外部連携

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産業連携の挑戦者たち

第10回 杉山特別研究室

医薬品の開発には膨大な時間と資金がかかります。薬の候補となる化合物を決め、動物実験や試験管内実験などを経てヒトを対象とした臨床試験に進んでも、期待した薬効が得られなかったり副作用が現れたりして、多くの開発が中止になっています。臨床試験に進んだ候補化合物のうち医薬品となる成功率はわずか8%と言われています。そうした中、2012年4月、大正製薬株式会社、田辺三菱製薬株式会社、杏林製薬株式会社、株式会社島津製作所など26社からの資金拠出を受け、理研社会知創成事業 イノベーション推進センターに杉山特別研究室が開設されました。

研究室を主宰するのは、薬物動態研究の第一人者、杉山雄一 特別招聘研究員です。杉山特別研究室では、統合的創薬支援システム「バーチャルクリニカルトライアル」を確立することによって、成功率を大幅に向上させ、効率的な医薬品開発の実現を目指しています。

杉山特別研究室の参加企業(50音順)

杉山特別研究室

杉山 雄一(すぎやまゆういち)特別招聘研究員

(東京大学大学院薬学系研究科分子薬物動態学教室教授)

1947年、高知県生まれ。薬学博士。東京大学薬学部卒業。同大学大学院博士課程修了。東京大学薬学部助手、助教授を経て1991年より教授。2012年4月より現職。2009年に世界薬学連合「ヘスト・マドセン賞」、2010年に紫綬褒章など、受賞多数。

27社からの支援で開設

―― 杉山特別研究室はどのような経緯で開設されたのですか。

杉山:理研の特別研究室プログラムは、研究の活性化、研究成果の実用化などを目的に、企業などからの出資協力を得て研究を推進するもので、設置期間は原則5年以内です。
私は、東京大学大学院薬学系研究科分子薬物動態学教室の教授を、2012年3月に停年退官しました。退官後も研究を続けたいと思い、数年前からいろいろな可能性を探っていました。大学の先輩である宇井理生(みちお)先生にも相談に乗っていただきました。宇井先生は以前、理研で特別研究室を開設されており、特別研究室は研究に専念できる素晴らしい制度だとおっしゃっていました。そんな環境で研究したいと思ったのが始まりです。

―― 杉山特別研究室には27社と多くの企業が支援しています(図1)。どのように経済的支援を募ったのですか。

杉山特別研究室の参加企業(50音順)

図1 杉山特別研究室の参加企業(50音順)

杉山:経済の低迷が続いているので、1社で支援していただける金額は少なくなります。そのため、多くの企業にご協力いただく必要がありました。私は、共同研究などを通じて製薬企業など、さまざまな企業とお付き合いをしてきました。そうした企業を中心に声を掛けたところ、研究室の設立趣旨に賛同いただき、次々と支援を申し出てくださいました。私を信頼してくださったのだと思います。日頃からの付き合いのない企業に突然声を掛けたのでは、こうはいかなかったでしょう。人と人のつながりがいかに大切か、あらためて実感しました。

成功率はわずか8%

――杉山特別研究室ではどのような研究を行っているのですか。

杉山:創薬を支援するシステムの開発です。新薬の開発には、10年以上の長い時間と莫大なお金がかかります。より効率的な新薬開発を実現するために、試験管内のデータから、生体内における薬物動態、薬効、毒性の予測、薬物間相互作用や個人間変動、病態時変動の予測を行うシステムの開発を目指しています。

―― 現在の新薬開発の問題点は。

杉山:新薬開発は、ターゲット分子を決めることから始まります。疾患の病態に関わるターゲット分子に結合して、その機能を強めたり阻害したりする化合物が薬の候補となります。たくさんの候補化合物に対して動物実験や試験管内実験を行い、薬効があって毒性がないものを選び出し、ヒトを対象とした臨床試験へと進みます。フェーズ1から3の臨床試験を経て、ようやく市場へと出ます。

臨床試験に入る前に十分な試験が行われているにもかかわらず、臨床試験で薬効が認められなかったり、副作用が現れたりして、開発が中止になる候補化合物がたくさんあります。臨床試験に進んだ候補化合物のうち市場に出るものはわずか8%。この成功率の低さが、現在の創薬の大きな問題点です。臨床試験は多額の費用がかかりますから、臨床試験まで進んでから候補化合物の開発が中止になることは、企業にとって大きな打撃です。臨床試験前に、目的の薬効がヒトの生体でも確実に現れ、副作用の可能性も少ない候補化合物を選び、成功率を上げることが企業の悲願なのです。

