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2010年5月3日

独立行政法人 理化学研究所

本能や情動行動にかかわる視床下部の遺伝子データベースを作成

-視床下部の遺伝子アトラス、部位・時期特異的な遺伝子221個を解析-

ポイント

  • 発生の各段階で発現する視床下部の遺伝子を、詳細な発現部位とともに同定
  • 遺伝子発現データを米国ジャクソン研究所HPで5月3日から公開
  • 視床下部の複雑な立体構造変化の詳細な判断が可能に

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、動物の情動や行動に深くかかわる視床下部について、マウスを使った遺伝子発現解析を行い、どの時期に、どの部位で、どんな遺伝子が発現しているかを網羅的に同定し、遺伝子データベースを作成しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)下郡研究ユニットの下郡智美ユニットリーダーとジョンズ・ホプキンズ(Johns Hopkins)大学のセス・ブラックショー(Seth Blackshaw)博士による研究成果です。

視床下部は、体温調節、下垂体ホルモンの調節、浸透圧受容器など自律機能の調節を行う中心的器官であるだけでなく、摂食行動や飲水行動、性行動、睡眠など本能行動の中枢、さらには怒りや不安など情動行動の中枢としての機能が知られています。しかし、こうした重要な機能を持つにもかかわらず、視床下部は発生初期から脳の深部に位置し、構造も複雑なことから、脳のほかの分野に比べると詳細な機能解明が進んでいませんでした。今回、視床下部に発現している遺伝子を発生初期から単離して、その発現部位を発生の各段階で調べデータを収集し、ウェブ上でアクセス可能なデータベースを構築しました。

構築したデータベースは、既存の遺伝子発現情報データベースと違い、目的とする遺伝子とランドマーク(指標)となる遺伝子を違う色で同時に染色しているために、検索したい遺伝子が視床下部のどの部分で発現しているのかを、高い信頼度で得られるという利点があります。この新データベースによって、研究者は検索したい遺伝子同士の位置関係を素早く正確に知ることができます。その結果、より複雑な構造解析や遺伝子操作が可能になり、人間の情動や行動に関する研究の発展に大きく貢献すると考えられます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Nature Neuroscience』オンライン版(5月2日付け:日本時間5月3日)に掲載されます。

背景

視床下部は、体温調節、下垂体ホルモンの調節、浸透圧受容器による血漿(けっしょう)や細胞の浸透圧の調節など、自律機能の調節を行う中心的器官であるだけでなく、摂食行動や飲水行動、性行動、睡眠など本能行動の中枢、さらには怒りや不安など情動行動の中枢としての機能が知られています。しかし、こうした重要な機能を持つにもかかわらず、脳のほかの分野に比べると研究が進んでいませんでした。その理由には、視床下部が脳の深部に存在するため、外部からの外科的な処置が困難であること、構造が複雑であるだけでなく、発生からの時間の経過に伴い形が大きく変化することなどが挙げられます。さらに、これまで視床下部の領域を特定する際には、各研究室が異なる染色法やマーカーを使用していたために、データの解釈を統一することが困難でした。

また、脳の遺伝子に関するデータベースについては、米国のアレン脳化学研究所や独国のマックスプランクがマウスの脳の広範囲を網羅的に解析し、21,000個以上の遺伝子発現を詳細に示した脳アトラスを、ウェブ上ですでに公開していますが、視床下部に特化して、詳細な部位や遺伝子発現時期の情報を提示したデータベースは存在していませんでした。

研究グループは、これらの問題を解決する1つの手段として、視床下部の中で、いつも特定の部位で発現するランドマーク(指標)となる遺伝子を単離し、これらを染色して目印として使うことにより、複雑な脳深部の構造をより簡単に分解して理解しようと試みました。今回は、視床下部に発現している遺伝子を発生初期から発生の段階を追って単離し、その発現部位を明らかにしたデータを集め、ウェブ上でアクセス可能なデータベースの構築を目指しました。

研究手法と成果

研究グループは、マウスの発生の各段階(胎生10、11、12、13、14、15、16、17、18日、生後0、21、42日)での視床下部をマイクロダイセクション※11により単離し、そこに発現している遺伝子をマイクロアレイ※2を用いて解析しました。その結果、非常に強く視床下部に発現していると判断できた遺伝子(1,045個)を同定し、これら1,045個の遺伝子について、さらにin situハイブリダイゼーション法※3により、発現している遺伝子の分布や量を詳細に検出しました。すべての発生段階で1回目のin situハイブリダイゼーションを行い、いずれかの段階で視床下部の限定した部位に特異的に強く発現している221個の遺伝子を見いだし、2回目のin situハイブリダイゼーションを行いました。2回目では、複雑な視床下部の形を見やすくするために、発生中の神経管※4でいつも腹側に発現していることが知られている「ソニックヘッジホッグ(Shh)」という遺伝子をランドマークとして茶色に染め、221個の遺伝子の中から目的の遺伝子を青色に染めるという、2色のin situ ハイブリダイゼーション法を用いました。このランドマークを取り入れたことから、胎生11、12、14、16日目という大きく形が変化する時期でも、注目した遺伝子が視床下部のどこで発現しているのかを、ランドマークを頼りに容易に理解できるようになりました。

