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2016年5月24日

理化学研究所

「2度あることは3度あるか?」を脳が計算

-情報の曖昧さが扁桃体で計算されている-

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター記憶神経回路研究チームのジョシュア・ジョハンセンチームリーダーらの国際共同研究チームは、記憶の手がかりとなる情報に生じた曖昧さが、脳内の扁桃体[1]で計算され蓄積されることで、動物の行動に反映されることを発見しました。

ある状況で楽しい体験や嫌な体験をすることが繰り返されると、その体験は出来事が起こった時の状況と強く結び付いて記憶されます。“2度あることは3度ある”といいますが、私たちは同じ状況に再度遭遇すると、情動[2]記憶によって起こりうる結果を予測し対応しようとします。ところが現実には、同じような状況に遭遇しているのに予測した結果が起こらない、つまり“2度あっても3度目はない”ということも起こります。これを「随伴性の低下[3]」と呼びます。随伴性の低下によって“2度あることは3度あるかどうか?”と情報が曖昧になるとき、その情報が脳内でどのように計算・蓄積されて一度形成された強い記憶の結び付きを弱めるのか、そのメカニズムは不明でした。

国際共同研究チームは、ラットの連合学習[4]をモデルにこのメカニズムの解明に挑みました。ラットを箱Aに入れ、ある特定の高さの音と同時に、ラットにとって嫌な刺激である電気ショックを脚に与えることを繰り返しました。翌日、ラットに別な箱Bで音のみを与えると、ラットは音と連合した嫌な体験を思い出して「すくみ反応[5]」を示しました。しかし、ラットに同じように音と電気ショックを同時に与えた直後に、音を与えずに電気ショックのみを繰り返し与えて随伴性を低下させると、翌日ラットは音に対してすくみ反応を示しませんでした。ところがこのラットは、はじめの箱Aで嫌な体験をした記憶は形成しており、箱Aに入れられると随伴性を低下させない対照群と同程度にすくみました。これは“音の情報が曖昧になることによる記憶の低下は、箱という別な手がかりの記憶と競合した結果ではない”ことを示しています。

さらに、国際共同研究チームは脳内の扁桃体と呼ばれる領域内で情報の曖昧さが計算され蓄積されることを、光遺伝学[6]電気生理学[7]、および数理モデル[8]を用いた解析によって明らかにしました。

本研究は、ヒトが置かれた状況に対して適切な行動を取れなくなる不安障害[9]などの精神疾患の発症メカニズムの理解につながると期待できます。

成果は、国際科学雑誌『Nature Neuroscience』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(5月23日付け:日本時間5月24日)に掲載されます。

※国際共同研究チーム

理化学研究所 脳科学総合研究センター 記憶神経回路研究チーム
チームリーダー ジョシュア・P・ジョハンセン (Joshua P. Johansen)
研究員 タマス・J・マダラス (Tamas J. Madarasz)
研究員 エドガー・A・イークー (Edgar A. Ycu)

ニューヨーク大学 神経科学センター
ネイサン・クライン精神科学研究所 情動脳研究所
教授 ジョセフ・E・ルドゥー (Joseph E. LeDoux)
博士研究員 ロレンツォ・ディアス-マタイス (Lorenzo Diaz-Mataix)
学部生(研究当時) オマール・アクハンド (Omar Akhand)

背景

街を散歩しているとき、どこかの飼い犬に突然襲われるという怖い体験をすると、その体験は出来事が起こった時の状況と強く結び付いて記憶されます。例えば、犬に襲われる直前に門がバタンと開く音がしたなど、その体験と結び付いた情報があった場合、その後は門が開くような音を聞いただけで怖い体験がよみがえってくるかもしれません。“2度あることは3度ある”といいますが、私たちは同じ状況に再度遭遇すると、情動記憶によって起こりうる結果を予測し対応しようとします。

ところが現実には、同じような状況に遭遇しているのに予測した結果が起こらない、つまり“2度あっても3度目はない”ということも起こります。実際には、門が開くたびに犬に襲われるわけではありません。これを「随伴性の低下」と呼びます。普通は随伴性が低下すると、門が開く音という情報の意味が曖昧になり、怖い体験との結び付きが弱まって恐怖を感じなくなります。

