広報活動

Print

2012年8月8日

独立行政法人理化学研究所
独立行政法人日本原子力研究開発機構

電子スピンから分化したN極とS極のヒッグス転移を磁性体で観測

-磁荷を損失なく運ぶ新しいスピントロニクスの可能性を示唆-

ポイント

  • 絶対温度0.21度で磁性体Yb2Ti2O7が強磁性状態へ転移する様子を観測
  • 転移温度より高温の常磁性状態では、電子スピンのN極とS極が分化
  • 転移温度より低温の強磁性状態では、分化したN極とS極の超伝導状態を示唆

要旨

理化学研究所(野依良治理事長)と日本原子力研究開発機構(鈴木篤之理事長)は、磁性体Yb2Ti2O7絶対温度※10.3度まで冷却すると、電子スピンのN極とS極が分化する証拠の一端を見いだしました。さらに低温の絶対温度0.21度まで冷却すると、N極とS極の一種の超伝導を示唆する強磁性状態に相転移する様子も観測しました。この相転移は、スピンの単極子のヒッグス転移※2として理解できます。これは、理研基幹研究所(玉尾皓平所長)古崎物性理論研究室の小野田繁樹専任研究員、日本原子力研究開発機構量子ビーム応用研究部門のリージェン・チャン研究員(現・台湾成功大学物理学科講師)、ドイツユーリッヒ総合研究機構中性子科学センターのイシ・スー研究員、名古屋大学理学部物理学科の安井幸夫助教(現・明治大学理工学部准教授)らの研究グループによる成果です。

電子は、地球の自転に似た回転(スピン)運動を行い、小さな磁石としての性質を持ちます。通常の磁性体が極低温になると、これら多数のスピンは一定方向にそろって磁気秩序を示します。この場合、スピンの単極子であるN極とS極は、電荷の単極子(+と-)と違って不可分です。しかし、スピンアイス※3と呼ばれる磁性体では、極低温でも磁気秩序が生じません。スピンアイスでは、電子スピンのN極とS極が分化して振る舞い、やがて消滅します。一方、2010年~2012年、理研の小野田専任研究員らは、量子スピンアイス※4と呼ばれる磁性体の存在を理論的に予測し、そこでは単極子がボーズ-アインシュタイン凝縮※5を起こして磁気秩序を示す場合があることを導きました。このとき、単極子は仮想的な電磁場(ゲージ場)と結合するため、ヒッグス機構※2により有限の励起エネルギー(質量)を持ち、電荷をスピン単極子に見立てた超伝導状態と同様な磁気秩序を作り出すことが理論的に予測されます。

研究グループは、量子スピンアイスの性質を持つ磁性体Yb2Ti2O7を極低温まで冷却し、絶対温度0.21度で、N極とS極が分化した状態から、ボーズ-アインシュタイン凝縮した強磁性状態に相転移する現象を観測しました。これにより、スピン単極子がヒッグス転移する証拠の一端を得たことになります。

電流を産業応用に利用するエレクトロニクスでは、電荷がボーズ-アインシュタイン凝縮する超伝導が有用です。今回発見したスピン単極子の凝縮は、磁性体の磁化の制御を利用するスピントロ二クスにおいて超伝導に似た役割を果たすと期待され、基礎と応用の両面で重要な知見となります。

本研究成果は、英国のオンライン科学雑誌『Nature Communications』(8月7日号:日本時間8月8日)に掲載されます。

背景

電流を流さない多くの磁性体では、結晶中のイオンのまわりの電子が、回転(スピン)することによって極めて小さな磁石を形成します。それら多数のスピンは通常、低温で互いに同じ向きにそろった強磁性、または、反対方向に向いて打ち消し合う反強磁性など、一定方向にそろって磁気秩序(対称性の自発的な破れ)を示すようになります。しかし、スピンアイスと呼ばれる物質Dy2Ti2O7やHo2Ti2O7の場合のように、以下に示すような幾何学的フラストレーションが存在すると、磁気秩序の形成が抑制されることがあります。

スピンアイスでは、2つの正四面体が1つの頂点を共有してつながったパイロクロア格子構造をとり、各格子点に電子スピンが局在しています(図1左)。そして、各スピンの取り得る向きは、周囲のイオンや電子との相互作用のために、パイロクロア格子構造の構成単位である正四面体の中心向き(in)か、外向き(out)かのいずれかに強く束縛されています。隣り合う2つのスピンは、相互作用のために極低温でinとoutの対(図1右、黒線)を作ろうとします。ところが、正四面体上のすべての隣り合うスピン対でこれを満たすことは不可能で、フラストレーションが生じます。妥協策として、各正四面体上の4スピンのうち、2つが内向き、残り2つが外向きの、アイス則と呼ばれる最も安定した2-in, 2-out構造を取ろうとします(図1右の上段)。しかし、アイス則を結晶全体で満たすスピン構造には膨大な場合の数があるため、極低温でも磁気秩序を形成することが困難になります。このアイス則状態から1つの電子スピンの向きを反転すると、不安定な3-in, 1-out構造と1-in, 3-out構造の正四面体の対が生じ、それぞれ中心にN極とS極が発生します(図1右の中段)。このN極とS極は、電子スピンから分化した磁化の単極子として認識されてきましたが、スピンアイスでは不安定にしか存在できず、結局消滅してしまいます。

