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2009年10月6日

独立行政法人 理化学研究所

道具使用法を訓練後、サルの大脳皮質の膨張を示す信号を発見

-人間知性進化の生物学的メカニズムの解明に糸口-

ポイント

  • サルで2週間の道具使用訓練後、知性関連の大脳皮質部位で膨張信号を検出
  • 小脳脚部の白質(神経繊維の束)の膨張を示す信号も初めてキャッチ
  • 膨張を示すこれらの脳部位は、人類進化の過程で大きくなった脳部位に対応

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、ニホンザルに道具を使う訓練を施すと、約2週間の習得過程で、関連する大脳皮質※1部位が膨張することを発見しました。この部位は、人類が進化する過程で大きくなった部位に対応しており、ヒトの知性が進化したメカニズムを、生物学的に解明する糸口をつかんだことになります。本研究は、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)象徴概念発達研究チームの入来篤史チームリーダーと、ロンドン大学神経学研究所との共同研究による成果です。

理研の研究グループは、約2週間、3匹のニホンザルに段階的に条件を与え、熊手の形をした道具を使って、遠くにある餌を取ることができるように訓練しました。訓練前2週間、訓練中、訓練後2週間にわたり計6回、解像度0.5mmという高解像度MRI※2装置で脳の核磁気共鳴画像を撮像し、ロンドン大学神経学研究所の研究グループが、デジタル脳構造画像解析技術(Voxel Based Morphometry 法※3)を用いて、撮像したデータから訓練したサルの脳の微細構造がどう変化するかを解析しました。

その結果、道具の使用や行動を担う大脳皮質の内、1)頭頂間溝部皮質、2)上側頭溝部皮質、3)第二体性感覚野の部位の灰白質(神経細胞層)の信号強度が、訓練の前後で17%増大することを発見しました。また、小脳脚部(小脳と、大脳皮質など別の脳部位をつなぐ神経繊維の束が通っている部位)の白質(神経線維の束)も、信号強度が増大することを初めて発見しました。これまで、サルのこれらの部位は、ヒトと比べて未発達とされていましたが、信号強度の増大は、サルが新しい高次認知機能を獲得しながら、脳部位を発達・膨張させたことを示唆します。

人間の音楽家や数学者などの熟達者群では、その技術を担う大脳皮質部位が素人群よりも若干厚いことが知られていました。研究グループは、霊長類の個体レベルで、2週間という短期間に、大脳のダイナミックな変化を観察することに成功しました。今回の発見により、知性の進化を探る生物学的研究の手段を得たとともに、今後の高次脳機能の分子遺伝学的な研究の加速的展開が期待されます。

本研究成果は、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America: PNAS』10月5日の週にオンライン掲載されます。

背景

脳は、脳幹、小脳、大脳皮質などの部位から構成されています。脳幹は生命維持に直接かかわる身体機能の制御を、小脳は巧みな身体運動、特に人間では複雑な認知機能や直感などを補助する情報処理を、大脳皮質は感覚や運動などの行動を担うとともに、思考や創造などの精神機能をつかさどると考えられています。これらの領域は、生物の進化の歴史的な過程を経て、脳の中で徐々に積み重なるように、膨張しながら配置されてきたとされています。その中でも特に大脳皮質は、人間が人間である知性・賢さに深く関与しているとされ、サルを含めた人間以外の生物と比べて、特に大きく発達している領域です。

道具の使用は、ヒトの知性を特徴づける行動の1つです。人間は、進化の過程で大脳皮質、特に頭頂葉や前頭葉の部位が大きくなることによって、道具の使用や言語といった高次認知機能を発達させ、ひいては高度な知性や心の働きを獲得したと考えられてきました。また、音楽や数学など、特殊な能力を長年かけて熟達した人のグループは、一般の人々に比べて、その機能に関連する大脳の部位が若干発達しているらしいことが示唆されつつあります。しかし、そのような脳の膨張を引き起こす具体的な生物学的メカニズムについては、これまでそれを研究する手段すら、まったく見当がついていませんでした。