研究グループは、これら221個の遺伝子のすべての発現パターン(図1)をデータベース化し、ウェブ上で公開します。部位ごとの発現の強さの情報も表にまとめ、注目する部位に発現する遺伝子を素早く検索することを可能にしました。この新データベースは、視床下部に注目して、そこに発現している遺伝子だけを取り扱っているため、視床下部の研究を行いたい研究者にとって非常に使い勝手が良くなっています。また、視床下部内での遺伝子発現の経時的変化を追うために、ランドマークとなる遺伝子マーカー(Shh遺伝子)を同時に染色しています。その結果、検索したい遺伝子が視床下部のどの部分に発現しているのか、遺伝子同士がどういう位置関係にあるのかなどを、ランドマークを頼りに素早く正確に知ることができ、より詳細に構造解析が可能になると期待できます

さらに研究グループは、新データベースを駆使して、実際に、視床下部でShh遺伝子の発現を欠損させた変異マウスの解析を行ったところ、異常を示す部位を視床下部の前側に見いだすことに成功しました。この結果は今後、Shh遺伝子などのランドマークに頼ることなく、視床下部のさまざまな領域の位置情報が解析できることを示しています。

今後の期待

多くの精神疾患には、視床下部で発現する神経ホルモンの異常が関与していることが示唆されています。これらの神経ホルモンを産生する細胞が、視床下部のどの部分で、どんな異常を引き起こしているのかというメカニズムを解明することは重要な課題です。今回、発生初期の視床下部で部位特異的、時期特異的に発現する遺伝子221個の解析を行い、データベースを作成しました。このデータベースは、関連するさまざまな遺伝子の発現を経時的に追っているため、発生の早い段階から異常が起きている場合でも、遺伝子の発現変化を解析することができます。さらに、ランドマークとなる遺伝子を用いているので、これらの細胞がどこから生まれ、どのように移動して行くのかを正確に追えることから、時間ごとにこれらの細胞だけを狙って細胞を破壊したり、その機能を阻害したりすることが可能になります。

今後、同定した遺伝子の機能を解明して、視床下部の正しい発生のメカニズムを明らかにし、例えば、ある遺伝子が発生途中で誤って発現した場合にどのような異常が起こるのか、という現象を解析することができます。すでにShh変異マウスの解析で異常を示す詳細な部位の特定に成功しました。Shh遺伝子は、発生初期の段階で機能が欠損すると、全前脳胞症※5を起こす原因の1つになることが知られています。全前脳胞症は、脳のさまざまな部分で異常を起こすことが知られていますが、視床下部での異常は詳細に解析されていません。今後、全前脳胞症に関する視床下部で機序解明をはじめ、まだ謎の多い人間の情動や行動に異常が生じる病気のメカニズムの解明と治療にも役立つと期待されます。

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 視床発生研究チーム
チームリーダー 下郡 智美 (しもごおり ともみ)

お問い合わせ先

脳科学研究推進部
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.マイクロダイセクション
    非常に小さな領域や細胞群を、レーザーなどの器具を使って単離する方法。
  • 2.マイクロアレイ
    マイクロアレイはDNAチップとも呼ばれ、ガラスやシリコン製の小基盤上にDNA分子を高密度に配置(アレイ)したもの。マイクロアレイを用いると、数千から数万種といった規模の遺伝子発現を同時に観察することができる。
  • 3.in situハイブリダイゼーション法
    特定の遺伝子が体の中のどこで発現しているかを、細胞や組織中から直接検出する方法。
  • 4.神経管
    発生初期に出現する脳や脊髄を形成する基になる管状の組織。
  • 5.全前脳胞症
    左右の大脳半球への分裂や、間脳からできる基底核、視床、視床下部などが正常に形作られなくなる先天性の脳の構造異常。
発生中の視床下部で発現する遺伝子の様子の1例の図

図1 発生中の視床下部で発現する遺伝子の様子の1例

(A)発生中の脳を横から見たときの、ランドマークとなるソニックヘッジホッグの発現(茶色)の位置と視床下部の大まかな位置(赤い点の領域)。

(B)胎生12.5日の脳のさまざまな遺伝子を染めた様子。それぞれの領域を染め分ける遺伝子(青)とランドマークとなる遺伝子(茶色)を染めているため、遺伝子同士の発現の位置関係を正確に把握することができる。

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