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2010年9月13日

独立行政法人 理化学研究所

ES細胞からの小脳ニューロンの産生と移植に成功

-脊髄小脳変性症の原因研究と治療法開発の加速に期待-

ポイント

  • ES細胞を3割以上の高効率で小脳プルキンエ細胞に選択的に分化誘導
  • 小脳プルキンエ前駆細胞を純化し、マウス胎児の小脳組織への移植成功
  • ES細胞由来のプルキンエ細胞は、生体のプルキンエ細胞と同様の高機能を発揮

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、マウスのES細胞(胚性幹細胞)※1を身体のスムーズな運動をつかさどる小脳※2の神経組織に、選択的に分化誘導させることに世界で初めて成功しました。さらに、誘導した神経組織をマウスの小脳に移植し、小脳回路が正しく機能することを実証しました。これは、理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)器官発生研究グループの笹井芳樹グループディレクター、六車恵子研究員を中心とする研究グループの成果です。

緻密な運動やその学習などをつかさどる小脳の主要神経細胞で、医学的にも重要なプルキンエ細胞※3へと、ES細胞から選択的に分化誘導する方法は、これまで効率が極めて低く、有効な方法が確立していませんでした。研究グループは、大脳分化のために開発していた無血清浮遊培養法(SFEBq法)※4を改良して、胚発生の過程での小脳の発生環境を試験管内で再現する方法を開発し、小脳分化を観察しました。その結果、ES細胞が神経分化する過程で、全体の約8割を小脳プルキンエ細胞の幹細胞に、そのうち約3割を小脳プルキンエ細胞に分化誘導させることに初めて成功しました。さらに株式会社カン(KAN)研究所※5との共同研究で、ES細胞由来の小脳プルキンエ細胞を約9割に純化する方法を確立しました。純化したプルキンエ前駆細胞をマウス胎仔の小脳へ移植すると、移植細胞が小脳のプルキンエ細胞層に正しく生着し、小脳回路にも正確に組み込まれることも分かりました。また、ES細胞由来の小脳プルキンエ細胞を試験管内で長期培養すると、電気生理学的解析※6からこの細胞特有の神経活動を観察することができ、機能的な神経細胞そのものであることを実証しました。

神経変性疾患の1つである脊髄小脳変性症※7は、小脳神経細胞がゆっくり死んで、数が減少するために起こる病気で、映画「1リットルの涙※8」でも紹介されているように高度の運動障害を引き起こします。研究成果は、これまで試験管内でさえ研究が困難であったこの疾患の原因研究や治療法の開発に新しいツールを提供します。また、従来再生医療の対象と考えられていなかった小脳も、移植材料となる細胞を産生することが可能となり、長期的には細胞治療の対象となりうると期待されます。

本研究成果は『Nature Neuroscience』オンライン版(9月12日付け:日本時間9月13日)に掲載予定です。

背景

小脳は、ほ乳類の中枢神経系の中で大脳に次ぐ大きな領域を占め、筋肉の動きなどとの協調によりスムーズな動きを制御する機能を担う主要な運動中枢です(図1)。私たちが、体のバランスを取りながら複雑な動きができるのも、ピアノ演奏などの緻密な運動制御を学習できるのも、小脳の機能があって初めて可能となります。そのため、小脳の機能が損傷を受けると、小脳性運動失調と呼ばれる特徴のある強い運動障害が起こり、書字など緻密運動ができず、ふらつき、歩行障害、発音障害(ろれつが回らない)などの日常生活上の支障が生じます。

こうした小脳の障害は、アルコール中毒(急性、慢性)などの場合にも認められ、代表的な病気としては脊髄小脳変性症があげられます(図2)。この疾患は、主として遺伝的な素因(すべてではありません)による神経変性疾患で、小脳の神経細胞あるいは小脳と連絡して働くそのほかの部位(脊髄、延髄、橋など)の神経細胞が細胞死を起こして、減少するために発症します。映画・ドラマ化された「1リットルの涙」の著者の少女がこの難病を患っていたことでも有名で、現在でも治療法はまったく存在しません。

小脳は大脳と同じように、「皮質」と呼ばれる構造がその働きの中心ですが、その小脳皮質でもっとも中心的な役割を果たす神経細胞(主要ニューロン)がプルキンエ細胞です。多くの神経情報が入力されるため、1つ1つのプルキンエ細胞は大きな樹上突起を持つなど特徴的な構造を有しています。従って、このプルキンエ細胞が変性すると、小脳の機能障害である運動失調の症状を示し、こうしたタイプの脊髄小脳変性症(SCA6型)が国内でも多く知られています。

