広報活動

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2016年9月30日

理化学研究所

他人を記憶するための海馬の仕組み

-記憶痕跡(エングラム)にアクセスし、社会性記憶を操作する-

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター 理研-MIT神経回路遺伝学研究センターの奥山輝大研究員、利根川進センター長らの研究チームは、他の個体についての記憶(社会性記憶)が海馬のなかでどのように貯蔵されているのかをマウスを動物モデルとして使用して解明し、その記憶に直接アクセスして、記憶を操作することに成功しました。

記憶には「誰が、いつ、どこで、どうした」という情報がありますが、その中で「誰」という部分を担う社会性記憶については、神経メカニズムの詳細がほとんど分かっていませんでした。本研究では、記憶中枢である海馬の中で、これまであまり着目されてこなかった腹側CA1領域という領域に社会性記憶が貯蔵されていることを発見しました。腹側CA1領域では、ある決まった神経細胞集団が、決まった相手のことを思い出しているときにだけ活性化することから、細胞集団として記憶を保持していることが推測されました。そこで、光によりその細胞集団を人工的に活性化させる手法を使ったところ注1)、社会性記憶に直接アクセスすることが可能になりました。その結果、忘れてしまった相手を人工的に思い出させたり、特定の相手についての記憶に恐怖や快感の感情を人工的に付加すること(メモリーインセプション)注2)により、マウスは相手を避けたり、相手に近寄ったりするようになりました。

本研究は、米国の科学雑誌『Science』(9月29日付け:日本時間9月30日)に掲載されます。

注1) Liu X., Ramirez, S., Pang, P., Puryear, C., Govindarajan, A., Deisseroth, K., and Tonegawa S. Optogenetic stimulation of a hippocampal engram activates fear memory recall. Nature 484: 381–385 (2012).

注2) Redondo R., Kim J., Arons A., Ramirez S., Liu X., Tonegawa S. Bidirectional switch of the valence associated with a hippocampal contextual memory engram. Nature 513: 426-430 (2014).

※研究チーム

理化学研究所 脳科学総合研究センター
理研-MIT神経回路遺伝学研究センター
研究員 奥山 輝大 (おくやま てるひろ)(マサチューセッツ工科大学 博士研究員)
研究員 北村 貴司 (きたむら たかし)(マサチューセッツ工科大学 博士研究員)
博士課程 ディラージ・ロイ(Dheeraj Roy)(マサチューセッツ工科大学 博士課程)
センター長 利根川 進 (とねがわ すすむ)(マサチューセッツ工科大学 教授)

理化学研究所 脳科学総合研究センター
行動遺伝学技術開発チーム
チームリーダー 糸原 重美 (いとはら しげよし)

背景

これまで「誰」という情報がどのように処理され、記憶されているのかについては不明な点が多くありました。海馬が損傷したヒトの患者は他人の顔の記憶を24時間以上保持することができないという点や、被験者がジェニファー・アニストンという女優を見たときにだけ興奮する「ジェニファー・アニストン細胞」が海馬において同定された点などから、海馬に社会性記憶が保持されている可能性が示唆されてきました。一方で、マウスなど齧歯類(げっしるい)の研究では、海馬を欠損することより社会性記憶に異常を示すと主張する研究と、異常が現れないと主張する研究が混在しており、明確なコンセンサスが得られていませんでした。

海馬は、これまで積極的に研究の対象となってきた背側領域と、機能に未知な点が非常に多い腹側領域に分かれています。ある個体に対してだけ反応する神経細胞が、背側領域にはないという研究が報告されていたことから、研究チームは、腹側領域こそが社会性記憶の貯蔵庫なのではないかと仮説を立てて実験を始めました。

研究手法と成果

(1)社会性記憶に関わる脳領域・神経回路の探索

マウスは、よく見知っている相手よりも、見知らぬ新規な相手に近づいていくという性質があり、この社会性行動をテストすることで「相手のことを覚えているか」という社会性記憶を調べることができます。まず初めに、海馬のどこに社会性記憶が貯蔵されているのかを調べる目的で、海馬の一部分の活動を阻害したマウスの社会性記憶を行動テストしました。その結果、海馬の腹側領域、特に腹側CA1領域の興奮を阻害したときに、社会性記憶に異常が現れることが分かり、この領域の細胞が記憶を保持している可能性が示唆されました。

(2)社会性記憶を思い出している最中の腹側CA1細胞の活動の解析

それでは、「ジェニファー・アニストン細胞」のように、特定の相手にだけ反応する細胞が、本当に腹側CA1領域にあるのでしょうか?

