広報活動

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2011年12月26日

独立行政法人 理化学研究所
国立大学法人 東京大学

嗅覚神経細胞分化の新たなメカニズムの一端を解明

-エピジェネティクスに基づく細胞分化の制御が明らかに-

ポイント

  • 多種類の嗅覚神経細胞は細胞内Notchシグナルが繰り返し活性化することで分化
  • エピジェネティックな制御によりNotchシグナル標的遺伝子が発現
  • 細胞分化制御の解明で再生医療分野に基礎的知見を提示

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と国立大学法人東京大学(濱田純一総長)は、モデル動物であるショウジョウバエを用いて、多種多様な嗅覚神経細胞※1が生み出される新しいメカニズムを解明しました。これは理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)Moore研究ユニットのエイドリアン・ムーア(Adrian Moore)ユニットリーダーと東京大学分子細胞生物学研究所の遠藤啓太助教、伊藤啓准教授らによる研究グループの成果です。

嗅覚は、生物が正確に匂いを感じ取るために必須の感覚であり、多種類の嗅覚神経細胞によって構成されています。ヒトの場合、鼻の奥には約350種類もの嗅覚神経細胞が存在します。私たちが匂いを嗅ぎ分ける際には、嗅覚神経細胞に存在する嗅覚受容体で匂い分子を捉えて、その情報を脳に伝え判断しています。これらの嗅覚神経細胞は、前駆細胞※2が複数の細胞分裂を繰り返して分化することで生み出されます。これまで、嗅覚神経細胞の分化には細胞内Notchシグナル※3が関与することが知られていましたが、その詳細な機構は不明でした。

研究グループは、嗅覚神経細胞が前駆細胞から複数の分裂を経て生み出される分化過程を免疫染色法※4を用いて解析し、Notchシグナルが細胞分裂のたびに繰り返し活性化していることを発見しました。また、核内因子Hamlet※5がNotchシグナル標的遺伝子の発現を分化過程の進行に応じてダイナミックに調節することで、同じNotchシグナルが繰り返し使われるにもかかわらず、分裂ごとにそれぞれ異なる細胞運命を生み出している可能性を示しました。さらに、そのメカニズムは、クロマチン構造※6の変化よって遺伝子発現を制御する「エピジェネティクス※7」によることを明らかにしました。これまでエピジェネティクスは、一度確立された遺伝子発現状態をその後の細胞分裂を通じて維持する「細胞記憶」のようなものとして考えられてきましたが、今回、エピジェネティクスが細胞分化の過程で分裂ごとにダイナミックに行われうることを示しました。

近年、iPS細胞をはじめとした幹細胞の応用研究が盛んに進められていますが、幹細胞から生み出された個々の細胞の運命決定のメカニズムにはいまだ謎が満ちています。Notchシグナルは、神経系を含むさまざまな組織の発生過程で重要な役割を果たしていることが知られており、今回新たに発見したエピジェネティクスによるNotchシグナルの制御機構解明は、再生医療分野に不可欠な細胞分化機構の基礎的な理解を大きく前進させることとなります。また、Notch※3もHamletもヒトの相同遺伝子が存在し、その異常がさまざまな疾患の原因となることから、今回の成果は、それら疾患発症メカニズムの解明にも役立つと期待できます。

本研究成果は『Nature Neuroscience』オンライン版(12月25日付け:日本時間12月26日)に掲載されます。

背景

生物は膨大な嗅覚神経細胞を使って匂いを嗅ぎ分けています。それぞれの嗅覚神経細胞は特定の匂いに対応しており、ヒトの場合、約350種類からなる約1千万個の嗅覚神経細胞を使い分けています。ショウジョウバエのような小さな生物でも、約50種類からなる約1,300個の嗅覚神経細胞を持っています。どの嗅覚神経細胞も、前駆細胞が複数の細胞分裂を繰り返して生み出されますが、これまで、この分化過程には、Notchという細胞内シグナル伝達因子が関与することが知られていました。しかし、生体がNotchシグナルをどのように利用して多様な嗅覚神経細胞を導きだすのかは明らかになっていませんでした。そこで研究グループは、モデル動物として広く研究に利用されるショウジョウバエを用いて、Notchが嗅覚神経細胞の多様性を作り出すメカニズムの解明に挑みました。

