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2009年8月25日

独立行政法人 理化学研究所
国立大学法人 広島大学

地球の重力がほ乳類の正常な胚発生に必須の可能性を示す

-人類は宇宙空間で繁栄することができるのか-

ポイント

  • 人工の微小重力環境下で、ほ乳類の受精、胚発生の研究を初めて実現
  • マウス実験で、受精は微小重力環境下でも可能と判明
  • 胚発生や出産率は約半分と大きく低下し、重力の必要性を示唆

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と国立大学法人広島大学(浅原利正学長)は、マウス初期胚への微小重力※1の影響を調べ、微小重力の宇宙空間で、胚の発育が阻害される可能性があることを発見しました。理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)ゲノム・リプログラミング研究チームの若山照彦チームリーダー、広島大学大学院保健学研究科生体環境適応科学教室の弓削類教授らの共同研究による成果です。

私たちは、将来、宇宙ステーションや月面基地で人類が恒常的に生活し、繁栄していく可能性を模索しています。そのためには、人や動物が宇宙空間で繁殖していくことが不可欠ですが、1979年にロシアの研究グループが行ったラットの繁殖を試みた実験は失敗に終わり、それ以降ほ乳類の繁殖実験はほとんど行われていません。その原因は、宇宙空間へ実験システムを打ち上げるコストが高価なことや、初期胚の宇宙実験が現在の技術では不可能なためです。

研究チームは、弓削類教授と三菱重工業(株)が共同開発した「3次元重力分散型模擬微小重力装置(3D-クリノスタット)※2」を使って、スペースシャトル内と同じ10-3Gの環境下でマウスの体外受精および初期胚の培養を行い、さらにメスの子宮へ移植することで産仔の作出を試みました。その結果、微小重力環境下で受精は正常に起こりましたが、そのまま培養を継続していくと、初期胚の成長速度が遅くなり、胎盤側への細胞分化が抑制されるという傾向を見いだしました。また、胚移植後の産仔の出産成績も約半分と大幅に低下してしまうことが分かりました。

この実験結果は、3D-クリノスタットによる模擬微小重力環境下での結果ですが、3D-クリノスタットの再現性能はNASAも認めていることから、この研究によって初めて、ほ乳類が宇宙ステーションあるいは月面基地で子孫を作ることは困難である可能性を示したことになります。

本研究成果は、米国のオンライン科学雑誌『PLoS ONE』(8月25日付け)に掲載されます。

背景

宇宙開発が進み、将来大規模な宇宙ステーションあるいは月面基地などが建設され、人類がそこで繁栄していくためには、苛酷な宇宙環境の1つである微小重力環境のもとで人や動物が繁殖していくことが不可欠です。これまで宇宙空間での受精や発生など生殖に関する研究は、魚類や両生類で盛んに行われ、それらの動物種が宇宙でも問題なく子孫を作ることから、微小重力は繁殖に影響しないことが確かめられています。ところが、ほ乳類の生殖に関する研究は、妊娠の維持における微小重力の影響を調べた程度で、受精や初期発生についての研究は、ほとんど行われていません。その理由の1つは、ほ乳類が環境の変化に敏感で、せっかく宇宙へ連れて行っても交尾をしない可能性が非常に高いためです。実際に宇宙でラットの繁殖を試みた実験(ロシアのロケット、コスモス1129で実施)では、宇宙どころか地上のコントロール実験でも交尾をしなくなってしまいました。

生きた動物の代わりに生殖細胞を打ち上げることも両生類などでは行われていますが、ほ乳類の場合、生殖細胞そのものが非常に小さく、微小重力環境下での扱いが非常に困難なこと※3、培養可能な期間がわずか4日間しかないこと、子宮への胚移植手術を宇宙で行うことが現状では不可能であること※4から、実現していません。生殖細胞は凍結することで長期保存ができますが、卵子の凍結技術はいまだ開発途上であり、しかもロケットの打ち上げ、および地上への回収には冷凍庫が使えないため、この方法も利用できません。

