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2014年1月8日

理化学研究所

新しい抗うつ薬として期待されるケタミンはセロトニン神経系に作用

-即効性と持続性を持つ抗うつ薬のメカニズムの一端を解明-

ポイント

  • 即効性で持続的な抗うつ作用があるケタミンはセロトニン1B受容体に作用
  • ケタミンが「やる気」に関わる2つの脳領域でセロトニン1B受容体を活性化
  • 新しい抗うつ薬の開発、うつ病の画像診断の実現に期待

要旨

理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、新しいタイプの抗うつ薬として注目されている「ケタミン」が、セロトニン1B受容体[1]の活性を“やる気”に関わる2つの脳領域で上昇させることを、サルを対象とした陽電子放射断層画像法(PET)[2]によって明らかにしました。これは、理研ライフサイエンス技術基盤研究センター(渡辺恭良センター長)生体機能評価研究チームの尾上浩隆チームリーダー(イメージング機能研究グループ、グループディレクター兼任)、山中創特別研究員らとスウェーデン カロリンスカ研究所の研究チームによる成果です。

現在一般的に用いられている抗うつ薬は、セロトニン神経系[3]に作用しますが、治療効果が現れるまで数週間かかります。一方、麻酔薬・鎮痛薬として使用されるケタミンは、低用量で既存の抗うつ薬にはない即効性と持続性のある抗うつ効果を示すことが臨床研究で報告されています。ケタミンは、グルタミン酸受容体[4]の1つである「NMDA受容体」に作用しますが、その抗うつ作用のメカニズムは未解明なままです。特に、ヒトと近縁である霊長類を用いてセロトニン神経系に焦点を当てた研究は、ほとんど行われていませんでした。

研究チームはアカゲザルを対象に、ケタミン投与とセロトニン神経系との関係を明らかにするため、PETを用いて脳内でのセロトニン神経系の活性を測定しました。その結果、ケタミン投与後に、セロトニンの受容体の1つ「セロトニン1B受容体」が、“やる気”に関わる脳領域である側坐核と腹側淡蒼球の2つの領域で活性化することが分かりました。さらに、抗うつ効果に密接に関係するもう1つのグルタミン酸受容体「AMPA受容体」の機能を阻害すると、この活性化は見られなくなりました。この結果から、ケタミンの抗うつ効果にはセロトニン神経系とグルタミン酸神経系の2つが密接に関与していることが分かりました。

今回、ケタミンの作用に2つの脳領域のセロトニン1B受容体が深く関与していることが明らかになりました。この成果により、ケタミンの抗うつ作用のメカニズムの解明、ケタミンと同様の即効性と持続性を持つ新しいタイプの抗うつ薬の開発や、この領域に着目した脳機能画像によるうつ病の診断法の実現が期待できます。

本研究の一部は、文部科学省科学研究費補助金 基盤研究(B)の支援を受けて行われ、成果は米国のオンライン科学雑誌『Translational Psychiatry』(1月7日付け:日本時間1月8日)に掲載されます。

背景

うつ病の原因の1つとして、強いストレスなどにより脳内の神経伝達物質であるセロトニンの濃度が低下することが考えられており、現在、脳内のセロトニン濃度を高める薬(セロトニン再取り込み阻害薬)が抗うつ薬として広く使用されています。この薬は効果の発現が遅く、毎日服用しても治療効果が現れるまで数週間かかり、吐き気や神経過敏などの副作用が見られ、このことがうつ病患者の回復を遅らせたり、自殺のリスクを高める要因となっています。最近、麻酔・鎮痛などに使用されているケタミンが、低用量の投与で2時間以内に抗うつ作用を示し(即効性)、その効果が数日間持続すること(持続性)が報告されました。既存の抗うつ薬では効果が低いうつ病の患者にも治療効果が認められたことから、新しいタイプの抗うつ薬として期待されています。

