広報活動

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2014年10月23日

理化学研究所

経験による脳回路の変化を新モデルで予測

-時間スケールの異なる2種類の可塑性の効果を組み込んだ理論モデル-

ポイント

  • 既存のモデルでは、経験による脳回路の変化を説明できないことを確認
  • 2種類の可塑性とそれに関わる分子メカニズムを再現する理論モデルを確立
  • 理論モデルから新しい仮説を立て、それを生理実験により実証

要旨

理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、経験による脳回路の変化を担っている時間スケールの異なる2種類のメカニズム(可塑性[1])が、相互に調節し合いながら働く仕組みを組み込んだ新しい理論モデルを確立しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)神経適応理論研究チームの豊泉太郎チームリーダーと、米国コロンビア大学理論神経科学センター、同大学カブリ脳科学研究所のケニス・ミラー教授、およびカリフォルニア大学サンフランシスコ校の金子めぐみ研究員、マイケル・ストライカー教授らによる共同研究グループの成果です。

私たちが経験を通じて学習できるのは、脳回路内の神経細胞同士のつながりであるシナプス[2]結合の強さが動的に変化する「可塑性」という性質を持つためです。これまでの研究から、脳回路の中で頻繁に使われたシナプス結合がより強くなり、あまり使われなかったシナプス結合がより弱くなるという「ヘッブ型可塑性[3]」によって、学習が進むと考えられてきました。一方で、神経活動が極端に弱まったり、強まったりするのをシナプス結合の強さを調節して防ぐ「整調型可塑性[4]」という仕組みが存在します。しかし、性質の異なる2種類の可塑性がどのように相互作用をして学習が成立するのかは、明らかになっていませんでした。

共同研究グループは、左右の眼からの入力情報のうち、どちらが大脳視覚野において優先的に処理されるかが経験とともに変化する現象(「眼優位性[5]」の可塑性)に着目しました。まず、眼優位性の可塑性を説明するために提唱された既存の理論モデルでは、その可塑性を、忠実には再現できないことを示しました。2種類の可塑性の時間スケールが異なるため、整調型可塑性がその役割を果たさず、神経活動が高くなりすぎたり、低くなりすぎたりしてしまうことが理由です。共同研究グループは理論モデルをより現実に近づけるため、ヘッブ型可塑性と整調型可塑性の時間スケールの違いと、それらを担う分子メカニズムを考慮した新しい理論モデルを考案しました。この新モデルによって、2種類の可塑性に関わる分子の依存性も含め、眼優位性の可塑性の実験結果を忠実に再現することができました。

経験による脳の変化を司る2つの可塑性が相互に調整しながら働くメカニズムが明らかになったことにより、今後、脳の学習や成長のメカニズムの理解が加速することが期待できます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Neuron』(10月22日号)に掲載されます。

背景

私たちは経験を生かしてさまざまなことを学習することができます。これは脳回路内のシナプス結合とよばれる神経細胞同士のつながりの強さが、経験を通じて動的に変化する「可塑性」という性質をもつためです。これまでの研究から、脳回路の中で頻繁に使われたシナプス結合はより強くなり、あまり使われなかったシナプス結合はより弱くなるという「ヘッブ型可塑性」によって、特定の細胞グループが同時に活動しやすくなることが分かっています(図1)。この原理によって、人の姿と声といった別々の感覚や概念が脳内で結びつくと考えられています。

しかし、このヘッブ型可塑性だけでは、時間が経つと回路全体の活性が高すぎたり、低すぎたりして脳回路が不安定な状態になる可能性が指摘されていました。この問題に対して、近年、不安定な状態を補正し、回路全体の活性を安定させる仕組みとして「整調型可塑性」が存在することが示されました(図2)。この仕組みは、個々のシナプス結合の相対的強弱はそのままに、回路全体の活性を調節します。これは、コンピューターのディスプレー上の画像のパターンを変えずに、ディスプレー全体の明暗を、周囲の明るさに応じて変化させる自動調節機能に似ています。ところが、この性質の異なる2種類の可塑性がどのように相互作用して学習が成立するのか、その仕組みは明らかではありませんでした。

共同研究グループは、比較的研究が進み、実験データが豊富な視覚システムに着目しました。大脳皮質の視覚野には両目からの視覚情報を受ける部位がありますが、個々の神経細胞では、どちらか一方の眼からの入力が優位になる場合が多く、これを眼優位性と呼びます(図3左)。生後ある一定の期間に動物の片眼を閉じてしまうと、多くの神経細胞は、閉じている方の眼の情報処理をあまりしなくなり、開いている方の眼の情報処理をし始めます。これを「眼優位性の可塑性」とよびます(図3右)。

この現象は、大脳視覚野の回路のつながりの強弱がヘッブ型可塑性によって変化し、同時に回路全体の活性が整調型可塑性により調節されることで起きています。共同研究グループはこの2種類の可塑性の相互作用を考慮に入れた上で、この「眼優位性の可塑性」を忠実に再現できる理論モデルの構築を目指しました。

研究手法と成果

共同研究グループはまず、これまで、眼優位性の可塑性を説明するために提唱されてきた「BCMモデル[6]」ではその可塑性を忠実に再現できないことを示しました。2種類の可塑性の時間スケールの違いを考慮すると、BCMモデルでは脳回路全体が不安定な状態になってしまい、先にヘッブ型可塑性が起き、しばらくして整調型可塑性が働き、回路全体の活性を安定化させるという実験結果を再現できないことを突き止めました。そこで、2種類の可塑性の分子メカニズムに対応する新しい理論モデルを作りました(図4)。

