広報活動

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2016年11月15日

理化学研究所

過剰な恐怖を抑制するための脳内ブレーキメカニズムを解明

-光による神経抑制操作によって恐怖記憶が増加-

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター記憶神経回路研究チームの小澤貴明客員研究員、ジョシュア・ジョハンセン チームリーダーらの国際共同研究チームは、ラットを用いて、恐怖の到来があらかじめ予測されると、特定の脳活動が後に起こる恐怖体験の際に感じる恐怖の強さを抑制し、過剰な恐怖記憶の形成を防いでいることを発見しました。

恐怖体験に関する記憶は、危険の予知など、私たちの生活に必要な能力です。しかし、必要以上に強い恐怖記憶の形成は、ストレスと関連した不安障害[1]の一因となります。実際の体験に見合った適度な強さの恐怖記憶を形成するには、恐怖を感じるための脳の働きに加えて、過剰な恐怖を抑制するための脳の働きも必要であると仮定されてきましたが、その実態はほとんど明らかになっていませんでした。

ラットに何の反応も誘発しない音を提示した後に、恐怖体験として弱い電気ショックを与える訓練を行うと、ラットは音によって電気ショックの到来を予測することを学習し、音に対してすくみ反応[2]という恐怖反応を示すようになります。この「恐怖条件づけ」では、恐怖反応の強さは訓練を繰り返すたびに増加しますが、十分に行うとそれ以上訓練しても増加しないことが知られています。これは「恐怖学習の漸近(ぜんきん)現象」として、魚類、ラット、ヒトといった多くの生物種で認められる普遍的な現象です。

今回、国際共同研究チームはこの現象をもとに、恐怖体験の事前予測による過剰な恐怖学習の抑制について調べました。その結果、ラットが一度恐怖を体験し、恐怖の到来を事前に予測できるようになると、「扁桃体中心核[3]中脳水道周囲灰白質[4]吻側(ふんそく)延髄腹内側部[5]」回路という一連の脳領域が活性化し、さらなる恐怖記憶の形成を防ぐ働きをすることを発見しました。また、光遺伝学[6]を使ってこの回路の働きを不活性化すると、あらかじめ予測された恐怖刺激によって起こる、恐怖記憶形成の中枢である扁桃体外側核[7]の活性化が増加することが分かりました。さらに、この回路を抑制すると、ラットの恐怖記憶が通常の漸近値を超えたレベルまで増加することも分かりました。

本成果の過剰な恐怖に対する“脳内ブレーキメカニズム”は、私たちの日常におけるストレスコントロール、さらには不安障害などの精神疾患のメカニズムの理解につながると期待できます。

本研究は、国際科学雑誌『Nature Neuroscience』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(11月14日付け:日本時間11月15日)に掲載されます。

※国際共同研究チーム

理化学研究所 脳科学総合研究センター 記憶神経回路研究チーム
チームリーダー ジョシュア・P・ジョハンセン  (Joshua P. Johansen)
客員研究員(研究当時:研究員) 小澤 貴明 (おざわ たかあき)
テクニカルスタッフ(研究当時) エドガー・A・イークー(Edgar A. Ycu)
客員研究員(研究当時:テクニカルスタッフ)アシュワ二・クマー (Ashwani Kumar)
研修生(日本学術振興会特別研究員) リーフォン・イェ  (Li-Feng Yeh)
テクニカルスタッフ ジェニー・コイヴマー (Jenny Koivumaa)

パキスタン・サイエンシズ・アンド・テクノロジー国立大学
助教 トキア・アーメド (Touqeer Ahmed)

背景

不快感や恐怖をもたらす出来事は私たちにとってストレスとなりますが、同時にこのような嫌な体験に関する記憶によって、事前に危険を予想し、身を守ることができます。しかし、恐怖記憶は私たちにとって常にプラスに働くわけではありません。強い恐怖体験に関連した過度の恐怖記憶はそれ自体がストレスとなるばかりでなく、不安障害などの精神疾患の発症の一因となる場合があります。さらにそのような疾患に罹患すると、ストレスに過敏になったり、新たに過剰な恐怖記憶を形成してしまうこともあります。