このように脳科学的にも、医学的にも、非常に重要な役割を持つ小脳のプルキンエ細胞ですが、これまでの培養方法ではES細胞・iPS細胞などの多能性幹細胞※9から効率よく試験管内で分化誘導することができませんでした。

一方、研究グループでは、これまでにマウスやヒトES細胞を用いて、試験管内での選択的な神経細胞の分化培養法を複数開発し、中脳ドーパミン神経細胞、大脳前駆細胞(皮質前駆細胞、基底核前駆細胞)、網膜細胞などの分化誘導に成功してきました。今回、その1つであるSFEBq法を改良して、マウスES細胞から高い選択性をもって小脳のプルキンエ細胞やそのほかの小脳ニューロンを試験管内で産生することに挑みました。

研究手法と成果

(1)マウスES細胞からの小脳幹細胞の分化誘導

マウスES細胞を用いた従来の神経分化誘導法では、プルキンエ細胞の分化はまれに認められる程度で、全細胞の0.5%未満という極めて低い効率でしか起こりませんでした。今回、以前に研究グループが開発した、ES細胞から大脳や間脳組織を効率よく分化させる無血清浮遊培養法(SFEBq法)を改良し、小脳組織の分化を効率よく誘導することができる条件を探索しました。そのヒントとなったのは、胎児の小脳の発生機構でした。胎児の発生過程で、小脳の発生は隣接する峡部形成体(中脳の最も尾側部に存在)という組織の働き(誘導シグナル)によって開始します。従って、この峡部形成体の働きをES細胞の培養過程で再現させると、高効率で小脳前駆組織へと分化誘導できるのではないかと考えました。詳細な検討の結果、ES細胞の分化培養過程の初期(培養開始後24~48時間)に繊維芽細胞増殖因子のFGF2とインスリンを作用させると、4日後には効率よく峡部形成体が生じることを確認しました。その状態で培養を続けると、峡部形成体の働きで、分化開始8日後には小脳領域の性質を持った幹細胞(En2という分子を発現)を8割近い効率で分化誘導することが分かりました。

(2)ES細胞からの小脳プルキンエ細胞の産生と純化

ES細胞の分化培養で産生した小脳領域の幹細胞に、サイクロパミン(Hedgehogという細胞外シグナル因子の阻害剤)を作用させると、分化開始19日後には3割以上の高い効率で小脳プルキンエ細胞へ分化することが分かりました。これは、従来の分化法の実に60倍以上の頻度になります。小脳領域の幹細胞から成熟したプルキンエ細胞へ分化する発生過程を詳細に解析した結果、分化開始後13日目前後に幹細胞からプルキンエ細胞前駆細胞が一斉に生み出されていることを観察しました(図3)

株式会社カン研究所では、2年程前に尾野雄一グループリーダーを中心に、小脳プルキンエ細胞の発生のごく初期に発現する細胞表面タンパク質Neph3を発見していました。理研発生・再生科学総合研究センターとカン研究所は共同で、蛍光細胞ソーター(FACS)を用いて、当時未発表であったこのタンパク質を目印にプルキンエ細胞前駆細胞だけを選別・純化する方法を確立しました。今回、その方法を応用して、ES細胞から産生したプルキンエ細胞を9割以上の純度に純化することにも成功しました(図3)。これは、プルキンエ細胞を選択的に高効率で培養することを実現した世界初の画期的な技術です。

(3)ES細胞由来のプルキンエ細胞の小脳移植に成功

このように、ES細胞から産生し純化したプルキンエ細胞の前駆細胞を、生体の組織に組み込むことができるかどうか、マウス胎児の小脳へ細胞移植する方法で検討しました。妊娠16日目のマウス胎仔の小脳へ細いガラス管で細胞を注入し、そのマウスが出生後4週間目に育った状態で解析したところ、宿主の小脳皮質にES細胞由来の成熟したプルキンエ細胞を数多く認めました。

小脳皮質は4つの層(分子層、プルキンエ細胞層、顆粒層、白質)から構成されますが、移植したプルキンエ細胞は単に小脳組織で生存(生着)していただけではなく、大半(8割以上)が本来この細胞が存在すべきプルキンエ細胞層に限局して存在しました。さらに、移植した神経細胞は、プルキンエ細胞層の中で空間的にも正しい向きに組み込まれ、プルキンエ細胞が受ける2種類の入力神経線維(苔上線維と登上線維の2経路)を樹上突起に受けていました。さらに、移植したプルキンエ細胞は、その出力神経線維を本来の投射先である深部小脳核へ選択的に伸ばして、シナプスを形成していました。