研究手法と成果

研究グループは、まず、嗅覚神経細胞の前駆細胞が分裂するたびに生じる娘細胞を免疫染色法で可視化し、Notchシグナルの活性化の有無を調べました。その結果、さまざまな細胞分裂の段階で、Notchシグナルの活性化が繰り返し起こっていること、同じ親細胞から生まれた2つの娘細胞の一方でのみ、Notchシグナルが活性化することを発見しました(図1)。次に、この繰り返し活性化するNotchシグナルがどのようにして目的の種類の嗅覚神経細胞へ分化させるのかを調べるため、Notchシグナルの標的遺伝子領域を含んだクロマチン構造の状態を、クロマチン免疫沈降法※8で調べました。その結果、神経細胞の分化に関与する核内因子Hamletが活性化すると、E(spl)m3という遺伝子領域を含むクロマチン構造に凝集が起こることが明らかになりました。この凝集が起きると、Notchシグナルの標的遺伝子の発現を活性化する転写因子がE(spl)m3遺伝子領域に結合できなくなり、Notchシグナルの標的遺伝子の発現が抑制されることが分かりました(図2上)。つまり、Notchシグナルが活性化した嗅覚神経細胞においては、次の細胞分裂後にはHamletが活性化して、Notchシグナルの標的遺伝子の発現をいったん抑制(リセット)することが分かりました。このように、塩基配列に依存せずに遺伝子の機能を制御するメカニズムはエピジェネティクスと呼ばれ、近年注目を集めている現象です。

さらに、遺伝子操作によりHamletの働きをなくしたショウジョウバエの変異体を作製し、嗅覚神経細胞の分化に変化が認められるかどうかを免疫染色法で検証した結果、嗅覚神経細胞の分化異常が起こり、多様性が失われることが分かりました(図3)

これらの結果から、嗅覚神経細胞は、その分化過程の複数の段階でNotchシグナルの活性化を介して細胞の運命が決定づけられること、Notchシグナルの標的遺伝子の発現抑制にはHamletの活性化が必要であること、Hamletは、エピジェネティクスによって、Notchシグナルの標的遺伝子の発現を調節することが分かりました。

今後の期待

組織を再生するには、細胞の運命の決定や維持のメカニズム解明が欠かせません。また、エピジェネティクスによる遺伝子制御機構は、細胞機能維持や疾病の発症にも深く関わることが分かってきています。今回得られた、HamletがエピジェネティクスによってNotchシグナルを制御するという知見は、幹細胞からさまざまな臓器を生み出す上で欠かせない細胞の運命決定機構の理解を前進させ、再生医療分野の発展やさまざまな疾病の発症メカニズム解明に役立つ可能性があります。例えば、ヒトはHamlet遺伝子に似た遺伝子で、白血病の原因遺伝子として知られるEvi-1Prdm3)遺伝子を持っています。ヒトにおけるNotchシグナルとEvi-1遺伝子との関係が明らかになると、これら疾患の治療に役立つと期待できます。

原論文情報

  • Keita Endo, M. Rezaul Karim, Hiroaki Taniguchi , Alena Krejci, Emi Kinameri,
    Matthias Siebert, Kei Ito, Sarah J. Bray, Adrian W. Moore.” Chromatin modification of Notch targets in olfactory receptor neuron diversification” Nature Neuroscience,2011 doi: 10.1038/nn.2998

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター Moore研究ユニット
ユニットリーダー Adrian Moore(エイドリアン・ムーア)
研究員 谷口 浩章(たにぐち ひろあき)
Tel: 048-467-7278 / Fax: 048-467-4796

お問い合わせ先

脳科学研究推進部 企画課
入江 真理子(いりえ まりこ)
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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産業利用に関するお問い合わせ

