広報活動

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2016年1月20日

理化学研究所

細胞内シグナルのアナログ・デジタル変換

-細胞運命決定をつかさどるシグナル分子のデジタルな核移行応答を発見-

要旨

理化学研究所(理研)生命システム研究センター生化学シミュレーション研究チームの新土優樹研修生(大阪大学大学院 生命機能研究科 博士課程)と高橋恒一チームリーダーらの共同研究グループは、細胞の運命決定をつかさどるERK[1]シグナルのアナログ・デジタル変換の仕組みを明らかにしました。

多細胞生物は、発生や成長、傷の修復などを行うため、その細胞は常に増殖や分化、生存、細胞死などを繰り返しています。このような「細胞運命決定」を制御するシグナル伝達分子の1つにERKと呼ばれるタンパク質があり、生体内で広く発現・機能しています。細胞運命決定とは、細胞が受けた刺激(情報)をもとに「増殖するかしないか」、「分化するかしないか」を決めるという、本質的にはデジタル(0か1)な現象です。そのため、ERKはある閾値でON/OFFを切り替えるスイッチのように働くと考えられました。一方で、ERK活性化の指標であるリン酸化[2]ERKの量は刺激の強度と相関するアナログな現象であることが知られています注1)。したがって、ERKのリン酸化というアナログなシグナルが何らかの仕組みによってデジタルなシグナルに変換されると予想されます。しかし、その仕組みは不明でした。

共同研究グループは、ERKがリン酸化によって活性化された後に「細胞質から核へ局在する過程(核移行)」に着目しました。そして、ライブイメージング[3]免疫染色[4]を用いることで、ERKの核移行を観察しました。その結果、ERKの核移行応答には閾値があり、その前後でスイッチ的に起こることが分かりました。すなわち、ERKのシグナルは核移行の過程でアナログからデジタルに変換されることを発見しました。また、核膜孔複合体[5]を構成するヌクレオポリン[6]がERKのデジタルな核移行応答に重要であることも分かりました。

このメカニズムの原理を利用することで、今後は細胞の運命を人為的に操作するなどの応用が期待できます。

本研究は、科学研究費補助金(特別研究員奨励費)、HPCI戦略プログラム分野1「予測する生命科学・医療および創薬基盤」の支援により行われました。

成果は、英国のオンライン科学雑誌『Nature Communications』(1月20日付、日本時間1月20日)に掲載されます。

注1) Whitehurst et al., Mol. Cell. Biol. 24, 10145-10150, 2004; MacKeigan et al., Mol. Cell. Biol. 25, 4676-4682, 2005

※共同研究グループ

理化学研究所
生命システム研究センター 生化学シミュレーション研究チーム
研修生 新土 優樹(しんど ゆうき)(大阪大学大学院 生命機能研究科 博士課程)
チームリーダー 高橋 恒一(たかはし こういち)

佐甲細胞情報研究室
主任研究員 佐甲 靖志(さこう やすし)

徳島大学 藤井節郎記念医科学センター 細胞情報学分野
教授 小迫 英尊(こさこ ひでたか)

背景

細胞は環境からさまざまな情報(刺激)を受け取り、適切に応答します。例えば、発生の進行や傷の治癒のために増殖したり、神経系や免疫システムの構築のために分化したり、組織形成や新陳代謝のために死んだりします。ほ乳類の細胞において、このような「細胞運命決定」を制御するシグナル伝達分子の1つがERKと呼ばれるタンパク質です。ERKは生体内で広く発現・機能するタンパク質であり、がん化や神経変性疾患(アルツハイマー病など)といったさまざまな疾患とも関係します。そのため、ERKの制御メカニズムを理解することは生物学的な意義だけでなく、創薬や医学の観点からも重要です。

細胞運命決定とは、細胞が受け取ったシグナルをもとに「増殖するかしないか」、「分化するかしないか」、「生存するか死ぬか」を決めるという、本質的にはデジタル(0か1)な現象です。したがって、それを制御するERKのシグナルもデジタルであると考えられました。ところが、実際には、ERK活性化の指標であるリン酸化ERKの量は刺激の強度と相関するアナログな現象であることが知られています。このように、ERKシグナルの応答特性と細胞生理との間には、一見すると矛盾とも思えるようなギャップが存在していました。

