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2010年7月12日

独立行政法人 理化学研究所

神経活動の「読み出し」を生きた脳で実現した光遺伝学ツールが登場

-電位感受性蛍光タンパク質を開発、遺伝子導入で脳の神経活動を画像化-

ポイント

  • ミリ秒の精度で、神経活動に応じて発する蛍光を変えるタンパク質を開発
  • 特定の脳領野・細胞種にだけ選択発現、侵襲性が低く長期に渡る安定記録が可能
  • 精神疾患における認知機能障害の神経回路異常を可視化する道を拓くと期待

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、生きた脳内の神経細胞に生じる電位変化を検出する光センサーとなる電位感受性蛍光タンパク質※1(VSFP2.3/2.42)を開発し、初めてマウスの脳の特定の部位に遺伝的に組み込み、ヒゲ1本を刺激することで生じる脳の神経活動の様子をリアルタイムで画像化することに成功しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)神経回路ダイナミクス研究チームのトーマス・クヌッフェル(Thomas Knöpfel)チームリーダー、ウォルター・アケマン(Walther Akemann)研究員、武藤弘樹研究員らによる研究成果です。

脳では、何十億個もの神経細胞が互いにつながり合って回路を構成し、電気信号のやりとりにより情報を伝達しています。従って、特定の情報伝達の様子を知るには、それに関与する多数の神経細胞の電位変化(膜電位※2変化)を同時に計測する必要があります。現在、神経細胞の膜電位の可視化には、電位感受性色素※3が主に用いられています。また、神経細胞に遺伝的に組み込める光センサーとしては、細胞へのカルシウム流入を検出する技術などが主流となっています。しかし、既存の電位感受性色素では特定の細胞だけを染めることができず、カルシウム流入は、電位変化と時間差が生じるという問題点があるため、これまで幅広く応用できる技術は実現していませんでした。

研究チームは、10年以上の歳月をかけて、新しいタイプの光センサーとなる電位感受性蛍光タンパク質(VSFP)の実用化に段階的に取り組んできました。脳の体性感覚野※4と呼ばれる特定部位のさらに特定の種類の細胞だけに、最新バージョンのVSFPである「VSFP2.3/2.42」を遺伝的に発現させたところ、生きているマウスの脳内で生じる神経細胞の活動状況を光信号として「読み出す」強力な光遺伝学※5ツールとして働くことを実験で確認しました。

今回開発した最新バージョンのVSFP2.3/2.42は、従来用いられてきた電位感受性色素とは異なり、遺伝的に組み込めるため、特定の細胞種に導入することができます。さらに、頭蓋骨の表面から記録ができるため、侵襲性が低く、長期間にわたって繰り返し観測が可能です。また、カルシウム流入を可視化する技術に比べて、神経活動をより直接的に観察することができます。これらの特徴を持つことから、行動に伴って変化する神経活動の様子を正確に、リアルタイムで調べることができる非常に強力なツールとなります。同時に、認知機能に関連する神経回路を直接可視化できる可能性が見込めるため、精神疾患の解明において、神経回路のどこに異変が起きているのか明らかにすることが期待されます。

本研究成果は、英国の科学雑誌『Nature Methods』に掲載されるに先立ち、オンライン版(7月11日付け:日本時間7月12日)に掲載されます。

背景

脳では、何十億個もの神経細胞が互いにつながり合って回路を構成し、電気信号のやりとりにより情報を伝達しています。これらの神経回路がどう働いているかを調べるために、神経科学者たちは、微小電極を使ってこの電気信号を神経細胞から直接記録してきました。しかし、この方法では、同時に記録できる神経細胞の数が限られ、特定の行動に特化した神経回路にかかわる神経細胞集団を一度に観測することはできません。神経細胞の電気信号を光信号に変換して画像として取得することができれば、同時に多数の神経細胞の活動を記録することが可能となります。いわば神経細胞同士の会話をホームビデオのように画像として記録することができるわけです。

現在、神経細胞の膜電位の可視化には、電位感受性色素で脳スライス標本の表面を染める手法が主流として用いられていますが、工業的に作製した色素で細胞を染色するために、長時間記録していると退色するという問題がありました。また、特定の神経細胞だけを選択的に染めることは不可能でした。