恐怖記憶が私たちにとって有益に働くためには、実際の体験に見合った適切な強さの恐怖記憶を形成する必要があります。このためには、恐怖を感じるための脳の働きに加えて、過剰な恐怖を抑制するための脳の働きも必要であると仮定されてきました。しかし、そのメカニズムはほとんど明らかになっていませんでした。

そこで国際共同研究チームは、実験動物モデルのラットを用いてそのメカニズムの解明を試みました。

研究手法と成果

(1)恐怖記憶の中枢における神経応答を抑制する脳活動を特定

ラットに何の反応も誘発しない音を提示した後に、恐怖体験として弱い電気ショックを与える訓練を行うと、ラットは音によって電気ショックの到来を予測することを学習し、音に対してすくみ反応という恐怖反応を示すようになります(図1A)。この「恐怖条件づけ」では、音が引き起こす恐怖反応の強さは訓練を繰り返すたびに増加します。しかし、訓練を十分に行うと恐怖反応は恐怖体験の強さに応じた値「漸近(ぜんきん)値」で一定となり、それ以上訓練しても恐怖反応は増加しないことが知られています。この「恐怖学習の漸近現象」は、魚類、ラット、ヒトといった多くの生物種で認められる普遍的な現象です(図1B)。

国際共同研究チームは恐怖学習の漸近現象を、「恐怖体験の事前予測による過剰な恐怖学習の抑制」を調べるのに適したモデルであると考え、この現象を詳細に観察しました(図1C)。ラットに恐怖条件づけを十分に訓練した後、同じ音と電気ショックで訓練をさらに行っても(過剰訓練)、音が引き起こす恐怖反応の強さは過剰訓練の前後で変化しないことが確認されました(恐怖学習の漸近現象)。また、恐怖反応をさらに上昇させるためには、より強い電気ショックを使った過剰訓練が必要であることが分かりました(図1C)。

続いて国際共同研究チームは、恐怖学習が一定のレベルで頭打ちになったとき、脳内でどのような働きが生じているか調べました。恐怖記憶の形成には、恐怖体験が恐怖記憶の中枢である扁桃体外側核を活性化させることが必要です。そこで、ラットに恐怖条件づけを十分に行った後に、「予測なし条件」(電気ショック単独提示)および「予測あり条件」(音+電気ショック提示)を行った際の扁桃体外側核の活動を電気生理学的に測定しました(図2A)。すると、扁桃体外側核の神経細胞の中には、予測なし条件よりも予測あり条件の場合に、電気ショックに対する応答が減少する細胞があることが分かりました(図2B)。

さらに、扁桃体中心核と中脳水道周囲灰白質を結ぶ神経回路を、光遺伝学を使って一時的に抑制(不活性化)すると(図2A)、予測あり条件においても、予測なし条件と同程度の強さの電気ショックに対する神経応答が認められました(図2B)。このことは、恐怖体験の予測によって「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路が働き、恐怖体験による扁桃体外側核の活性化、つまり恐怖学習を抑制している可能性を示しています(図2C)。

(2)過剰な恐怖記憶の形成にブレーキをかける「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質→吻側延髄腹内側部」回路

次に国際共同研究チームは、「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路が恐怖学習を制御しているかを調べるため、ラットが通常は恐怖学習を引き起こさない過剰訓練中に、光遺伝学を使ってこの回路を抑制(不活性化)しました。その結果、電気ショックの強さを変えていないにも関わらず、過剰訓練の前後でラットの音に対する恐怖反応が増加することが分かりました(図3A、B)。この結果は、この回路の不活性化によって恐怖記憶が過剰に形成されること、つまり、通常はこの回路の働きによって恐怖学習の漸近が起こることを示しています。

