広報活動

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2015年2月6日

理化学研究所

赤ちゃんに話かけるときは、はっきり発音していない

-大規模音声データを使って乳児に対する音声の明瞭さを解明-

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター言語発達研究チームの馬塚れい子チームリーダー、アンドリュ・マーティン研究員らの共同研究グループは、母親が赤ちゃんに話しかけるときの音声が、大人同士で話すときほど明瞭ではないことを発見しました。

母親は赤ちゃんに話しかけるとき、独特な話し方をします。先行研究では、この母親の独特な話し方の特徴は、はっきりとした発音であると報告されています。話し手の母親が似ている音の違いを強調することで、聞き手の赤ちゃんはその違いを聞き取りやすくなり言語を獲得しやすくなる効果がある、という考え方が定説となっています。

共同研究グループはこの定説について、従来にない大規模な音声データを使って検証を試みました。先行研究では代表的な3組の母音のペアを比較していたのに対して、本研究では母音と子音を含む118組の音のペアについて、赤ちゃんに話しているときと大人同士で会話しているときの違いを比較しました。その結果、大人と話しているときの音声の方が、音の違いを区別しやすい明瞭な音声であることが明らかになりました。

この結果は、母親の赤ちゃんに対する特徴的な音声が、従来考えられていたように、はっきりとした発音をすることで乳児の言語獲得を促進するためというよりは、母親が赤ちゃんの注意を引いたり、母親自身の情動を伝えたりするためであり、赤ちゃんのコミュニケーション能力や認知能力を高める役割があるという、最近報告されている仮説を支持するものです。今後は、母親の赤ちゃんに対する話し方の意義や役割について研究を進めることで、赤ちゃんが言語を習得する過程の解明につながると期待できます。

本研究は、米国の科学雑誌『Psychological Science』のオンライン版(1月28日付け:日本時間1月29日)に掲載されました。

※共同研究グループ

理化学研究所 脳科学総合研究センター 言語発達研究チーム
チームリーダー 馬塚 れい子 (まづか れいこ)
研究員 Andrew Martin (アンドリュ・マーティン)

フランス国立科学研究センター 認知科学 心理言語学研究室
次席研究員 Alejandrina Cristia (アレハンドリナ・クリスティア)

フランス社会科学高等研究院 認知科学 心理言語学研究室
教授 Emmanuel Dupoux (エマニュエル・デュプー)

背景

母親が赤ちゃんに話しかけるとき、その話し方は明らかに変わります。「あんよ」のような赤ちゃん言葉を使うだけでなく、文が短くなったりピッチ[1]の変動が激しくなったりすることが知られています。なぜ母親はこのように話し方を変えるのか。また、この特殊な話し方はどのような役割を果たしているのか。先行研究では、この特殊な話し方の役割についてさまざまな可能性が挙げられています。中でも、言語を学習しやすくするためという定説が広く受け入れられています。「母親は赤ちゃんに向けてその言語の音を一つひとつはっきり発音しており、それによって赤ちゃんがその音を区別しやすくなる効果がある」という説です。

しかし、この定説の根拠は、いくつかの限られた音を選んで比較した小規模な研究の結果でした。例えば、米国のパトリシア・クール(Patricia Kuhl)博士らの1997年の論文では、代表的な3組の母音のペアの音声的距離[2]を測定し、大人同士で会話しているときよりも赤ちゃんに話しかけているときの母音の方が音声的距離が離れていたことから、赤ちゃんに対する音声のほうが明瞭であると結論づけています。しかし、このように限られた音のみの比較では、赤ちゃんに対する音声全体が明瞭であるとは断言できません。本研究では、従来にない大規模な音声データを用いて、「赤ちゃんと会話するときの音声は、大人同士で会話するときの音声よりも明瞭である」という定説を検証しました。

