広報活動

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2014年4月9日

理化学研究所

嗅覚神経回路の精緻な配線図の解読に成功

-発生工学と最先端の3次元画像処理技術による成果-

ポイント

  • ゼブラフィッシュ1匹につき1つのニューロンだけを遺伝子操作で可視化
  • 画像処理技術により、別個体に由来するニューロンを標準脳に3次元再構築
  • 動物が環境に応じて適切に行動する神経回路メカニズムの解明に大きな一歩

要旨

理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、モデル脊椎動物のゼブラフィッシュ[1]を用いて、嗅覚神経回路の配線図の解読に成功しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)シナプス分子機構研究チームの宮坂信彦副チームリーダーと吉原良浩チームリーダー、米国マサチューセッツ工科大学らの共同研究グループの成果です。

嗅覚は外界のさまざまな匂い情報を感知するセンサーとしての機能を持っています。1991年、「嗅覚受容体[2]遺伝子」が発見されて以降、匂いの受容メカニズムと鼻から脳への神経配線様式の理解が飛躍的に進みました。しかし、嗅球[3]から高次中枢に至る神経配線図(2次嗅覚回路)の詳細はよく分かっていませんでした。

研究グループは、嗅球ニューロン(嗅球の神経細胞)の軸索の投射パターンを単一細胞レベルの解像度で解析し、2次嗅覚回路の神経配線図を解読しました。まず、遺伝子操作で1匹のゼブラフィッシュでたった1つの嗅球ニューロンを緑色蛍光タンパク質(GFP)[4]で可視化する発生工学的手法を確立しました。さらに、画像レジストレーション法[5]を用いて、別の個体に由来するニューロンの画像を同一の座標軸(標準脳)に変換し、多数の嗅球ニューロンの投射パターンを3次元で再構築することに成功しました。その結果、嗅球に伝えられた匂いの情報が、4つの高次脳領域[6]に伝達され、それぞれの脳領域では、匂い情報が異なる様式で表現されていることが明らかになりました。

この成果は、動物が外界の状況に応じて適切に行動するために、感覚情報を脳内でどのように処理しているのか、という神経回路メカニズム全体の理解に大きく貢献すると期待できます。

本研究の一部は、文部科学省新学術領域研究「神経系の動作原理を明らかにするためのシステム分子行動学」、「細胞機能と分子活性の多次元蛍光生体イメージング」、「多様性から明らかにする記憶ダイナミズムの共通原理」およびヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)の助成金を得て実施され、研究成果は英国のオンライン科学雑誌『Nature Communications』(4月9日付け:日本時間4月9日)に掲載されます。

背景

脳の情報処理メカニズムを理解するためには、その構成要素である1つひとつのニューロン(神経細胞)が、互いにどのように接続しているかを示す神経配線図を解明することが、最も基本的で重要な課題です。生物の全遺伝情報を意味するゲノムという言葉がよく知られていますが、これは「遺伝子」を表す "gene" と「総て」を表す "ome" から造られた言葉です。近年ではこれにならって、脳の全神経配線図を意味するコネクトーム(接続:connect + ome)やプロジェクトーム(投射:project + ome)という概念が提唱され、世界中で生物の全神経配線図の解明に向けて研究が進められています。

嗅覚は外界のさまざまな匂い情報を感知するセンサーとしての機能を持ち、生命活動に重要な役割を果たしています。2004年のノーベル医学生理学賞は、鼻の奥にある嗅細胞の「嗅覚受容体遺伝子」を発見したリンダ・バック博士とリチャード・アクセル博士に贈られました。両博士の発見(1991年)が契機となって、匂いの受容メカニズムと鼻から脳への神経配線様式の理解は、その後飛躍的に進みました。

「匂い」の成分であるさまざまな化学物質は、嗅細胞の嗅覚受容体と結合します。ヒトでは約400種類、マウスでは約1,300種類、魚では約300種類の嗅覚受容体遺伝子がゲノムに存在していますが、個々の嗅細胞は、その中からたった1種類を選択して発現し、特定の化学構造を持つ匂い分子だけを認識します。匂いの情報は、嗅細胞の神経線維(軸索)を介して、嗅球と呼ばれる最初の情報処理中枢に伝わります(図1)。同じ受容体を持つ嗅細胞の軸索は、嗅球表面に並ぶ多くの糸球体[7]のうちの特定の糸球体と接続しています。すなわち、多種多様な匂い分子の情報は、化学構造を基にした「匂い地図」として嗅球に展開されています。一方、動物が匂いを認識し、その種類や質に応じて行動するためには、さらに高次の嗅覚中枢が嗅球の匂い情報を適切に読み取る必要があります。しかし、嗅球から高次中枢への神経配線図の詳細は、これまでよく分かっていませんでした。