また、この回路の抑制によって起こる過剰な恐怖学習は、扁桃体外側核を薬理学的に抑制すると起こらなくなること、さらにこの回路を操作しなくても過剰訓練中の電気ショックの瞬間に扁桃体外側核を人工的に活性化するだけで、過剰な恐怖学習が引き起こされることが分かりました。これらの結果は、恐怖体験の予測によって「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路が働き、恐怖体験による扁桃体外側核の活性化を防ぐことによって、実際に過剰な恐怖学習が抑制されていることを示しています。

さらに解析を進め、①「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路は、中脳水道周囲灰白質領域内の、吻側(ふんそく)延髄腹内側部へ投射している神経細胞を活性化させていること、②「中脳水道周囲灰白質回路→吻側延髄腹内側部」回路の抑制は「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路の抑制と同様に、過剰な恐怖学習の引き金となることも見出しました(図3A、C)。

本研究の結果は、恐怖体験を事前に予測することで活性化される「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質→吻側延髄腹内側部」回路という一連の脳領域の活動が、過剰な恐怖記憶の形成を防いでいることを示しています(図4)。

今後の期待

恐怖記憶は危険の予知・回避に必要な能力ですが、私たちの実際の日常生活においては、事前に予測されたストレスを回避できない場合も多々あります。本成果の“恐怖に対する脳内ブレーキメカニズム”は、現代社会を生きるためのストレスコントロール、さらにストレスへの鋭敏化や過剰な恐怖記憶の形成といった症状に象徴される不安障害などの精神疾患のメカニズムの理解につながると期待できます。

原論文情報

  • Takaaki Ozawa, Edgar A Ycu, Ashwani Kumar, Li-Feng Yeh, Touqeer Ahmed, Jenny Koivumaa, Joshua P Johansen, "A feedback neural circuit for calibrating aversive memory strength", Nature Neuroscience, doi: 10.1038/nn.4439

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 記憶神経回路研究チーム
チームリーダー ジョシュア・P・ジョハンセン (Joshua P. Johansen)
客員研究員 小澤 貴明 (おざわ たかあき)

ジョシュア・P・ジョハンセン チームリーダーの写真

ジョシュア・P・ジョハンセン

小澤貴明 客員研究員の写真

小澤 貴明

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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補足説明

  1. 不安障害
    さまざまな原因により、日常生活に支障をきたすほどの不安や恐怖を感じる精神疾患の総称。
  2. すくみ反応
    動物の恐怖反応の一つで、体を動かさずにしばらくじっとしている行動。
  3. 扁桃体中心核
    側頭葉の奥に存在する、アーモンド形の神経細胞の集まりである扁桃体の一部。扁桃体の主要な出力部位としての役割を担う。
  4. 中脳水道周囲灰白質
    中脳被蓋領域内にある中脳水道を囲む領域の灰白質。すくみ行動や逃避などの恐怖反応や不安、さらに痛みの制御などさまざまな情動への関与が報告されている。
  5. 吻側延髄腹内側部
    延髄の一部で、脊髄への投射を介して痛みの抑制に関与していると考えられている。
  6. 光遺伝学
    光感受性タンパク質を遺伝学により特定の神経細胞群に発現させ、その神経細胞群に局所的に光を当てて、活性化したり抑制したりする技術。
  7. 扁桃体外側核
    扁桃体の中の亜核の一つで、脳のさまざまな感覚領域からの入力を受け、恐怖記憶の形成に重要な役割を果たす部位と考えられている。

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恐怖条件づけとその漸近の図

図1 恐怖条件づけとその漸近

A)ラットにおける恐怖条件づけ。訓練前、ラットは音刺激に対して目立った反応を示さない。訓練中、音に続いて軽い電気ショックを与える訓練を行うと、ラットは音により電気ショックの到来を予測することを学習する。テストでは、音のみの提示に対して恐怖反応であるすくみ反応を示すようになる。

B)恐怖学習の漸近現象のイメージ図。訓練の回数が増えるたびにラットが示す音提示中のすくみ反応が増加する。ところが、次第にその値は一定になり、電気ショックの強度を強めない限りそれ以上は増加しない。

