外部連携

理研の実用化の歴史

3代所長大河内正敏博士は、研究者の自由な発想に基づく基礎科学研究を進めながら、その研究成果を日本の産業の発展に役立てることも理研の責務であるとして、研究所の運営に当たりました。

大河内 正敏

大河内 正敏
科学者、経営者、子爵

(財)理研の第3代所長(1921~1946)
自らの理論を実践し、科学と工業を一体化させた産学複合体である「理研コンツェルン」を完成させる。
日本の多くの分野の科学者達の自由な研究を支える。

理研コンツェルン
理研ビタミン

理研ビタミン

アルマイトレコード

アルマイトレコード

ペニシリン

ペニシリン

ストレプトマイシン

ストレプトマイシン

この方針のもと、大河内所長は、1927年(昭和2年)に(株)理化学興業を創業、理研の発明を理研自身が工業化する事業体を持つことになりました。当時の研究室から生まれる発明は相次ぎ、これらの実用化を通じて生まれた会社が、世にいう理研コンツェルン(1941年に理研産業団と改名)を形成しました。その製品には、アルマイト、陽画感光紙、ピストンリング、金属マグネシウムの工業化など多数ありました。理研コンツェエルンは、急成長し、1939年には、コンツェルンを形成していた企業は、63社、工場数121に達しました。しかし、1945年の敗戦によりGHQにより、理研産業団は解体されました。

同時期に、財団法人理化学研究所が解散し、株式会社科学研究所が設立されました。株式会社科学研究所では、研究によって開発された成果物を売ることにより研究費をまかなっていました。その代表的なものが、ペニシリン、ストレプトマイシンの製造でした。しかし、成果物収入だけでは、研究費がまかなえず1958年に解散し、特殊法人理化学研究所が発足しました。

特殊法人理化学研究所になってからも、研究成果の普及を目的として、積極的に保有特許の利用許諾を進めており、多くの特許が一般企業の方々の手によって実用化・製品化されております。

理研から生まれた製品の例

また、理研の研究成果をより一層効果的に実用化に結びつけるため、理研が経済社会の発展、科学技術の振興等の観点から有意義であると認めたものに対して、研究者が、いわゆる理研ベンチャーを興すことを積極的に支援しております。