素COXと、きわめてよく似た構造を持っていることが解析の結果、確かめられた。
図3 硝酸呼吸を行うために欠かせない酵素NORは、30億年前に出現した酸素呼吸に必要な酵素COXと、極めてよく似た構造を持っていることが解析の結果、確かめられた。

 「神様のような存在がいて、NOを無害化する酵素のアミノ酸を配置し直し、鉄原子と銅原子を入れ替え、環境変化に適応させたのかな? そう思わせるほど巧妙な手法で劇的な環境変化に適応している。研究を進めれば進めるほど、生命というシステムは不思議に思えてきます」

 硝酸呼吸に関する酵素の立体構造を把握できたことは、次の研究の出発点だと城主任研究員は言います。

 「タンパク質は、生命活動に不可欠で、病気やその治療にも深く関係します。こうした生体内のタンパク質は、何万種類も存在します。しかし、その構造や機能、反応のメカニズムが分かっているものはごくわずか。とりわけ結晶化が難しい膜タンパク質は、多くのことが謎のままです。それらの構造や反応メカニズムが明らかになってくることで、環境問題だけでなく、診断や治療の技術、医薬品の開発が大きく前進するはずです」。

 例えば、病院内で免疫力の低下した患者に感染する病原菌の中には、硝酸呼吸を行うものがあります。こうした病原菌におけるのNOの無毒化を邪魔するとどうなるか。酸素呼吸をする生物への影響が小さく、NOの毒性を使って繁殖を防ぐ抗菌剤ができる可能性があります。

 「生命システムの謎を解き明かす我々の研究成果を基盤にして、また協力し合うことでいろいろな分野の研究が発展してほしいと思います。また、金属を含むタンパク質の構造解析を通じて、私自身もさらに生体内のさまざまな化学反応のメカニズムや起源を探る研究を続けていきたいと考えています」

城 宜嗣(Yoshitsugu Shiro)

城 宜嗣(Yoshitsugu Shiro)

愛知県出身。京都大学大学院工学研究科卒業。理研無機化学研究室、理研生体物理化学研究室を経て、現職。