広報活動

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2010年3月29日

独立行政法人 理化学研究所

磁性の違う2種の人工原子で、スピンに依存した電子の透過・捕獲に成功

―電子スピンの向きをスイッチにして、電流を制御する新デバイスが可能に―

ポイント

  • 2種類の半導体の人工原子の磁気的性質をそれぞれ制御
  • スピンに依存した電子の透過・捕獲現象を1個1個の電子について初観測
  • 半導体スピントロニクスや、電子スピンを用いた量子情報処理へのツールとして期待

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、磁場を発生するコイルの中に、異なる材料でできた2つの半導体人工原子(量子ドット)※1を電極間に並べて設置し、一定磁場の下で電圧を変化させると、電子スピン※2の向きに応じて、人工原子内を電流が流れたり(電子が透過)、流れなかったり(電子が捕獲)するという新しい現象を発見しました。これは、理研基幹研究所河野低温物理研究室(河野公俊主任研究員)の大野圭司専任研究員、台湾交通大学物理学部の林志忠教授、国立大学法人東京大学工学部および独立行政法人科学技術振興機構国際共同研究量子スピン情報プロジェクトの樽茶清悟教授、NTT物性基礎研究所の都倉康弘研究員らによる共同研究の成果です。

電子は上向きスピン、下向きスピンと呼ばれる2つの内部状態を持っていますが、そのエネルギー差は磁場の強さに比例して大きくなることが知られています。この比例定数をg因子と呼び、固体中の電子スピンのg因子の値は、構成する母体材料の種類で決まります。半導体人工原子の作製に適したガリウムヒ素(GaAs)やインジウムヒ素(InAs)などの化合物半導体は、その組成を変えることでg因子を変化させることができます。

研究グループは、たった電子1個しか占有できないほどの極小デバイスとして、インジウムガリウムヒ素(InGaAs)でできた人工原子1つと、GaAsでできた人工原子1つを考案して、ソース電極-絶縁体-InGaAs人工原子-絶縁体-GaAs人工原子-ドレイン電極というサンドイッチ構造の半導体人工分子素子を作製し、極低温の磁場中に設置しました。それぞれの人工原子には1つのエネルギー軌道準位※3があり、磁場を加えると、上向きスピン準位と下向きスピン準位の異なる準位に分裂します。ソース・ドレイン電極間に印加する電圧を変えて、これら2つの準位の相対的な位置を制御することで、この半導体人工分子素子が、特定のスピンを持つ電子を1個ずつ透過させたり捕獲したりする現象を発見しました。この現象を利用すると、スピンに依存した新しい電流制御が可能になり、将来の半導体スピントロニクス※4や電子スピンを用いた量子情報処理への応用が期待できます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(4月1日付け:日本時間4月2日)に掲載予定です。

背景

少数の電子を微小な空間に閉じこめることのできる半導体人工原子、とりわけ2つの電極の間に半導体人工原子を挟み込んだ素子は、一般的な半導体トランジスタ素子と同様に、電圧や電流を加えて行う電気的な測定により、人工原子内部の電子の挙動を知ることができるため、基礎科学・応用の両面から注目を集めています。例えば、人工原子の殻構造の観測やパウリの排他率による整流効果などは、多くの研究が行われています。

その中でも、GaAs、InAs、AlAsなどのIII-V族化合物半導体からなる合金は、その組成を変えることで、合金中の電子スピンの磁気的性質(g因子)が変化する特徴を持っています。このg因子が異なる材料を薄膜絶縁体の両側に配置して、電極で挟んで電圧を加えると、トンネル電流※5により電子をある人工原子から別の人工原子に移動させることができます。移動する電子スピンの向きは、その“入れ物”である人工原子の性質で決まることになり、結果として電子の磁気的性質を電気的に変化させることができます。これまでの実験は、10億個程度の電子スピンの集団が、ほとんど向きがばらばらな状態でg因子の異なる領域を行き来しているだけで、個別の電子を観察することはできませんでした。今回、たった1個の電子に着目し、磁場中にある人工原子内での挙動について詳細に観察しました。

