広報活動

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2016年6月14日

理化学研究所

磁性体に内在しているスピン流の役割を解明

-スピントロニクスに新しい「流れ」-

要旨

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター スピン物性理論研究チームの菊池徹特別研究員、多々良源チームリーダー、計算物質科学研究チームの是常隆上級研究員、有田亮太郎チームリーダーらの研究チームは、磁性体(磁石)に内在する「電子スピンの流れ(スピン流)[1]」が、磁性体に分布する磁気モーメント[2]間に重要な相互作用を引き起こしていることを理論的に明らかにしました。

多くの場合、物質中の流れは、乾電池につないだ銅線の中を流れる電流のように、電圧などの外力によって生じています。しかし、何も外力を与えられなくても、物質自身の性質によって、物質中に自発的かつ、恒常的に流れが発生することがあります。物質界面や特殊な結晶構造をもった物質など、空間反転対称性の破れ[3]ている場合には、そのような自発的なスピンの流れが存在しており、「平衡スピン流」と呼ばれています。これまで、平衡スピン流は概念的には知られていましたが、物理的に意味のある計測可能な量とはみなされていませんでした。

今回、研究チームは平衡スピン流と、「ジャロシンスキー守谷相互作用[4]」と呼ばれる磁気モーメント間の相互作用の関係に着目しました。電子は、磁気モーメント間の相互作用を媒介する媒質[5]です。この媒質が平衡スピン流として集団的に流れているとき、平衡スピン流による「ドップラー効果[6]」がジャロシンスキー守谷相互作用を引き起こしていることが、計算により分かりました。また、定量的には、“平衡スピン流の大きさはジャロシンスキー守谷相互作用の大きさと等しい”ことが明らかになりました。

さらに研究チームは、ジャロシンスキー守谷相互作用を持つ代表的な金属磁性体の一群の物質に対して数値計算を行い、平衡スピン流とジャロシンスキー守谷相互作用の大きさが等しいという関係が、物質に対して確かに成り立つことを実証しました。また、得られた数値結果は、実験データをよく再現していました。

物質中のスピン流を研究する分野は「スピントロニクス」と呼ばれます。従来この分野では、外力によって流されるスピン流のみが注目されてきました。今回の研究で平衡スピン流という、あまり研究されてこなかったスピン流が、はっきりとした役割を持つことが明らかになり、この分野の研究に新しい「流れ」が生まれると期待できます。

本研究は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(6月13日付け)に掲載予定です。

背景

多くの場合、物質中の流れは、乾電池につないだ銅線の中を流れる電流のように、電圧などの外力によって生じています。しかし、何も外力を与えられなくても、物質自身の性質によって、物質中に自発的かつ、恒常的に流れが発生することがあります。電子のスピン(自転運動に対応した量子力学的な自由度)の流れである「スピン流」は外力を与えなくても、物質中に自発的かつ、恒常的に発生することがあり、「平衡スピン流」と呼ばれています。平衡スピン流が生じる理由は、電子が持つ「スピン軌道結合」と呼ばれる性質にあります。この性質は、電子のスピンの向きと電子が進む向き(軌道)が特定の関係を持とうとするものです。例えば、上向きスピンの電子は右向きに進もうとし、下向きスピンの電子は左向きに進もうとします。両者は、スピンの流れとしては同じことを表しているため、電子の集団全体としては、上向きのスピンが右向きに流れることになります。空間反転対称性の破れている物質(図1)では、このスピン軌道結合の効果が相殺することなく、物質全体に平衡スピン流が流れています。しかし、この平衡スピン流は、物質中のある場所から別の場所へスピンを運ぶような性質を持っていないために、計測が難しく物理的に意味のない量であると認識されていました。

一方で、空間反転対称性の破れている磁性体(磁石)では、磁気モーメント間にお互いをねじろうとする相互作用が存在することが知られており、「ジャロシンスキー守谷相互作用」と呼ばれています。ジャロシンスキー守谷相互作用の大きさはスピン軌道結合の大きさに比例する、ということが50年ほど前から知られていました。ジャロシンスキー守谷相互作用は、磁性体にナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)規模の微細な構造や強い指向性[7]を生み出します。そのため、近年の微細加工技術の進展に伴って、新しい磁気デバイスの発明において重要な基礎を与えるものとして注目が集まっています。