新理論モデルでは、シナプス結合強度はヘッブ型の変数と整調型の変数の積によって表されます。特にヘッブ型可塑性は短い時間スケールで、「整調型可塑性」はよりゆっくりと長い時間スケールで働き、それぞれ独立に安定状態に達すると仮定したところ、「眼優位性の可塑性」の実験結果を、可塑性に関わる分子の依存性も含め、非常によく再現できることが分かりました。また、共同研究グループは、この理論モデルから以下の2つのことを予測しました。1つは、「従来仮定されていたように、2つの可塑性の影響が釣り合うことによってではなく、2つの可塑性がそれぞれストップすることで学習が終了する」こと、もう1つは「しばらく閉じた眼を再び開くと、2つの可塑性の時間スケールの違いから、それまで閉じられていた眼の応答は一時的に過剰な回復を見せる」ということです。これらの2つの予測について、生理的な検証実験を行ったところ、いずれも正しいことが確認できました。

このことは、今回共同研究グループが構築した理論モデルが既存の理論モデルに比べて、より忠実に眼優位性の可塑性を再現していることを示します。

今後の期待

今回の学習に関する理論モデルは、大脳視覚野の眼優位性の可塑性に着目して確立しましたが、ヘッブ型可塑性と整調型可塑性の相互作用による学習は、さまざまな脳の領域で起きていることが知られています。このため、共同研究グループが確立した新しい理論モデルは、より一般的な学習を忠実に再現できる学習原理である可能性が高いと考えられます。今回の成果により、脳の成長や記憶のメカニズムの理解が進むだけでなく、各種の薬剤が脳の発達障害や学習障害に与える影響をコンピューターを使って予測し、医療現場などにフィードバックしていくことが可能になると期待できます。

原論文情報

  • Taro Toyoizumi, Megumi Kaneko, Michael P. Stryker, and Kenneth D. Miller, "Modeling the dynamic interaction of Hebbian and homeostatic plasticity".Neuron, 2014, doi:10.1016/j.neuron.2014.09.036

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 神経適応理論研究チーム
チームリーダー 豊泉 太郎 (とよいずみ たろう)

お問い合わせ先

脳科学研究推進室
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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産業利用に関するお問い合わせ

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補足説明

  1. 可塑性
    脳科学においては、神経活動に依存した脳の回路の変化、および、それに関連した脳機能の変化のこと。特にシナプスにおいて、そのつながりの強さが可逆的に変化し、その結果、情報の伝わりやすさが可逆的に変化すること。
  2. シナプス
    脳回路において、1つの神経細胞と次の神経細胞がつながる部分。神経細胞の末端に存在するわずかな隙間で、ここを介して情報がやり取りされている。
  3. ヘッブ型可塑性
    Hebbian plasticity。神経細胞同士をつなげるシナプスにおいて、上流の神経細胞の活動の直後に下流の神経細胞の活動が起きることが繰り返されると、そのシナプス結合は増強され、逆にそのような活動が長時間起きないと、そのシナプス結合は減弱するという現象。カナダの心理学者であるドナルド・ヘッブが提唱し、その後ブリス、ロモなどの生理実験で検証された。
  4. 整調型可塑性
    Homeostatic plasticity。神経細胞の活動が大きく低下または上昇したときに、シナプス結合を強化または減衰させることによって神経活動を生理学的に適当な範囲に保つメカニズムのこと。シナプス結合の相対的な強弱を変えずに、全体的な脳回路の活性レベルを調節するシナプススケーリングはこの一例。
  5. 眼優位性
    大脳皮質の視覚野は両目からの視覚入力を受けるが、個々の神経細胞では左右の眼からの入力のバランスが異なる。どちらの眼からの入力が優位であるかの反応選択性を眼優位性と呼ぶ。幼少期の臨界期とよばれる期間には視覚経験によってこの眼優位性が大きく変化する。
  6. BCMモデル
    眼優位性の可塑性を説明するために導入されたシナプス可塑性のモデル。ヘッブ型可塑性の性質と、整調型可塑性の性質を合わせ持つ。学習による神経細胞の応答特性の変化を記述できることから、一般の学習法則としても注目されてきた。

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ヘッブ型可塑性の図

図1 ヘッブ型可塑性

人の姿とその声によって活動した神経細胞が同時に活動することが繰り返されると、声を聞いただけで、その人の姿を連想することができるようになる。このような連想を支えているのがヘッブ型可塑性と考えられている。

整調型可塑性の図

図2 整調型可塑性

整調型可塑性とは生理学的に適当な範囲に保つメカニズムのこと。特にシナプスの相対的な強弱を変えずに全体的な脳回路の活性レベルを調節するシナプススケーリングではヘッブ型可塑性によって成立した個々のシナプスの強度の違いを保持したまま、全体のシナプスの強さを調節する(図は増強される場合)。

眼優位性の仕組みの図

図3 眼優位性

両眼からの情報は、大脳皮質視覚野に送られるが、多くの神経細胞は一方の眼からの情報を優先的に処理するという「眼優位性」を示す。幼少期(特に臨界期と言われる時期)に、片眼を長期間閉じると、閉じた方の眼の情報を処理する神経細胞が少なくなり、弱視(片方の眼がよく見えなくなる症状)の原因となる。

新理論モデル概略図

図4 新理論モデル概略図

シナプス結合の強度wが、ヘッブ型の変数ρと整調型の変数Hの積で表現される。従来のモデルでは、ヘッブ型と整調型の可塑性が両方とも直接wを変化させるため、整調型可塑性のゆっくりとした変化がヘッブ型可塑性の速い変化によって上書きされてしまう。一方、新モデルでは整調型可塑性によるHの変化がヘッブ型可塑性によるρの変化に上書きされることなく蓄積する。この新モデルによって、ヘッブ型可塑性(LTPおよびLTD)および整調型可塑性(homeostatic)に関わる分子(TNF-α、NMDA、 TrkB)依存性まで再現することができる。

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