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2015年6月18日

理化学研究所

光遺伝学によってマウスのうつ状態を改善

―楽しかった記憶を光で活性化―

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター 理研-MIT神経回路遺伝学研究センターの利根川進センター長、スティーブ・ラミレス大学院生らの研究チームは、うつ様行動[1]を示すマウスの海馬[2]の神経細胞の活動を操作して、過去の楽しい記憶を活性化することで、うつ様行動を改善させることに成功しました。

一日中気分が落ち込んでいる、何をしても楽しくない、などの症状を示すうつ病は、日本においても入院と外来合わせて約96万人もの患者がいると言われています(厚生労働省による2011年患者調査)。しかしながら、一般的に使われている治療薬の効果は個人差が大きく、うつ病の克服は容易ではありません。研究チームは2014年に、最新の光遺伝学[3]を用いて、マウスの嫌な体験の記憶を楽しい体験の記憶に書き換えることに成功しました。「うつ病では、それまで楽しかったことが楽しくなくなるなど、過去の楽しい体験を正しく思い出せなくなる特徴があります。そこで、過去の楽しい体験の記憶に関わる海馬の神経細胞を直接活性化することで、うつ病の症状を改善できないかと考えたのです。」と研究チームを率いる利根川進センター長は言います。

研究チームは、うつ状態に陥ったマウスの楽しい記憶を人工的に活性化することで、うつ状態を改善できないかと考えました。まず、オスのマウスにメスのマウスと一緒に過ごすという楽しい体験をさせ、その時に活動した海馬の歯状回[4]の神経細胞群を遺伝学的手法により標識[5]しました。次に、そのオスのマウスに体を固定する慢性ストレスを与えることで、マウスは「嫌な刺激を回避する行動が減る」「本来なら好む甘い砂糖水を好まなくなる」といった、うつ様行動を示すことを確認しました。その後、このうつ状態のマウスの海馬歯状回で楽しい体験の記憶として標識された神経細胞群を、光遺伝学の手法により人工的に活性化したところ、驚いたことにうつ状態の改善がみられました。

「今回の研究では、楽しい体験の際に活動した神経細胞群を直接活性化することで、マウスのうつ状態が改善することを初めて示しました。この成果は今後のうつ病の新しい治療法開発に役立つかもしれません。」と利根川センター長は期待しています。

本研究は、英国の科学雑誌『Nature』(6月17日付け:日本時間6月18日)に掲載されます。

背景

ストレスの多い現代社会において、うつ病はよくある精神疾患の一つとなってきています。一日中気分が落ち込んでいる、何をしても楽しくない、などの症状を示すこの病気は、日本においても入院と外来合わせて約96万人もの患者がいると言われています(厚生労働省による2011年患者調査)。しかし、一般的に使われている治療薬の効果は個人差が大きく、うつ病の克服は容易ではありません。また、最近は薬だけではなく、精神療法[6]経頭蓋電磁刺激法[7]といった治療法も試みられていますが、未だ有効な治療法として確立されていません。このように、うつ病の治療法の開発は現代社会における大きな課題となっています。

研究手法と成果

研究チームは2014年に最新の光遺伝学を用いて、マウスの嫌な体験の記憶を楽しい体験の記憶に書き換えることに成功しました注1)。楽しい体験の記憶は、海馬歯状回の特定の組み合わせの神経細胞の活動によって保存されることがわかっています。うつ病には、それまで楽しかったことが楽しくなくなるなど、過去の楽しい体験を正しく思い出せなくなる特徴があります。そこで、研究チームは、「過去の楽しい体験の記憶に関わる海馬の神経細胞を直接活性化することで、うつ病の症状を改善できないか」と考えました。

マウスのような実験動物に、体を動かせないよう固定するストレスを慢性的に与えると、「嫌な刺激を回避する行動が減る」「本来なら好む甘い砂糖水を好まなくなる」といったうつ様行動を示すことが知られています(図1)。

マウスのうつ様行動は、ストレスに対応する意欲を失い希望が持てなくなる、今まで楽しかったことが楽しめなくなる、といったうつ病の患者さんでみられる症状とよく似ています。また、うつ様行動を示すマウスに選択的セロトニン取り込み阻害剤(SSRI)に代表されるようなうつ病の治療薬を投与すると、うつ様行動が改善することから、うつ様行動を示すマウスはうつ病の実験モデルとされています。マウスへの慢性ストレスによって誘発されるうつ様行動を指標に、研究チームは楽しい体験の記憶を直接活性化することによってうつ様行動が改善するかどうかを調べました。