これらの解析から、ES細胞由来のプルキンエ細胞は、小脳に移植可能な細胞であり、生着すると神経回路のネットワークに正しく組み込まれることが分かり、世界初の画期的な研究成果となりました(図4)

(4)ES細胞から産生したプルキンエ細胞の神経機能

神経細胞の基本的な機能は、神経細胞自身の電気的興奮を軸索で伝搬し、その先端のシナプスを介して次の神経細胞に伝達させることです。こうした電気的な挙動は電気生理学解析という手法で解析可能ですが、小脳プルキンエ細胞はほかの神経細胞に比べて2つの特徴的な性質を持つことが知られています。1つは、神経細胞の自発発火(入力がなくとも、高頻度に自発的に電気的興奮を繰り返すこと)で、もう1つは神経入力の選択性(グルタミン酸という神経伝達物質に対して、通常の神経細胞では2種類存在する受容体のうち、片方のAMPA型受容体のみ存在)です。これらの特徴がES細胞由来のプルキンエ細胞にも認められるかを電気生理学解析で調べるため、この解析法の世界的な権威である京都大学理学研究科の平野丈夫教授と共同研究を行いました。その結果、小脳プルキンエ細胞の特徴であるこの2つの性質が、ES細胞由来のプルキンエ細胞でも同様に確認できました。

このように、ES細胞由来のプルキンエ細胞は、生体のプルキンエ細胞を高度に模した性質・機能を有することが証明されました。

今後の展望

今回の研究成果は、試験管の中で小脳発生を再現することで、中枢神経系の発生の中でもいまだ十分に解明されていなかった小脳の発生の初期制御について大きく理解を前進させるものです。この分化培養法の特徴は、ES細胞から小脳組織を直接分化させるシグナルを用いるのではなく、小脳の発生を促進させる活性のある峡部形成体(小脳より先に発生する)をまず分化させ、それに「仕事」をさせて残りのES細胞から小脳を発生させるという2段階戦略を用いたことです。

研究グループは今後、ヒトES細胞やiPS細胞など、ほかの多能性幹細胞から、プルキンエ細胞などの小脳神経細胞を産生・純化することを目指します※10。現在、ヒトの小脳神経細胞は、ほとんど入手が不可能で、小脳変性症の原因解明や特効薬などの治療法開発のための研究もマウスの小脳組織を使うことしかできません。このため、ヒトES細胞やiPS細胞などからプルキンエ細胞など小脳神経細胞の試験管内産生が実現すると、医学的に大きな意義を持ちます。また、遺伝子背景の強い脊髄小脳変性症では、患者の皮膚細胞などからiPS細胞を樹立することができると、試験管内で脊髄小脳変性症のモデル細胞を作り、原因研究・創薬研究などが加速すると期待できます(図5)

脊髄小脳変性症は、MRIなどの画像診断や遺伝子診断などの技術の進歩により診断は格段に向上しています。しかし、現在治療法はまったくなく、多くは数年から十数年の経過を経て寝たきりになる状況となっており、再生医療や遺伝子治療などの革新的な治療法の開発が切に望まれています。移植による治療法を確立することができると、主としてプルキンエ細胞だけが変性するSCA6型では特に高い治療効果を発揮すると考えられます。

今回、多能性幹細胞であるマウスES細胞から小脳の主要な神経細胞であるプルキンエ細胞を効率よく産生・純化する方法を確立し、マウス胎児の小脳への移植に成功したことで、夢の治療法の実現に向けて確実な第一歩を踏み出しました。しかし一方で、成体のマウスの小脳への移植では、小脳皮質への生着が非常に低いことが観察されています。その克服は移植治療開発での大きな技術的課題であり、今後の戦略的な取り組みが必要です。研究グループでも、成体の小脳皮質への生着を阻害する因子などを探り、成体の小脳でも高い移植効率が実現できる移植法の開発を目指します。

発表者

理化学研究所
発生・再生科学総合研究センター 器官発生研究グループ
グループディレクター 笹井 芳樹 (ささい よしき)