このように、生きた動物個体でも取り出した生殖細胞でも、ほ乳類の受精や初期胚の発生に関する実験を宇宙で行うことは、現在の宇宙開発の技術ではほぼ不可能な状況となっています。

理研の若山チームリーダーらはこれまでに、マウスを用いた体外受精や初期胚の培養、あるいは体細胞クローンなどの研究で成果をあげており、通常困難と考えられる環境においてマウスの産仔を作出する技術を確立してきました。一方、広島大学の弓削教授らは3D-クリノスタット(図1)を三菱重工業(株)と共同開発し、地上でスペースシャトル内と同じ10-3Gの微小重力環境を再現することに成功しています。この装置は、従来の2次元クリノスタットより高精度な微小重力環境を再現しており、弓削教授はその功績によりNASA(アメリカ航空宇宙局)の学会(ASGSB)から表彰を受けています。そこで、若山チームリーダーらは弓削教授らと共同で、マウスの体外受精および初期胚の培養を、この3D-クリノスタットが作り出す微小重力環境下で行い、ほ乳類の初期発生における重力の影響を検討しました。

研究手法および成果

(1)微小重力環境下でのほ乳類の受精、胚発生の実験方法を確立

3D-クリノスタットは微小重力を発生させるために、特殊な実験器具と培養条件を必要とします。研究チームは、マウスの体外受精および初期胚の培養をこの装置内で行うために、従来の方法を根本から改変しました。従来の方法では、培養皿を使い、0.4ml程度の体外受精専用の培養液の中で卵子と精子を混ぜ合わせ、受精後数回洗浄して精子を取り除いた後、今度は初期胚専用の培養液に移して4日間培養します。しかし、3D-クリノスタットで培養するためには、約40mlのフラスコに口切いっぱい培養液を満たす必要があり、また、微小重力を中断しないために、体外受精から4日間連続で培養し続けました。そのため、①体外受精専用の培養液から初期胚専用の培養液に変更することができない、②従来の100倍量の培養液を使用するため、卵子自身が放出する成長因子(受精および培養に必須)が希釈されてしまう可能性がある、③精子を洗浄で取り除けないため、初期胚を精子と一緒に4日間培養することになる、の3つの問題点について検討しました。さまざまな条件(2種類の培養液の混合や培養時間の延長など)を検討した結果、3D-クリノスタットを利用するために必須の条件下でも、受精および初期胚の培養が可能となり、微小重力環境下での実験方法を確立することができました。

(2)受精は微小重力環境下でも可能

体外受精を試みてから6時間後に3D-クリノスタットから、卵子を回収して、受精における微小重力の影響を調べました。その結果、微小重力区でも84%の卵子は正常な受精※5をしており(図2a, b)、地上と同じ重力環境の1Gのコントロール区(81%)と有意な差はありませんでした。また、受精卵の核の性質を詳しく調べたところ、微小重力に起因する異常は見つかりませんでした。従って受精、すなわち精子の卵子への侵入および核の形成には微小重力の影響は見られないことが分かりました。

(3)胚発生や出産率が大幅に低下し、重力の必要性が分かる

次に体外受精から24時間あるいは96時間連続で培養を続け、胚発生における微小重力の影響を調べました。24時間後に胚を回収したところ、2細胞期胚への発生率は、微小重力区と1Gのコントロール区(1G区)で差は見られませんでした(図2c)。ところが96時間培養を続けた場合、胚盤胞期※6への発育は1G区が57%だったのに対し、微小重力区は30%に低下してしまいました(図2d, 図3m)。

それらの胚をメスの卵管あるいは子宮に移植し、産仔への発育能を調べました(表1)メスマウスの飼育は、通常の飼育室(1G)で行いました※7。その結果、24時間で回収した胚は、2細胞期への発生率には差がなかったのにもかかわらず、産仔率は1G区の63%に対して35%に低下してしまいました。96時間で回収した胚盤胞でも同様に、1G区の38%に対して微小重力区ではわずか16%の産仔率しかありませんでした。しかし、生まれたマウスは外見も繁殖能力も正常でした(図2e, f)

