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  3. 研究成果(プレスリリース)2012

2012年6月15日

独立行政法人 理化学研究所
国立大学法人 東京大学
独立行政法人 科学技術振興機構

失われた電子スピンの情報が、実は保存されていたことを発見

-電子スピンを情報単位とするスピントロニクスデバイスの実用化へ前進-

ポイント

  • スピン軌道相互作用の影響や電子が不純物と衝突しても電子スピンの情報は保存される
  • 「隠れた保存量」から電子スピンの情報を取り出す「スピン軌道エコー」現象も発見
  • デバイスの電力化、小型化、高速化などの応用に道を開く

要旨

理化学研究所(野依良治理事長)と東京大学(濱田純一総長)は、スピン軌道相互作用※1下で消失すると考えられていた電子スピン※2の情報が、実は消失したのではなく、単に見かけの形が変わっただけで失われていないことを理論的に導き出し、コンピューターを使って数値的に証明しました。電子スピンの情報を利用したスピントロニクス※3デバイスの実現に向け大きな前進となります。これは理研基幹研究所(玉尾晧平所長)強相関量子科学研究グループ強相関理論研究チームの杉本直之特別研究員と永長直人チームリーダー(東京大学大学院工学系研究科教授)により、最先端開発支援プログラム(FIRST)課題名「強相関量子科学」(中心研究者:十倉好紀)の事業の一環として得られた成果です。

金属や半導体などの固体中の電子は、マイナスの電荷を帯びてスピンしています。電子スピンの状態は、アップスピン状態(右向き回転)とダウンスピン状態(左向き回転)の2通りの重ね合わせで表現され、この2種類を情報として利用するスピントロニクス技術が盛んに研究されています。しかし、スピン軌道相互作用や、固体中の不純物と電子の衝突などによりスピンの向き(スピン情報)は消失してしまうため、この消失がスピントロニクスデバイスの実用化の妨げであると考えられていました。

研究チームは、スピン軌道相互作用を「複数種の磁場」として表現することで理論的に手計算し、消失したと考えられていた電子スピンの情報は、実は「隠れた保存量※4」として保存されている可能性を見いだしました。さらに、スピン軌道相互作用をコンピューター上で再現し、この新概念を実証することに成功しました。また、「隠れた保存量」は、スピン軌道相互作用を弱くすると緩やかに元のスピンに戻り、電子スピンの情報を復元できることも理論的、数値的に証明し、この現象を「スピン軌道エコー」と名付けました。

この発見は、電子スピンを電場で制御する「電場駆動スピントロニクス」技術に基づく次世代デバイス設計について、従来の指針を根底から覆すものとなります。スピントロニクスデバイス実用化の課題解決につながるため、従来のエレクトロニクスの限界を超えた新デバイスの開発が期待できます。本研究成果は、米国の科学雑誌『Science』(6月15日号)に掲載されます。

なお、本研究成果の主たる部分は、総合科学技術会議により制度設計された最先端研究開発支援プログラム(FIRST)により、日本学術振興会を通して助成され実施されたものです。また一部は、科学技術振興機構 国際科学技術共同研究推進事業(戦略的国際共同研究プログラム)(研究領域「ナノエレクトロニクス」)研究課題名「トポロジカルエレクトロニクス」の委託事業として行われました。

背景

半導体エレクトロニクスは、ムーアの法則※5に従いながら発展してきました。この進歩は集積回路の微細化によって実現されていますが、10年~20年後には、集積回路上のトランジスタは、原子のサイズにまで到達すると予想され、それが半導体エレクトロニクスの限界点だと考えられています。そこで、従来の半導体技術と異なる原理に基づいたデバイスを開発し性能を向上させることが、技術革新の1つの流れになっています。例えば、電子のスピンは、アップスピン状態(右向き回転)とダウンスピン状態(左向き回転)の2通り存在し、この向きを情報として利用するスピントロニクス技術が注目されています。近年、この技術を用いることでハードディスクドライブの記録密度は飛躍的に向上しました。またスピン軌道相互作用により、電場を使って電子のスピン流※6を作る方法「電場駆動スピントロニクス」が発見され、応用に向けた研究が盛んに行われています。

しかし、スピン軌道相互作用そのものの影響や、固体中の不純物と電子との衝突により、電子スピンの向きは容易に変わってしまいます。すると、それぞれのスピンはバラバラな方向を向いて互いに打ち消し合ってしまうので、固体全体ではその平均値が0になり、スピン情報は消失していると考えられていました。そのため、電子スピンの寿命を延ばすことやできるだけ大きなスピンを作ることなどが、電場駆動スピントロニクスの実用化に向けた課題でした(図1)