研究手法

研究グループは、ソース電極-絶縁体-InGaAs人工原子-絶縁体-GaAs人工原子-絶縁体-ドレイン電極の順に積層した構造を、直径約500nm(1nmは10億分の1m)の円柱状に加工しました(図1)。それぞれの人工原子の厚さは約10nmで、g因子の値は、InGaAs人工原子の場合が-0.89、GaAs人工原子の場合が-0.33と異なります。この円柱の周囲にゲート電極を設置し、負電圧を加えることで電子を円柱の中心付近に閉じ込めるようにしました(図2)。ゲート電極に-1V程度の電圧を加えると、人工原子中の電子の居場所を、直径約30nm、高さ10nmとさらに極小の領域に限定できるため、たった1個の電子だけを閉じ込めることができる半導体人工分子素子を作製することができました。この半導体人工分子素子を、0.1ケルビン※6という極低温の環境下で、最大15テスラの磁場を発生するコイルの中に設置し、一定磁場の条件のもと、ソース・ドレイン電極間に数十mVの電圧を加えて、ソース電極から透過した電子が、2つの人工原子の上向きスピン準位や下向きスピン準位を透過して、ドレイン電極まで到達する電流の様子を測定しました。

研究成果

2つの人工原子には、それぞれ1つのエネルギー軌道準位があり、ソース・ドレイン電極間に加える電圧を変化させて、各人工原子の軌道準位のエネルギーを相対的に調整することができます(図3a~c)。磁場の無い状態では、ある特定のソース・ドレイン電圧で、各人工原子の軌道準位のエネルギーが一致するため、電流のピークを1つだけ測定できます(図3d)。これはソース電極から絶縁膜を通ってInGaAs人工原子へ透過した電子が、そのスピンの向きに関係なく、次のGaAs人工原子へ透過し、最後はドレイン電極へ到達したことを意味します。一方、磁場を印加した状態でこの測定を行うと、このような電流が流れないことが分かりました。そこで、電流の磁場依存性を測定したり、数値シミュレーションと比較したところ、興味深い現象が起こっていることを突き止めました。

磁場を加えると、人工原子の各軌道準位が異なる大きさに分裂して、上向きスピン準位、下向きスピン準位を持ちます。このとき、各人工原子のg因子の値が違うため、ソース・ドレイン電極間に加える電圧を変化させて、例えば下向きスピン準位を一致させても上向きスピン準位は一致しません(図4a)。同様に上向きスピン準位を一致させても、下向きスピン準位は一致しません(図4b)。すなわち、電子が持つ上下2つの向きのスピンのうち、前者は下向きスピンの電子だけ、後者は上向きスピンの電子だけしか通り抜けることができません。しかし、ソース電極からは、上下どちらかの向きのスピンを持つ電子がランダムに透過します。下向きスピン準位が一致した状態(図4a)で、もし下向きスピンの電子が透過すれば、その電子は透過してドレイン電極まで到達しますが、ひとたび上向きスピンの電子が透過すると、上向きスピン準位の不一致により、その電子は次のGaAs人工原子へ透過することができず、InGaAs人工原子内に捕獲されてしまいます。人工原子内にはたった1個の電子しか占有できないため、次の電子がソース電極から透過しようとしても、電子間のクーロン反発※7により透過することはできません。従って、その後の電子の流れは遮断されたままとなります。同様に、上向きスピン準位が一致した状態(図4b)では、ソース電極から下向きスピンの電子が透過すると、その電子はInGaAs人工原子内に捕獲され、電流の流れは遮断されます。つまり、透過する電子のスピンの向きに依存して、電子の透過・捕獲が行われるという新しい電流制御現象が現れることを発見しました。

今後の期待

この研究では、たった電子1個しか占有できないほどの大きさで、異なるg因子を持った個々の人工原子を、空間的に複数並べた系を作ることができました。この半導体人工分子素子の電子輸送を明らかにしたことから、将来の半導体スピントロニクスや電子スピンを用いた量子情報処理への応用が期待されます。

発表者

理化学研究所
基幹研究所 河野低温物理研究室
専任研究員 大野 圭司(おおの けいじ)
Tel: 048-462-1111(内線8931/8932)
Fax: 048-467-4652