さらに、一部の胚盤胞に対して免疫染色を行い、細胞数や内部構造※6を調べました(図3)。細胞数を分析した結果、微小重力区で培養した胚は胎盤側への分化が抑制されていることが分かりました(図3n)。一方、内部構造の解析から、胚盤胞の形態は正常であることが分かりました(図3l)。この結果は、重力は細胞の分化には重要な影響を及ぼすが、胚盤胞の形を形成するためには必要ないことを示唆しています。

今後の課題

今回の結果は、微小重力の宇宙空間で、ほ乳類が正常に繁殖するのは困難である可能性を初めて示しました。研究で使用した3D-クリノスタットは、従来型のものより微小重力環境をより正確に再現していますが、本当の答えは宇宙で実験しなければ分かりません。これまでの宇宙開発の技術では、ほ乳類の受精および初期発生に関する実験を宇宙で行うことは不可能でした。しかし、国際宇宙ステーションに取り付けた日本実験棟の「きぼう」が完成し、実験環境が整いつつある今、これまで難しかった宇宙での繁殖実験に本格的に取り組み、人類が宇宙空間で自在に活躍する可能性を模索する必要性が高まっています。

お問い合わせ先

(問い合わせ先:受精、胚発生について)
独立行政法人理化学研究所
発生・再生科学総合研究センター
ゲノム・リプログラミング研究チーム
チームリーダー 若山 照彦(わかやま てるひこ)
Tel: 078-306-3049 / Fax: 078-306-3049

(問い合わせ先:3D-クリノスタットについて)
国立大学法人広島大学大学院保健学研究科
保健学専攻心身機能生活制御科学講座
生体環境適応科学教室
教授 弓削 類(ゆげ るい)
Tel: 082-257-5425(直通)
082-257-1501(研究室)
Fax: 082-257-5344

報道担当

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当
Tel:048-467-9272 / Fax:048-462-4715

神戸研究推進部 広報・国際化室
サイエンス・チーフ・コーディネーター
南波 直樹(なんば なおき)
Tel: 078-306-3092 / Fax: 078-306-3090

国立大学法人広島大学 社会連携・情報政策室
広報グループ 村上 尚(むらかみ ひさし)
Tel: 082-424-6017 / Fax: 082-424-6040

補足説明

  • 1.微小重力
    一般に宇宙は無重力だと思われているが、スペースシャトル内では10-3G、宇宙ステーション「きぼう」内では10-4G程度の重力が作用しており、正確には微小重力と表現する。
  • 2.3次元重力分散型模擬微小重力装置(3D-クリノスタット)
    直交二軸のまわりに試料を360°回転させ重力ベクトルをX、Y、Z軸方向に分散,相殺させることにより宇宙環境と同じ10-3Gの環境を作り出す装置。なお、本装置に関連して下記の特許を取得している。
    特許名: 多能性幹細胞増殖の培養方法、多能性幹細胞の培養システム、及び多能性幹細胞培養装置(発明者・出願人: 弓削 類、三菱重工業株式会社 神戸造船所 機械・宇宙部・宇宙機器設計課・主任・植村 勝)特願2001-197182, 特開2003-9852, 海外特許 (WO2004/061092 A1 PCT; 米国, EU等)、2004年
  • 3.微小重力環境下でのほ乳類胚の取り扱い
    ほ乳類の初期胚は肉眼では見えず(直径0.08mm程度)、しかも培養液の中でしか扱えない。微小重力環境の宇宙ステーション内で、顕微鏡を見ながら液体の中の胚を移す作業は現実的には不可能。
  • 4.宇宙での胚移植手術
    胚を微小重力環境下で扱うこと自体が難しい(※3参照)だけでなく、宇宙での手術そのものが前例のない作業であり、宇宙での実験の前に手術自体の研究が必要となる。
  • 5.正常な受精
    体外受精は人為的な培養環境ということもあり、異常な受精、すなわち1つの卵子に2つ以上の精子が侵入してしまう場合や、精子の侵入なしで発生が始まってしまう場合などが起こりやすい。そのため1つの精子とだけ受精し、卵子内にメス由来、オス由来の核を1つずつ持ち、卵子の外に1つの第二極体を持ったものを正常な受精卵と判定した。
  • 6.胚盤胞の細胞数と内部構造
    受精から約3.5日経過した胚盤胞は、将来胎児になる細胞(ICMと呼ぶ)と胎盤になる細胞(TEと呼ぶ)の2種類の細胞に分化しており、免疫染色という手法を用いるとそれぞれの細胞を色分けすることができる。胚盤胞が正常かどうかの指標となる成長速度や分化の完成度は、それぞれの細胞数を数えることで調べられる。一方、胚の立体構造を観察し、それぞれの細胞の空間的位置を調べることで、構造的に正常な胚かどうか調べることができる。
  • 7.胚移植したメスマウスへの飼育について
    3D-クリノスタット内でマウスを飼育することができないため、回収した胚を移植したメスマウスは通常の飼育室(1G)で妊娠を継続させた。従って胚は、移植してから着床するまで1Gの子宮の中で半日程度過ごす。回収した時点で発生にダメージがあった胚でも、この間にダメージを修復し着床できるようになる可能性がある。そのため、宇宙でこの実験が可能になった場合、産仔率はもっと低い可能性がある。今回の実験では広島大の3D-クリノスタットで受精、胚発生を行い、メスマウスへの胚移植は神戸の理研 発生・再生科学総合研究センターで行った。そのため3D-クリノスタットを停止し、神戸へ運び移植を行うまで約4時間かかっている。この間も1G環境下におかれるため、胚の修復がなされ、産仔率を上げていた可能性がある。
微小重力環境下で発生させた胚の産仔への発育能の表画像