次世代型の磁気デバイスの設計や作製のためには、ジャロシンスキー守谷相互作用の発生機構をよく理解し、自在にコントロールする必要があります。しかし、ジャロシンスキー守谷相互作用に対する既存の理解や定式化はかなり複雑なものが多く、これに代わる物理的に簡明で、定量的にも正確な理解が求められてきました。

研究手法と成果

研究チームは、平衡スピン流とジャロシンスキー守谷相互作用の関係に着目しました。磁性体は、原子が位置する格子点[8]に局在する磁気モーメントと、その間を流れる電子によって構成されます。電子が持つスピンは磁気モーメントに作用し、磁気モーメントをねじろうとします。スピン流が全体として流れていないときは、逆方向に進む電子どうしの、磁気モーメントをねじる作用が打ち消しあって、磁気モーメントはねじれません。一方で、スピン流が一方向に流れているときは、ねじる作用が完全に打ち消しあうことなく残ります。したがって、平衡スピン流が流れていると、磁気モーメントをねじろうとするジャロシンスキー守谷相互作用が発生することが予測されました。

平衡スピン流が流れるとジャロシンスキー守谷相互作用が発生することを調べるため、研究チームは平衡スピン流による「ドップラー効果」という観点から解析を行いました。ドップラー効果とは、音源と媒質の相対的な速度差によって、音の伝わり方が変化する現象のことです。例えば救急車が近づくときはサイレン音が高く聞こえ、遠ざかるときは低く聞こえます。また、風が吹くと風上に向かう音波は遅くなり、風下に向かう音波は速くなります。この現象を磁性体にあてはめて考えてみます。磁性体において、電子は、磁気モーメント間の相互作用を媒介する媒質の役割を担っています。つまり、磁気モーメントが"音源"となって、媒質である電子に波を立て、その波が別の磁気モーメントに伝わることで、磁気モーメント間の相互作用が引き起こされます。ここで、媒質である電子スピンが流れていると、上記の風が吹いている例と同様に、電子の波の伝わり方が変化します。結果として、電子の波によって引き起こされる磁気モーメント間の相互作用も変化することになります。これが平衡スピン流によるドップラー効果です。さらに具体的には、実験室で静止している観測者と、スピン流と一緒に動く観測者とで、磁気モーメントの方向が異なって見えること(図2)を用いると、平衡スピン流によるドップラー効果として、ジャロシンスキー守谷相互作用が生じることを説明することができます。定量的には、平衡スピン流の大きさがジャロシンスキー守谷相互作用の大きさ(磁気モーメントをねじろうとする力の大きさ)と等しいことが明らかになりました。

さらに、ジャロシンスキー守谷相互作用を持つ代表的な金属磁性体の一群であるMn1-xFexGeとFe1-xCoxGe[9](Mn:マンガン、Fe:鉄、Ge:ゲルマニウム、Co:コバルト)において、この解析の結果が確かに成り立つことを数値計算により実証しました。また、得られた数値結果は、ジャロシンスキー守谷相互作用の大きさを調べた実験データをよく再現していました。

今後の期待

本研究は、スピン流とジャロシンスキー守谷相互作用という、2つの重要な概念を結びつけたもので、多くの広がりが期待できます。物質によってどれくらい強いジャロシンスキー守谷相互作用が現れるか、外力や化学的操作でどのようにその強さをコントロールできるか、どのような現象が期待されるかということを、スピン流という観点から直観的かつ正確に調べていくことが可能になります。

原論文情報

  • Toru Kikuchi, Takashi Koretsune, Ryotaro Arita, Gen Tatara, "Dzyaloshinskii-Moriya interaction as a consequence of a Doppler shift due to spin-orbit-induced intrinsic spin current", Physical Review Letters, doi: 10.1103/PhysRevLett.116.247201

発表者

理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子情報エレクトロニクス部門 スピン物性理論研究チーム
特別研究員 菊池 徹 (きくち とおる)
チームリーダー 多々良 源 (たたら げん)

創発物性科学研究センター 強相関物理部門 計算物質科学研究チーム
上級研究員 是常 隆 (これつね たかし)
チームリーダー 有田 亮太郎 (ありた りょうたろう)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