お問い合わせ先

神戸研究推進部広報・国際化室
Tel: 078-306-3092 / Fax: 078-306-3090

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.ES細胞(胚性幹細胞)
    ほ乳類の着床前胚(胚盤胞)に存在する内部細胞塊から作製した細胞株で、身体を構成するすべての種類の細胞に分化する能力(多能性)を有するもの。マウス、サル、ヒトなどから樹立されており、マウスのES細胞を初めて樹立したマーチン・エバンス卿(英国)は2007年のノーベル賞医学・生理学賞を受賞した。
  • 2.小脳
    脳幹に存在する運動中枢で、ほ乳類の脳では大脳に次いで大きな脳組織である。末梢からの姿勢、筋肉活動、バランス、視覚情報などの入力を受け、大脳と連携しながら、スムーズな運動のプログラムと制御を行う。また、その学習にも中心的な役割を果たすと考えられている。小脳の大部分を占めるのは、小脳の表面を覆っている小脳皮質と呼ばれる組織で、運動やバランス情報の統合を担っている。その深部には、小脳皮質で行われた処理情報を受け取る深部小脳核が存在する。小脳皮質は、外側から分子層、プルキンエ細胞層、顆粒層の3つからなる神経細胞層と、その深部に存在する白質(神経線維の束)の合計4つの層が折り重なってできている。小脳皮質にはプルキンエ細胞のほか、顆粒細胞、ゴルジ細胞をはじめとする介在ニューロンが存在する。
  • 3.プルキンエ細胞
    小脳皮質の情報処理の中心的なニューロン。大型の特徴のある神経細胞で、非常に広範囲の神経情報を受け取り、統合することが知られている。小脳皮質のプルキンエ細胞層にだけ存在し、樹上突起を分子層に伸ばし、その軸索は白質を通って深部小脳核へ投射する。樹上突起では、入力神経線維である苔状線維と登上線維からの情報を受ける。
  • 4.無血清浮遊培養法(SFEBq法)
    ES細胞などを酵素によりバラバラに分散させ、それを3,000個程度の細胞の塊に再凝集させたものを、分化培養の材料に用いる。この細胞凝集塊を、血清などの神経分化阻害効果のある成分を一切含まない特殊な培養液を用いて、その中に浮遊させて数日培養することで、9割以上の細胞を中枢神経系の細胞に分化させることが可能である。しかし、小脳なら小脳にだけ選択的に分化させることは容易ではなく、今回の研究では小脳分化誘導への最適化に取り組んだ。
  • 5.株式会社カン(KAN)研究所
    日本の代表的な製薬企業のエーザイ系の基盤研究所。神戸市では、ポートアイランドを中心としたバイオ・医学の研究開発および産業化拠点の形成(神戸医療産業都市構想)を進めており、企業、団体、研究所などが、既に約180社ポートアイランドに進出している。株式会社カン研究所もその1つであり、理研CDBと同様に、先端医療センター前駅に隣接した位置に拠点をおいている。詳細は、 ホームページを参照。
  • 6.電気生理学的解析
    ニューロンの活動を解析するために、微小なガラス電極を神経細胞に刺し、それを通してニューロンの電気的興奮状態やシナプスを介した情報の解析を行なう手法。1991年のノーベル医学生理学賞を受賞したパッチクランプ法などが有名で、今回もその方法を用いている。
  • 7.脊髄小脳変性症
    小脳および小脳の機能と深く関連する脳の部位の機能低下による運動障害を主たる徴候とする神経難病。当初は、書字などの緻密運動の障害や手の震え、あるいは姿勢障害などで発症し、歩行障害やひどいふらつきなどにより、強い運動障害(医学的には運動失調という)や発音障害(ろれつが回らない)を引き起こす。数年から十数年かけて、進行する場合が多く、最終的には寝たきりとなり、嚥下障害や喀痰障害などからの肺炎などで亡くなる場合が多い。中高年の発症が多いが、中学生などでの若年発症のケースもある( ※8参照)。現在、治療法はまったく存在しない。診断は、内科的な診断所見とMRIによる小脳萎縮の検査などで行なわれ、最近は遺伝子診断も併用する。遺伝素因が強く関与することが知られているが、原因遺伝子は複数あり、その違いにより現在10を越えるタイプに分類されている。そのうち、西日本に多いSCA6型はプルキンエ細胞が選択的に死滅する。脊髄小脳変性症の病態は複雑で、確定診断には専門医の高い技量を要するため、国内の正確な患者数は確定していないが、発症頻度は10万人に対して5~10人程度(国 内の患者数は数千人)と考えられている。
  • 8.1リットルの涙
    脊髄小脳変性症の少女、木藤亜也さんの日記を基に、中学生での発症から数年間の病気の進行と患者から見た思いがつづられている120万部を越えるベストセラー(幻冬舎文庫など)。二十数年前のものだが、この間に診断は格段に進歩したものの、治療法に関しては当時と現在までの間にほとんど進展はない。最近、映画化やTVドラマ化されたことでも記憶に新しい。
  • 9.多能性幹細胞
    身体を構成するすべての種類の細胞に分化する能力(多能性)を有し、未分化なまま試験管内で培養して無限に増やすことができる細胞。多能性を有しているため、体のさまざまな細胞に分化する能力があり、再生医療の材料として利用することが期待されている。ES細胞のほか、皮膚細胞などの体細胞に遺伝子 Oct3, Sox2, Klf4などを導入して初期化し、多能性を持たせたiPS細胞も人工的な多能性細胞である。
  • 10.マウスES細胞からヒトES細胞やiPS細胞への技術展開
    マウスES細胞とヒトES細胞やiPS細胞は多能性を有するなど多くの面で共通性を有し、分化培養法に関しても、互いに似た条件で分化誘導できることが多い。しかし、細部では分化培養法でも細胞種ごとの調整が必要なことが多かった。最近、その細胞種ごとの違いの原因が徐々に明らかになり、取扱いが容易なマウスES細胞でまず技術を開発し、ついでヒトES細胞やiPS細胞の培養法に比較的短期間で技術応用することが可能になってきている。
小脳の構造とプルキンエ細胞の図

