広報活動

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2017年5月2日

理化学研究所

マウスでバーチャル空間の認識メカニズムを解明

-海馬の活動と自閉症関連遺伝子Shank2がカギ-

ポイント

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター精神生物学研究チーム(研究当時:記憶メカニズム研究チーム)の佐藤正晃客員研究員らの共同研究チームは、マウスを使った実験で、バーチャルリアリティ(VR)[1]空間の目的地の認識には、実世界で場所の記憶に関わる「海馬[2]」と呼ばれる脳部位の活動と、自閉症の関連遺伝子の一つである「Shank2[3]」の働きが重要であることを発見しました。

医療、教育、製造、観光、娯楽などをはじめとする、さまざまな分野における仮想体験を可能にするVRは、人工知能(AI)と並んで、将来の社会や産業に大きなインパクトをもたらす情報技術(IT)として期待されています。脳科学の分野でも、従来からヒト脳機能研究の行動課題などに用いられてきましたが、霊長類以外のマウスやラットなどの小動物でもVRを認識できることが、近年明らかになってきました。VRはヒトでも時に「VR酔い」のような独特の感覚を与えることが知られていますが、脳がVRを認識するメカニズムを、マウスのような実験動物を用いて明らかにすることは、「現実感」のような複合的な感覚を神経回路や遺伝子のレベルで詳しく理解することにつながると考えられます。

今回、共同研究チームは、マウスのVRの認識メカニズムを明らかにするために、頭部を固定したマウスがトレッドミル(歩行装置)上を走ることで、液晶モニタに提示されたVR空間を探索するようなマウス用VRシステムを構築し、このVR空間内の目的地に一定時間留まると報酬がもらえる新しい行動課題を考案しました。そして、まずVR空間の視覚的な特徴を操作することで、目的地に付けられた目印がマウスの認識に重要な役割を果たしていることを明らかにしました。またシナプスの伝達を阻害する薬物を実世界の場所の記憶に関わる脳部位である海馬に注入する実験によって、海馬の活動がVR空間の目的地の認識に必要であることを証明しました。さらに、自閉症の関連遺伝子の一つであるShank2遺伝子を欠損したマウスは、この目的地の認識を学習できないことを見いだしました。これらの結果は、マウスにおいてVR空間の認識には、実世界の空間認識に類似したメカニズムが働いていること、およびVR技術がマウスを用いた脳機能と疾患の精密な研究に役立つことを示しています。

今後、この手法と二光子レーザー顕微鏡[4]を用いたカルシウムイメージング[5]を組み合わせることにより、正常マウスと疾患モデルマウスの神経回路の働きを比較することで、従来の手法では見つけることができなかった微細な脳の病変が明らかになると期待できます。

本研究は、米国の科学雑誌『eNeuro』オンライン版(5月2日付け:日本時間5月3日)に掲載されます。

本研究は科学技術振興機構さきがけ「細胞機能の構成的な理解と制御」領域(研究総括:上田泰己)の研究課題「脳内情報を担う動的回路としての「細胞集成体」の計測と制御」(研究代表者:佐藤正晃)の一環として実施されたものであり、科学研究費補助金新学術領域研究「シナプス・ニューロサーキットパソロジーの創成」、「マイクロエンドフェノタイプによる精神病態学の創出」および「多様性から明らかにする記憶ダイナミズムの共通原理」からの支援と、富士通株式会社および株式会社富士通研究所の協力を得て行われました。

※共同研究チーム

理化学研究所 脳科学総合研究センター
精神生物学研究チーム
客員研究員 佐藤 正晃 (さとう まさあき)(埼玉大学大学院理工学研究科/同研究機構脳末梢科学研究センター 特任准教授、研究当時:記憶メカニズム研究チーム客員研究員および科学技術振興機構さきがけ研究者)