研究手法と成果

(1)嗅覚神経回路を可視化したトランスジェニックゼブラフィッシュの作製

研究グループは、クラゲ由来の緑色蛍光タンパク質(GFP)や、サンゴ由来の赤色蛍光タンパク質(RFP)を用いて、嗅球ニューロンの異なる2つの集団を、緑と赤に染め分けたトランスジェニック(遺伝子改変)ゼブラフィッシュを作製しました。嗅球ニューロンから伸長した軸索を観察したところ、終脳腹側部、終脳後方部、手綱核(間脳背側部)、後方結節(間脳腹側部)などの高次脳領域への軸索の投射が観察されました。また、2つの嗅球ニューロン集団は、これらの高次脳領域に対して、異なるパターンで投射することが明らかとなりました。

(2)単一嗅球ニューロンを可視化したゼブラフィッシュの作製

嗅球ニューロンの軸索の投射パターンをより詳細に単一細胞レベルの解像度で解析するために、遺伝子操作により1匹のゼブラフィッシュでたった1つの嗅球ニューロンを可視化する発生工学的手法を確立しました(図2)。酵母の転写調節因子Gal4をコードするDNAと、Gal4によって発現誘導される蛍光タンパク質をコードするDNAを混ぜて、1~4細胞期のゼブラフィッシュ受精卵に微量注入します。発生にともなって細胞分裂が継続的に起きると、外来DNAを保持した細胞と失った細胞が混在したモザイク個体が形成されます。研究グループは、外来DNAの注入と共焦点レーザー顕微鏡による観察を繰り返し、合計約2,600個体のうちから、単一嗅球ニューロンが可視化された約100個体のゼブラフィッシュを同定しました。そして、免疫組織化学法により嗅球ニューロンの形態と脳の構造を丸ごと染め出し、共焦点レーザー顕微鏡で観察しました。その結果、個々の嗅球ニューロンは軸索を複数の高次脳領域に投射することが明らかになりました。

(3)画像レジストレーション法による単一ニューロン画像の変換と3次元再構築

単一嗅球ニューロンの可視化によって得られた画像は、全て別個体のものです。個体ごとの脳の大きさや形の違い、観察時の角度の違いがあるため、このままでは投射パターンの高精度な解析はできません。そこで、3次元画像レジストレーションという技術を用いて、別々の個体のニューロンの画像を同一の座標軸(標準脳)に変換しました(図3)。まず、21匹のゼブラフィッシュの脳の3次元画像について、対応する各画素のシグナル強度を平均化して、基準になる脳画像(標準脳)を作製します。次に、個々の脳画像サンプルの各画素が標準脳のどの位置の画素に対応するのかを計算し、標準脳に配置していきます。

このデータを元にして、別個体に由来するニューロンの画像を、標準脳の座標軸に変換します。それぞれのニューロンを別の色で表現すると、まるで同一個体で複数のニューロンを染め分けたような3次元画像を得ることができます(図4)。嗅球の同じ糸球体クラスターに接続するニューロンや、異なる特定の糸球体クラスターに接続するニューロンなど、任意の組み合わせで3次元再構築し、軸索や樹状突起の空間配置について詳細な解析を行いました。その結果、終脳後方部の中心領域は全ての糸球体クラスターから重複した投射を受けるのに対して、その辺縁領域は特定の糸球体クラスターから特異的な投射を受けることが明らかになりました(図5)。また、他の高次嗅覚中枢(手綱核や後方結節など)もそれぞれ特徴的なパターンで嗅球から投射を受けることが明らかになりました。これらの結果から、化学構造を基にした嗅球の「匂い地図」が、個々の高次中枢では異なる様式で抽出・統合・解読され、さまざまな動物行動と密接に関連した情報(匂いの質など)へと再編成されることが示唆されました(図5)。

今後の期待

嗅覚は多くの動物にとって、個体の生存と種の維持にかかわる重要な感覚です。私たち人間にとっても、匂いは、快・不快の感情を誘起したり、過去の記憶を呼び起こしたり、味覚や食欲を左右したりする重要な役割を持っています。今回ゼブラフィッシュで明らかになった嗅覚神経回路の配線図は、私たち人間を含めた動物が、脳内で感覚情報をどのように処理しているのかを理解する大きな手がかりになると期待できます。また現在、世界中で脳の全神経配線図の解明に向けたプロジェクトが動き始めています。今回用いられた実験手法をさらに改良することで、さまざまな生物の神経配線図解読に向けて、研究がさらに進展していくと期待できます。

原論文情報

  • Nobuhiko Miyasaka, Ignacio Arganda-Carreras, Noriko Wakisaka, Miwa Masuda, Uygar Sümbül, H. Sebastian Seung, Yoshihiro Yoshihara
    "Olfactory projectome in the zebrafish forebrain revealed by genetic single-neuron labeling" Nature Communications, 2014, doi: 10.1038/ncomms4639

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター シナプス分子機構研究チーム
副チームリーダー 宮坂 信彦 (みやさか のぶひこ)
チームリーダー 吉原 良浩 (よしはら よしひろ)

お問い合わせ先

脳科学研究推進室
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-467-4914

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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補足説明