図1 小脳の構造とプルキンエ細胞

小脳は脳幹部の主要な構造で、大脳についで大きな脳組織。小脳の大部分は小脳を覆う小脳皮質で、その主要な神経細胞がプルキンエ細胞という大型のニューロンである。その障害は、高度の運動障害を引き起こす(図2参照)。

脊髄小脳変性症による運動失調の図

図2 脊髄小脳変性症による運動失調

小脳は協調した運動の調整、バランスの調整、運動学習などの中枢である。小脳の機能の障害は、強い運動障害を引き起こす。筋力は保たれるが、協調がうまくできないので、小脳性運動失調と呼ばれる。脊髄小脳変性症は、小脳機能にかかわる神経細胞がゆっくりと変性して、細胞死を起こすために発症する。治療薬はなく、数年から20年で寝たきりなどの高度の障害に至ることが多い。

ES細胞からの小脳神経細胞(プルキンエ細胞)の産生と純化の図

図3 ES細胞からの小脳神経細胞(プルキンエ細胞)の産生と純化

マウスES細胞から小脳プルキンエ細胞を分化させ、それを純化することに成功した。マウスES細胞をバラバラに分散したのち、再凝集させたものを、研究グループが開発した神経分化培養液で浮遊培養(液に浮かせて培養)する。その際に、胎児小脳の発生環境を試験管内で再現するためFgf2、インスリン、ヘッジホッグ阻害剤(サイクロパミン)の3つの因子を加える。培養13日後には、プルキンエ細胞の前駆細胞が3割以上の効率で出現し、それをNeph3という細胞表面マーカを指標に純化することに成功した。それらの純化細胞からは効率よく成熟し、電気的活動を示すプルキンエ細胞が分化した。

ES細胞由来のプルキンエ細胞のマウス小脳への移植の図

図4 ES細胞由来のプルキンエ細胞のマウス小脳への移植

図3の要領で、ES細胞から産生し純化したプルキンエ細胞の前駆細胞を、妊娠16日目のマウス胎仔の小脳へ微小なガラス管針を用いて移植した。宿主のマウスが出生後、1週目には数多くの移植細胞が小脳皮質に認められた。それらは、生後1カ月の小脳皮質でも数多く認められ、特有の神経細胞形状を示し、宿主のプルキンエ細胞と区別できないほどであった。移植したES細胞由来のプルキンエ細胞(黄色)は、プルキンエ細胞層に限局して生着し、宿主の神経回路のネットワークにも組み込まれていた。

多能性幹細胞由来のプルキンエ細胞の医学利用の展望の図

図5 多能性幹細胞由来のプルキンエ細胞の医学利用の展望

これまで入手が困難であった小脳神経細胞も、今回の技術をヒトES細胞、iPS細胞へと応用していくことにより可能となる。それにより、試験管内研究として、小脳難病の原因の解明や治療法の開発、また創薬への応用が期待される。さらに将来的には、試験管内で多能性幹細胞より産生したプルキンエ細胞の細胞移植による再生医療の開発も望まれる。再生医療には、高効率な移植法の開発など、解決すべき技術課題がいまだ残っているため、長期的な戦略が必要である。

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