記憶メカニズム研究チーム(研究当時)
チームリーダー 林 康紀 (はやし やすのり)(京都大学医学系研究科システム神経薬理学 教授)
基礎科学特別研究員 水田 恒太郎(みずた こうたろう)(京都大学医学系研究科システム神経薬理学 助教)
テクニカルスタッフ 河野 真子 (かわの まさこ)
テクニカルスタッフ タンビル・イスラム(Tanvir Islam)

韓国 延世(ヨンセ)大学 医学部 薬理学講座
教授 ミン・グー・リー(Min Goo Lee)

背景

医療、教育、製造、観光、娯楽などをはじめとするさまざまな分野における仮想体験を可能にするバーチャルリアリティ(VR)は、人工知能(AI)と並んで、将来の社会と産業に大きなインパクトをもたらす情報技術(IT)として期待されています。脳科学の分野でも、従来からヒト脳機能研究の行動課題などに用いられてきましたが、霊長類以外のマウスやラットなどの小動物でもVRを認識できることが、近年明らかになってきました。

VRはヒトでも時に「VR酔い」のような独特の感覚を与えることが知られていますが、脳がVRを認識するメカニズムを、マウスのような実験動物を用いて明らかにすることは、「現実感」のような複合的な感覚を神経回路や遺伝子のレベルで詳しく理解することにつながると考えられます。また、特にマウスは脳機能の精密な測定や操作が可能な実験動物であるため、VRを用いたマウス用の行動課題の開発は、感覚・認知・記憶・学習など広範な領域にわたる脳科学の研究を加速させることが期待できます。

研究手法と成果

共同研究チームはマウス用のVRシステムを構築し、マウスがVR空間内の目的地に一定時間留まると報酬がもらえる新しい行動課題を考案しました(図1)。このVRシステムでは、頭部を固定したマウスが空気で浮かせた発泡スチロール製球形トレッドミル(歩行装置)の上を走ると、その回転を光学センサーが検知し、VR空間の風景がマウスの歩行に応じてワイド液晶モニタに描かれる仕組みになっています。VR空間内に設定された直線路の始点を出発したマウスは、途中で壁と床に緑のパネルの目印の付いた目的地でチューブから報酬の水が得られます。直線路の外には、山、タワー、建物などを模した手がかりが配置されています。直線路の終点に到達したマウスは、再び始点に戻されて次のトライアルを繰り返します。まず目的地を通過しただけで報酬が得られる簡単な「非遅延課題」でマウスを訓練した後、目的地内で一定時間(1~1.5秒)留まったときだけに報酬が得られる、より難しい「遅延課題」で訓練しました。

まず、直線路の内外の視覚的な特徴を操作することで、目的地に付けられた目印がマウスのVR空間の認識に重要であることを明らかにしました(図2)。遅延課題であらかじめ訓練して目的地で立ち止まることを学習したマウスを用い、直線路の外の手がかりを除いた条件で課題を解かせたところ、目的地の滞在時間と成功トライアルの割合は、手がかりを除かなかった対照条件から変化しませんでした。しかし、目的地の目印を除いた条件では、目的地の滞在時間と成功トライアルの割合は、目印を除かなかった対照条件から有意に減少しました。

次に、「海馬」の活動がこの目的地の認識に関わっているかどうかを調べるために、神経細胞間の興奮伝達に関わるAMPA/カイニン酸型グルタミン酸受容体[6]の阻害薬であるCNQXと呼ばれる薬物を、左右の海馬のCA1野と呼ばれる領域に微量注入する実験を行いました(図3)。遅延課題であらかじめ訓練したマウスの海馬CA1野にCNQXを注入した直後に課題を解かせると、目的地の滞在時間と成功トライアルの割合は著しく低下しましたが、注入後1~3日たった回復後では、これらの指標は注入前のレベルに戻りました。対照として生理食塩水を注入した条件では、このような変化はみられませんでした。これらの結果は、海馬の活動の一時的な抑制によってマウスはVR空間の目的地に関する記憶を思い出すことができなくなったが、その記憶の痕跡は海馬の活動の一時的な抑制によっては消去されなかった、と解釈できます。