研究手法と成果

研究チームは、消失したとされる電子スピンの情報は、「実は失われたように見えているだけで、どこかにあるのではないか」と推測しました。そこで、SU(2)ゲージ場※7と呼ばれる複数種の磁場の概念を用いてスピン軌道相互作用を表現し、手計算で理論的に解析したところ、消失したと考えられていた電子スピンの情報は、「隠れた保存量」として保存されている可能性を見いだしました。

次に、このSU(2)ゲージ場を導入したスピン軌道相互作用をコンピューター上で再現し、スピン軌道相互作用の強さと電子スピンの情報を詳細に調べたところ、相互作用の強さにかかわらず、初めにあったスピン情報(スピンの向き)は「隠れた保存量」として保存されていることを確認しました。

さらに、この「隠れた保存量」が持つ特徴について、理論的に調べました。その結果、「隠れた保存量」に移動した情報は、スピン軌道相互作用が無くなると元のスピンに戻ること、また「隠れた保存量」は、スピン軌道相互作用の変化に対して変化しにくいことが分かりました。さらに、固体中の不純物と電子が衝突しても、スピン軌道相互作用を緩やかに弱くすると、失われた情報は、元の電子スピンに緩やかに復元することを明らかにしました(図2)。研究チームは、この電子スピンの情報が復元する現象を「スピン軌道エコー」と名付け、GaAs(ガリウム-ヒ素)※8系などの2次元のn型半導体を表す模型(ラシュバ-ドレッセルハウス模型※9)をコンピューター上に再現し、数値シミュレーションでも確認しました(図3)

今後の期待

今回発見した「隠れた保存量」は、スピン軌道相互作用の影響や不純物と電子が衝突しても、電子スピンの情報が失われないことを保証しています。また、「スピン軌道エコー」は、隠れた保存量からスピン情報を戻すことができることを示しています。今まで電子スピンは簡単に向きを変え、全体で打ち消し合って消失すると考えられていたスピン情報が、姿を変えて生き残っていたことは、電場駆動スピントロニクスのデバイス設計の指針を根底からくつがえす発見です。

スピントロニクスデバイスの性能は、電子スピンやスピン流を効率よく作り、それをどのくらい長い距離まで運ぶことができるかで決まります。大きなスピン軌道相互作用を使うことで巨大なスピン流が作れることは既に分かっているので、スピン軌道相互作用が強く働く半導体と弱い半導体をスムースに接合することで電子の感じるスピン軌道相互作用をゆっくり小さくし、その時生じるエコー現象を使うことで、大きなスピン流を効率よく長い距離まで運べると考えられます。さらに電子の電荷にスピンの情報が加わるとより多くの情報を担うため、デバイスの省電力化につながり、小型化、高速化にも道を開くことになります。

本研究結果は、スピントロニクスデバイスに新たな設計指針を与え、従来のエレクトロニクスの限界を超えた新デバイスの実用化に貢献します。

原論文情報

  • N. Sugimoto and N. Nagaosa, “Spin-orbit Echo”, Science 2012
    doi: 10.1126/science.1217346

発表者

理化学研究所
基幹研究所 強相関理論研究チーム
チームリーダー 永長 直人(ながおさ なおと)

お問い合わせ先

(「最先端研究開発支援プログラム」に関する問い合わせ先)
独立行政法人 日本学術振興会 研究事業部
最先端研究助成課 最先端助成係
Tel: 03-3263-1698 / Fax: 03-3237-8307
E-mail:first[at]jsps.go.jp

※上記の[at]は@に置き換えてください。

(研究課題「強相関量子科学」支援全般に関する問い合わせ先)
独立行政法人理化学研究所 基幹研究所
強相関量子科学研究グループ 副グループディレクター兼
強相関研究支援チーム チームリーダー
平林 泉(ひらばやし いずみ)
ホームページ: 強相関量子科学

報道担当

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当
Tel:048-467-9272 / Fax:048-462-4715