まず研究チームは、オスのマウスにメスのマウスと一緒に過ごすという楽しい体験をさせ、その時に活動した海馬の歯状回の神経細胞を遺伝学的手法により標識しました(図2)。この技術を用いると、楽しい体験で活性化された海馬歯状回の神経細胞でだけ、チャネルロドプシン2(ChR2)[8]と呼ばれる、光をあてると神経活動を活性化させることができる特殊なタンパク質が作られます。

次に、そのオスのマウスに体を固定する慢性ストレスを与えて、「嫌な刺激を回避する行動が減る」「本来なら好む甘い砂糖水を好まなくなる」といったうつ様行動が、実際に引き起こされることを確認しました(図3下の2つのグラフにおいて#で示される差)。驚いたことに、この「うつ状態」のマウスにおいて、楽しい体験の記憶として標識された海馬歯状回の神経細胞群に光をあてて人工的に活性化したところ、「嫌な刺激を回避する行動が再び見られる」「砂糖水を再び好むようになる」といったうつ状態の改善がみられました(図3下の二つのグラフにおいて*,**で示される差)。

さらに調べると、このうつ状態の改善は、海馬歯状回から扁桃体基底外側部[9]を通り、側坐核の外側の殻であるシェル[10]と呼ばれる領域へとつながる回路の活動によるものであることがわかりました。扁桃体は「恐怖」「喜び」といった情動の記憶に関わる領域であり、側坐核はやる気や意欲、さらに報酬をもらった時に感じる喜びなどと関連する領域だと考えられています。したがって、この結果はメスのマウスと一緒にいるという楽しい体験の最中に実際に感じた喜びの記憶や感覚などが細部まで呼び覚まされて、症状の改善につながっていることを示唆しています。

注1)2014年8月28日プレスリリース「光で記憶を書き換える

今後の期待

今回の研究は、楽しい体験の際に活動した神経細胞群を活性化し、楽しい記憶を人工的に思いださせることで、うつ状態が改善することを初めて示しました。この成果は今後のうつ病の新しい治療法開発に役立つかもしれない、と利根川センター長は期待しています。

うつ病研究に詳しい理化学研究所脳科学総合研究センター精神疾患動態研究チームの加藤忠史チームリーダーは「うつ病では楽しかったことも楽しかったと思えなくなるが、回復するとそうした体験も思い出せることから、発病している間は楽しい記憶を楽しいものとして想起できなくなっている可能性がある。本成果は、ポジティヴな体験の記憶痕跡を刺激することで、ストレスから生じるうつ様行動が回復することを示した画期的な研究。すぐに人に応用できるものではないが、記憶という最も研究の進んだ精神機能を手がかりに、うつ病という複雑な精神現象に取り組むことができる可能性を示す重要な知見だ。」と話しています。

今のところ、ヒトの楽しい記憶を細部まで再現するような神経細胞の活性化技術はまだ確立されていませんが、今後このような技術の開発を進めることで、うつ病の新しい治療法の開発につながることが期待されます。

原論文情報

  • Steve Ramirez, Xu Liu, Christopher J. MacDonald, Anthony Moffa, Joanne Zhou, Roger L. Redondo & Susumu Tonegawa, "Activating positive memory engrams suppresses depression-like behavior", Nature 2015, doi: 10.1038/nature14514

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 理研-MIT神経回路遺伝学研究センター
センター長 利根川 進(とねがわ すすむ)
博士課程 Steve Ramirez(スティーブ・ラミレス)

