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2010年8月3日

独立行政法人 理化学研究所

ミクロな凹凸の人工構造で細胞の速い移動を制御

-狭く深い凹凸は細胞をはね返し、幅広な格子状の凹凸はトラップする機能を持つ-

ポイント

  • ミクロの凹凸構造が高移動性細胞をはね返す確率は90%以上に到達
  • 幅広な格子状の凹凸構造は、細胞の移動効率を100分の1以下に低減
  • バイオマテリアル設計に新たなコンセプトを提供

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、韓国のプサン大学(Pusan National University)と共同で、凹凸の溝をマイクロメートル(μm:1μmは10-6m)サイズでシリコン基板に作製し、高移動性の細胞を静置したところ、このミクロ凹凸のサイズやパターンによって自由に動くはずの細胞がはね返されたり、逆にトラップされたりすることを発見しました。これは、理研イノベーション推進センター(齋藤 茂和センター長)VCADシステム研究プログラム細胞シミュレーションチームの安達泰治チームリーダー、三好洋美研究員、VCADシステム研究プログラム加工応用チームの山形豊チームリーダー、朱正明研究員、Pusan National Universityのコ・ジョンス(Ko Jong Soo)准教授らによる共同研究の成果です。

細胞の移動を制御する技術は、個体発生やがん転移などのメカニズムの理解に役立つだけでなく、組織形成・再生・維持やがん診断・治療など、バイオメディカルアプリケーションにも非常に有用です。このため、電場などで細胞を刺激して移動を制御するなど、さまざまな方法が提案されています。中でも、細胞の足場となる材料と細胞との物理的な相互作用を利用する方法は、細胞に悪影響を及ぼさない非侵襲的であるため、注目を集めています。

研究グループは、シリコン基板の一部分にさまざまなパターンのμmサイズの凹凸構造を作製し、高移動性で、細胞の移動モデルとして利用されているケラトサイト※1という細胞を用いて、構造が無い平らな領域からミクロ凹凸構造へと移動した時の挙動を詳細に観察しました。その結果、狭くて(幅1.5μm)、深い(深さ20μm)マイクロ溝(単線溝や格子状溝)の場合には、ほぼ90%以上という高い確率で細胞がはね返されることを初めて明らかにしました。一方、少し幅広(幅4μm)にした格子状のマイクロ溝の場合は、逆に、細胞が溝にトラップされて、平らな領域と比べ、移動効率は100分の1以下に低下することが分かりました。

ミクロ凹凸構造が示すこれらの機能は、バイオマテリアル設計に新たなコンセプトを提供する新発見となります。

本研究成果は、オランダの科学雑誌『Biomaterials』オンライン版に近く掲載される予定です。

背景

私たちの身体の中では、常に細胞が動き回っています。例えば、個体発生時の組織の形成時やがんの浸潤・転移では、細胞が活発に移動します。このとき細胞は、足場材料に接着して這うように移動し、接着面と相互作用しながら、その挙動をダイナミックに変化させます。細胞が本来備えているこの性質をうまく利用することができると、細胞の移動を自在に制御することが可能となり、再生医療における組織形成・再生・維持やがんの診断・治療など、バイオメディカルアプリケーションに非常に有用な技術となります。このため、化学物質や電場などさまざまなストレスを細胞に与えて刺激し、細胞の移動を制御する方法が提案されています。しかし、これらの技術は物質や力で直接細胞に作用する点で侵襲的であるため、細胞自体に悪影響を及ぼす問題があります。一方、足場材料と細胞間の相互作用を利用する方法は非侵襲的であるという利点があり、バイオメディカルアプリケーションに適しています。しかし、この足場材料を利用する既存の技術は、比較的制御が容易と考えられる線維芽細胞※2など低移動性の細胞をターゲットに研究されてきていました。

こうした状況の下、細胞シミュレーションチームと加工応用チームは、高移動性の細胞の移動制御に挑戦しました。はじめに、平らな表面に細胞の接着を阻害するための化学的処理を施し、細胞が進入できなくなる領域を作製しました。しかし、この化学的処理した平らな表面は、低移動性の細胞の進入は阻害できましたが、高移動性の細胞の進入は阻害できませんでした。そこで研究グループは、Pusan National UniversityのKo Jong Soo准教授と協力し、細胞の専門家と超精密・微細加工の専門家との共同研究を展開して、ミクロの凹凸構造によって高移動性の細胞が進入できなくなる領域を作製し、高移動性の細胞の移動を制御することを目指しました。

