広報活動

Print

2016年8月22日

理化学研究所

天然シリコンにおける高性能量子ビット実装

-既存の半導体技術による量子コンピュータ集積化の実現へ-

要旨

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子機能システム研究グループの武田健太特別研究員、樽茶清悟グループディレクターらの共同研究チームは、産業的に広く用いられている通常のシリコンを用いた半導体ナノデバイスにおいて、量子計算に必要な高い精度を持つ「量子ビット[1]」を実現しました。

次世代のコンピュータとして期待されている量子コンピュータは、さまざまな計算を従来のコンピュータに比べて超高速に行うことができます。その基礎となるのが情報の最小単位であり、従来のコンピュータで用いられているビットのように0と1だけでなく、その中間の“重ね合わせ状態”をとることのできる量子ビットです。しかし、量子ビットの重ね合わせ状態は、母材中の核スピン[2]といった外部からの“雑音”に非常に弱いという問題があります。これまで、量子コンピュータを構成するのに十分な性能を持った量子ビットは、超電導回路や同位体制御[3]されたシリコンなど限られた“雑音の少ない材料”でしか実現できませんでした。

今回、共同研究グループは、通常(天然)のシリコン上に作製した半導体量子ドット[4]中に閉じ込めた電子スピン[5]を用いて、十分に高性能な量子ビットを実現しました。高速な量子ビット操作のために最適化された試料を用いることで、単一の量子ビット操作を従来の約100倍に高速化し、雑音の影響を受ける前に量子ビットの操作を終えることが可能になりました。また、量子ビット操作の「忠実度[6]」は99.6%に達しました。この値は、通常のシリコン中の電子を用いた量子ビット素子の中では最高値です。

今後、量子コンピュータを実現するには、量子ビットの数を大幅に増やす必要があります。本研究で実現した技術は、既存の半導体集積化技術を用いた量子ビット素子実装を可能とするため、大規模量子計算機の実現に向けた重要なステップといえます。

本研究は、革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)、日本学術振興会科学研究費助成事業の研究の一環として行われました。

成果は、米国のオンライン科学雑誌『Science Advances』(8月12日付け)に掲載されました。

※共同研究チーム

理化学研究所 創発物性科学研究センター
量子情報エレクトロニクス部門 量子機能システム研究グループ
特別研究員 武田 健太 (たけだ けんた)
グループディレクター 樽茶 清悟 (たるちゃ せいご)(東京大学大学院工学系研究科教授)

東京工業大学 電子物理工学専攻
教授 小田 俊理 (おだ しゅんり)

背景

次世代のコンピュータとして期待されている量子コンピュータは、さまざまな計算を従来のコンピュータに比べて超高速に行うことができます。その基礎となるのが、情報の最小単位であり、従来のコンピュータで用いられているビットのように0と1だけでなく、その中間の“重ね合わせ状態”をとることのできる量子ビットです。その原理検証として少数の量子ビットを用いた実験が、光学素子、イオントラップ[7]、超電導回路、ダイヤモンド結晶中NV中心(窒素-空孔複合体欠陥中心)[8]、同位体制御したシリコンなど、さまざまな系で行われてきました。

一方、通常(天然)のシリコンを用いた半導体素子は、現在のエレクトロニクスの基幹となるものです。コンピュータのCPU(中央演算処理装置)などを含むさまざまな素子に用いられており、加工や集積化技術が確立されています。量子コンピュータの実現には量子ビットの数を大幅に増やす必要があるため、通常のシリコンを用いることで、既に確立された半導体集積化技術を利用した大量の量子ビット素子実装の実現が期待されています。

しかし、通常のシリコンを用いた量子ビットにおいて、母材となるシリコン中の核スピンが量子ビットの状態を乱す“雑音源”となることが問題でした。この雑音により、量子ビットのコヒーレンス時間[9]が1マイクロ秒(1マイクロ秒は100万分の1秒)程度と短くなります。しかし、高精度な量子ビット操作を行うためには、コヒーレンス時間よりも十分短い時間で操作を終える必要があります。従来の量子ビット操作方法では、操作速度(ビット反転に必要な時間)が数マイクロ秒と遅いため、通常のシリコンにおいて高精度な量子ビット操作を行うには不十分でした。

研究手法と成果

共同研究グループは、通常のシリコンであるSi/SiGeヘテロ構造基板中の二次元電子気体を表面ゲート電極(図1)によって閉じ込め、二つの電子を含む量子ドットを作製しました。量子ドット直上には、絶縁膜(Al2O3)を挟んで、量子ビット操作に必要な傾斜磁場(位置によって大きさが異なる磁場)を形成する微小磁石を配置しました。

量子ドットのゲート電極(図1、Cゲート)にマイクロ波電圧(VC)をかけると、量子ドットに閉じ込められた電子の位置がマイクロ波(波長1m~100マイクロメートル[μm、1μmは100万分の1メートル]程度の電磁波)によって変調されます。その位置の変調は、微小磁石の傾斜磁場によって実効的な磁場変調に変換されるため、これによって単一量子ビット操作に相当する電子スピン共鳴(電子スピンの向きの変化)[10]を起こすことができます。

図2Aは、量子ドットのゲート電極に電子スピン共鳴条件を満たす周波数のマイクロ波電圧をかけたときのスピン状態の時間発展を示したものです。理想的な量子ビットの振る舞いに近い正弦波状の振動パターン(ラビ振動)が観測されています(図2B)。このときの量子ビット操作速度は0.05マイクロ秒程度でした。これは従来の研究の約100倍高速となっています。これにより、ラビ振動の減衰時間内に100回以上の量子ビット操作を行うことが可能です。すなわち、量子ビットの状態が雑音の影響を受ける前に、量子ビット操作を終えることが可能になりました。