一方、神経細胞に遺伝的に組み込める光センサーの代表格は、細胞へのカルシウム流入に反応するものですが、カルシウム流入は、膜電位変化よりも神経活動を間接的に観測する手法のため、電位変化に対する反応が遅く、神経活動の光センサーとしては時間的な精度が低いという欠点がありました。

研究チームは、10年以上の歳月をかけてこれらの欠点を一歩ずつ克服していきました。すでに、遺伝子操作によって、人工的に電位感受性蛍光タンパク質(VSFP)を作製し、改良を重ね、培養細胞の膜電位変化をとらえる光センサーとして機能するVSFP2の開発に成功していました。今回、VSFPを生体内で特定の細胞種だけに、その機能を損なうことなく、かつVSFPの機能は保ったままで発現させることができるように工夫し、VSFPのさらなる改良に取り組みました。

研究手法と成果

VSFPは、水色の蛍光色を発するCFPと黄色の蛍光を発するYFPという2種類の蛍光タンパク質を含んでいます。外部から青紫色の光を照射すると、通常、水色の蛍光色が主に観測できます。神経活動に伴い膜電位が変化すると、VSFPの立体構造が変化し、蛍光タンパク質同士が微妙に配置を変えます。このときだけ、FRET※6と呼ばれる物理現象が起き、黄色の蛍光が観察される割合が増えます。この2色の蛍光強度比の変化を膜電位の変化として検出することで、VSFPは、膜電位の変化を光の変化として検出するセンサーとして働きます(図1)

VSFP2.3/2.42は、神経活動をモニターする既存の手法に比べて、生体に遺伝的に組み込めるという特徴があります。例えば、ある種類の神経細胞だけや、脳のある部位だけを選定し、VSFP2.3/2.42を発現することができるため、限局した場所を調べることができます。さらに、遺伝的に組み込むことにより、細胞内で必要に応じて発現するため、退色することなく、長時間の観察が可能です。また、長くつながっていく神経回路の活動状況をなぞって追跡していくこともできます。

研究チームは、脳の体性感覚野と呼ばれる部位に存在する錐体細胞※7という種類の細胞に限定して、VSFP2.3/2.42を遺伝的に発現させました。このマウスの脳から採取した培養細胞と脳のスライス標本それぞれで、膜電位と蛍光強度比の変化を同時に計測し、いずれも蛍光強度比の変化が膜電位変化と一致することを確かめました。さらに、生体内での神経細胞同士の情報のやりとりを模して、スライス標本上の細胞に人工的に電気刺激を与え、その様子を観測し、蛍光強度比の変化が膜電位変化と合致していることを確認しました。

次に、マウスを麻酔し、生きた状態で脳の神経活動の記録を試みました。具体的には、体性感覚野内の特定の神経回路と結びついている、マウスのヒゲ1本1本を刺激した場合の神経活動の様子を調べました(図2)。任意のヒゲを1本たわませると、対応する受容野にある神経細胞集団の膜電位変化を蛍光強度比の相対的な変化として検出でき、同様に別のヒゲをたわませると、それに対応した別の神経細胞集団の膜電位の変化を蛍光強度比の変化として観測することができました(図3)。これは、外からの入力が神経回路でどう表現されているかを知ることができることを意味します。すなわち、VSFP2.3/2.42は、画像だけを見て、蛍光強度比が変化した場所からどのヒゲを触ったか分かる精度を実現したことになります。

今後の期待

VSFP2.3/2.42は、検出できる膜電位変化の時空間の解像度が高く、ミリ秒単位の速さの神経活動の変化に鋭敏に反応します。このため、行動に応じて神経活動のパターンがどう変わっていくかを調べる上で、光遺伝学において、非常に強力なツールが生まれたことになります。光遺伝学は、生体の神経回路の機能を解明する学問分野として、近年、急速に発展してきています。今回開発したVSFP2.3/2.42を用いた実験系は、職人技を必要とせず、汎用性が高いという特徴を持つため、光遺伝学の新しいツールとして、神経科学研究のさまざまな分野の進展に貢献することが期待されます。