共同研究グループは、リン酸化とは別の過程にERKシグナルをアナログからデジタルに切り替えるメカニズムが存在するのではないかと考えました。具体的には、ERKのリン酸化に引き続いて起こる「細胞質から核への局在変化(核移行)」に着目しました。ERKの酵素活性はリン酸化の有無によって制御されていますが、ERKによる細胞運命制御には核移行が必要であることが知られています注2)。つまり、核移行をERK活性化の指標として考えることができます。そこで共同研究グループは、核移行という観点からERKシグナルのアナログ・デジタル変換を研究することにしました。

注2) Brunet et al., EMBO Journal 18, 664-674, 1999

研究手法と成果

共同研究グループは、まず、ERKのリン酸化シグナルがアナログであるという先行研究の結果を追試しました。ラット由来の培養細胞であるPC12細胞に、EGF[7]と呼ばれる成長因子[7]をさまざまな濃度で与え、各条件におけるリン酸化ERKの量を解析しました。その結果、従来の報告通りERKのリン酸化は確かにアナログな応答を示すことを確認しました(図1)。

次に、ERKのリン酸化に引き続いて起こる細胞質から核への局在変化をライブイメージングにより観察し、核移行がどのような応答を示すのかを解析しました。その結果、リン酸化応答とは対照的に、ERKの核移行応答には閾値が存在し、その前後で核移行はスイッチのように誘導されることが明らかになりました。(図2)。つまり、ERKのリン酸化というアナログなシグナルは、核移行の過程でデジタルなシグナルに変換されるということが分かりました。また、ERKの応答はEGFとは異なる種類の成長因子(NGF[7]など)でも誘導されますが、NGFに対しても同様の結果が得られることを確認しました。

さらに、これらの現象がヒトの細胞でも見られるかを検討するため、HeLa細胞と呼ばれるヒト由来の培養細胞を用いて、EGFへの応答を解析しました。その結果、リン酸化はアナログな応答を示すのに対し、核移行はデジタルな応答を示すことを確認しました。これは、核移行によるERKシグナルのアナログ・デジタル変換が、ラットだけでなくヒトの細胞でも起きる一般性の高い現象であることを示しています。

最後に、ERKシグナルのアナログ・デジタル変換の背後にある分子メカニズムについても検討しました。阻害剤を用いた実験から、ERKシグナルのアナログ・デジタル変換にはERK自身のリン酸化酵素活性が必要であることが明らかになりました。また、in vitroにERKの核移行を再構成した実験から、細胞質と核の出入口に相当する核膜孔複合体を構成するヌクレオポリンの一部がERKによってリン酸化されると、ERKの核移行速度が速くなることも分かりました。さらに、数理モデル[8]ノックダウン実験[9]を用いた解析によって、確かにヌクレオポリンがERKのデジタルな核移行応答に重要であることが示されました。

今後の期待

共同研究グループは、ほ乳類細胞の細胞運命決定に関わるERKシグナルのアナログ・デジタル変換の仕組みを明らかにしました。この変換メカニズムの原理を利用することで、今後は細胞運命を人為的に操作するなどの応用が期待できます。

原論文情報

  • Yuki Shindo*, Kazunari Iwamoto, Kazunari Mouri, Kayo Hibino, Masaru Tomita, Hidetaka Kosako, Yasushi Sako, and Koichi Takahashi* * Co-corresponding author, "Conversion of graded phosphorylation into switch-like nuclear translocation via autoregulatory mechanisms in ERK signalling", Nature Communications, doi: 10.1038/ncomms10485

発表者

理化学研究所
生命システム研究センター 生命モデリングコア 生化学シミュレーション研究チーム
研修生 新土 優樹 (しんど ゆうき)
(大阪大学大学院 生命機能研究科 博士課程)
チームリーダー 高橋 恒一 (たかはし こういち)