一方、サルの場合、大脳皮質のこれらの部位は、ヒトに比べると非常に小さい領域です。それでも、訓練によってさまざまな知識を身につけるに伴い、神経回路のレベルでは変化し発達すると考えられてきました。ただし、具体的に脳構造の一部分が膨張する、といった大きな変化が起こるとは予想もされていませんでした。

このように、各々の個人、固体の脳の発達の違いは検出できる程顕著ではなく、これまで生物学的なメカニズムを知る手段はまったくありませんでした。こうした状況の下、高度な脳機能を獲得すると、個体レベルでどのように脳が発達し、膨張が起きているかを調べることができる動物モデルは、長く嘱望されていました。

研究手法と成果

理研の研究グループは、3匹のニホンザルを段階的に条件づけして、長さ30cm程の熊手の形をした道具で、遠くにある餌を取ることができるように訓練しました。具体的には、熊手の手前にある餌を、ただ熊手を引っ張って、ひっかけて取ることから始め(第1段階)、徐々に餌を熊手から離し、熊手の向こう側に餌を置いても取ることができる状態(第2段階)、最後には、餌がどこにあっても熊手をスムースに駆使して餌を取ることができる状態(第3段階)に到達するように訓練しました。訓練の習熟度は、1回で餌を取ることができれば3点、2回ならば2点、何回も試した場合は1点として、50回の試行を行った後の合計点数を評価しました。どのサルも、約2週間程で熊手の使い方を習得し、150点近くの点数を稼ぐことができるようになりました。この訓練を始める2週間前と訓練開始直前、訓練中の各習熟段階に到達した3回、訓練後約2週間の合計6回にわたり(図1)、脳構造の核磁気共鳴画像(MRI)を解像度0.5mmという高解像度MRI装置で撮像しました。取得したデータを、ロンドン大学神経学研究所の研究グループがVoxel Based Morphometry 法というデジタル脳構造画像解析技術を駆使して検討し、訓練したサルの脳を灰白質(大脳皮質などの神経細胞層)や白質(神経線維束)に区分けして、それぞれの脳部位の詳細な構造がどのように変化したかを解析しました。Voxel Based Morphometry 法の分解能は、MRI装置の解像度に依存します。従って、理研の高解像度MRI装置が、ヒトより格段に小さいサルの大脳皮質や小脳から発する信号の微細な変化をとらえ、詳細な構造解析に貢献することができます。

解析の結果、道具の使用や行動を担う大脳皮質のうち、(1)頭頂間溝部皮質、(2)上側頭溝部皮質、(3)第二体性感覚野の部位の灰白質の信号強度が、訓練後に増大することを明らかにすることができました(図2)。信号強度の増大は、それぞれの個体ごとに計算しても、最大で17%にも達するほど顕著なものでした。これは、この部位の膨張を示すものです。これまで、ヒトの熟達者を研究した場合、20人程度を集めてようやく統計的に2~3%の増大を検出できる程度しかなく、とても1個体レベルで検出できるものではありませんでした。今回、大幅な増大を各個体で観測することができた理由は、サルにとっては生涯でまったく経験したことのない、道具を使用するという脳の高次機能を活動させたためと思われます。さらに、この道具を使用する能力は、2週間程度の短い期間で習得できました。つまり、今回用いた実験系は、脳の膨張のメカニズムを細胞レベルで解明する生物学的研究の手法として、最適であるといえます。また、小脳脚部(小脳と、大脳皮質など別の脳部位をつなぐ神経繊維の束が通っている部位)の白質も、信号強度が増大することを初めて発見しました。小脳脚部は、ヒト以外の動物では、主に巧みな運動機能の調節を担っていますが、ヒトに至る進化の過程で劇的に膨張し、言語や思考などさまざまな認知機能の学習や発現にかかわるようになってきた、と考えられています。

今回、ニホンザルの道具使用の訓練によって膨張することが明らかになった大脳皮質や小脳の各部位は、ヒトの進化の過程で顕著に膨張した脳部位に対応しており、言語や概念操作などの高次認知機能をつかさどる下頭頂小葉と呼ばれる部位の近傍にあります(図3)。これまで、この部位はヒトに特異的な部位で、サルには対応する部位が存在しない、あるいは非常に未発達であると考えられてきました。しかし、今回の発見は、サルが新しい高次認知機能を獲得するとともに、徐々に下頭頂小葉近傍の脳部位を発達、膨張させたことを示唆します。ひいては、ヒトに特異的にこの脳部位が形成された、という進化の筋書きを考えることが可能となります。