研究手法と成果

研究グループは、高移動性を示す典型的なモデル細胞の1つであるケラトサイト(図1)と呼ばれる細胞を使用しました。従来の細胞の移動実験で頻繁に使用されている線維芽細胞の速さが1時間で数μmから十数μm程度であるのに対し、このケラトサイトは1時間で約1,000μmという驚くべき移動性を示します。ミクロ凹凸構造は、半導体集積回路の超精密・微細加工法(MEMSプロセス※3)を活用して、シリコン製の基板上に保護膜のパターンを生成後、反応性の高い分子をシリコンに衝突・反応させ、保護膜の無い場所を削って作製しました。このミクロ凹凸構造の表面には、ガラス(SiO2)膜を成長させて実験用のチップとしました。パターンは単線溝と格子状溝の2種類を作製し、それらのパターンやサイズがケラトサイトの移動に及ぼす影響を、ミクロ凹凸へと移動した直後からリアルタイムで観察しました。

その結果、ケラトサイトは、細胞と同程度のサイズの溝(幅20μm、深さ20μm)を、凹型の壁面に沿ってスムーズに下って上って横切りました(図2a)。しかし、狭い溝(幅1.5μm、深さ20μm)の場合は横切ることができず、90%以上の確率で、進行方向と逆の方向にはね返されました(図2b, e)。細胞というミクロの世界では、広い溝は障害とならずに、狭い溝が障害となるという、日常感覚からは想像困難な現象が起こりました。格子状に配置した狭い溝(幅1.5μm、深さ20μm)でも90%以上の高い確率でケラトサイトははね返されました(図2c)。さらに、少し幅広(幅4μm、深さ20μm)の格子状の溝では、ケラトサイトはトラップされました。このトラップする機能は、細胞の移動効率を平らな場合の100分の1以下に低下させることも分かりました(図2d)

今後の期待

今回の観察結果を基に細胞の移動モデルを構築することができると、細胞の移動を制御するシステムの開発が可能となります。そのシステムを用いて高移動性のがん細胞を観察すると、移動メカニズムが明らかとなりがん細胞の浸潤・転移の仕組みが解明されます。また、ミクロの凹凸構造のパターンに依存した正常細胞とがん細胞の移動の特異性を見いだすことで、がんの診断にも応用することができます。さらに、高移動性の細胞をはね返したり、トラップしたりするミクロの凹凸構造の発見は、細胞を目的の形状に誘導するためのチップ(多細胞や単細胞のパターニングチップ)の開発を可能とし、バイオマテリアル設計に新たなコンセプトを提供します(図3)

発表者

理化学研究所
イノベーション推進センター 細胞シミュレーションチーム
研究員 三好 洋美(みよし ひろみ)
チームリーダー 安達 泰治(あだち たいじ)

加工応用チーム
チームリーダー 山形 豊(やまがた ゆたか)

お問い合わせ先

連携推進部 イノベーション推進課
課長 生越 満(おごし みつる)
Tel: 048-462-5287 / Fax: 048-462-4718

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.ケラトサイト
    魚のうろこの上に存在する細胞。うろこの上では、ケラトサイトが何層にも重なって魚の体を覆っており、傷口ができた場合には迅速に移動して傷口を閉じる。培養表面にうろこをはり付け、培養液を注いで一晩経過すると、細胞がうろこから培養表面上に下りてきて、たくさんの細胞から成る細胞シートが培養表面上に形成される。これをばらばらにして培養すると、ケラトサイトは三日月形の形状をとり、1時間で約1,000μmという驚くべき速さで移動する。
  • 2.線維芽細胞
    体のさまざまな部分を結び付ける働きをする組織内に散在する細胞。組織が損傷すると近傍の線維芽細胞が損傷部分に移動して線維成分を供給し、修復を助ける。体外の培養表面における移動の速さは通常1時間で約数μmである。
  • 3.MEMSプロセス
    半導体集積回路のミクロ機械構造を作製するために発展してきた超精密・微細加工法。基本的なプロセスフローは、①シリコン基板上への薄膜の形成②保護膜パターンの形成(感光性樹脂を塗布またははり付け後、フォトマスクを介した光照射により形成)③ガスや薬液による不要部分の除去、の繰り返しである。液体や気体の流量を計測するための圧力センサ、携帯電話や自動車用の加速度センサ、インクジェットプリンタ用のヘッドなど、従来よりも小型・高性能の部品の製造に利用される。最近は、DNAチップをはじめとしたバイオメディカル分野への適用例も増えている。
ケラトサイトの図

図1 ケラトサイト

大きさは、長さ約20μm、幅約5μm、厚さ約10μm。

細胞実験の図

図2 細胞実験

構造が無い平らな領域から単線溝(a, b)もしくは格子状溝(c, d)へと移動してきたケラトサイトの振る舞いの変化。
ケラトサイトは、同程度のサイズ(幅20μm)の溝を横切ることができたが(a)、狭い溝(幅1.5μm)を横切ることができなかった。また、格子状溝の場合は、狭い溝(幅1.5μm)を横切ることができず、少し幅広(幅4μm)になるとトラップされることが分かった。溝の深さはいずれも20μm。

ミクロの凹凸構造の多細胞や単細胞のパターニングチップへの活用例の図

図3 ミクロの凹凸構造の多細胞や単細胞のパターニングチップへの活用例

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