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2015年8月21日

理化学研究所

凍ったスピンをさらに冷やして量子効果で液体に融かす

-電流を流すことなく磁性体中のスピンを制御する可能性を示す-

要旨

理化学研究所(理研)古崎物性理論研究室の小野田繁樹専任研究員(創発物性科学研究センター量子物性理論研究チーム兼務)らの研究チームは、スピンアイス[1]と呼ばれる磁性体の関連物質を徐々に冷却した際、凍結しかけた電子スピンが集団的に量子力学的ゼロ点振動(絶対零度においても粒子が振動し続ける現象)を始めることで「量子スピン液体」に融解することを、厳密な数値シミュレーションによって明らかにしました。また、このスピンの集団的運動は仮想的な光子として振る舞うことも分かりました。

通常の磁性体では、無数個の電子の自転(スピン)自由度が相互作用することで、低温でスピン秩序が出現します。しかし、電子スピン間の相互作用ネットワークがフラストレーションを有する場合には、スピン秩序の形成が抑制されます。特に、スピンアイスと呼ばれる磁性体では、微視的磁石としてのスピンのN極・S極(単極子)が分化し、スピンが凍結した状態となります。単極子を分化させたまま、スピンを凍結・秩序化させることなく絶対零度[2]に向けて冷却することができれば、量子スピン液体と呼ばれる新しい状態が実現する可能性があることが提唱されており、詳細な数値シミュレーションによってその確証を得ることが課題となっていました。

研究チームは、数値的に厳密なシミュレーション手法によってスピンアイスが量子スピン液体へ融解する様子を、初めて具体的に示しました。あらゆる電子スピンは、冷却とともにアイス則[1]を満たす準安定なスピン構造に一旦陥ると凍結してしまいます。しかし、冷却を続けていくことで、凍結したスピンの集団運動が量子効果により顕在化し、アイス則を満たしつつ凍結はしない量子スピン液体へと融解することが分かりました。また、量子スピン液体は磁化の単極子を電荷に見立てた場合の絶縁体に相当する性質を示すことや、スピンの集団的運動が量子電磁気学での光子と同様の性質を示すことを明らかにしました。量子スピン液体は、電気を運ばない磁性体において、分化した単極子を制御することで磁性を制御できる可能性があります。量子スピン液体を実験的に実現すれば、電流を流すことなく磁性を制御する新しい機構を提供することが期待されます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』(8月14日号)に掲載されました。

※研究チーム

理化学研究所 古崎物性理論研究室
専任研究員 小野田 繁樹 (おのだ しげき)(創発物性科学研究センター 強相関物理部門 量子物性理論研究チーム兼務)

創発物性科学研究センター 強相関物理部門 量子物性理論研究チーム
特別研究員 加藤 康之 (かとう やすゆき)(研究当時)(現 東京大学 工学部物理工学科 助教)

背景

電流を流さない多くの磁性体では、結晶を構成するイオンの周りに局在した電子が、自転(スピン)することによって極めて小さな磁石を形成します。スピンは通常、磁性体を低温にすることで、互いに同じ向きにそろった強磁性、または、反対方向に向いて打ち消し合う反強磁性など、一定方向にそろった磁気秩序を有する状態に転移します。しかし、磁性体の結晶構造に幾何学的な制約が加わる場合、磁気秩序の形成が抑制されることがあります。

スピンアイスと呼ばれる磁性体は、2つの正四面体が1つの頂点を共有してつながったパイロクロア格子構造をとり、各格子点に電子スピンが局在しています(図1左)。各スピンの向きは、周囲のイオンや電子との相互作用の影響で、パイロクロア格子構造の基本単位である正四面体に対して中心向き(in)か、外向き(out)かのいずれかに強く束縛されています。隣り合う2つのスピンは、相互作用のために極低温でinとoutの対(図1右、黒線)を作ろうとします。ところが、正四面体上のすべての隣り合うスピン対でこれを満たすことは不可能で、結晶構造に幾何学的な制約が生じます。妥協策として、各正四面体上の4スピンのうち、2つがin、残り2つがoutとなる最も安定した2-in, 2-out(アイス則)構造を取ります(図1右の上段)。さらに、アイス則状態から1つの電子スピンの向きを反転すると、不安定な3-in、1-out構造と1-in, 3-out構造の正四面体の対が生じ、それぞれ中心にN極とS極が発生します(図1右の中段)。このN極とS極は、電子スピンから分化した磁化の単極子として認識されています。