図3は、量子ビットの操作がどれだけ理想的な操作に近いかを表す性能指数である忠実度を得るために行ったランダム化検証法の測定結果です。ランダム化した量子ビット操作を加えて、それに応じた量子ビットの応答を観測することによって、量子ビット操作の忠実度を得ることができます。平均して99.6%の忠実度、また基本的な全ての単一量子ビット操作について99%以上の忠実度を得ることができました。この値は、通常のシリコン中の電子を用いた量子ビット素子の中では最高の値です。

今後の期待

本研究は、通常のシリコンを用いたナノデバイスにおいて、現実的な量子コンピュータへの実装に耐えうる操作精度を持った量子ビットの実装方法を示しました。この技術は、既存の半導体集積化技術を用いた量子ビット素子実装を可能とするため、大規模量子計算機の実現に向けた重要なステップといえます。

原論文情報

  • Kenta Takeda, Jun Kamioka, Tomohiro Otsuka, Jun Yoneda, Takashi Nakajima, Matthieu R. Delbecq, Shinichi Amaha, Giles Allison, Tetsuo Kodera, Shunri Oda, Seigo Tarucha, "A fault-tolerant addressable spin qubit in a natural silicon quantum dot", Science Advances, doi: 10.1126/sciadv.1600694

発表者

理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子情報エレクトロニクス部門 量子機能システム研究グループ
特別研究員 武田 健太 (たけだ けんた)
グループディレクター 樽茶 清悟 (たるちゃ せいご)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

このページのトップへ

補足説明

  1. 量子ビット
    従来型ビットは「0か1か」え「0であり1でもある」量子力学的重ね合わせ状態もとることができる。例えば、3ビットの場合、一度に表せる状態は2進数で101のように1通りだけなのに対し、3量子ビットの場合、000から111までの8通りあるものを同時に表すことができる。
  2. 核スピン
    シリコンの同位体のうち29Siは、その電子スピンだけでなく原子核もスピンを持っている。この原子核のスピンを核スピンと呼ぶ。核スピンが、電子スピンと磁気的に結合することによって、雑音を及ぼす。
  3. 同位体制御
    自然界では、シリコンには3種類の同位体(28Si、29Si、30Si)が存在するが、特定の同位体(28Si)のみを精製して用いることによって、量子ビットに理想的な雑音の少ない環境を実現することができる。これを同位体制御という。
  4. 量子ドット
    半導体などで実現されている三次元全ての方向への電子の運動が制御された島状構造。スペクトルが孤立原子に似ていることから、人工原子とも呼ばれる。別名を量子箱、あるいは量子点という。
  5. 電子スピン
    電子は電荷に加えて、その自転に相当するスピンという内部自由度を持つ。その自転方向(右回りか左回りか)を指して、上向きあるいは下向きスピンと呼ぶ。
  6. 忠実度
    量子ビットの操作がどれだけ理想的な操作に近いかを表す性能指数のこと。100%が完全に理想的な操作を示していて、現実的な量子エラー訂正などを含む量子コンピュータの実現には約99%以上の値が必要になる。
  7. イオントラップ
    イオンなどの荷電粒子を、限られた極狭い空間に長時間閉じ込めること。トラップされたイオンは物質と接触していない孤立状態であるため、外部の影響を受けにくく、精密測定に適している。ウォルフガング・ポールによって発明された。
  8. NV中心(窒素-空孔複合体欠陥中心)
    ダイヤモンド結晶中に存在する不純物原子の窒素とそれに隣接する空孔のこと。
  9. コヒーレンス時間
    量子ビット(あるいは、量子力学的な状態)は時間が経過するにつれて、外界の雑音などによってその情報を失っていく。その情報が失われる典型的な時間をコヒーレンス時間と呼ぶ。
  10. 電子スピン共鳴
    静磁場中に置かれた電子スピンに、そのエネルギー分裂(ゼーマンエネルギー)に共鳴した周波数を持つマイクロ波磁場をかけたとき、そのマイクロ波のエネルギーを吸収して電子スピンの状態(向き)が変化する現象。

このページのトップへ

研究で用いた試料の構造図

図1 本研究で用いた試料の構造

試料の電子顕微鏡写真。背景の黒色の部分はシリコン基板表面で、9本の茶色の配線は量子ドットを形成するのに使われた金属ゲート電極を示す。また、中心の水色の小さい二つの丸は、量子ドットの形成される位置を、左側の大きい丸は電荷計を示す。スケールバーは100ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)

ラビ振動測定方法の模式図と測定結果の図

図2 ラビ振動測定方法の模式図と測定結果

  1. 最初に、スピンを下向きスピン(量子ビットの0状態)に初期化する。次に、スピン操作のためのマイクロ波電圧をかけてマイクロ波を照射し、続いてスピン状態の単発読み出しを行う。単発読み出しを1,000回繰り返すことによって、上向きのスピンを測定した確率を計算する。最後に、量子ドット内の電子を1個から0個にする(空乏化)。
  2. スピン状態の時間発展の測定結果。横軸はマイクロ波の照射時間で、縦軸は上向きスピンの観測確率を示す。理想的な量子ビットの振る舞いに近い、正弦波状の振動パターン(ラビ振動)が観測されている。
ランダム化検証法の測定結果の図

図3 ランダム化検証法の測定結果

左側のグラフは、ランダム化検証法の操作忠実度の測定結果を示す。ランダムに選ばれたクリフォード操作と呼ばれる、基本的な量子ビット操作の組み合わせを適用することによって、指数関数的に減衰するデータが得られる。そのデータの減衰の様子から、右表のように各操作の忠実度を求めることができる。

このページのトップへ