研究手法と成果

共同研究グループは、日本人の母親22人を対象に、自分の赤ちゃん(月齢18カ月から24カ月まで)と自由に遊んでいる状況と、実験スタッフ(大人)と会話をしている音声を録音しました。次に、赤ちゃんと会話しているときの音声のグループと、大人と会話しているときの音声のグループから、それぞれ対応する118組のペアを作り、音声認識アルゴリズムを用いてどちらの会話がより明瞭な音声で行われているのかを比較しました。例えば、赤ちゃんに対する「た」と「だ」の差と、大人に対する「た」と「だ」の差を数値化したのち比較し、その差の大きいほうが明瞭な音声となります。

共同研究グループが用いたアルゴリズムでは、まず音響工学で用いられるメル(MEL)[3]という尺度を用いて音声の複雑な波形を単純な波形に分解します。次に分解した波形ごとに2つの音声の差を計算し、再度1つの複雑な波形の情報として取りまとめることで、総合的に2つの音声の違いを解析します。従来の解析法では、波形のピーク値の2点のみを測定していたのに対し、このアルゴリズムでは音声が持つ情報を数百の音響的パラメーターで解析します。その結果、2つの音声(例えば「た」と「だ」)の違いを精密に測定し、どちらが明瞭な音声であるかを明確することが可能になります(図1)。

測定の結果、大人と話しているときの方が、赤ちゃんに向かって話しているときよりも明瞭な音声で話していることが明らかになりました。つまり、赤ちゃんが普段聞いている音声は、大人同士で会話する際の音声よりも聞き取りにくいということになります。

本研究では、従来にない大規模な音声データを調べることで「赤ちゃんと会話するときの音声は、大人同士で会話するときの音声よりも明瞭である」という定説とは反対の結果が得られ、この定説が成り立たない可能性を示しました。

今後の期待

本研究では、母親が赤ちゃんに話しかけるときの音声よりも、大人同士で会話するときの音声のほうが明瞭だということが分かりました。しかし、母親が何のためにこのような話し方をするのかは、明らかではありません。最近の仮説では、母親の赤ちゃんに対する特徴的な話し方は、赤ちゃんの注意を引いたり母親自身の情動を伝えたりすることで、赤ちゃんのコミュニケーションや認知機能を高める役割があると考えられています。本研究の結果は、この新しい仮説を支持するものです。

今後は、母親の赤ちゃんに対する発話の意義や役割について研究を進めることで、赤ちゃんが言語を習得する過程の解明につながること期待できます。また、今回の結果は日本語に限られていますが、他の言語でも同様の研究を行うことで、赤ちゃんの言語習得過程に言語の違いが与える影響の解明に貢献すると考えます。

原論文情報

  • Andrew Martin, Thomas Schatz, Maarten Versteegh, Kouki Miyazawa, Reiko Mazuka, Emmanuel Dupoux, and Alejandrina Cristia, "Mothers speak less clearly to infants than to adults: A comprehensive test of the hyperarticulation hypothesis", Psychological Science, doi: 10.1177/0956797614562453

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 言語発達研究チーム
チームリーダー 馬塚 れい子
研究員 アンドリュ・マーティン

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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補足説明

  1. ピッチ
    音声の周期波形における周期の間隔。声の高さに影響し、周期が短いほど高い声に、周期が長いほど低い声になる。
  2. 音声的距離
    音声の区別のしやすさを示す数値的尺度。音声的距離が近い音(例:「さ」と「しゃ」)は区別しにくく、音声的距離が遠い音(例:「さ」と「か」)区別しやすいと言われる。
  3. メル(MEL)
    人間の音声知覚に基づくピッチを示す尺度。人間が同じに感じる音程の差がメル尺度では同じ差になることから、人間が感じるピッチの差を正確に表すことのできる尺度と言える。

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概念図

図1 本研究で用いた音声認識アルゴリズムの概念図

音声の持つ複雑な波形を単純な波形に分解する。分解した波形は周波数帯のどこに位置するか分布をとり、2つの音の間で周波数帯毎の数値を比較する。分解前の波形のピーク値のみを比較していた従来法に比べ総合的な解析が可能となり、精度よく音の違いを比較できる。

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