2010から2012年にかけて小野田らは、上述したスピンアイスの単極子が、量子力学に従って運動する理論模型[3]を導きました注1)。一方、スピンアイスのように単極子を分化させたまま、スピンを凍結や秩序化をさせることなく絶対零度に向けて冷却することができれば、量子スピン液体と呼ばれる新しい物質状態を実現する可能性が理論的に提唱されています。しかし、詳細な数値シミュレーションによってその確証を得ることが課題となっていました。

注1) 2012年8月8日プレスリリース「電子スピンから分化したN極とS極のヒッグス転移を磁性体で観測

研究手法と成果

研究グループは、スピンアイスの単極子が量子力学に従って運動する最も簡単な理論模型に対して、量子モンテカルロ法による数値シミュレーションを行いました。この計算手法は、近似などを用いないため、統計誤差・数値精度の範囲で厳密です。

対象とした理論模型を冷却していくと、まずアイス則を満たすスピンアイスとして凍結していきます。この温度領域では、電子スピンから分化した単極子は長い時間スケールでは消失することがシミュレーションで示されました。これは、単極子の絶縁体が実現していることを意味します。また、1つだけN極とS極の単極子の対を生成した際、両者に静的な磁気クーロン相互作用がはたらいていることも、中性子を入射することで電子スピンが散乱した異方的な空間パターンのシミュレーション結果(図2左)から分かりました。

さらに、冷却を続けることでこの空間パターンにおける尾根状の異方的な構造が減衰し、窪みが発達することが分かりました(図2右)。これは、極めて遅い速度(光速のおよそ1/109)をもった仮想的な光子がスピンの集団励起として出現し、スピンアイスが「量子スピン液体」へと融解したことを示します(図3)。通常、氷を溶かすには加熱を要します。しかし、スピンアイスは、より冷却することで、量子効果によって集団的な量子力学的ゼロ点振動(絶対零度においても粒子が振動し続ける現象)を始め、量子スピン液体へと融解することが、今回の厳密なシミュレーションによって示されました。

今後の期待

研究チームは、数値的に厳密なシミュレーション手法によって、スピンアイスが量子スピン液体へ融解する様子を、初めて具体的に示しました。これは、磁性体中において仮想的な光子が出現すること、つまり、仮想的な量子電磁気学が出現することをシミュレートした稀有な例です。この磁性体中に創出された量子電磁気学では、電子そのものではなく、電子スピンの単極子が粒子としての中心的な役割を果たします。エレクトロニクスでは電子を制御することによってデバイスを実用化していますが、量子スピン液体物質が実現すれば、電気を運ばない磁性体においても単極子の制御によってデバイスを構築できる可能性があります。特に、電流を流すことなく磁性体中のスピンを低損失で制御できることが期待されます。

原論文情報

  • Yasuyuki Kato, Shigeki Onoda, "Numerical evidence of quantum melting of spin ice: Quantum-to-classical crossover", Physical Review Letters, doi: 10.1103/PhysRevLett.115.077202

発表者

理化学研究所
主任研究員研究室 古崎物性理論研究室
専任研究員 小野田 繁樹 (おのだ しげき)
(創発物性科学研究センター 強相関物理部門 量子物性理論研究チーム兼務)