随伴性の低下によって、怖い体験とその手がかりの結び付きが弱まるメカニズムの1つとして、これまでの研究では「手がかりの競合モデル(図1A)」が提唱されてきました。このモデルでは、音という手がかりが曖昧になったことで、犬に襲われた場所の風景などの別な手がかりが怖い体験と結び付いて、記憶が形成されるというモデルです。しかし、実際にこのような“2度あることは3度あるかどうか?”のような情報の曖昧さが、脳内でどのように計算・蓄積されて記憶の結び付きを弱めるのか、そのメカニズムは不明でした。

国際共同研究チームはラットの連合学習をモデルに、このメカニズムの解明に挑みました。連合学習ではラットを箱に入れ、ある特定の高さの音と同時に、ラットにとって嫌な刺激である電気ショックを脚に与えること(P:Pairing)を繰り返し、ラットに音と電気ショックの連合を記憶させます(図1B)。翌日、ラットに音のみを与えると、嫌な体験を思い出して「すくみ反応」を示します。国際共同研究チームはこの連合学習において、ラットに音を与えずに電気ショックを与える(U:Unsignalled shock)回を入れて、随伴性を低下させるとどうなるかを調べることにしました(図1C)。

研究手法と成果

最初に、国際共同研究チームはラットを箱Aに入れ、音と同時に電気ショックを脚に与えること(P)をランダムな間隔を挟んで3回繰り返し、音と電気ショックの連合学習をさせました(間隔あり連合学習〔対象群Ⅰ〕、図2A)。また、別のグループのラットを箱Aに入れ、音と電気ショック(P)を最初に連続して3回繰り返し、連合学習をさせました(集中型連合学習〔対象群Ⅱ〕、図2A)。翌日、〔対象群Ⅰ〕、〔対象群Ⅱ〕のラットに別な箱Bで音だけを与えると、どちらも音と連合した電気ショックによる嫌な体験を思い出して、すくみ反応を示しました(図2B左)。また〔対象群Ⅱ〕のラットを箱Aに入れたところ、前日の箱Aでの嫌な体験を思い出してすくみました(図2B右)。

次に、別のグループのラットを箱Aに入れて、〔対象群Ⅰ〕と同じタイミングで、音と電気ショック(P)を同時に3回与え、ランダムな間隔の最中に音を与えずに電気ショックだけ(U)を数回与えて、随伴性を低下させました(間隔あり随伴性の低下〔混合〕、図2A)。すると、予測できない電気ショックによって情報が曖昧になり、翌日箱Bで音を与えてもラットはすくみませんでした(図2B左)。このラットを箱Aに入れたところ、箱Aでの嫌な体験を思い出してすくみました(図2B右)。つまり、音の記憶は形成されず、箱の記憶は形成されたことになります。

また、別のグループのラットを箱Aに入れて、〔対象群Ⅱ〕と同じタイミングで、音と電気ショック(P)を最初に連続して3回繰り返し、音を与えずに電気ショックだけ(U)を12回繰り返し与えました(集中型随伴性の低下〔最初に連合〕、図2A)。すると、〔混合〕と同じように、音の記憶は形成されず、箱Aの記憶は形成されました(図2B右)。

これらのことから、随伴性の低下を導入していない〔対象群Ⅱ〕と随伴性の低下を導入した〔混同〕、〔最初に連合〕ともに、箱Aでの記憶が形成されていることが分かりました。すなわち、随伴性の低下によって音の記憶が形成されなかった原因を、音と箱の2つの手がかりの間で競合が起こるとする既存のモデルでは説明できないことを示しています。

今回の実験系における箱のような状況に関する記憶は、文脈記憶[10]と呼ばれ、脳の海馬[11]という領域で保存されます。連合学習中に海馬の働きをNMDA受容体[12]の阻害剤2−アミノ-5ホスホノ吉草酸(APV)で抑えると、〔対象群Ⅱ〕でも〔最初に連合〕でも、箱と電気ショックの連合は起きませんでした(図2C右)。