C)恐怖条件づけにおける恐怖学習の漸近現象。上図は訓練とテストの方法を示す。下図(グラフ)は、訓練1と訓練2(過剰訓練)における電気ショックの強さに対する、テストにおけるすくみ反応の強さを示す。1日目の訓練1と3日目の訓練2において同じ強さの電気ショックで訓練を行うと、2日目のテスト1と4日目のテスト2において、音提示中のすくみ反応の強さに差はない(グラフ左、「同じ群」)。これは、訓練2がもはや記憶増強効果を持たないこと、すなわち恐怖学習が漸近していることを示す。一方、訓練2で訓練1よりも強い電気ショックを与えると、テスト2で音提示中のすくみ反応がテスト1よりも増加する(グラフ右、「強い群」)。

「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路の光抑制による外側核の恐怖応答の増加の図

図2 「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路の光抑制による外側核の恐怖応答の増加

A)扁桃体中心核(CeA)→中脳水道周囲灰白質(PAG)回路の抑制方法。扁桃体中心核(CeA)に光感受性抑制ポンプ(ArchT)を遺伝学的手法で導入し、中脳水道周囲灰白質(PAG)にレーザーを照射することで回路を抑制した。また、扁桃体外側核(LA)に神経活動記録用の電極を設置した。

B)電気ショックに対する扁桃体外側核(LA)の神経応答。電気ショックの強さは同じであるが、予測なし条件(電気ショック単独提示)よりも予測あり条件(音+電気ショック提示)で神経応答が減少した。扁桃体中心核(CeA)→中脳水道周囲灰白質(PAG)回路を光で抑制すると、予測あり条件における神経応答が増加し、予測なし条件と同程度になった。

C)実験結果から考えられる恐怖抑制メカニズム。電気ショックの到来を予測させる音によって扁桃体中心核(CeA)→中脳水道周囲灰白質(PAG)回路が働いて恐怖信号を抑制することにより扁桃体外側核(LA)を活性化、つまり恐怖学習を抑制している可能性を示している。

「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質→吻側延髄腹内側部」の光抑制による過剰な恐怖学習の図

図3 「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質→吻側延髄腹内側部」の光抑制による過剰な恐怖学習

A)ラットにおける恐怖学習漸近後の神経投射の光抑制。基本的には図1Cの「同じ群」と同様の訓練方法。①訓練2の音と電気ショックの提示中に、光感受性抑制ポンプ(ArchT)を発現しない「緑色蛍光タンパク質(GFP)統制群」、②訓練2の音と電気ショックの提示後に光抑制を行う「オフセット統制群」、③訓練2の音と電気ショックの提示中に、光抑制を行う「回路抑制群」(図2Aと同様)の3群(あるいはGFP統制群を除く2群)における、テスト1、2でのすくみ反応の強さを比較した。

B)訓練2において音と電気ショックの提示中に「扁桃体中心核(CeA)→中脳水道周囲灰白質(PAG)」回路を抑制すると、テスト1から2にかけて音提示が引き起こす、すくみ反応が増強される。GFP統制群とオフセット統制群ではテスト1と2の間ですくみ反応の差はほとんどなく、学習が漸近したままである。それに対して回路抑制群では、通常の漸近値を超えたすくみ反応の増強が認められる。

C)訓練2において音と電気ショックの提示中に「中脳水道周囲灰白質(PAG)→吻側延髄腹内側部(RVM)」回路を抑制すると、B)と同様、回路抑制群で通常の漸近値を超えたすくみ反応の増強が認められる。

恐怖抑制回路の図

図4 恐怖抑制回路

左: 恐怖の予測がないと、恐怖体験は恐怖記憶の中枢である扁桃体外側核(LA)を強く活性化し(赤い矢印)、恐怖記憶を形成する。

右: 恐怖体験の到来が音によって予測されると、扁桃体中心核(CeA)→中脳水道周囲灰白質(PAG)→吻側延髄腹内側部(RVM)回路が活性化され(青い矢印)、その後の恐怖体験が引き起こす扁桃体外側核(LA)の活性化が抑えられ、恐怖記憶の形成を防ぐ。

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