そこで、よく知っている相手、あるいは、見知らぬ相手と接触している最中の、腹側CA1の神経活動を記録しました(図1)。その結果、ある一定数の腹側CA1の神経細胞は、よく知っている特定の相手に対してのみ、強く反応することが分かりました。

これは、分子遺伝学が駆使できる実験動物で「ジェニファー・アニストン細胞」と同じような働きを持つ細胞を見つけた世界で初めての例です。

(3)光遺伝学[1]を用いた社会性記憶の操作

神経活動の記録結果は、海馬が複数の細胞からなる「集団」として、特定の相手に対する記憶痕跡(エングラム)を保持していることを示唆しています。それでは逆に、この細胞集団全体を活性化させた場合、その相手のことを思い出すことはできるのでしょうか?

そこで、ある相手のことを覚えたときに活性化した細胞集団に、青色光で人工的に神経興奮が誘導できるタンパク質を発現させ、行動テスト中にその記憶痕跡を活性化できる実験系を作りました[2]。マウスは通常、相手と長時間隔離されると、相手のことを忘れてしまいます。しかし、行動テスト中にその相手についての記憶痕跡を活性化することで、長時間の隔離後であったとしても相手のことを思い出せるということが明らかになりました。

さらに、その記憶痕跡を人工的に操作する目的で、情動情報を新たに付加することを試みました。ある記憶痕跡を活性化しながら、電気刺激による恐怖刺激を与えると、恐怖刺激と記憶痕跡とが連合し、実験マウスはその相手を積極的に忌避(きひ)するようになりました。一方で、コカインによる報酬刺激と記憶痕跡とを連合させると、その相手に対して積極的に接近行動を示すようになりました(図2)。これらの結果は、腹側CA1領域の細胞集団が、ある特定の個体についての社会性記憶を保持するのに十分であることを示しています。

今後の期待

高度に成熟した社会生活を営む現代において、驚くべきことに、人口のおよそ1.5%が自閉症と診断されています注3)。したがって「社会性」の神経科学的な理解は、直面する大きな課題の一つです。臨床的に、自閉症患者では社会性記憶の低下が認められますが、その分子・神経科学的な原因については、多くの部分が分かっていません。今後、自閉症患者や自閉症モデルマウスにおいて、腹側CA1の細胞機能がどのように変化しているのかを解析することは、神経科学的にも臨床応用的にも興味深い問いであるといえます。

注3) Prevalence of autism spectrum disorder among children aged 8 years - autism and developmental disabilities monitoring network, 11 sites, United States, 2010. MMWR Surveill Summ 63(2):1-21 2014

原論文情報

  • Teruhiro Okuyama, Takashi Kitamura, Dheeraj S. Roy, Shigeyoshi Itohara, and Susumu Tonegawa, "Ventral CA1 neurons store social memory.", Science, doi: 10.1126/science.aaf7003

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 理研-MIT神経回路遺伝学研究センター
センター長 利根川 進 (とねがわ すすむ)
研究員 奥山 輝大 (おくやま てるひろ)

利根川進センター長の写真

利根川進センター長

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奥山輝大研究員

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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補足説明

  1. 光遺伝学
    光感受性タンパク質を、分子遺伝学を用いて特定の神経細胞群に発現させた後、その神経細胞群に局所的に光を当てることで、活性化させたり、抑制したりする技術。本研究では光照射により神経活動が誘発されるChR2(チャネルロドプシン2)と、抑制されるeArchT(イーアーチティー)という、二種類の光感受性タンパク質を用いた。
  2. 社会性記憶痕跡細胞の標識
    神経活動依存的に発現が誘導される初期応答遺伝子c-fosのプロモーターと、発現誘導の時期を制御できるTet-OFFシステムを組み合わせることで、ある特定の期間に神経興奮した細胞においてのみ、神経活動を誘導するためのChR2を発現させることができる。本研究では、この手法を用いて、社会性記憶痕跡細胞をChR2で標識した。

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社会性記憶テスト中の神経細胞の活動記録の図

図1 社会性記憶テスト中の神経細胞の活動記録

腹側CA1の細胞に、神経細胞の活動を記録するためのタンパク質GCaMP6f(緑)を発現させた。実験マウスの脳には、小さなカメラ(エンドスコープ)が埋め込まれており、テスト中の神経活動は、右のような波形で細胞ごとに記録することができる。

社会性記憶痕跡とメモリーインセプションの図

図2 社会性記憶痕跡とメモリーインセプション

実験マウスが特定の相手と接触し、相手のことを覚えることで海馬の腹側CA1の領域の神経細胞に社会性記憶痕跡が形成される。メモリーインセプション実験では、その記憶痕跡を青色光で活性化しながら、電気刺激による恐怖刺激やコカインによる報酬刺激を与えることで、新たな情動情報を付加(インセプション)した。

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