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補足説明

  1. 電子スピンの流れ(スピン流)
    電子は負の電荷を持つと同時にスピンと呼ばれる性質をもっている。スピンは自転運動に対応するような量子力学的な自由度で、これが微小な磁石としてはたらき物質の磁性のもととなっている。電流が電荷の流れであるのと同様に、スピンの流れのことをスピン流と呼ぶ。
  2. 磁気モーメント
    磁性体(磁石)は、磁性体を構成する多数の原子に局在する、一つひとつの小さな磁石の集合である。この小さな磁石のことを磁気モーメントという。磁石はS極とN極を持つので、磁気モーメントは磁力の大きさと、S極とN極を結ぶ方向を持った、ベクトル量として表される。
  3. 空間反転対称性の破れ
    空間のある1点で物質を反転させると、元の物質と同じ構造になるとき、空間反転対称性があるという。一方、このような性質を持っていないとき、空間反転対称性が破れているという。例えば「H」や「X」などの文字には空間反転対称性があるが、「J」や「P」などの文字では空間反転対称性が破れている。
  4. ジャロシンスキー守谷相互作用
    磁性体中の隣接する磁気モーメント間の相互作用のこと。隣接する磁気モーメントの方向をずらし、磁気モーメントの空間的な構造にねじれを与えようとする。1960年頃に、イゴール・ジャロシンスキー博士が存在を指摘し、守谷亨博士がその物理的な発生機構を議論した。
  5. 媒質
    力や作用が空間を伝わるときに、その仲立ちとなる物質のこと。例えば、楽器から発せられた音は空気を媒質として人間の耳に届いている。今回の例では、磁気モーメントが電子スピンに対して直接に力を与え、その影響が電子の集団を媒質として別の磁気モーメントに伝わることで、磁気モーメント間に間接的な相互作用が引き起こされている。
  6. ドップラー効果
    物理現象を媒介する媒質が流れを持っているときに、その流れが引き起こす効果のこと。例えば、空気中の音の伝わり方は、風が吹いているときと無風のときでは異なる。風が吹くと風上に向かう音波は遅くなり、風下に向かう音波は速くなる。
  7. 指向性
    波などの物理現象が空間を伝播するときに、その伝わり方が角度によって異なること。例えば、レーザーポインターから発せられる光は強い指向性を持つので、ポインターが向けられた狭い角度の範囲にのみ光が伝播する。一方で、懐中電灯から発せられる光は指向性が弱いので、光の進む方向には拡がりがある。
  8. 格子点
    多くの固体は、原子が規則的な結晶構造を組んでいる。このような結晶構造において、原子の位置する点を格子点と呼ぶ。
  9. Mn1-xFexGeとFe1-xCoxGe
    ジャロシンスキー守谷相互作用を持つ代表的な金属磁性体の一群。xは0から1までの値を連続的にとり、元素Mn(マンガン), Fe(鉄), Co(コバルト)の比率を表す。Geはゲルマニウムを指す。例えば、Mn1-xFexGeはx=0でMnGeであり、x≠0では同一の結晶構造を保ちながらMnとFeの数の比率が1-x:xになり、x=1でFeGeになる。

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空間反転対称性の破れた物質の例

図1 空間反転対称性の破れた物質の例

左図は、空間反転対称性の破れている物質の、結晶構造の一例である。灰色の立方体の中に納められている黄色の丸と水色の丸は、それぞれ異なった元素(鉄やゲルマニウムなど)を表す。物質全体の結晶構造は、この立方体の単位構造が敷き詰められて構成される。そのような物質全体の結晶構造を、緑色の矢印の方向から見たものが右図である。紙面手前から奥に向かって、黄色の元素は左巻きのらせん構造、水色の元素は右巻きのらせん構造を作っている。このらせん構造の存在は、この物質が空間反転対称性を破っていることを意味している。この他に、異なる金属を接合させた際の境界面(界面)も、空間反転対称性の破れた状況として盛んに研究されている。

スピン流が磁気モーメントに与えるドップラー効果の概念図

図2 スピン流が磁気モーメントに与えるドップラー効果の概念図

磁気モーメント(赤色の矢印)は原子が位置する格子点に局在し、その間を電子スピン(青色の矢印)の流れが、図の左手前から右奥に向かって流れている。この状況を実験室で静止している観測者から見たものが左図で、電子スピンの流れと一緒に動く観測者から見たものが右図である。オレンジ色の矢印は、それぞれの観測者から見た磁気モーメントを強調して表している。電子スピンは磁気モーメントから力を受け、回転しながら流れるため、それぞれの観測者から見た磁気モーメントの方向は、電子スピンが回転した分だけ異なる。このことを利用すると、平衡スピン流によるドップラー効果として、ジャロシンスキー守谷相互作用が生じることを説明することができる。

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