理化学研究所 社会知創成事業 連携推進部
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補足説明

  1. 嗅覚神経細胞
    鼻の奥に存在し、匂い分子を受容する神経細胞。匂いを受容した嗅細胞は、神経線維(軸索)を介して、匂い情報を脳の嗅球という領域に伝達する。
  2. 前駆細胞
    広義には、ある特定の細胞群を生み出す元となる細胞。本研究においては、触覚の上皮性の細胞群のなかで、将来、嗅覚神経細胞を生み出す運命を獲得した細胞。約400個の前駆細胞それぞれが複数回の分裂を経て1~4個の嗅覚神経細胞を生み出す。
  3. Notch、Notchシグナル
    Notchは線虫から哺乳類まで進化的に保存された細胞膜レセプタータンパク質である。Notchタンパク質の細胞外領域に特定の基質タンパク質が結合すると、Notchタンパク質の細胞内ドメインが切断され核内へ移行し、他の転写因子群とともに転写活性化因子複合体を形成する。この複合体は、細胞の個性の決定に関わる標的遺伝子群の発現を活性化することで、細胞運命決定のマスタースイッチとして働くことが知られている。この細胞表面から核内の遺伝子発現へとつながる細胞内のシグナル伝達を、本研究ではNotchシグナルと定義する。
  4. 免疫染色法
    細胞や組織のタンパク質を検出するために広く用いられる手法。抗体の持つ特性を利用するので免疫染色法と呼ばれる。検出したいタンパク質に対する抗体(一次抗体)を作製し、ホルマリンなどで固定した組織や切片に抗体を反応させる。すると抗体は、目的タンパク質にのみ結合する。抗体をあらかじめ蛍光色素などでラベルしておけば、タンパク質の存在するところだけが蛍光を発するので、組織の中のどの細胞がそのタンパク質を発現しているか、あるいは細胞の中のどこにタンパク質が局在しているかを知ることができる。より広く用いられる方法としては、抗体を認識する抗体(二次抗体)を蛍光色素などでラベルして、一次抗体と反応させ、蛍光を顕微鏡などで検出する。
  5. Hamlet
    PRDMファミリーに属する核内因子であり、ショウジョウバエにおいては神経細胞の樹状突起の枝分かれの鍵となる調節因子として知られている。
  6. クロマチン構造
    真核生物のゲノムDNAは、ヒストンやそれ以外のタンパク質と結合し、高度に凝縮した状態で存在する。このような構造をクロマチン構造と呼ぶ。局所的なクロマチン構造の変化を介して、転写因子などのタンパク質の染色体DNAへの接近のしやすさが制御される。クロマチン構造は、転写や組み換え・複製などの遺伝情報制御において、中心的役割を果たすことが示されつつある。
  7. エピジェネティクス
    DNAの塩基配列に依存せずに、細胞が異なる遺伝子を発現するのに関与する現象。一卵性双生児の指紋が異なっている現象は、その卑近な1例。具体的な現象としては、DNAのメチル化修飾、ヒストンのアセチル化やメチル化、リン酸化、転写因子群による遺伝子発現機構などが知られる。正常な発生や分化にかかわる重要な機構であり、特に個体発生に際してダイナミックな変化をして、その変化が次世代の細胞へと伝えられていく。異常な場合は、さまざまな発生・分化異常やそれに伴う疾病が生じ、最近では、がん治療や再生医療で重要なテーマになっている。
  8. クロマチン免疫沈降法
    細胞内でDNAとタンパク質の結合を調べる実験手法。ホルムアルデヒドでタンパク質とDNAを架橋し、抗体で目的タンパク質を免疫沈降させ、その沈降画分に含まれるDNAを検出する方法。転写因子とターゲット配列DNAの「生体内」での結合を確認するために使う。

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前駆細胞が細胞分裂を繰り返して嗅覚神経細胞を生み出す系譜

図1 前駆細胞が細胞分裂を繰り返して嗅覚神経細胞を生み出す系譜

同じ世代の娘細胞でも、Notchシグナルが活性化している細胞(N)と活性化していない細胞(○)がある。その結果Naa、Nab、Nba、Nbbの4種類の嗅覚神経細胞が生み出される。

クロマチン構造の違いによる遺伝子発現のモデル

図2 クロマチン構造の違いによる遺伝子発現のモデル

(上)Hamletが存在する場合
クロマチン構造が凝集するため、転写因子複合体(NICDとSu(H))がプロモーター(黄色部)に結合できず、E(Spl)m3遺伝子は発現しない。

(下)Hamletが欠損した場合
転写因子複合体(NICDとSu(H))がプロモーターに結合し、E(Spl)m3遺伝子が発現する。

Hamletを欠損させたときの嗅覚神経細胞の数の変化

図3 Hamletを欠損させたときの嗅覚神経細胞の数の変化

Hamletが欠損すると、Notchシグナルの標的遺伝子の発現がいったん抑制されなくなり、嗅覚神経細胞の種類が4種類から3種類に減る。

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