一方、2010~2012年、理研の小野田専任研究員らは、Pr2Zr2O7やYb2Ti2O7などの磁性体に対して、単極子が量子力学に従って運動する「量子スピンアイス」と呼ばれる理論模型を導きました。この模型では、単極子がボーズ-アインシュタイン凝縮を起こすことによって、各スピンの向きがinやoutの向きから傾いた磁気秩序を形成する場合があることを示しました。研究グループは、この量子スピンアイスとしての性質を示す磁性体Yb2Ti2O7を冷却し、単極子が分化しただけの不安定な状態から、凝縮して安定に分布する状態へ転移する様子の観測に挑みました。

研究手法と成果

研究グループは、Yb2Ti2O7の良質な単結晶に、一定方向にスピンの向きをそろえた中性子ビームを入射させ、その散乱の様子から結晶内の電子スピンの状態を詳細に解析しました。まず、絶対温度0.3度で、中性子が散乱された強度を指標として、電子スピン間の相関を測定しました(図2左)。その結果は、量子スピンアイス模型に基づいた理論計算(図2中)と極めて良く一致しました。特に、通常の磁性体が転移温度近傍で示す同心円状の構造(図2右)とは大きく異なり、散乱強度が一定方向に強く依存した尾根のような構造を示しました。これらの結果は、Yb2Ti2O7の転移温度のやや高温側では、N極とS極が分化したように振る舞っていることを示唆しています。また、絶対温度0.21 度以下では、磁気秩序の形成を示す散乱を観測し、さらに、入射した中性子のスピンがランダムになったことから、Yb2Ti2O7が強磁性体になったことを確認しました。転移温度より十分に低温の絶対温度0.03度になると、秩序をもった各電子スピンの向きは、スピンアイスで許される電子スピンの向き(inとout)から大きく傾いていました。この絶対温度0.03度でのスピンの秩序に関する実験結果は、量子スピンアイス模型における絶対零度での理論計算結果と一致することを確認しました。以上の結果は、電荷を帯びた粒子に働く力(クーロン力)と同様な力が単極子に作用する「磁気クーロン液体」から、量子力学に従って単極子がボーズ-アインシュタイン凝縮した強磁性相(ヒッグス相)に相転移したことを意味します(図3)

今後の期待

金属の電気抵抗がゼロになる超伝導現象は応用にも用いられ、転移温度を室温付近まで上昇させることが期待されています。今回見いだした量子スピンアイスにおける強磁性は、磁化の制御をデバイスに利用するスピントロニクスにおいて、磁荷やスピン流を損失なく流すことが可能な物質状態として期待されます。今後、より室温に近い温度でヒッグス転移を示す量子スピンアイス物質が開発されると、革新的な産業技術の展開に貢献します。

原論文情報

  • Lieh-Jeng Chang, Shigeki Onoda, Yixi Su, Ying-Jer Kao, Ku-Ding Tsuei, Yukio Yasui, Kazuhisa Kakurai, Martin Richard Lees.“Higgs transition from a magnetic Coulomb liquid to a ferromagnet in Yb2Ti2O7”. Nature Comunications, 3:992 (2012) ,doi:10.1038/ncomms1989

発表者

理化学研究所
古崎物性理論研究室
専任研究員 小野田 繁樹(おのだ しげき)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
お問い合わせフォーム

産業利用に関するお問い合わせ

理化学研究所 社会知創成事業 連携推進部
お問い合わせフォーム

このページのトップへ

補足説明

  1. 絶対温度
    温度は、熱による分子や原子の運動の激しさの指標なので、下限が存在する。この温度の下限のことを絶対零度と呼び、水の凝固点を温度の基準にした摂氏温度で表すと-273.15 ℃である。絶対零度を温度の基準にし、温度の目盛りは摂氏温度と共通にした温度を絶対温度と呼ぶ。
  2. ヒッグス転移、ヒッグス機構
    1964年に英国の物理学者P.W.ヒッグスが提唱した、ゲージ場と結合した場・粒子が連続対称性を自発的に破って凝縮する際に、有限のエネルギー(質量)を得る機構。その後1974年、S. ワインバーグ、A. サラム、S. グラショウによって、素粒子理論において物質に質量を与える機構として取り込まれた。物性物理においては、米国の物理学者P.W.アンダーソンが、超伝導転移が同様の機構によって記述されることを、1963年にヒッグスとは独立に提唱した。
  3. スピンアイス