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

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補足説明

  1. 半導体人工原子(量子ドット)
    半導体でできたnm(ナノメートル)スケールの箱で、量子ドットとも呼ぶ。この箱に閉じこめられた少数の電子は、金属物質中で自由に動き回る電子とは異なり、自然界にある原子の中の、原子核に束縛された電子と同様な性質を示す。人工原子が2つ結合したものは人工分子、2重量子ドットなどとも呼ばれる。
  2. 電子スピン
    電子の持つ内部自由度で、“上向き”と“下向き”の2つの状態からなる。通常の金属や半導体では、ほぼ半数ずつの“上向き”スピンと“下向き”スピンの電子が存在する。電子スピンがそろった状態は強磁性体(磁石)として知られている。
  3. 軌道準位
    天然の原子にs軌道、p軌道、d軌道などの原子軌道準位があるのと同様に、人工原子にも離散的なエネルギーと波動関数を持つ軌道準位が存在する。
  4. スピントロニクス
    電子が持つ電気的な性質である“電荷”だけではなく、その磁気的性質である“電子スピン”をエレクトロニクスに利用する試み。
  5. トンネル電流
    電子の量子力学的な波としての性質により、小さな確率で電子は薄い壁を通り抜けることができる(トンネル効果)。この電子の流れをトンネル電流と呼ぶ。薄い絶縁体層は電子にとっての薄い壁に相当するため、薄い絶縁層を通過するトンネル電流が流れる。
  6. ケルビン
    熱力学的に考えられる最低の温度を絶対零度とし、そこから測った温度を絶対温度という。絶対温度の単位がケルビン(K)。0K=-273.15℃。
  7. クーロン反発
    電子の負の電荷同士の反発のこと。人工原子のような微小な空間に閉じこめられた電子の場合、新たにもう1つの電子をその人工原子に加えようとすると、クーロン反発を起こすため、余分のエネルギーが必要となる。人工原子が2つの電極に挟まれている構造では、クーロン反発を克服するだけのエネルギーが供給されない場合、電極間の電子の移動が起こらなくなる現象(クーロン閉鎖)が知られている。

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積層構造の模式図の画像

図1 積層構造の模式図

ドレイン電極から順に各素子を積層し、ソース電極まで蒸着したところで500nmの円柱状に加工した。

積層構造を円柱状に切り出し、ゲート電極をつけた人工分子素子の図

図2 積層構造を円柱状に切り出し、ゲート電極をつけた人工分子素子

上:試料の光学顕微鏡写真(左)と電子顕微鏡写真(右)
中央に見えるのが直径500nmの円柱。実際にはそこから幅200nmの補強梁が2方向(右上と左下方向)に伸びている。図右の左上から右下に伸びる明るい部分はゲート電極。

下:人工分子素子の模式図。

磁場がない場合の素子のエネルギー図と電流・電圧特性の模式図の画像

図3 磁場がない場合の素子のエネルギー図と電流・電圧特性の模式図

2つの人工原子の軌道準位がちょうどそろうとき(b)、電子がソース電極からドレイン電極に移動できる。このとき、素子の電流・電圧特性に電流のピークが現れる。

磁場を加えた場合の素子のエネルギー図と電流・電圧特性の模式図の画像

図4 磁場を加えた場合の素子のエネルギー図と電流・電圧特性の模式図

磁場を印加すると、人工原子の軌道準位は上向きスピン準位(下側)と下向きスピン準位(上側)に分裂する。ソース・ドレイン電圧を変化させて下向きスピン準位をそろえても(a)、上向き準位がそろわないため、下向きスピンの電子しかドレイン電極まで到達できない。ひとたび上向きスピンの電子がInGaAs人工原子内に捕獲されると、その後の電流は流れなくなる。同様に、上向きスピン準位をそろえても(b)、下向き準位がそろわないため、上向きスピンの電子しかドレイン電極まで到達できない。ひとたび下向きスピンの電子がInGaAs人工原子内に捕獲されると、その後の電流は流れなくなる。

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