ケタミンは、脳内の神経伝達物質であるグルタミン酸の受容体の1つ「NMDA受容体」に作用します。これまで、ケタミンのうつ病に対する作用メカニズムについて、マウスなどげっ歯類を用いた研究が行われているものの、不明な部分が多い状況です。特に、霊長類を対象とした研究はほとんど行われておらず、ヒトに近い哺乳動物におけるケタミンのセロトニン神経系への影響は不明なままでした。

セロトニンによる神経伝達は、シナプスに存在するセロトニン受容体を介して行われます。複数種あるセロトニン受容体の中でも、セロトニン1B受容体は特にうつ病に関係することが知られています。そこで、研究チームは、セロトニン1B受容体に特異的に結合するPETプローブ[2]([11C]AZ10419369)を新たに合成し、ケタミンがセロトニン神経系に及ぼす影響を調べることにしました。

研究手法と成果

研究チームは、[11C]AZ10419369を用いて4頭のアカゲザルで脳のPET撮影を行いました。その結果、ケタミンの投与により、側坐核と腹側淡蒼球において[11C]AZ10419369のセロトニン1B受容体への結合上昇が見られ、脳の2つの領域でセロトニン1B受容体の活性が有意に上昇していることを発見しました(図1)。この2つの脳領域は、“やる気”つまりモチベーションを作り出す領域であり、うつ病に関連が深いと考えられている神経回路の一部です。

次に、この2つの脳領域でのセロトニン1B受容体が、ケタミンの抗うつ作用と関係しているかを調べました。マウスやラットを用いた実験から、グルタミン酸受容体のもう1つのタイプであるAMPA型受容体の機能を阻害するNBQX[5]を前投与すると、ケタミンの抗うつ作用が失われることが分かっています。そこで、NBQXを前投与したアカゲザルにおいて、ケタミン投与の効果に変化が生じるかを調べました。その結果、側坐核と腹側淡蒼球でのセロトニン1B受容体の活性上昇が見られなくなることが分わかりました(図2)。以上の結果から、この2つの脳領域におけるケタミンのセロトニン1B受容体への作用が、ケタミンの抗うつ作用のメカニズムに重要な役割を持っていると考えられました(図3)。

今後の期待

ケタミンは新しいタイプの抗うつ薬として可能性があると期待されていますが、薬物依存性を持つため、日本ではうつ病患者への投与は認可されていません。しかし、ケタミンの抗うつ作用とセロトニン1B受容体の関連性が示されたことから、今回の成果が即効性と持続性をもつ新しいタイプの抗うつ薬の開発に応用されることが期待できます。また、今回用いた脳内のセロトニン1B受容体のPETによるイメージングは、うつ病の画像診断にも応用できる可能性があります。さまざまな疾患に応じたPETプローブの開発と、それを使った分子イメージング手法による疾患関連分子の動態解析は、創薬・診断技術開発の基盤となるライフサイエンス技術として今後の発展が期待されます。

原論文情報

  • Hajime Yamanaka, Chihiro Yokoyama, Hiroshi Mizuma, Sachi Kurai, Sjoerd J Finnema, Christer Halldin, Hisashi Doi, and Hirotaka Onoe. "A possible mechanism of the nucleus accumbens and ventral pallidum 5-HT1B receptors underlying the antidepressant action of ketamine: a PET study with macaques". Translational Psychiatry, 2014

発表者

理化学研究所
ライフサイエンス技術基盤研究センター 生命機能動的イメージング部門 イメージング機能研究グループ 生体機能評価研究チーム
チームリーダー 尾上 浩隆 (おのえ ひろたか)

お問い合わせ先

独立行政法人理化学研究所
ライフサイエンス技術基盤研究センター
チーフ・サイエンスコミュニケーター 山岸 敦 (やまぎし あつし)
Tel: 078-304-7138 / Fax: 078-304-7112