独立行政法人科学技術振興機構 広報課
Tel: 03-5214-8404 / Fax: 03-5214-8432

補足説明

  • 1.スピン軌道相互作用
    電荷を帯びた電子の軌道運動が生み出す「磁場」とスピン運動が生み出す「磁気モーメント(磁気の方向性)」の相互作用のこと。電子は、電荷のほかにスピンという物理量を持つ。スピン運動は磁場に応答して磁気モーメント(磁気の方向性)を作る。一方、電荷を持つ電子が原子核の周りを軌道運動することで軌道電流が生じ、磁場ができる。電子の磁気モーメントは、軌道運動の生み出す磁場と互いに力をおよぼし合う。これをスピン軌道相互作用と呼ぶ。
  • 2.スピン
    粒子の持つ量子力学的な内部自由度(粒子を区別する性質)の1つ。しばしば、粒子の自転として解釈される。磁性の根源でもある。電子のスピンは、その向きによってアップスピン状態(右向き回転)とダウンスピン状態(左向き回転)の重ね合わせとして2通りに表現される。
  • 3.スピントロ二クス
    固体中の電子が持つ電荷とスピンの両方を使った電子工学技術のこと。通常のエレクトロニクスは電子の電荷しか使っていないため、電荷の移動によって生じる電子の散乱の影響で、エネルギーの消費が大きい。
  • 4.保存量
    時間が経過しても変わらない量。エネルギーや粒子数が典型例。ただし、外部とやり取りがあると、保存量であっても時間変化してしまう。
  • 5.ムーアの法則
    世界最大の半導体メーカーIntel社の創設者の一人であるGordon Moore博士が1965年に経験則として提唱した「半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する」という法則
  • 6.スピン流
    固体中に流れる電子のスピンの流れ。アップスピンの電子の作る電流とダウンスピンの電子の作る電流の差として定義される。
  • 7.SU(2)ゲージ場
    磁場は、U(1)ゲージ場と呼ばれる光の粒の集まりが作る、渦である。SU(2)ゲージ場はこの概念を拡張したもので、複数種の光の粒の集まりをいう。SU(2)ゲージ場の作る磁場(渦のこと)も複数種存在する。簡単のために、本文中ではゲージ場と磁場を同一視し、単に複数種の磁場と表現した。
  • 8.GaAs(ガリウム-ヒ素)
    ガリウムのヒ化物。半導体素子の材料として多用されている。
  • 9.ラシュバ-ドレッセルハウス模型
    ラシュバ型スピン軌道相互作用とドレッセルハウス型スピン軌道相互作用の働く物質中の電子を記述する模型。ラシュバ型スピン軌道相互作用は物体の構造的な反転対称性の破れがあるときに生じる。一方ドレッセルハウス型スピン軌道相互作用は結晶格子の反転対称性の破れが起源である。前者の典型例はMOS(金属酸化物半導体)構造における2次元半導体であり、後者の典型例は閃亜鉛鉱型半導体である。
    反転対称性の破れとは、空間反転操作を行った物体と元の物体が区別できるとき、反転対称性が破れているという。ここで、空間反転操作とは、右左・前奥・上下をすべてひっくり返すこと。
スピン軌道相互作用下で、電子のスピン(赤色)は不純物(×)に当たって弾性散乱※され、 向きが次々に変っていく様子の図

図1 スピン軌道相互作用下で、電子のスピン(赤色)は不純物(×)に当たって弾性散乱※され、向きが次々に変っていく様子

多数の電子の集団を考えると、スピン軌道相互作用そのものの影響や、固体中の不純物と電子との衝突により、電子スピン(赤矢印)はバラバラの向きを向くので集団全体でみると平均値は0になる(スピン緩和)。一方、スピン緩和を受ける前の情報は、「隠れた保存量」(青矢印)として保存される。大きな水色の矢印は電子の動きを表す。
※弾性散乱とは、散乱の前後でエネルギーが変わらない散乱

スピン軌道エコーの概念図の画像

図2 スピン軌道エコーの概念図

赤矢印が見かけの電子スピン、青矢印が「隠れた保存量」、λはスピン軌道相互作用の強さを表す。(i),(ii),(iii),(iv)では、スピン軌道相互作用の強さは一定。この時、スピン(赤矢印)は互いに打ち消し合って(緩和して)無くなっていくが、「隠れた保存量」は変わらない。その後、スピン軌道相互作用を無限の時間をかけて小さくすれば、「隠れた保存量」は変化しない((v)、(vi)、(vii))。スピン軌道相互作用が0になると、電子スピンの情報の和が隠れた保存量と一致するように回復する。この一連の現象をスピン軌道エコーと名付けた。

スピン軌道エコーの数値シミュレーションの図

図3 スピン軌道エコーの数値シミュレーション

横軸は時間(単位ピコ秒)。赤線が見かけの電子スピンの平均値、青線が「隠れた保存量」を表す。スピンが緩和した後(time=20.0以後(100psec以後に相当))スピン軌道相互作用の強さ(茶色と緑の差)をゆっくり小さくしていくと、「隠れた保存量」も小さくなるが有限に残っている。このとき、電子スピンは0から有限の値へ回復している(スピン軌道エコー)。

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