広報活動

Print

2011年8月5日

独立行政法人 理化学研究所

環境分子が生体分子に与える影響を解析する計算手法「DIPA」を開発

-タンパク質などの生体分子が機能するメカニズムを体系的に理解-

ポイント

  • 生体分子と環境分子との間の相互作用を解析し、生体分子の状態を明らかに
  • 分子間の距離情報を取り込み生体分子の状態の識別能を向上、計算時間も削減
  • 今後、京速コンピュータ「京」の稼働で、分子機能のより詳細な解析が可能に

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、タンパク質などの生体分子が持つ状態(構造)と、それぞれの状態形成に重要な役割を果たす水などの環境分子との分子間相互作用を、相互作用の種類や原子間の距離情報を含めて体系的に明らかにする計算手法「DIPA(Distance-dependent intermolecular perturbation analysis:ディーパ)」を開発しました。これは理研生命システム研究センター(柳田敏雄センター長)合成生物学研究グループの小山洋平特別研究員、上田泰己グループディレクターと国立大学法人東京大学(濱田純一総長)生産技術研究所の小林徹也講師との共同研究による成果です。

タンパク質やDNAなどの生体分子は、水やイオン、化合物など周りの環境分子と相互作用(ファンデルワールス相互作用※1、静電相互作用)することで、その状態(構造)を変化させ、それぞれの機能を発揮しています。従って、実際の生体分子の状態を再現するためには、環境分子の寄与を含めたシミュレーションが必要です。しかし、これまでは生体分子と環境分子との相互作用が複雑なため、生体分子の状態を解析する際に、主に生体分子内部の原子の位置などの情報だけを用いてきました。

研究グループは、生体分子と環境分子間の距離情報を取り入れて、生体分子の状態の識別能をより向上させ、さらに、距離情報を入れない場合よりも計算量を削減することを可能にした計算手法「DIPA」を開発しました。実際に、10個のアミノ酸が連なった、シニョリン※2という最小クラスのタンパク質を用いてシミュレーションを実行し、4つの状態と、それぞれの状態に重要な分子間の相互作用を明らかにすることができました。

多くの生体分子が機能を発揮し始めるには、マイクロ秒単位という時間を必要とします。今後、1秒間で1京回の浮動小数点演算が可能な京速コンピュータ「京」などが稼働すると、この時間内に引き起こされる生体分子の様子をシミュレーションすることが可能になります。得られるシミュレーション結果をDIPAで解析することで、環境分子によって生体分子が機能するメカニズムを詳細に解析したり、薬剤による分子機能の制御を予測したりするといった応用が期待できます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Physical Review E』のオンライン版に近く掲載されます。

背景

タンパク質やDNAなどの生体分子は、同じ分子であっても、状態(構造)によって異なる働きを示して複雑な機能を発揮します。このため、生体分子の機能を理解するには、生体分子の状態を明らかにし、その状態を変化させる制御機構を理解することが重要になります。生体分子の状態変化は、生体分子内の相互作用(共有結合、ファンデルワールス相互作用、静電相互作用)だけでなく、水やイオン、化合物など周りの環境分子との相互作用(ファンデルワールス相互作用、静電相互作用)からも大きな影響を受けます。しかし、生体分子と環境分子との相互作用は複雑であり、これまでの生体分子の状態の解析では、生体分子内の原子の位置など、その分子内部の情報だけを利用してきました。このため、環境分子の寄与まで含めた詳細かつ体系的な解析ができていませんでした。

研究手法と成果

2008年に研究グループは、生体分子内の原子間相互作用のエネルギー(ポテンシャルエネルギー)に対して主成分分析※3を行うPEPCA(ペプカ)※4(2008年10月10日発表)を開発しました。PEPCAでは、タンパク質の折り畳み(フォールディング)などの大きな構造変化を解析できますが、環境分子の寄与を解析することはできませんでした。

そこで研究グループは、まず、生体分子と環境分子との間の相互作用を扱えるようにPEPCAを拡張したIPA(Intermolecular perturbation analysis:アイピーエー)を開発しました。IPAは分子間相互作用のポテンシャルエネルギーの平均値に対して主成分分析を行います。実際に、1個のアミノ酸の両端にアセチル基(CH3-CO-)とN-メチル基(-NH-CH3)が結合した小分子(アラニンジペプチド※5)の水中での様子をシミュレーションし、IPAで解析したところ、3つある状態のうち2つの状態をうまく分離できませんでした。その原因を詳細に検討した結果、ペプチドの状態の識別には、ペプチドと水の間の距離の情報が重要であると分かりました。そこで、分子間の距離の情報を扱えるようにIPAを拡張したDIPAを開発しました。

