広報活動

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2011年10月12日

独立行政法人 理化学研究所
国立大学法人 東京大学分子細胞生物学研究所

大腸がん発症に関わるAPCタンパク質複合体の立体構造を解明

-がんを抑制するタンパク質複合体の形成において重要なアミノ酸が判明-

ポイント

  • がん抑制タンパク質APCとSam68の複合体をX線結晶構造解析で立体構造解明
  • 細胞のがん化を導くAPCタンパク質の変異箇所が判明
  • 大腸がん発症の分子メカニズムの解明に重要な知見を与え、その治療戦略につながる成果

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、大腸がんの発症にかかわると考えられているAPC(adenomatous polyposis coli)タンパク質の機能上重要となる部分の構造とその結合因子であるSam68との複合体の立体構造を決定することに成功し、大腸がんの新たな治療戦略に関わる重要な知見を得ました。これは理研生命分子システム基盤研究領域の横山茂之領域長(東京大学大学院理学系研究科構造生物学社会連携講座教授)、エラ ザリナ モリシタ(Ella Czarina Morishita)特別研究員らと、国立大学法人東京大学分子細胞生物学研究所、および東京大学大学院理学系研究科の秋山徹教授らとの共同研究の成果です。

大腸がんは、他のがんに比べて患者数が増加傾向にあり、日本では23万5千件の羅患が報告されています。(平成20年厚労省患者調査の概況より)。世界的にもがんによる主要死因の1つになっていて、効果的な治療法がまだ見つかってないのは、分子レベルでの解明が十分ではないことがその一因といわれています。これまでに大腸がんの発症にかかわる重要な遺伝子の1つに「APC遺伝子」が同定され、大多数の大腸がん患者でこの遺伝子に変異が見いだされていることから、がん抑制遺伝子として機能していると考えられています。APCタンパク質は非常に大きいため、複雑な高次構造をとっていると推測されていますが、特に多くのタンパク質と結合するアルマジロリピート(Arm)ドメイン※1という領域に注目した研究が盛んに行われてきました。Armドメインと結合するタンパク質の1つにSam68※2と呼ばれるタンパク質があります。最近、東京大学の秋山徹教授らは、Sam68とAPCタンパク質の結合ががん化につながるシグナル伝達を制御することを見いだしました。そこで本研究グループは、X線結晶構造解析法を用いて、APCタンパク質とSam68との複合体の立体構造を決定し、この複合体を形成する重要なアミノ酸を同定することに成功しました。

この成果は、変異したAPCタンパク質がどのようにがんの発症を導くのか、その分子メカニズムの解明に重要な知見を与え、がん治療の足がかりになると期待できます。さらに、決定した立体構造を利用して、新たな抗がん剤や浸潤・転移抑制剤の開発にもつながると考えられます。

本研究成果は、文部科学省「ターゲットタンパク研究プログラム」、「研究開発施設共用等促進費補助金(創薬等支援技術基盤プラットフォーム)事業」の一環として行われたもので、米国の科学雑誌『Structure』オンライン版(10月11日付け:日本時間10月12日)に掲載されるとともに、その表紙を飾ります。

背景

APC(Adenomatous polyposis coli)タンパク質は、2843アミノ酸残基からなる大きなタンパク質で、がん化や形態形成に重要な役割を果たすWntシグナル※3伝達経路に関するβカテニンに結合して、その分解を誘導することが知られています。大腸がんで見いだされる変異APCタンパク質はβカテニンの分解を誘導できないため、細胞内にβカテニンが蓄積され、TCF/LEF※4と呼ばれる転写因子と相互作用して、Wnt標的遺伝子の転写を促進します。それらの標的遺伝子は無制御な細胞増殖を刺激し、大腸がんを引き起こすことが分かっています。一方、正常なAPCタンパク質は細胞質内でβカテニンに結合し、その分解を促進します。その結果、Wnt標的遺伝子の転写が制御され、細胞の過増殖が防止されます。