    水の立方晶の氷では、頂点を共有する正四面体を構成要素とするパイロクロア格子構造をとる。O2-イオンは各正四面体の中心に位置する。一方、Hイオンは、隣り合う2つのO2-イオンのいずれかと水素結合を形成するため、パイロクロア格子点(正四面体の頂点)の位置から少し変位する。その変位は、2つがO2-イオンを中心とした正四面体の内向き、残り2つが外向きの2-in, 2-outの構造をとる。これはアイス則と呼ばれている。アイス則の満たし方は四面体ごとに6通りあり、さらに巨視的数NのHイオンが存在する場合には(3/2)N/2通りという巨視的な場合の数が残る。
    Hイオンの配位の仕方は、内向きか外向きにしか向けない電子スピンに読み換えることが可能である。これが実現されている磁性体Dy2Ti2O7やHo2Ti2O7などをスピンアイスと呼ぶ。

  4. 量子スピンアイス
    スピンアイスでは、電子スピンは、正四面体頂点からその頂点を共有する2つの正四面体のうちのいずれかの中心に向くように、つまり、inかoutの2つの状態に限られている。一方、スピンの向きがinやoutの向きから傾くことができる場合には、隣接するスピン間でinかoutかのスピンの2状態を反転させる相互作用が量子力学によって付加的に働く。この場合を量子スピンアイスと呼ぶ。
  5. ボーズ-アインシュタイン凝縮
    量子力学に従う粒子の存在確率は、時空間において波のように大きく揺らぐ。なかでも、同一粒子に排他原理が働くフェルミ粒子と、これが働かないボーズ粒子は、量子力学的粒子の典型である。特に、ボーズ粒子の場合は、巨視的に多数の粒子がある安定な状態を占有することができる。これをボーズ-アインシュタイン凝縮と呼ぶ。このときボーズ粒子の波としての性質を表す量子力学的位相が固定され、自発的対称性の破れを生じる。また、粒子の分布確率は時空間においてほぼ固定され、存在確率の揺らぎが抑制される。

このページのトップへ

スピンアイスのパイロクロア結晶構造と、正四面体上の電子スピンの向き

図1スピンアイスのパイロクロア結晶構造と、正四面体上の電子スピンの向き

左:パイロクロア格子構造と呼ばれるスピンアイスの結晶構造と電子スピン(赤丸)
右:パイロクロア格子構造の基本単位である正四面体の頂点に位置する電子スピンの向き

スピンアイスでは、4つの電子磁気モーメント(矢印)はそれぞれ正四面体の中心向き(in)かその逆向き(out)に強く束縛されている。隣り合うスピン対にはスピンを平行にさせようとする力が働くため、inとoutの対(黒線)を好むが、全てを黒線では結べない(幾何学的フラストレーション)。最も安定な2-in, 2-out状態でも、エネルギーが高いin同士、またはout同士の対(緑線)が生じてしまう。また、3-in, 1-outと1-in, 3-outでは、それぞれ磁化のN極、S極の単極子が正四面体の中心にあると見なすことができる。さらに不安定な4-inと4-out状態では、これらの単極子の値はそれぞれ2倍になっている。

絶対温度0.3度における中性子散乱強度マップ

図2 絶対温度0.3度における中性子散乱強度マップ

左:Yb2Ti2O7における実験結果
中:量子スピンアイス模型に基づいた理論計算結果
左:通常の磁性体が示す磁気相転移温度より少し高温での散乱強度マップ

量子スピンアイスの実験結果(左)と理論計算(中)では、どちらも散乱強度が強い部分(赤)は尾根のように伸びている。一方、通常の磁性体(右)では尾根の形状が見られない。

量子スピンアイスにおける概念相図

図3 量子スピンアイスにおける概念相図

スピンアイスHo2Ti2O7, Dy2Ti2O7(赤色矢印)では、量子性が無視でき、古典クーロン液体として振る舞うと考えられている。量子スピンアイスYb2Ti2O7(青色矢印)では、弱い量子性のためクーロン液体から強磁性相(ヒッグス相)に相転移する。磁気クーロン液体領域では、電子磁気スピンのN極(赤球)とS極(青球)は分化した不安定な粒子として振る舞う。強磁性相(ヒッグス相)では、N極とS局は安定した粒子として存在して、スピンをinやoutの向きから傾ける(先端が赤の青矢印)。

このページのトップへ