表1 微小重力環境下で発生させた胚の産仔への発育能

a vs.b:p<0.05(産仔率は24時間、96時間ともに、1GとμGで有意差があった)

3D-クリノスタットの写真

図1 3D-クリノスタット

3D-クリノスタットは広島大学の弓削教授らが三菱重工業(株)と共同開発した、地上でスペースシャトル内と同じ10-3Gの微小重力環境を再現できる装置。細胞培養機内に設置されており、NASAが提供する軌道制御プログラムによってコントロールされる。Space Bio-Laboratoriesのホームページにて動画の参照が可能。

微小重力環境下での体外受精、初期発生および産仔作出の写真

図2 微小重力環境下での体外受精、初期発生および産仔作出

(a)微小重力環境下で受精した1細胞期胚。

(b)その核を染色して詳細を調べたもの。矢印は多精子受精(2つの精子と受精した)。

(c)24時間後には2細胞期へ、(d)96時間後には胚盤胞期へ発育した。

(e)それらの胚を偽妊娠メスマウスの卵管あるいは子宮へ移植すると、出産率は低下するものの、健康なマウスが生まれてきた。

(f)それらのマウスは自然交配により出産したことから、微小重力環境下で受精し初期発生した胚であっても、正常な繁殖能力を持つ大人へ成長できることが確認できた。

1G区と微小重力区で培養した胚盤胞のクオリティーの比較図

図3 1G区と微小重力区で培養した胚盤胞のクオリティーの比較

a~e,k:1G区で培養した胚盤胞。
f~j,l:微小重力区で培養した胚盤胞。
a,f:胎盤側になる細胞を染色(緑色)。
b,g:胎児側になる細胞を染色(赤色)。
c,h:すべての細胞のDNAを染色(青色)。
d,i:緑と赤の合成。細胞数を測定する際に利用。
e,j:すべてを合成。
k,l:e,jの立体構造をそれぞれ3Dで観察したもの。ゲノム・リプログラミング研究チームのホームページにて動画の参照が可能。
m:2細胞期および胚盤胞期への発生率をグラフ化したもの。青は2細胞期胚、紫は胚盤胞期胚への発生率。
n:胚盤胞内の各種細胞数を数えたもの。
緑(TE)は胎盤側の細胞数、赤(ICM)は胎児側の細胞数、黄色(緑と赤の両方に染まったもの)は胎盤側の細胞へ分化している途中のもの。青(M)は細胞分裂中で染色できなかったもの。

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