APCタンパク質は他のタンパク質との結合に関わるドメインを有しています。多くのタンパク質はAPCタンパク質にあるアルマジロリピート(Arm)ドメインという領域に結合します。最近、東京大学の秋山徹教授の研究室は、APCタンパク質がβカテニンの分解誘導以外にも、Sam68というタンパク質とArmドメインを介して結合し、TCFの活性を制御してWntシグナルを阻害することを見いだしました。APCタンパク質とSam68の複合体はTCFのスプライシング※5を制御し、TCFのスプライスバリアント※5が過剰にできないようにしています(図1a)。TCFのスプライスバリアントはWnt標的遺伝子を活性化し、過剰に存在するとがん化を誘導します。変異したAPCタンパク質はSam68と結合はできるものの、その複合体はTCFのスプライシングを制御できなくなってしまいます。そのため、TCFのスプライスバリアントが増えることでWnt標的遺伝子が強く活性化され、細胞ががん化します(図1b)。研究グループは、変異したAPCタンパク質がどのようにがんの発症を導くのか、その分子メカニズムの解明につながるAPCタンパク質とSam68の複合体の立体構造の解明に取り組みました。

研究手法と成果

一般的に、APCタンパク質を含むヒト由来の大きなタンパク質を、高い品質で効率良く調製することは容易なことではありません。理研生命分子システム基盤研究領域では、独自開発した無細胞タンパク質合成系※6をはじめ、数々の技術を基に高難度タンパク質に対応した試料調製システムの開発を進めています。研究グループはこのシステムをヒトAPCとSam68タンパク質の発現に応用することで、100通り以上のアミノ酸領域について迅速な試行を重ねた結果、APCとSam68タンパク質のそれぞれについて、効率よく試料が得られる領域を見いだしました。さらに、この方法を用いてX線結晶構造解析に適した高品質なタンパク質を大量に精製し、SPring-8※7およびSwiss Light Source※8でX線回折データを取得し、APCのArmドメインの構造を2.1Å(オングストローム、1Å=0.1nm)の分解能で、Sam68のチロシンリッチドメインとの複合体の構造を2.4Åの分解能でそれぞれ決定することに成功しました(図2)。立体構造を詳細に分析した結果、APCタンパク質の516番目のリジン残基(Lys516)が特にSam68との複合体を作るのに重要であることが分かりました。さらに、等温滴定カロリメトリー(isothermal titration calorimetry, ITC)※9を用いた研究により、実際にこの箇所に変異を入れると、APCタンパク質とSam68との間の結合能が落ちることを確認しました。またSam68のチロシン残基(Tyr387)がリン酸化されるとAPCタンパク質との結合能が失われることも見いだしました。大腸がん患者のAPCタンパク質では、Lys516の部分がアスパラギン残基(Asn)に変異している事例があることから、この箇所が変異した複合体はWnt標的遺伝子を強く活性化し、細胞のがん化を導くと考えられ、変異APCタンパク質と細胞のがん化との関連性を立体構造の観点からも明らかにすることができました。

今後の期待

大腸がんが発症するためにはまずAPC遺伝子に異常が起こることが必要であると考えられています。今回、大腸がんを研究する上で最も注目を集めているタンパク質の1つであるAPCタンパク質とSam68複合体の立体構造が明らかになりました。この成果は、変異したAPCタンパク質によるがん発症の分子メカニズムの解明に重要な知見を与え、大腸がんに対する新しい治療戦略にもつながると考えます。がん進行におけるAPCの役割についてさらに深く理解するために、現在、Sam68以外の結合タンパク質とAPCとの複合体の構造解析を目指して研究を行っています。また、決定した立体構造や今後の構造解析は、正常なシグナル伝達には影響せずにがん細胞にだけ選択的に作用する薬剤の創製につながることが期待できます。

原論文情報

  • Ella Czarina Morishita, Kazutaka Murayama, Miyuki Kato-Murayama, Yoshiko Ishizuka-Katsura, Yuri Tomabechi, Tomoatsu Hayashi, Takaho Terada, Noriko Handa, Mikako Shirouzu, Tetsu Akiyama, and Shigeyuki Yokoyama
    “Crystal Structures of the Armadillo Repeat Domain of Adenomatous Polyposis Coli and Its Complex with the Tyrosine-Rich Domain of Sam68”Structure 2011 Doi:10.1016/j.str.2011.07.013