利根川 進センター長の写真 利根川 進
スティーブ・ラミレス博士課程の写真 スティーブ・ラミレス

お問い合わせ先

理化学研究所 脳科学研究推進室
pr [at] riken.jp(※[at]は@に置き換えてください。)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.うつ様行動
    動物がストレスを与えられた時にとる行動変化で、ヒトのうつ病症状との類似性から、うつ病の実験モデルの指標として用いられる。具体的には動物にとって嫌な刺激から逃れようとする回避行動が減少したり(意欲の低下による行動変化)、本来好む甘い砂糖水を好まなくなる(unhedonia:無快楽症状)、といった行動変化をいう。
  • 2.海馬
    側頭葉に位置し、タツノオトシゴのような形をした脳の領域。大脳辺縁系の一部であり、記憶に関わる。
  • 3.光遺伝学
    光感受性タンパク質を、遺伝学を用いて特定の神経細胞群に発現させ、その神経細胞群に局所的に光を当てて活性化させたり、抑制したりする技術。
  • 4.海馬歯状回
    海馬体の一領域で、海馬体の各領域を結ぶ三シナプス性回路の次のステップを担う。文脈恐怖条件付け学習やパターン分離などに必要であるとされる。
  • 5.標識
    神経が活動するとその発現が誘導される性質の遺伝子(この研究では、c-fos遺伝子)の調節領域と標識する期間を限定させる特殊な誘導システム(Tet-offシステム)を用いて、実験者が標識したい期間に活動した神経細胞でのみ、特定の遺伝子(この場合は光感受性タンパク質遺伝子ChR2)を発現させることができる。
  • 6.精神療法
    心理学的手法を用いて精神疾患の改善を目指す治療法。患者の話を共感的に傾聴する支持的精神療法や、患者自身の考え方の特徴に気づきその変化を促す認知療法などが有名である。
  • 7.経頭蓋電磁刺激法
    磁場の変化によって生じる弱い電流を脳組織内に誘起させることで、非侵襲的に脳内の神経細胞の活動を操作する方法。
  • 8.チャネルロドプシン2(ChR2)
    特定の波長の光が当たると開くイオンチャネルの一種で、青色光照射により神経細胞の活動が誘発されるため、狙ったタイミングで神経細胞の活動を人為的に活性化できる。
  • 9.扁桃体基底外側部
    扁桃体は情動記憶に関わる脳領域で、大脳辺縁系の一部。いくつかの領域にさらに分けられ、中でも基底外側部は情動刺激と周りの状況を結びつける際に重要な役割を果たすことが示されている。
  • 10.側坐核シェル
    側坐核は報酬や快感などに関与する脳領域で、依存症などにも関係することがわかっている。側坐核内はさらに構造的にも機能的にも異なるコアとシェルという領域に分かれており、情動に関わるのはシェルとされている。
マウスのうつ様行動の図

図1 マウスのうつ様行動

マウスの体を一定時間拘束するというストレスを与えると、マウスは尾でつるされるといった嫌な刺激を回避するためにもがく行動が減る、本来なら好む砂糖水を好まなくなる、といったうつ様行動を示す。

楽しい体験の記憶細胞群の標識方法の図

図2 楽しい体験の記憶細胞群の標識方法

メスと過ごして楽しい体験をした時に活動する神経細胞だけに、チャネルロドプシン2(ChR2)というタンパク質を作らせることで、この体験に対応する記憶痕跡の細胞群を標識できる。

楽しい記憶の活性化によるうつ様行動の改善の図

図3 楽しい記憶の活性化によるうつ様行動の改善

マウスを4つのグループに分ける:1—楽しい思い出を標識し、ストレスを与えてうつ状態にするグループ、2−楽しい思い出を標識し、ストレスを与えないグループ、3−マウスにとって中立な環境にいる時の記憶(中立な思い出)を標識し、ストレスを与えてうつ状態にするグループ、そして4−嫌な思い出を標識し、ストレスを与えてうつ状態にするグループ。グループ1と2では、さらに、標識した細胞を活性化できるチャネルロドプシン2を発現させ記憶痕跡を操作する群と、しない群の2群に分けた。合計6つの群のマウスに、光をあて標識された神経細胞群を活性化する時としない時の行動変化を、マウスの尾を固定し逆さにぶら下げ、そこから逃れようと動く時間を計測するテイルサスペンジョンテストと砂糖水嗜好度テストにおいて観察した。ストレスを与えられた群は(黄、赤、灰、黒)ストレスなしの群(青、緑)に比べて、嫌な刺激を回避しようとした時間が短く、また砂糖水を摂取した割合が低くなっており、うつ様行動を示した(2つのグラフで#に示される差)。その4つの群のうち楽しい思い出を活性化した時だけ(黄)、それぞれの行動がストレスなしの群(青、緑)レベルまで改善した(2つのグラフで黄色の*、**で示される差)。

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