最後に、VR空間における目的地の学習に自閉症関連遺伝子の一つ「Shank2遺伝子」が必要かどうかを調べました(図4)。正常マウスとShank2遺伝子を欠損させたマウスをまず非遅延課題で訓練し、続いて遅延課題で訓練すると、非遅延課題では目的地の滞在時間に差はみられませんでしたが、遅延課題ではShank2欠損マウスに目的地の滞在時間の有意な低下が認められました。また目的地で留まることをあらかじめ学習させた後に、目的地を直線路の始点に近い方に移動させた「目的地移動実験」では、正常マウスは移動後速やかに新しい目的地に留まることを再学習しましたが、Shank2欠損マウスでは正常マウスに比べ、移動後も目的地に留まる時間が短いという結果が得られました。

上記の結果は、マウスにおけるVR空間の認識には、実世界の空間認識に似た海馬に依存したメカニズムが働いていること、また、その学習にはシナプス後部のタンパク質複合体形成を介してシナプス伝達とその効率の変化を支えているShank2タンパク質が必要であることを示しています。しかし結果の解釈で注意すべきことは、この結果は「ヒトの自閉症患者はVRを認識できない」ということを必ずしも意味しないということです。なぜなら、ヒトの自閉症はShank2遺伝子以外にも多くの遺伝的要因が関わる発達障害であり、自閉症患者全体の中でShank2遺伝子に変異を持つ例は稀であると考えられるためです。また、今回研究に使ったShank2遺伝子欠損マウスは、自閉症に似た社会行動の異常だけでなく、水迷路学習[7]のようなより一般的な学習の異常も示すことが過去に報告されています。従って、今回Shank2欠損マウスでみられたVR空間における目的地の学習の異常は、その社会性の異常よりも、むしろ実世界における空間学習の異常をより密接に反映した結果であることが考えられます。

今後の期待

今回確立したマウス用のVRシステムと行動課題は、マウスの頭部をしっかりと固定した状態で行動を評価することができるため、生きた脳の働きを一つ一つの細胞のレベルで画像化できる二光子レーザー顕微鏡を用いたカルシウムイメージングと組み合わせることにより、VR空間を探索しているときの脳の神経回路の動作する様子を直接観察することができます。このような手法を用いて正常マウスと疾患モデルマウスの神経回路の働きを比較することで、従来の手法では見つけることができなかった微細な脳の病変が明らかになることが期待できます。

また、例えば運動と視覚にズレを生じさせるようなVR環境を用いた実験や、社会行動のような複雑な行動をVRの特定の刺激の組み合わせで再現するような実験を進めることで、現実感や社会性といった複雑な感覚や行動に対する理解が、神経回路や遺伝子などの詳細なレベルで進むと期待できます。

原論文情報

  • Masaaki Sato, Masako Kawano, Kotaro Mizuta, Tanvir Islam, Min Goo Lee and Yasunori Hayashi, "Hippocampus-dependent goal localization by head-fixed mice in virtual reality", eNeuro, doi: 10.1523/ENEURO.0369-16.2017

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 精神生物学研究チーム
客員研究員 佐藤 正晃 (さとう まさあき)
(埼玉大学大学院理工学研究科/同研究機構脳末梢科学研究センター 特任准教授、
研究当時:記憶メカニズム研究チーム客員研究員および科学技術振興機構さきがけ研究者)