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.セロトニン1B受容体
    セロトニンを内因性リガンドとする受容体の1種。セロトニンを受け取ることで細胞内にシグナルを送る。近年、うつ病患者の側坐核と腹側淡蒼球においてこの受容体の結合活性が減少するとの報告があり、うつ病との関連性が指摘されている。
  • 2.陽電子放射断層画像法(PET)、PETプローブ
    PET:Positron Emission Tomographyの略。陽電子を放出する放射性同位体を薬などの分子に組み込んで個体に投与し、体内で崩壊して放出されるγ線を測定して分子の体内分布を見る方法。陽電子放出核種である11Cや18Fなどで標識した薬剤(分子)をPETプローブという。
  • 3.セロトニン神経系
    神経伝達物質であるセロトニンを含有する神経細胞とそれを受け取る受容体で構成される神経群の総称。精神障害の治療薬はこの神経系に作用するものが多く、本能行動、情動、認知機能に深く関連することが知られている。
  • 4.グルタミン酸受容体
    グルタミン酸を内因性リガンドとする受容体。グルタミン酸は脳における主要な興奮性神経伝達物質であり、記憶や学習などの脳機能に深く関わっている。この受容体は機能からイオンチャネル型と代謝調節型の2つに分類され、NMDA型とAMPA型グルタミン酸受容体は前者に属している。
  • 5.NBQX
    AMPA型グルタミン酸受容体の拮抗薬。この薬を投与すると、ニューロンを脱分極し興奮させるといったAMPA型グルタミン酸受容体の機能が特異的に阻害される。今回は、ケタミンの抗うつ効果を阻害する点に注目して利用した。
ケタミン投与によりセロトニン1B受容体の有意な結合上昇が認められた部位の画像

図1 ケタミン投与によりセロトニン1B受容体の有意な結合上昇が認められた部位

セロトニン1B受容体に特異的に結合するPETプローブ([11C]AZ10419369)を合成し、それを用いてアカゲザルの脳のPET撮影を行った。4頭のアカゲザルそれぞれにおける[11C]AZ10419369のセロトニン1B受容体への結合上昇の度合いは、右脳・左脳の両方に同等に見られた。そのため、中央点線左側に、上昇度合いを右脳・左脳で平均した解析結果画像と標準化したアカゲザルの脳のMR画像を重ねたものを示し、解剖的な位置を分かりやすくするため、中央の点線右側にMR画像だけを示した。
ケタミン投与によって統計的に有意に結合が上昇した部位、すなわちセロトニン1B受容体が活性した部位を黄色で示す。解析の結果、ケタミンの投与により、側坐核と腹側淡蒼球においてセロトニン1B受容体の活性が有意に上昇していることが分かる。

  • A: 側坐核に結合上昇が観察される。
  • B: 2つ示されている淡蒼球のうち、下側の細長い円が腹側淡蒼球になり、腹側淡蒼球に結合上昇が観察される。
ケタミンによるセロトニン1B受容体活性の上昇に対するNBQX投与の影響の図

図2 ケタミンによるセロトニン1B受容体活性の上昇に対するNBQX投与の影響

側坐核と腹側淡蒼球において、ケタミン投与によりセロトニン1B受容体の活性が有意に上昇した。しかし、NBQXを投与した後にケタミンを投与すると活性の上昇は遮断され、コントロールと同程度の活性しか認められなかった。

ケタミンにおける抗うつ作用の想定されるメカニズムの図

図3 ケタミンにおける抗うつ作用の想定されるメカニズム

ケタミンがNMDA型グルタミン酸受容体に作用した後に、AMPA型グルタミン酸受容体に作用することは知られていた。今回の研究により、ケタミンが側坐核と腹側淡蒼球においてセロトニン1B受容体の活性を上昇させる、という新たなメカニズムが想定された。ケタミンはグルタミン酸性シナプスに作用するだけではなく、セロトニン神経性シナプスに作用することが示唆された。

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