例えば、このツールを活用すると、脳が取り巻く環境を知覚するためにかかわる神経回路や体の動きを生成する神経回路を、これまでより高い分解能で研究することができるようになります。すなわち、脳がどのように情報処理をしているかという根源的な問いを読み解く手法となります。また、思考など、高次の認知機能を直接可視化できる可能性が生まれ、幅広い応用性が考えられます。具体的には、精神疾患に関与する部位の神経回路に、どのような異常が起こっているのかを可視化し読み出すことで、神経活動を直接的に反映したレベルで解明の糸口を得られると期待されています。

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 神経回路ダイナミクス研究チーム
チームリーダー Thomas Knöpfel(トーマス クヌッフェル)
研究員 武藤 弘樹(むとう ひろき)
Tel: 048-467-9740 / Fax: 048-467-9739

お問い合わせ先

脳科学研究推進部企画課
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.電位感受性蛍光タンパク質
    神経細胞の活動に伴う電位変化に応じて、蛍光を発するなどの変化を起こす性質をもつタンパク質。
  • 2.膜電位
    細胞の内外に存在する電位の差のこと。すべての細胞は、細胞膜を挟んで細胞の中と外とでイオンの組成が異なっており、この電荷を持つイオンの分布の差が、電位の差をもたらす。通常、細胞内は細胞外に対して負(陰性)の電位にある。
  • 3.電位感受性色素
    神経細胞の活動に伴う電位変化に応じて色が変わる色素。
  • 4.体性感覚野
    皮膚感覚(触覚や痛覚など)と深部感覚をつかさどる脳の領域。
  • 5.光遺伝学
    別名はオプトジェネティクス(光を意味するOpto-+遺伝学を意味するgeneticsを合わせた言葉)。神経回路機能を光と遺伝子操作を使って調べる研究分野。ミリ秒単位の時間的精度をもった制御を特徴とする。2005年に発表された論文が注目され神経科学の革命と言われた。
  • 6.FRET
    共鳴による蛍光の励起エネルギーが移動する物理現象。
  • 7.錐体細胞
    大脳皮質の神経細胞のうち、約80%を占める興奮性神経細胞。大脳皮質の神経細胞や脳のほかの部位の神経細胞と互いに結合し、主に脳内の情報のやりとりを担う。
VSFP2.3/2.42の仕組みの図

図1 VSFP2.3/2.42の仕組み

神経細胞が静止状態のとき、約440nmの波長の青紫色の光を照射して励起させた時に観測する蛍光は470~495nmの波長の水色の蛍光である。神経活動に伴い膜電位が変化すると、VSFP2.3/2.42の立体構造が変化し、2つ目の蛍光タンパク質が向きを変える。すると、共鳴による蛍光の励起エネルギーが移動する物理現象FRET(Fluorescence Resonance Energy Transfer)が起きる。これにより、本来なら約517nmの波長で励起される(つまり440nmの波長では励起されない)黄色の蛍光が観察される割合が増える。こうして2種類の蛍光の強度比として電位変化を検出することができる。

神経細胞集団の活動の可視化の図

図2 神経細胞集団の活動の可視化

(a)神経細胞に電位感受性蛍光タンパク質VSFPを発現させる。特定の種類の細胞にVSFPを作る遺伝子を導入する(左側)と、蛍光を当てるとその細胞だけが特定の色を発するようになる(右側、黄色)。

(b)VSFPの光で神経活動をモニターする。ある波長の光を、VSFPを特定の神経細胞に組み込んだマウスの脳に照射する。神経活動に伴って膜電位が変化すると、観測される蛍光の強度比が変化するので、活動の変化をリアルタイムで観察することができる。

生体脳でVSFP2.3/2.42が正しく機能していることを示した実験結果の図

図3 生体脳でVSFP2.3/2.42が正しく機能していることを示した実験結果

(左) 触覚を与えたヒゲは赤字で表示。赤丸は観測部位(マウス体性感覚野)。

(中央)マウス体性感覚野の一部を拡大したもの。それぞれのヒゲへの刺激に反応し神経活動が生じる部位が知られているため、VSFPが生体内で正しく機能しているか調べる指標に用いた。

(右)特定のヒゲに感覚入力が入ると、体性感覚野の対応する部位が活動していることを、2つの蛍光タンパク質が発する蛍光強度の比として観察した。頭蓋骨表面から光を照射して、神経細胞上のVSFPの蛍光をとらえている。

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