この記事は、「代ゼミジャーナル」2008年第3号に掲載されたものです。

「ゲノム医科学の立場から」

進む疾患の原因遺伝子解明。画期的治療法につながる期待

ヒトの遺伝子の個性から疾患の原因へ

 ゲノムは生命の設計図です。A (アデニン)、G、(グアニン)、T(チミン)、C(シトシン)の4種類の塩基の並びでその情報(遺伝暗号)が記されています。しかし、人の塩基配列は個人ごとに少しずつ違い、これを「遺伝子多型」と言います。特に1つの塩基の違いのことをSNP(スニップ)(single nucleotide polymorphism)と呼びます。

 これらの塩基配列のちょっとした違い、遺伝的個人差が人間の個性を生む元になります。この違いは時に悪い方に転び、病気のなりやすさを左右します。私たちはSNP等遺伝的個人差を病気の人とそうでない人たちとで比較する相関解析という手法で、疾患の原因遺伝子を探しています。

 この相関解析を用いた「ヒトの遺伝的多様性の解明の進展」は、現在の科学、医学上最もホットな分野です。『breakthrough of the year』という科学誌「サイエンス」が選んだ科学トピック・ランキングで、2位のiPS細胞を押さえて、2007年度の1位に輝いています。私たちは世界に先駆けて2000年から様々な疾患について相関解析を行ない、2005年には椎間板ヘルニアの原因遺伝子の1つを世界で初めて明らかにしました。それがCILP(キルプ)遺伝子です。

ゲノム医科学が解き明かす疾患のメカニズム

 CILP遺伝子は、椎間板に多く存在するCILPタンパクの設計図です。CILP遺伝子の1312番目の塩基がチミンからシトシンに置き換わるSNPがあると、最終的にCILPタンパクの性質が変化し、「TGF-β」という物質と結合する力が強くなることを明らかにしました。  TGF-βは、軟骨の成長を促す作用があり、椎間板の再生を活発化させます。CILPタンパクには、このTGF-βにくっついて、その働きを抑制し、TGF-βをコントロールする役割があったのです。椎間板は、脊椎にかかる機械的ストレスから、日々変性していきます。これを修復する巧妙なメカニズムとして、TGF-βは椎間板再生のアクセル役を、CILPタンパクはブレーキ役を演じ、両者がバランスよく働くことで椎間板の健康が維持されていたのです。しかし、CILP遺伝子のSNPはブレーキを効かせすぎ、椎間板の変性を招きやすくします。このSNPは発症のリスクをおよそ1.6倍も高めることが分かりました。

 私たちのその後の研究で、いくつかの椎間板ヘルニアの原因遺伝子が明らかになっています。多くの病気は複数の遺伝因子と、生活習慣などの環境因子が複雑に関わり合って発症すると考えられています。遺伝因子はゲノムに塩基配列として書き込まれていますから、ゲノムから追跡して、どの因子がどれくらいの悪さをしているのか、疾患のメカニズムを解明することが可能です。そうすれば、その人の遺伝的個性に合わせたオーダーメイド治療や、問題点に分子レベルでフォーカスした創薬も可能になります。

 私は医学部を卒業後、13年間、整形外科医として子どもの骨に関わる遺伝病の治療に携わっていました。しかし、既存の医学では多くの患者さんを救えないもどかしさから、この道に転身しました。遺伝子研究は皆さんと縁遠い話ではありません。むしろ、目の前の患者さんが出発点です。

 病気の遺伝子を見つけるというこの仕事を始めた時の小さな『夢』は達成できました。次は、みつけた遺伝子の知識を難病の治療に繋げて行きたいと思っています。研究の成果を患者さんたちと共有できる喜びが、この仕事のすばらしさだと感じています。

池川 志郎

理化学研究所・生命医科学研究センター・骨関節疾患研究チーム・チームリーダー
1957年兵庫県生まれ。76年、大阪府立茨木高校卒。83年、東京大学医学部医学科卒。東京大学病院・整形外科、心身障害児総合医療療育センター・整形外科医長、東京大学医科学研究所・助手等を経て、2000年より現職。日本人類遺伝学会・庶務幹事。香港大学、南京大学、横浜市立大学客員教授。趣味はラグビー。

独立行政法人 理化学研究所
生命医科学研究センター
骨関節疾患研究チーム