佐藤正晃 客員研究員の写真

佐藤 正晃

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補足説明

  1. バーチャルリアリティ
    コンピュータの作り出した感覚経験によって実世界の体験をシミュレートした環境。
  2. 海馬
    脳で大脳皮質よりも深いところにあり、場所の記憶に重要な働きをする部位。動物がある特定の場所を通過するときだけに活動する「場所細胞」と呼ばれる細胞が存在することが知られている。
  3. Shank2
    Shank2タンパク質は神経細胞同士のつなぎ目であるシナプスの後部に存在し、さまざまな分子と結合することでシナプス後膜下のタンパク質複合体の中心部を形成するタンパク質の一つ。ヒトやマウスのShankタンパク質をコードする遺伝子にはShank1-3の三つがあり、どの遺伝子も自閉症との関連が報告されている。
  4. 二光子レーザー顕微鏡
    生体に浸透しやすい近赤外パルスレーザーを用いて蛍光物質を励起することのできる顕微鏡。生きた動物の脳を深さ1mmくらいまで高解像度で観察することができる。
  5. カルシウムイメージング
    カルシウムイオンと結合すると蛍光を強く発する物質を細胞内に導入することで、神経細胞の活動を画像化する手法。
  6. グルタミン酸受容体
    脳における主要な神経伝達物質であるグルタミン酸が結合する細胞膜タンパク質。AMPA/カイニン酸型と呼ばれるグルタミン酸受容体は、神経細胞間の基本的な興奮伝達に関わる受容体である。
  7. 水迷路学習
    白濁した水を貯めた円形のプールで泳ぐマウスが、周囲の風景を手がかりに沈められた台のある目的地に到達する学習。この水迷路課題は海馬に依存したマウスの空間学習試験としてよく用いられる。

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マウス用VRシステムと行動課題の図

図1 マウス用VRシステムと行動課題

A. 今回構築したマウス用VRシステム。頭部を固定したマウスが空気で浮かせた発泡スチロール製球形トレッドミル(歩行装置)の上を走ると、その回転を光学センサーが検知し、ワイド液晶モニタにVR空間の風景が描き出される。目的地ではチューブから報酬の水が得られる。

B. VR空間の行動課題。(a) 直線路の始点を出発したマウスは、途中で壁と床に緑のパネルの目印のついた目的地を通過する。直線路の外には、山、タワー、建物などを模した手がかりが配置される。直線路の終点に到達したマウスは、再び始点に戻されて次のトライアルを繰り返す。(b) マウスの視点からみたVR空間の直線路。

C. 初めにマウスは目的地を通過しただけで報酬が得られる「非遅延課題」で訓練された後、目的地内で一定時間(1~1.5秒)留まったときだけに報酬が得られる「遅延課題」で訓練される。

VR空間の視覚的特徴を操作した効果の図

図2 VR空間の視覚的特徴を操作した効果

A. 直線路の外の手がかりを除いたバーチャル空間(A1)では、目的地の滞在時間(A2はセッション時間全体に対するパーセンテージ、A4は累積秒数で表したもの。以下同様)と成功トライアルの割合(A3)は、手がかりを除かなかった対照条件から変化しなかった。

B. 目的地の目印を除いたバーチャル空間(B1)では、目的地の滞在時間(B2およびB4)と成功トライアルの割合(B3)は、目印を除かなかった対照条件から有意に減少した。

海馬のシナプス伝達を阻害した効果の図

図3 海馬のシナプス伝達を阻害した効果

両側の海馬CA1野に細いガラスピペットで薬物を注入して実験を行った(A、矢印)。スケールバーは1mmを示す。AMPA/カイニン酸型グルタミン酸受容体の阻害薬であるCNQXを注入した直後は、目的地の滞在時間(BおよびD)と成功トライアルの割合(C)が著しく低下したが、注入後1~3日たった回復後では、これらの指標は注入前のレベルに戻った。対照として生理食塩水を注入した条件では、このような変化はみられなかった(B、C、E)。

Shank2遺伝子を欠損させた効果の図

図4 Shank2遺伝子を欠損させた効果

正常マウスとShank2欠損マウスをまず非遅延課題で訓練し、続いて遅延課題で訓練した(A)。非遅延課題では目的地の滞在時間に差はみられなかったが、1.5秒の遅延課題では有意な差がみられた(B)。目的地で留まることをあらかじめ学習させた後に、目的地を直線路の始点に近い方に移動させた目的地移動実験(C、右の図中の赤い矢印は目的地を示す)では、正常マウスは2回の訓練で新しい目的地に留まることを再学習したが、Shank2欠損マウスでは正常マウスに比べ、移動前も移動後も目的地に留まる時間が短かった(D)。

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