今後の期待

大脳の部位は、人類進化の過程で膨張した部位に対応します。霊長類の進化に伴う大脳の膨張を、実験的に再現したと考えられる今回の手法は、人間知性が進化したメカニズムを、細胞生物学的に解明する糸口を与えたといえます。霊長類の個体レベルで、短期間にダイナミックな脳の変化を確認することができたことによって、知性進化の生物学的研究の実験系を得ることができました。また、学習に伴って白質も膨張することは、すべての動物種を通じて今回初めて分かりました。今後、サルからヒトへ徐々に進化する大脳部位の膨張の実体の確認と、高次脳機能の分子遺伝学的な研究の加速的展開が期待されます。

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 象徴概念発達研究チーム
チームリーダー 入來 篤史(いりき あつし)
Tel: 048-467-9611 / Fax: 048-467-9645

お問い合わせ先

脳科学研究推進部企画課
納富 さより(のうどみ さより)
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.大脳皮質
    大脳の表面に広がる神経細胞の灰白質(かいはくしつ)の層。大脳基底核と呼ばれる白質の周りを覆っている。知覚、思考、記憶など脳の高次機能をつかさどっている。
  • 2.MRI
    Magnetic Resonance Imagingの略で核磁気共鳴画像装置のこと。プロトン(水素の原子核)は磁場の中でスピン歳差回転運動を行う。通常はプロトンごとに回転の位相が異なるので巨視的な磁場変化は観察されないが、励起磁気パルスにより回転位相を合わせると、巨視的な磁場変化(磁気共鳴信号と呼ぶ)が観察される。
    位相が再びばらける(緩和と呼ぶ)ことにより磁気共鳴信号は減少し消失するが、緩和のスピードが脳組織の性質により(例えば灰白質と白質とで)異なるので、脳の構造を撮影することができる。病院に診療のために設置されている磁気共鳴画像装置の磁場の強さは1.5テスラ以下であるが、研究目的で3テスラや4テスラの磁場の装置が作られている。高い磁場では、より多くのプロトンが磁化するので、磁気共鳴信号が大きくなるとともに、磁気共鳴信号が緩和するまでの時間が短くなるなどの利点がある。
  • 3.Voxel Based Morphometry 法
    MRI画像を各計測点(Voxel)ごとに分解して、それぞれの信号強度を基に脳の構造を分析(Morphometry)する手法で、ロンドン大学が開発、最近では特殊技能を持った人の脳の構造の比較や、脳損傷後の回復過程などの解析手法として活用している。
訓練による熟達過程と撮像のタイミングの図

図1 訓練による熟達過程と撮像のタイミング

横軸:訓練開始後の日数
縦軸:習熟度
矢印:撮像のタイミング
訓練前2週間、訓練開始直前、訓練中の各習熟段階に到達した3回、訓練後約2週間に撮像して、大脳構造の変化を解析した。

習熟に伴って膨らんだ脳部位の図

図2 習熟に伴って膨らんだ脳部位

各パネルはそれぞれ拡大の中心で脳をスライスした像。
薄い黄色ほど膨張の確度が大きいことを示す。
大脳皮質の3つの脳部位が膨らんだ。
左上:矢状断面
右:前頭断面
下:水平断面

研究結果のイメージ図の画像

図3 研究結果のイメージ図

(左)人間の左大脳半球.
橙色の下頭頂小葉(39野・角回と40野・縁上回)はヒトに特異的な脳部位と考えられ、言語や概念操作などの高次認知機能をつかさどる。
緑色の頭頂葉の5野と7野はサルと共通する脳部位。

(右上)道具使用訓練前のサルの左大脳半球。

(右下)道具使用訓練後のサルの左大脳半球。
下頭頂小葉が膨張して道具使用などの高次認知機能を担うようになる(大きさは強調してある)。ヒトの知性を担う大脳部位の萌芽と考えられる。

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