DIPAは、ある距離での分子間相互作用(ファンデルワールス相互作用、静電相互作用)と、その距離の範囲内にある平均環境原子数の積に対して関数主成分分析※6を行います。こうしてDIPAは3つの状態を識別できるとともに、それぞれの状態に対して重要なアラニンジペプチド分子と水分子との相互作用を明らかにすることができました。またIPAでは、構造への寄与が小さい長距離の相互作用が解析結果の精度を悪くするのに対し、DIPAでは距離の情報を取り入れることで、重要な寄与をする近距離からの相互作用だけを取り出し、寄与が小さい長距離からの相互作用を分離できるため、IPAと比べ計算時間を10分の1程度に短縮できることが分かりました。研究グループは、より現実的な問題にDIPAを適用できるかどうかを検証するために、10個のアミノ酸が連なった最小クラスのタンパク質「シニョリン」が水中で折り畳まれていく様子をシミュレーションしました。まず、シニョリンがどのような状態を持ち、シニョリン内のどの相互作用が重要であるかを明らかにするために、PEPCAを適用してバイプロット※7という方法で表示したところ、4つの状態(正しく折り畳まれた状態、誤って折り畳まれた状態1と2、ほどけた状態)が明らかになりました。また、それぞれの状態で安定化するためには、シニョリン内のどの原子とどの原子の静電相互作用が重要であるかも分かりました(図1)

次に、PEPCAでは解析することができない環境分子(水分子)の役割を明らかにするために、DIPAを適用してバイプロットで表示したところ、PEPCAと同じ4つの状態を確認することができました(図2)。DIPAでは、シニョリン内部の情報を直接的には用いていませんが、シニョリンの状態が変化すると周囲の水分子との相互作用の様子が変わるため、このパターンを見分けてシニョリンの4つの状態を識別できました。さらに、それぞれの状態に重要な水とシニョリンとの静電相互作用も明らかにすることができました。例えば、「正しく折り畳まれた状態」に対して2つの「誤って折り畳まれた状態」のほうが安定化している原因の1つには、8番目のアミノ酸の酸素原子と水の水素原子との静電相互作用があり、特に、その距離が約6オングストローム(100億分の6メートル)のとき、最も影響の大きいことが分かりました。

今後の期待

今後、京速コンピュータ「京」などの本格稼働に伴って、多くの生体分子が機能を発揮し始める様子の再現に必要な、マイクロ秒単位のシミュレーションを多数実行することが可能になってきます。このようなシミュレーションの結果をDIPAで解析することができると、環境分子による生体分子機能の制御メカニズムをより詳細に理解できます。また、明らかにした分子間相互作用のパターンと似た薬剤を探索することで、生体分子の状態を選択的に変化させ、分子機能を人工的に制御することが可能になるため、創薬にも貢献すると期待できます。

発表者

理化学研究所
生命システム研究センター 細胞デザインコア 合成生物学研究グループ
グループディレクター 上田 泰己(うえだひろき)
特別研究員 小山 洋平(こやまようへい)
Tel: 078-306-3191 / Fax: 078-306-3194

