要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、多細胞生物の細胞分裂に必要な新しい遺伝子「HPY2(HIGH PLOIDY2)」を発見し、この遺伝子が細胞分裂の活性を調節する重要な機能を持つことを初めて明らかにしました。これは、理研植物科学研究センター(篠崎一雄センター長)細胞機能研究ユニットの杉本慶子ユニットリーダー、石田喬志、藤原すみれ両基礎科学特別研究員らと、筑波大学、奈良先端科学技術大学院大学、英国ジョンイネスセンターとの共同研究による成果です。
動植物を問わず、すべての生物は細胞分裂をすることで、生命活動を維持しています。多細胞生物は体の一部に分裂組織を持ち、この部分の幹細胞が分裂し生体機能に必要となる細胞が供給されています。研究グループは、細胞分裂に異常を持つシロイヌナズナ植物体の研究を行い、この植物体ではHPY2遺伝子の機能が失われていることを突き止めました。さらに、この遺伝子が生命活動に必須な、細胞分裂の調節を行っていることを明らかにしました。HPY2の機能を失った植物体は、細胞分裂の過程で必要となるタンパク質群の蓄積量が非常に少なく、細胞分裂機構が正しく働いていないことを明らかにしました。
高等生物の細胞内では、SUMO(スモ)※1という分子量が11kDa※2程度の小型タンパク質が、細胞内のほかのタンパク質と結合し、タンパク質の機能を変化させることで、細胞内の多くの活動を調節しています(SUMO修飾機構)。本研究ではHPY2という新しい遺伝子によってコードされるタンパク質が、SUMOとほかのタンパク質の結合を仲介し、細胞分裂の機能を調節していることを突き止めました。これまでSUMO修飾機構が、生命活動のいろいろな局面で必要とされると考えられていましたが、実際に多細胞生物で細胞分裂を調節しているメカニズムを解明した研究は、これが初めてとなりました。
細胞分裂の活性がどのように調節されているかは、農作物の生産性調節機構を知るうえでも非常に重要な知識であり、この研究の成果が収量の高い作物へと品種改良するための道を開くものとなります。本研究成果は、米国の科学雑誌『The Plant Cell』(8月号)に近く掲載されます。
背景
ヒトやマウスなどの動物や、シロイヌナズナやイネといった植物を含むすべての多細胞生物は、生体内に分裂組織※3を持っています。分裂組織にある幹細胞が、細胞分裂によって新しい細胞を生産し、新たな器官や組織を作り、複雑で大きな体を作り上げるとともに、生命活動を維持していると考えられています。シロイヌナズナをはじめとする双子葉植物の場合、地上部の茎の頂点(茎頂)と根の先端近く(根端)にそれぞれの分裂組織が存在し、器官の生長や新しい器官の形成に必要となる新しい細胞を供給する源となっています。(図1)分裂組織を対象とした研究はこれまで精力的に行われ、細胞分裂に必要とされる遺伝子が多数報告されてきましたが、その全容を解明するには至らず、細胞分裂がどのように調節され、体の大きさが決定されているのかという過程には分からないことが多く残されています。
また、細胞内では、多数のタンパク質が協調して働き複雑な生命活動を営んでいることが知られ、タンパク質の機能を調節する遺伝子が重要な意味を持つとされています。その中でSUMOと呼ばれる小型のタンパク質は、ほかのタンパク質と結合することでそのタンパク質の機能を調節しています(SUMO修飾機構)(図2)。この調節機能により、外的環境のストレスへの対応や、異常が起きた際に細胞の修復を行います。しかし、SUMO修飾機構は非常に複雑で、特に多細胞生物の生体内での働きについてはほとんど分かっていませんでした。
シロイヌナズナを含む植物は、細胞分裂・増殖の活性が強く、複雑な構造を持つ多細胞生物の分裂機構の研究に適当であると考えられています。そこで、本研究ではフローサイトメトリー解析法※4によって細胞分裂活性が低下した突然変異体を選び、詳細な研究を行うことで、これまで謎とされてきた細胞分裂を調節する遺伝子の発見を試みました。
研究手法
未知の機能を持つ遺伝子を解明する一般的な方法として、対象とする遺伝子の機能が失われた変異体を作り、どのような異常が出てくるのかを観察し、遺伝子本来の働きを推定する突然変異体解析※5という方法が取られます。研究では、HPY2という遺伝子の機能が失われたシロイヌナズナを生育させ、形態の変化を観察しました。その結果、茎頂や根端の分裂組織で、細胞分裂活性が低下していることを発見しました。これに加えて、細胞分裂を行う際に重要な役割を果たす、サイクリン依存性キナーゼ(CDKs)※6やサイクリンBタンパク質(CYCBs)※6の量を、ウェスタンブロッティング法※7とGUSレポーターアッセイ※8を活用して観察し、その量が低下していることを確認しました。(図3)これは、HPY2遺伝子が細胞分裂の活性調節に重要であることを示唆しています。
また、HPY2遺伝子のDNA配列情報をもとにその機能を推測した結果、SUMO修飾機構によって、細胞内にあるタンパク質の機能を調節している可能性があることが分かりました。そこで、SUMO修飾機構に必要となるタンパク質群を人工的に作製して、試験管内で混ぜ合わせ、HPY2がSUMO修飾を仲介する機能を持つかどうかを検証しました。その結果、実際にHPY2がこの機能に関与していることが明らかとなりました。さらに、生体内でHPY2がSUMO修飾機能に関与していることをウェスタンブロッティング法で検証し、細胞分裂の調節にHPY2によるSUMO修飾機構が必要であることを初めて突き止めました。
また、HPY2遺伝子に蛍光タンパク質(GFP)の遺伝子をつなげた人工遺伝子を作製して、植物のどこで働いているのかを顕微鏡で観察※9しました。その結果、予想通り根端の分裂組織で働いていることが分かりました。さらに、根端の分裂組織で中心的な役割を果たしているPLT遺伝子※10の活性に同調して、HPY2遺伝子が機能する部位の変化を観察しました。従って、HPY2が機能しないとPLTも十分に機能を発揮できず、HPY2とPLTとが協調して働くことで分裂組織が維持されていることを突き止めました。
研究成果
細胞分裂は、生命活動における非常に重要なイベントの1つと考えられ、古くから精力的に研究が行われています。本研究では、細胞分裂を調節しているHPY2という新たな遺伝子を発見し、その機能を明らかにすることができました。また、HPY2はヒトや酵母など非常に幅広い生物種において、SUMO修飾機構により細胞内のほかのタンパク質の機能を調節すると考えられていましたが、実際に多細胞生物の生体内で細胞分裂の調節にかかわっていることを初めて明らかにしました。
今後の期待
HPY2という遺伝子をより深く研究することで、多くの生物にとって必須である、複雑で精巧な細胞分裂のメカニズムの理解が進むことが期待されます。また、SUMO修飾機構は、細胞内の調節に重要であると考えられていましたが、具体的な役割はほとんど分かっていませんでした。今回、SUMOがどのような形で細胞分裂にかかわっているのかを調べ、SUMOと細胞分裂の両方の謎が明らかになることが予想できました。これは、新たな研究への端緒を開いた重要な基礎研究の成果といえます。
また、細胞分裂機能は、生命活動に必須であるだけでなく、最終的な植物体の大きさを規定するためにも非常に重要な要素と考えられています。今後は、直接的に細胞分裂機構を理解することで、農業作物の有用部位を肥大化させたり、不用部位を矮小化させるといった品種改良の手がかりを得ることができると考えています。