2次元的な電子系を強い磁場の中に置く.これだけの一見極めて簡単な設問から驚異的な深さと広がりをもつ物理が展開される.それが量子Hall効果である.量子Hall効果についての著書はすでに膨大な冊数を数えるが,本書は単著者によるものとしては最大規模の教科書である.まずは,美しい装丁と,冒頭部分にまとめられたカラフルな図面に感心する.著者は,元来素粒子論を専門とする理論家であるが,素粒子論家が量子Hall効果の分野に参入する例は珍しくない.その理由のひとつには,場の理論や対称性の議論が不可欠な舞台であることがあげられるだろう.
  本書でも,もちろんこれらは大活躍する.これは,``Field Theoretical Approach"という副題にも明確に示されている.素粒子論家の書いた教科書ということで,Fradkinのもの\cite{fradkin}のような(実験家の評者にとっては)非常に難解なものを予想して緊張して読み始めたが,予想と違って,第1部は量子力学のまとめ,という非常にやさしいところから話が始まる場の正準形式理論の導入である.自発的対称性の破れ,電磁場の量子化,トポロジカルソリトン,エニオンまで話が進むが,明快・簡潔で手際よく,ここだけでも独立した教科書にできそうである.もちろん,ここで紹介される概念はすべて後で使われ,後の議論のために必要最小限の準備をしているのである.例えば,全体が経路積分を使わずにまとめられており,従って経路積分の話は出てこない.
  続く第2部は単層2次元系の量子Hall効果で,通常の教科書ではこれを中心に記述されるが,最も長いとはいえ全4部の1部になっているのが著者の独特なところである.説明はここも大変丁寧でわかりやすい.電子の団子に磁束の串を刺したような独特の図解も現れる.ただ,ここでやはり素粒子論家の趣味のようなものが明確に出ている.例えば評者のような実験家であれば量子Hall効果についてすぐに頭に浮かぶ問題は,エッジ状態,エッジ電流とバルク電流の関係,ブレークダウン,ポテンシャル乱れの効果,量子Hall液滴,など泥臭いものであるが,これらはかなりあっさりと処理される.それよりは,場の理論に現れる様々な概念が量子Hall効果という舞台にどのように現れるか,電子スピンの状態などに興味があるように見受けられる.また,最近このような方向の解説も多くなってきているが,超伝導から生まれた概念を縦横に使って議論が進む.超伝導とのアナロジーに以前より注目してきた著者ならではのことである.
  第3部は2層系の量子Hall効果に割かれている.最近大いに注目されている分野で,著者は理論分野でパイオニア的役割を果たしてきただけに,力のこもったレビューになっている.著者自身もかかわったNTTの実験が詳しく解析される他,具体的なモデルに基づいた計算が展開され,著者自身の予言であるJosephson電流の計算が示される.その実在性については現在も議論のあるところだが,実験はこれを検証する一歩手前まで進んでおり,目が離せない状況である.最後の短い第4部は,代数学を量子Hall効果に適用する話で,それまでの解析にも使用してきた式をきちんと導出するという意味合いもある.評者にはちょっと難しくて高級であった.ただ,以前評者が場の理論を得意とする研究者と共著でエッジ状態に関する論文を書いたとき,術語がわからないためなかなか話が通じなくて困ったことがあったが,このようなレビューがあれば便利であったろうと思う.全体として,総花的にならず独特な視点から書かれた,しかし親切で良く整頓された教科書である.量子Hall効果全体を見渡すには他のレビューを併用する必要があるが,場の理論が物性物理学で非常に有効に使われた例として,物性ばかりではなく素粒子論の理論家にもお勧めしたい.また,場の理論の入門の教科書としても使用できる内容を持った本である.
書評

勝本信吾
東京大学物性研究所

日本物理学会誌
2002 vol.57 No.5 (348頁)