―― 薬効が出ない原因は。

杉山:15年ほど前の統計データによると、臨床試験で開発中止となった候補化合物の半数近くが、薬物動態の悪さが原因でした。口から投与された薬は小腸などの消化管で吸収されて血液中に入り、目的とする組織に運ばれ、薬効を発揮します。血液中の薬は肝臓で酵素によって代謝され、腎臓を経て尿として排せつされます。このような体内における薬の吸収、分布、代謝、排せつの過程を薬物動態といいます。私の専門は、この薬物動態です。

25年ほど前、創薬の世界に新しい技術が二つ出てきました。一つは、構造が異なる化合物を短時間で多種類つくることができる「コンビナトリアルケミストリー」。もう一つは、多種類の化合物の中からターゲット分子と結合しやすい、つまり親和性の高いものを高速で選別する「ハイスループットスクリーニング」です。たくさんの種類の中から最も親和性の高い化合物を選ぶことができるので、薬効の高い薬を効率的に開発できると期待が膨らみました。しかし、親和性だけで選んだ化合物は、水に溶けないことが多かったのです。水に溶けない化合物は消化管で吸収されないので、血液中の濃度が上がりません。また、水に溶けても、目的の組織に到達する前に肝臓で代謝されてしまうことがあります。臨床試験の成功率を上げるためには、薬効が発揮される適切な血液中濃度が維持されるなど、薬物動態の良い化合物を早い段階で選ぶことが重要です。

血液中や組織中の薬の濃度を予測

―― 薬物動態を臨床試験の前に調べることができるのでしょうか。

血液中・組織中濃度推移の予測

図2 血液中・組織中濃度推移の予測
試験管内の実験データから数理モデルを構築し、ヒトの血液(血漿)中・組織中濃度の推移をシミュレーションして予測する。少なくとも血液中濃度の予測値と実測値はよく合っている。今後、PETイメージングの手法によりヒト組織中濃度推移が実測されると、数理モデルに基づく予測が正しいかどうかが実証可能になる

杉山:薬物動態に関わる膜透過性や代謝速度などは、試験管内の実験で調べられています。私たちは、試験管内の実験データをもとに数理モデルを構築しました。この数理モデルを使ってヒトに投与した場合の血液(血漿(けっしょう))中濃度をシミュレーションし、予測することに成功しています(図2)。この方法を導入することで、臨床試験まで進んだ候補化合物の開発が血液中濃度が足りないという理由で中止される例は減ってきました。しかし、成功率はさほど改善していません。

抗がん剤であればがん細胞に、アルツハイマー病の薬であれば脳に薬が届かなければ、薬効を発揮できません。また、組織中の薬の濃度が高くなり過ぎたり、別の組織に届いてしまったりしたら、副作用の原因になります。血液中濃度だけでなく、組織中濃度も重要なのです。

組織中濃度の数理モデルをつくり、その濃度を臨床試験の前に予測できれば、成功率が上がるはずです。しかし、採血によって比較的簡単に検証できる血液中濃度と違って、組織は容易に採取できないため検証が難しいのです。そのため、東大を退官するまでに完成できませんでした。それを理研で完成させて、成功率を上げたいと思っています。

―そのための戦略は。

杉山:現在、薬の組織中濃度を非侵襲で調べることができる唯一の方法がPET(陽電子放出断層撮像法)です。PETでは、調べたい分子に放射性同位体の標識を付けて生体に投与し、分子の動きや分布、組織中の濃度などを可視化できます。予想薬効量の100分の1以下のごく微量の化合物を投与する「マイクロドージング」という方法によって、臨床試験前の候補化合物についてもPETで薬物動態を調べることが可能です。試験管内の実験データをもとに数理モデルで予測した結果がPETのデータと一致するようにパラメータモデルを補正していくことで、薬の組織中濃度の予測を実現させます。

バーチャルクリニカルトライアル

―― 血液中・組織中の濃度予測によって成功率の大幅な向上が期待できますね。

杉山:実は、血液中と組織中の濃度予測だけではまだ不十分です。100万人に薬を投与してほとんどすべての人に効果があっても、重篤な副作用による死者が数人でも出てしまったら、その薬は市場から撤退せざるを得ません。これまでも画期的な糖尿病の薬と期待されたものが重篤な肝臓障害を起こしたり、高脂血症薬が横紋筋融解症(おうもんきんゆうかいしょう)を引き起こしたりして、市場から姿を消しました。こうした副作用の原因の一つは、薬物間相互作用です。薬は1種類を単独で使用することはまれで、通常数種類が併用されます。その併用によって、副作用が誘発されることがあるのです。