手がかりの競合モデルでは、随伴性の低下により音と電気ショックの連合学習ができなくなるのは、状況(箱)と音の2つの手がかりの間で競合が起こるためだとしています。これが正しければ、海馬の働きを抑えることによって、箱と電気ショックの連合が起こらなければ、随伴性が低下した条件でも音と電気ショックの連合が可能になるはずです。しかし研究チームの実験では、海馬の働きを抑えた条件でも、音と電気ショックの連合は起こりませんでした(図2C左)。これらの結果は、情報の曖昧さによって記憶の低下は、箱という状況など他の手がかりの記憶と競合した結果ではないことを示しています。研究チームは、“情報の曖昧さそのもの”が脳内で計算され蓄積されるのではないかと考えました。

次に、国際共同研究チームは、情報の曖昧さが脳内のどの領域で計算され蓄積されるのかを調べました。扁桃体外側核[13]錐体細胞[14]は、連合学習における音刺激の入力を受け、同時に電気ショックによって活性化されます。この扁桃体外側核の錐体細胞のシナプスが増強されることで、連合学習が起こることが分かっています。

そこで、国際共同研究チームは、連合学習中の扁桃体外側核の錐体細胞の働きを光遺伝学の手法を用いて抑制しました。電気ショックのみを与えているとき(U)に扁桃体外側核の錐体細胞の働きを抑制すると、随伴性が低下しても音と電気ショックの連合学習が起こり、ラットはすくみ反応を示しました(図3A)。また、「集中型連合学習〔対象群Ⅱ〕」の条件下では、音刺激に対する扁桃体外側核の局所フィールド電位(LFP)[15]は増大しますが、随伴性が低下する〔最初に連合〕と、LFPの増大がみられないことが分かりました(図3B)。

これらの結果は、随伴性の低下によって、扁桃体外側核の錐体細胞において音と電気ショックの連合が弱まることで、連合学習が起こらなくなることを示しています。

最後に、扁桃体外側核の神経細胞がどのような計算を行っているのか、新しい数理モデルを立てて調べました。国際共同研究チームは、手がかりの時系列や随伴性といった環境の不確定性を確率論的に加味する数理モデルを確立し、「構造学習モデル(Structure learning model:SLM)」と名付けました。このSLMは、ラットの実際の行動様式を非常によく再現したことから、扁桃体外側核の錐体細胞はSLMに非常に近い計算様式で、手がかり情報の曖昧さを計算している可能性があることが示されました。

今後の期待

本成果では、連合学習における記憶の手がかり情報が曖昧さを、脳の扁桃体外側核の神経細胞が情報の曖昧さを計算し蓄積していることを示し、既存のモデルではうまく説明できないことが分かりました。

今回新たに確立した新しい数理モデルに基づき、情動学習における扁桃体の役割を詳しく解析することによって、今後、ヒトが置かれた状況に対し適切な行動を取れなくなる不安障害などの精神疾患が発症するメカニズムの理解につながると期待されます。

原論文情報

  • Tamas J. Madarasz, Lorenzo Diaz-Mataix, Omar Akhand, Edgar A. Ycu, Joseph E. LeDoux and Joshua P. Johansen, "Evaluation of ambiguous associations in the amygdala by learning the structure of the environment", Nature Neuroscience, doi: 10.1038/nn.4308

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 記憶神経回路研究チーム
チームリーダー ジョシュア・ジョハンセン