新土 優樹研修生の写真

新土 優樹

高橋 恒一チームリーダーの写真

高橋 恒一

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

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補足説明

  1. ERK
    細胞内のシグナル伝達タンパク質の1つ。細胞が成長因子などの刺激を受けると、それを伝える経路の上流のリン酸化酵素によってリン酸化され活性化される。ERK自身もリン酸化酵素であり、転写因子を含むさまざまな基質をリン酸化することで、細胞増殖や分化、生存、細胞死など細胞の機能発現に関係する。ERK は、Extracellular signal-Regulated Kinaseの略。
  2. リン酸化
    タンパク質の可逆的な翻訳後修飾の1つで、細胞内の情報伝達にしばしば利用される。リン酸化を触媒する酵素をキナーゼ、脱リン酸化を触媒する酵素をフォスファターゼと呼び、これらの働きによってシグナル伝達分子のリン酸化が調節され情報伝達が行われる。
  3. ライブイメージング
    生きた細胞のさまざまな活動を継時観察すること。特にGFPなどの蛍光マーカーを用いて特定の細胞や組織を標識し、蛍光顕微鏡でその動きや変化を詳細に観察することができる。
  4. 免疫染色
    抗体を用いて細胞などのサンプル中における抗原(タンパク質など)を検出する手法。検出したいタンパク質に対する抗体を用いることで、興味のあるタンパク質がサンプル中のどこにどのくらいの量存在するのかを知ることができる。
  5. 核膜孔複合体
    巨大なタンパク質複合体であり、核膜孔を構成する。細胞質と核は核膜によって隔てられており、核内外の分子輸送は核膜孔を介して行われる。
  6. ヌクレオポリン
    核膜孔複合体を構成するタンパク質の総称。約30種類存在し、核膜孔複合体内での位置によって分類される。核膜孔複合体は対称性の高い構造をしていることから、1つの核膜孔複合体内には複数コピーのヌクレオポリンが存在する。
  7. 成長因子、EGF、NGF
    成長因子とは細胞を活性化し増殖させるペプチド性因子。EGFとNGFはその1つ。EGFは細胞の成長や増殖を制御し、NGFは神経細胞分化や神経突起の伸長を制御する。EGFとはEpidermal Growth Factorの、NGFとはNerve Growth Factorの略。
  8. 数理モデル
    細胞内の反応を主に微分方程式を用いてモデル化すること。構築したモデルを用いてコンピュータシミュレーションを行い、モデルの性質の解析や実験結果との比較を行う。
  9. ノックダウン実験
    遺伝子の発現量を減少させることで、遺伝子の機能を阻害する実験手法。

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成長因子(EGF)刺激に対するERKのリン酸化応答の図

図1 成長因子(EGF)刺激に対するERKのリン酸化応答

ラット由来のPC12細胞に、EGFを0~50 ng/mlまでさまざまな濃度で刺激を与えた(ngはナノグラムで、1ngは10億分の1グラム)。刺激の強度に比例して、リン酸化ERKの量が徐々に上昇していく様子が分かる。つまり、ERKリン酸化はアナログな応答を示すといえる。nHはヒル係数であり、応答のなだらかさ・急峻さの度合いを示す。一般的には、nHが1前後の場合はなだらかである(アナログ)と捉え、2程度以上の場合は急峻である(デジタル)とみなすことが多い。(Shindo et al., Nat Commun 2016より改変)

成長因子(EGF)刺激に対するERKの核移行応答の図

図2 成長因子(EGF)刺激に対するERKの核移行応答

ERKリン酸化に引き続いて起こるERKの核移行を、ライブイメージングにより観察。刺激強度の上昇がある値に達したとき、スイッチが入ったようにERKの核移行が起こる様子を示す。つまり、ERKの核移行には閾値(0.05 ng/mlあたり)が存在し、ヒル係数nHも4.2であることから、その応答はデジタルであるといえる。(Shindo et al., Nat Commun 2016より改変)

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