個人間変動も副作用の原因の一つです。遺伝子は人によってわずかに異なるため、薬物を代謝する酵素や、薬物を細胞に運び入れたり運び出したりするトランスポーターにも違いが現れることがあります。そのため、同じ薬を投与しても人によって血液中濃度に20倍以上も差が出ることがあるのです。

―次の課題は、薬物間相互作用や個人間変動の予測ですか。

杉山:現在の臨床試験フェーズ3の対象は数百~数千人ですが、0.01~0.1%というわずかな確率で現れる副作用を見つけるには、数万~数十万人を対象にした臨床試験を行う必要があります。しかし、それは現実的に無理です。

そこで、私たちは「バーチャルクリニカルトライアル」というシステムを開発しています。性別、年齢、人種、腎臓や肝臓の機能など病態が異なる数万~数十万人の仮想的なデータをつくり、薬物動態の個人間変動や病態時変動、薬物間相互作用の程度を予測しようというものです。一人ひとりについて、血液中濃度がどうなるか、組織中濃度がどうなるか、さらに薬剤を併用するとどう変化するかを予測していきます。膨大な費用をかけることなく、数週間ほどで臨床試験を行ったのと同じデータが得られ、市場に出る前に発生確率の低い重篤な副作用を調べることができる可能性があります。しかし、メカニズムの不明な副作用については数理モデルに組み込めないという問題があります。今後、種々の副作用メカニズムの解明をするための基礎研究が必要となってきます。

まずは八方美人薬を

―どのような薬の開発を目指すべきだとお考えですか。

杉山:まずは「八方美人薬」の開発が大事だと考えています。薬物間相互作用がなく、個人や病態による変動も少なく、あらゆる人に効く薬です。

―最近では、一人ひとりの遺伝情報や病態に合わせた個別化医療が注目されています。それとは逆の発想ですね。

杉山:個別化医療ができれば、それが一番いいのは確かです。抗がん剤については、20年後には個別化医療が確立できているでしょう。しかし、高血圧やアルツハイマー病、糖尿病など成人病については、そう簡単には個別化医療は実現できないと思います。病態が複雑で、発症の原因となるタンパク質がたくさんあるからです。実現できるまで何十年も待っているわけにはいきませんので、まずは、八方美人薬の開発を目指すべきだと考えています。

―八方美人薬の実現に必要なものは。

杉山:個人間や病態時の変動がなく、薬物間相互作用も受けにくいように候補化合物の化学構造を変えていくと、薬効がなくなってしまうという問題があります。薬効を保ちながら化学構造を変えることは、薬物動態の研究者だけではできません。有機合成化学者や薬理学者、毒性学者の力が必要です。しかも、それぞれの研究者がほかの分野についてもある程度知識を持っている必要があります。創薬は総合科学です。薬物動態、有機合成化学、薬理学、毒性学の研究者たちから成る共同研究体が必要です。

―研究室では、薬物動態解析セミナーを開催しています。

杉山:第1回を昨年8月に行いました。支援企業の方を対象に、私たちが開発しているモデル化とシミュレーション法を使えるようになってもらおうというものです。3日間実施し、講義だけでなく、演習問題を解いてもらいました。米国で医薬品の認可を行っているFDA(食品医薬品局)でも、これからの医薬品の開発にはモデル化とシミュレーションが重要だとして、種々のガイダンスにおいて数理モデルに基づくアプローチを推奨しています。世界と競合していけるように、日本における薬物動態研究者の実力の底上げをしたいのです。参加者からも好評で、毎年開催する予定です。

―研究室の期限は3年間です。目標は。

杉山:ゴールは決めていません。最近の日本の研究は、出口主義に陥り過ぎていると思います。出口ばかりを考えてしまうと、大きな研究になりません。企業からの出資協力を得て運用する特別研究室という特性を活かして、期限内に成果を出すことだけを考えずに、創薬の世界を大きく変えることを目指し、ベストを尽くしていきます。

―理研の研究環境はいかがですか。

杉山:理研は日本で唯一の自然科学の総合研究所です。さまざまな研究センターや研究室と協力できる環境にあります。しかし、研究室に装置がようやくそろって実際に研究を始めたばかりなので、まだそのメリットを活かすことはできていません。これからに期待しています。

(取材・構成:鈴木 志乃/フォトンクリエイト)
[理研ニュース2013年2月号より転載]

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