発表者

理化学研究所
生命分子システム基盤研究領域
領域長 横山 茂之(よこやま しげゆき)
Tel: 045-503-9196 / Fax: 045-503-9195

お問い合わせ先

横浜研究推進部 企画課
Tel: 045-503-9117 / Fax: 045-503-9113

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

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補足説明

  1. アルマジロリピート(Arm)ドメイン
    ショウジョウバエの遺伝子産物 Armadillo(アルマジロ)で初めて見つかった約40アミノ酸長からなる繰り返し構造。このモチーフはタンパク質間の相互作用に重要な役割を担っていると考えられている。
  2. Sam68 (Src-associated in mitosis, 68 kDa)
    核内に存在するRNA結合タンパク質で、シグナルを伝えたりRNAの代謝の際に働いていると考えられている。
    Sam68はチロシンリン酸化酵素によりリン酸化され、チロシンがリン酸化されるとRNA結合能が阻害される。
  3. Wntシグナル
    Wntと呼ばれる分泌タンパク質が、細胞に作用することにより活性化される細胞内シグナル伝達機構をWntシグナル経路と呼ぶ。初期発生において形態形成や細胞極性の決定などの重要な生命現象に関係しているが、恒常的に活性化されるとがんが引き起こされると考えられている。
  4. TCF/LEF (T-cell factor /lymphoid enhancer factor)
    DNAに結合する転写因子のグループの1つで、βカテニンと結合することで転写が活性化される。
  5. スプライシング、スプライスバリアント
    真核生物では、メッセンジャーRNA前駆体にあるイントロンを除去し,前後のエキソンを結合する反応(スプライシング)が起こり、タンパク質が翻訳される領域が切り出される。その際、異なる場所でスプライシングが起こり、1つのメッセンジャーRNA前駆体から異なる成熟mRNAが生産されることがある。その多様なmRNAをスプライスバリアンドと呼び、活性の異なるタンパク質が合成されることもある。
  6. 無細胞タンパク質合成系
    生命体に依存しない人工的なシステムで、細胞からタンパク質合成に必要な成分一式を抽出し、これに目的のタンパク質をコードする遺伝子を合成装置が読み取れる形にして添加して、タンパク質を合成する技術。外部からさまざまな因子を加えることが容易であり、反応条件の変更や最適化も容易であるなど、多くの優れた特徴を持つ。
  7. SPring-8
    兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設。SPring-8の名前はSuper Photon ring 8GeVに由来する。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、絞られた強力な電磁波のこと。
  8. wiss Light Source(SLS)
    スイス・ポールシェラー研究所が保有する第三世代放射光施設。2.4 GeVのエネルギーの高輝度光子ビームを提供する。
  9. 等温滴定カロリメトリー(isothermal titration calorimetry, ITC)
    生体分子の相互作用にはさまざまな化学結合が関与しており、その反応前後においてエネルギーの吸収/放出が起こる。ITCは、その熱量変化を直接測定することにより、溶液中での2つ以上の分子間の相互作用の結合の強さ、エンタルピー変化などを定量的に測定する方法である。

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Wntシグナル伝達におけるAPC・Sam68複合体の役割

図1 Wntシグナル伝達におけるAPC・Sam68複合体の役割

(a) 野生型APCタンパク質はSam68と結合し、TCFスプライスバリアントの過剰発現を防ぐ。そのため、Wntの標的遺伝子の活性化は阻止されてWntシグナルが阻害される。

(b) 変異型APCタンパク質とSam68との複合体はTCFスプライスバリアントの過剰発現を促進し、Wntの標的遺伝子を強く活性化される。そのため無制御な細胞増殖が引き起こされる。

APCのArmドメインとSam68のチロシンリッチドメインとの複合体の結晶構造

図2 APCのArmドメインとSam68のチロシンリッチドメインとの複合体の結晶構造

APCタンパク質の分子表面は一次配列の保存性に従い色付けした。様々な生物種において、相当するタンパク質の同じ一次配列の位置に、同じ種類のアミノ酸残基が存在することを保存されているという。多くの生物種において保存されている場合には保存性が高いという。濃い紫色が高い保存性を示し、青色が低い保存性を示す。Sam68はスティックモデルで示した(赤:酸素 青:窒素 黄色:炭素)。

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