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.扁桃体
    側頭葉の奥に存在する、アーモンド形の神経細胞の集まり。恐怖、喜びといった情動に伴う反応と、その記憶の形成に重要な役割を果たしている。大脳辺縁系の一部。
  • 2.情動
    嫌悪、恐怖、不安、喜びなど、ヒトを含めた動物に広くみられる本能的な心の動き。
  • 3.随伴性の低下
    ある現象Aが起こると、それに伴って現象Bが起こることを随伴性と呼ぶ。現象Aが起こっても必ずしも現象Bが起こらないとき、随伴性が低下するという。
  • 4.連合学習
    ある高さの音など、本来動物にとって中立的な刺激を、電気ショックなどの情動反応を生じさせる刺激と同時に与えることで、情動的意味づけをさせ記憶させる学習。
  • 5.すくみ反応
    動物の恐怖反応の1つで、体を動かさずにしばらくじっとしている行動。
  • 6.光遺伝学
    光感受性タンパク質を遺伝学を用いて特定の神経細胞群に発現させ、その神経細胞群に局所的に光を当てて、活性化させたり抑制したりする技術。
  • 7.電気生理学
    神経細胞のもつ電気的な特徴を計測する方法を用いた研究分野。
  • 8.数理モデル
    生命科学においては、数学的手法を用いて生命現象をシミュレーションするモデル。
  • 9.不安障害
    さまざまな原因により、日常生活に支障をきたすほどの不安や恐怖を感じる精神疾患の総称。
  • 10.文脈記憶
    動物が置かれた環境(文脈)を、その文脈で体験したことと結び付けて形成する記憶。
  • 11.海馬
    脳の側頭葉にある記憶や空間認知などに関わる領域。
  • 12.NMDA受容体
    グルタミン酸受容体の1種。グルタミン酸と結合して、カルシウムやナトリウム、カリウムなどの陽イオンを透過させるイオンチャンネル共役型受容体である。記憶や学習に深く関わる受容体であることが知られている。
  • 13.扁桃体外側核
    扁桃体の中の亜核の1つで、脳の聴覚領域からの入力を受けている。恐怖連合学習への関与が示されている。
  • 14.錐体細胞
    投射性の興奮性神経細胞で、樹状突起に棘突起を豊富に持つ。
  • 15.局所フィールド電位(LFP)
    神経細胞の集団活動の結果、細胞外に生じる電位。LFPは、Local Field Potential の略。
手がかりの競合モデルとラットの連合学習の図

図1 手がかりの競合モデルとラットの連合学習

  • A.随伴性の低下により音と恐怖体験の連合学習ができなくなるのは、状況(文脈)と音の2つの手がかりの間で競合が起こるためだという手がかりの競合モデル。
  • B.連合学習では、箱Aで音と電気ショックが同時に繰り返し与えられることにより、2つの連合を学習し、翌日別の箱Bで音を与えただけで、すくみ反応を示すようになる。
  • C.連合学習では音と電気ショックを同時に与える(P:Pairing)ことで、音に対するすくみ反応が学習されるが、Pの間に音は与えずに電気ショックだけを与える(U:Unsignalled shock)ことを挟むと、随伴性が低下し、音と電気ショックの連合が学習できない。
随伴性の低下による音記憶の減少と手がかり間の競合の関係の図

図2 随伴性の低下による音記憶の減少と手がかり間の競合の関係

  • A.4つの実験条件。Pは音と電気ショックの連合(Pairing)を与える場合。Uは音による予測を与えずに電気ショックだけが与えられる(Unsignalled shock)場合。3回のPの間隔が空いている場合(間隔あり)と、最初に連続して3回与えられる場合(集中型)の2つのタイミングについて、計4つの条件で実験を行った。
  • B.音の記憶は間隔のあるなしに関わらず、随伴性が低下した条件では、音に対するすくみ反応が低下し、音と電気ショックの連合が記憶されなかった(左)。しかし、箱Aの記憶は間隔ありの連合学習以外では全て形成されていた(右)。
  • C.海馬の働きをNMDA受容体の阻害剤であるAPV(2−アミノ-5ホスホノ吉草酸)で阻害すると、箱の記憶は対照群も随伴性の低下群も形成されなかった(右)。これに対し、音の記憶は海馬の働きの阻害の有無にかかわらず、随伴性の低下群でのみ形成されなかった。
扁桃体で計算・蓄積される連合学習の手がかり情報のゆれの図

図3 扁桃体で計算・蓄積される連合学習の手がかり情報のゆれ

  • A.連合学習において、電気ショックが音の手がかりなしで与えられるタイミングに(U)合わせて、光遺伝学を用いて扁桃体の錐体細胞の働きを抑制した場合(オーバーラップ)は、〔最初に連合〕の条件でも〔混合〕の条件でも、音に対するすくみ反応を示し、音との連合学習ができた。光遺伝学による扁桃体錐体細胞の抑制のタイミングをずらすと(オフセット)、〔最初に連合〕の条件でも〔混合〕の条件でも、いずれも音に対するすくみ反応を示さず、音と電気ショックの連合が阻害された。
  • B.連合学習後に扁桃体外側核でみられる局所フィールド電位(LFP)の増強が、〔対象群Ⅱ〕に比べて〔最初に連合〕の条件下では優位に下がっていた。

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