  1. ゼブラフィッシュ

    学名:Danio rerio。インド原産の体長3~5センチメートルほどの小型熱帯魚。飼育が容易で多産。稚魚の体は透明なので、体の内部の発達過程を生きたままで観察することができる。発生工学的な手法を用いると、特定の神経細胞を可視化したり、特定の遺伝子の機能を阻害したりすることができる。

    ゼブラフィッシュの成魚と受精後1日目の稚魚の写真
  2. 嗅覚受容体
    鼻腔に入ってきた匂い分子を認識する受容体。鼻の奥に存在する嗅細胞に発現している。多種多様な「匂い分子」に対応できるように、ヒトでは約400種類、マウスでは約1,300種類、魚では約300 種類の嗅覚受容体がゲノム上に存在している。
  3. 嗅球
    嗅覚の1次中枢として機能する脳の領域。匂いを受容する嗅細胞(感覚神経細胞)の神経線維が直接接続している。
  4. 緑色蛍光タンパク質(GFP)
    オワンクラゲが持つ蛍光タンパク質で、下村脩博士(2008年にノーベル化学賞受賞)によって発見・分離精製された。GFP遺伝子をモデル生物に導入すると、さまざまな臓器や細胞を生きたまま可視化することができる。
  5. 画像レジストレーション法
    場面の異なる同一対象物の複数の画像や、非常に似た複数の対象物の画像について、その位置ずれや歪みを計算し、参照画像(標準座標軸)に対して個々の画像をそろえる処理技術。従来、医療診断画像(MRI画像やCT画像)や衛生画像の位置合わせに利用されてきたが、近年、生命科学の分野でも用いられるようになってきた。
  6. 高次脳領域
    1次中枢から情報を受け取る高次中枢。本研究により、終脳腹側部、終脳後方部、手綱核(間脳背側部)および後方結節(間脳腹側部)がゼブラフィッシュの高次嗅覚中枢として同定された。
  7. 糸球体
    嗅球の表面に並んだ神経線維からなる球状の構造体。1つの糸球体は、同じ嗅覚受容体を発現する嗅細胞に神経支配されており、その受容体と結合する匂い分子の情報を表現している。嗅細胞(1次嗅覚ニューロン)で受容された匂い分子の情報が、糸球体内のシナプスを介して嗅球ニューロン(2次嗅覚ニューロン)へと伝達される。

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嗅覚神経回路の構造と嗅覚行動

図1 嗅覚神経回路の構造と嗅覚行動

鼻腔に入った匂い分子は、鼻の奥にある嗅上皮で嗅細胞によって受け取られる。個々の嗅細胞はたった1種類の嗅覚受容体を発現し、特定の化学構造を持った匂い分子の情報を脳へと伝える。同じ受容体を発現した嗅細胞(青、緑、ピンク)は、軸索を嗅球の同じ糸球体に投射する。糸球体で嗅細胞から入力を受け取った嗅球ニューロンは、その情報をさらに高次嗅覚中枢へ伝える。動物が匂いの種類に応じて行動するためには、高次嗅覚中枢での情報処理が必須だが、嗅球から高次中枢への軸索投射パターンの詳細については解明されていなかった。

単一嗅球ニューロンの発生工学的可視化

図2 単一嗅球ニューロンの発生工学的可視化

蛍光タンパク質を嗅球ニューロンに発現させるために必要な2種類のDNAを1~4細胞期の受精卵に微量注入。約2,600匹の稚魚のスクリーニングから、単一嗅球ニューロンが標識された約100匹の稚魚を同定・解析した。

画像レジストレーション法の画像

図3 画像レジストレーション法

ゼブラフィッシュ稚魚の脳画像(21 個)の平均化により標準脳画像(中央)を作製した。個々の脳画像サンプル(右上)の各画素が標準脳画像のどの位置に対応するのか計算し、標識された単一ニューロン画像(右上、 緑)を標準座標軸に変換した(右下、 緑)。

嗅球ニューロンの3次元再構築画像

図4 嗅球ニューロンの3次元再構築

画像レジストレーションによって標準脳座標に変換された嗅球ニューロンの3次元再構築画像(背側より撮影)。同じ糸球体クラスター(各パネル上部の模式図)に樹状突起を接続する嗅球ニューロンごとに作製した。各画像において、異なる嗅球ニューロンは異なる色で表現されている。

ゼブラフィッシュ2次嗅覚回路の投射マップ

図5 ゼブラフィッシュ2次嗅覚回路の投射マップ

嗅球ニューロンは、終脳腹側部、終脳後方部、手綱核、後方結節に軸索を投射する。これら高次嗅覚中枢は、それぞれ特徴的なパターンで嗅球から投射を受ける。矢印の大きさと色は、各糸球体クラスターからの投射の頻度を示している。また、終脳後方部の中心領域は全ての糸球体クラスターから重複した投射を受け(モザイク柄)、辺縁領域は特定の糸球体クラスターから投射を受ける(青、ピンク、緑、赤)。

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