小野田専任研究員

発表者の小野田専任研究員

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補足説明

  1. スピンアイス、アイス則

    水の六方晶の氷では、頂点を共有する正四面体を構成要素とするパイロクロア格子構造をとる。O2-イオンは各正四面体の中心に位置する。一方、Hイオンは、隣り合う2つのO2-イオンのいずれかと水素結合を形成するため、パイロクロア格子点(正四面体の頂点)の位置から少し変位する。その変位は、2つがO2-イオンを中心とした正四面体の内向き、残り2つが外向きの2-in, 2-outの構造をとる。これはアイス則と呼ばれている。アイス則の満たし方は四面体ごとに6通りあり、さらに巨視的数N個のHイオンが存在する場合には(3/2)N/2通りという巨視的な場合の数が残り、Hイオンあたりの氷の残留エントロピー(R/2)log(3/2)を有する。Hイオンの配位の仕方は、内向きか外向きにしか向けない電子スピンに読み換えることが可能である。これが実現されている磁性体Dy2Ti2O7やHo2Ti2O7などをスピンアイスと呼ぶ。

  2. 絶対温度
    温度は、熱による分子や原子の運動の激しさの指標なので、下限が存在する。この温度の下限のことを絶対零度と呼び、水の凝固点を温度の基準にした摂氏温度で表すと-273.15℃である。絶対零度を温度の基準にし、温度の目盛りは摂氏温度と共通にした温度を絶対温度と呼ぶ。
  3. スピンアイスの単極子が量子力学に従って運動する理論模型
    スピンアイスでは、電子スピンは、正四面体頂点からその頂点を共有する2つの正四面体のうちのいずれかの中心に向くように、つまり、inかoutの2つの状態に限られている。一方、スピンの向きがinやoutの向きから傾くことができる場合には、隣接するスピン間でinかoutかのスピンの2状態を反転させる相互作用が量子力学によって付加的に働き、単極子が運動する。この、スピンアイスの単極子が量子力学に従って運動する理論模型を量子スピンアイスと呼んでいる。六方晶の氷でも、実際には量子効果は存在する。水素イオンHが単独でinからoutへと量子力学的に遷移することが可能である。

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パイロクロア格子構造とその基本単位である正四面体の電子スピンの向きの図

図1 パイロクロア格子構造とその基本単位である正四面体の電子スピンの向き

左:スピンアイスのパイロクロア格子構造と電子スピンの位置(赤丸)

右:パイロクロ格子構造の基本単位である正四面体の電子スピン構造
スピンアイスでは、4つの電子磁気モーメント(右図内の矢印)は、それぞれ正四面体の中心向き(in)か、その逆向き(out)に強く束縛されている。隣り合うスピン対には、スピンを平行にさせようとする力が働くため、inとoutの対(黒線)を好むが、全てを黒線では結べない(幾何学的フラストレーション)。最も安定な2-in, 2-out状態でも、エネルギーが高いin同士、または、out同士の対(緑線)が生じてしまう。また、3-in, 1-outと1-in, 3-outでは、それぞれ磁化のN極の単極子(右図内赤丸)、S極の単極子(右図内青丸)が正四面体の中心にあると見なすことができる。さらに不安定な4-inと4-out状態では、これらの単極子の値はそれぞれ2倍になっている。

中性子の照射によって電子スピンを散乱させた際の散乱強度の空間変調パターンの図

図2 中性子の照射によって電子スピンを散乱させた際の散乱強度の空間変調パターン

磁化の単極子が分化して、スピンがアイス則を満たした構造に凍結しかけた低温領域(左)では、特殊な方向に散乱強度が強い尾根状の構造が現れる。アイス則を満たす多数の異なるスピン構造の間を量子力学的に遷移している最低温領域(右)のスピン液体状態では、尾根状のパターンが消失し、窪みが現れる。このパターンは、極めて低速の「光子」が存在すると仮定した場合に得られるものとほぼ一致する。右側の散乱強度はカラースケールを示す。

凍結した電子スピンと融解した電子スピンの図

図3 凍結した電子スピンと融解した電子スピン

左、右:アイス則を満たしたまま凍結した電子スピン(実線矢印)の構造の例。
中央:スピンの集団ゼロ点振動によって融解した電子スピンの液体状態。
スピンの量子力学的集団運動(中央)によって、アイス則を満たした2つ異なるスピン構造(左右)の間を遷移することが可能となる

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