お問い合わせ先

神戸研究所推進部
Tel: 078-306-3007 / Fax: 078-306-3039

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

このページのトップへ

補足説明

  1. ファンデルワールス相互作用
    近距離では反発し、遠距離では引き合うような原子間の相互作用。反発は電子が同じ状態(位置とスピン)を取ることができない「パウリの排他原理」という性質により生じ、引力は電子分布の偏りによりプラス極とマイナス極が生じるために働く。引力的な相互作用だけを指してファンデルワールス相互作用という場合もある。
  2. シニョリン
    10個のアミノ酸が連なったペプチドで、2004年に独立行政法人産業技術総合研究所の本田真也博士らのグループにより発表された。水溶液中でベータヘアピンという構造に折り畳まれる。
  3. 主成分分析
    PCA(Principal component analysis)ともいい、複数の成分からなるデータに対して、各成分を組み合わせることで変動が大きく、しかも互いに相関のない成分(主成分)に分解するデータ解析手法。変動の大きい順に第1主成分、第2主成分、対応する成分の組み合わせの仕方を第1固有ベクトル、第2固有ベクトルなどという。変動の小さい主成分は元のデータへの影響が小さいと考えられるので、(通常2~3個の)上位の主成分と対応する固有ベクトルのみを考えればよく、各主成分間では相関が無いため、元の複雑に絡み合った多成分のデータに比べて解釈が容易になる。例えば、ある生徒の国語、算数、理科、社会のテストの点数は4成分のデータとみなせる。クラス全員分のデータ(4科目のテストの点数)に対して主成分分析を適用することで、主成分により各教科で点数が似たグループ、固有ベクトル成分によりそれぞれのグループでどの教科の点数が似ているかが分かる。例えば、第1主成分は全教科高得点のグループと低得点のグループ、第2主成分は算数と理科は高得点で国語と社会は低得点のグループとその反対のグループといったような議論ができる。
  4. PEPCA(ペプカ)
    原子座標を用いた主成分分析(PCA)を一般化し、原子間の相互作用のエネルギーを用いた主成分分析(PEPCA: Potential Energy PCA)。PEPCA以前の原子座標を用いたPCAは、特定の安定な構造のまわりでの「揺らぎ」を解析するのに適しているが、複数の安定構造を遷移するような大きな構造の変化を解析するのには適していなかった。その要因は、前処理として分子全体の動き(並進、回転運動)を取り除く必要があるが、状態が複数あるときにはこの処理の仕方が一義的に決まらないことにあった。静電相互作用などからなるポテンシャルエネルギー(potential energy)は物理的な意味が明確で、原子間の相対的な位置だけに依存するため、その値は分子全体の運動には影響されない。すなわち、あらかじめ分子全体の運動を取り除く必要が無く、従来の問題を回避することができる。
  5. アラニンジペプチド
    アミノ酸の1つであるアラニンの両端にアセチル基(CH3-CO-)とN-メチル基(-NH-CH3)が結合した分子。小さく、複数の状態を持つため、新しい計算手法の評価によく用いられる。
  6. 関数主成分分析
    FPCA(Functional principal component analysis)ともいい、1つのデータの各成分が関数で表されるデータを扱えるように拡張した主成分分析のこと。固有ベクトルの代わりに固有関数が得られる。例えば、ある人の血圧、体温、血糖値の日内変動は0~24時間を変数とした3成分の関数データとみなせる。複数の人の関数データ(測定値)が得られたときに関数主成分分析を適用することで、主成分により3成分の時間変動の仕方が似た人のグループと、固有関数成分により各グループで3成分がそれぞれどの時間で似た変動を示すかが分かる。
  7. バイプロット
    データの表示法。主として主成分分析の結果を表示するのに用いられ、主成分の散布図と固有ベクトル成分の散布図の2つのデータを同時に表示する。2種類の異なるデータを1つの図に表示するためこの名称で呼ばれる。

このページのトップへ

シニョリンの水中でのシミュレーション:PEPCAによる解析

図1 シニョリンの水中でのシミュレーション:PEPCAによる解析

散布図:小さい点(主成分)はペプチドの構造に対応する。左側の密集した点は「正しく折り畳まれた状態」、右下の2つの密集した点は2つの「誤って折り畳まれた状態」、右上のまばらな点は「ほどけた状態」を表す。1H-10Oなどの四角い点(固有ベクトル成分)は、1番目のアミノ酸の水素原子と10番目のアミノ酸の酸素原子の間の静電相互作用を表す。

状態図:1つの球が原子に対応し、白:水素、青:窒素、水色:炭素、赤:酸素原子を表す。見やすさのため2つの「誤って折り畳まれた状態」では9番目のアミノ酸の一部を表示していない。1Hなどのラベルは1番目のアミノ酸の水素原子を表す。黄色い矢印状の構造はペプチドの骨格構造を分かりやすくした表示方法。

ある状態Aを他の状態に比べて安定化させている相互作用は、状態Aとその他の状態を分ける原点を通る直線を考え、状態Aと同じ側にある相互作用(四角い点)を見れば分かる。例えば「正しく折り畳まれた状態」と他の3つの状態はy軸で分けられるので、「正しく折り畳まれた状態」を他の3つの状態に比べて安定化させている静電相互作用は、y軸の左側にある四角い点を見れば分かる。また、「誤って折り畳まれた状態2」を「誤って折り畳まれた状態1」に比べて安定化している相互作用は、左下の方にある相互作用(1H-10Oが一番大きい影響を及ぼすなど)を見れば分かる。実際に「誤って折り畳まれた状態2」では1H原子と10O原子が接して安定化しているのに対し、「誤って折り畳まれた状態1」では2つの原子が離れていて安定化に寄与していないことが確認できる。

シニョリンの水中でのシミュレーション:DIPAによる解析

図2 シニョリンの水中でのシミュレーション:DIPAによる解析

水色やピンクの曲線(固有関数成分)がペプチドと水との間の静電相互作用を表す。例えば、10O-Hは10番目のアミノ酸の酸素原子と水の水素原子との静電相互作用を表す。曲線上の3から10の数字は原子間の距離(オングストローム)を表す。中段左の図で2つの「誤って折り畳まれた状態」を「正しく折り畳まれた状態」より安定化させている相互作用は、右下に向いている8O-H(8番目のアミノ酸の酸素原子と水の水素原子)相互作用であることが分かり、距離が6オングストロームあたりの効果が最も大きいことが分かる。実際に、2つの「誤って折り畳まれた状態」では8O原子が水中に露出しているのに対して(緑と青線の枠内)、「正しく折り畳まれた状態」ではペプチド内に埋もれている(赤線枠内)。酸素は負に帯電し水素は正に帯電しているため、「誤って折り畳まれた状態」の場合、水中に露出した酸素と水の水素による静電相互作用で安定化していることが確認できる。

このページのトップへ