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2018年5月15日

理化学研究所

遺伝情報に学ぶ化学触媒設計

-触媒化学と遺伝学の融合によるデータ駆動型触媒探索へ-

理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター生体機能触媒研究チームの中村龍平チームリーダー、大岡英史特別研究員らの共同研究チームは、生体酵素の遺伝子情報から人工触媒を開発するための設計指針を得ることに成功しました。

本研究成果は、大規模な生命化学データベースが、機械学習や統計処理を利用する「キャタリスト・インフォマティクス[1]」に活用できることを示すものです。

キャタリスト・インフォマティクスを活用するためには、触媒活性に関する質の高いデータを効率よく収集する必要があります。今回、共同研究チームは、これまで触媒研究において着目されることがなかった生体酵素の遺伝子構造[2]を情報源として利用し、人工触媒を開発するための設計指針の獲得に取り組みました。対象として、人工光合成と燃料電池[3]において鍵となる酸素発生反応(2H2O → O2 + 4H+ + 4e-)と酸素還元反応(O2 + 4H+ + 4e- → 2H2O)を担う酵素を、シアノバクテリア[4]より選定しました。これらの酵素に対して、生物種横断的な遺伝子解析を行い、酵素が損傷した場合に必要となる修復コスト(エネルギー)を算出するための方法論を確立しました。その結果、酸素発生反応を効率的に起こすためには、活性を追い求める以上に、触媒の合成コストを抑制することが重要であることが明らかになりました。

本研究は、ドイツの科学雑誌『Molecular Informatics』のオンライン版(5月14日付け)に掲載される予定です。

人工光合成の酸素発生反応と燃料電池の酸素還元反応の違いの図

図 人工光合成の酸素発生反応と燃料電池の酸素還元反応の違い

※共同研究チーム

理化学研究所 環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム
チームリーダー 中村 龍平(なかむら りゅうへい)
特別研究員 大岡 英史(おおおか ひでし)
物質・材料研究機構
理事長 橋本 和仁(はしもと かずひと)

背景

燃料電池や人工光合成など、現在注目を集めている環境親和性の高いエネルギー変換反応には、高い活性と長期安定性を兼ね備えた触媒が必要です。このような触媒の開発に向けて、これまでは実験的な検討に加えて、d-band理論[5]に基づく触媒活性予測が盛んに行われてきました。これらの従来手法に対して、過去の実験データを統計的に処理し、触媒特性を決定づける「支配因子[6]」に基づいて触媒特性を予測する研究手法が近年、注目されています。これを「キャタリスト・インフォマティクス」といい、膨大な数の候補材料から効率的に優れたものを抽出できると期待されています。

しかし、キャタリスト・インフォマティクスの最も大きな課題の一つは、統計処理に活用できる良質な触媒評価データが不足していることです。この原因には、論文ごとに触媒特性を評価する基準が異なること、活性の低い材料が報告されないことによるデータの偏りが挙げられます。こうした状況を打開するため、良質な触媒材料のデータベース構築が精力的に行われています。

一方、自然界に目を向けると、微生物や植物などは酵素を触媒に用いることで、効率的にさまざまな化学反応を起こしています。生体酵素の優れた触媒特性の起源となる生命化学情報を解析することで、人工触媒の開発に必要な良質な解析データが確保され、新しい触媒開発が促進されると考えられます。

研究手法と成果

共同研究チームは、光合成酵素の光化学系II(PS II)[7]と好気呼吸酵素であるシトクロムCオキシダーゼ(COX)[8]の遺伝子構造に着目しました。これらの酵素は、人工光合成および燃料電池において重要となる、酸素発生反応(2H2O → O2 + 4H+ + 4e-)と酸素還元反応(O2 + 4H+ + 4e- → 2H2O)をそれぞれ生体内で起こします。したがって、生物がこれらの酵素をどのように設計したかを解明すれば、人工触媒を開発するための設計指針を得られると考えられます。

共同研究チームは、特に生体酵素の寿命(安定性)と、その遺伝子構造の関係性に着目しました。遺伝子解析の対象として、PS IIおよびCOXの両方を持つシアノバクテリア39種類を選び出しました。これらのシアノバクテリアは、淡水、海水、温泉など多様な環境に適応しているため、この解析から明らかとなる傾向は、生育環境に依存しない普遍的なものであると考えられます。

シアノバクテリアは、複数の遺伝子を同時に発現[9]するオペロン[10]という遺伝子構造を有しています。オペロン構造は、発現制御を簡略化できるという利点がある一方、オペロン構造を形成した遺伝子は個別制御ができません。このため、酵素が損傷した場合、その部位が一つの遺伝子で修復できる場合でも、修復のために発現する必要がない遺伝子まで同時に発現することになり、生体エネルギーの浪費につながります。

実際にPS IIとCOXの遺伝子構造を調べたところ、COXは三つの主要遺伝子が同時に発現されるのに対し、PS IIは活性中心に対応する遺伝子が単独で制御されることが分かりました。この遺伝子構造をもとに両酵素の修復コスト(エネルギー)を見積もると、PS IIはCOXのおよそ1/3のエネルギーで修復できることが分かりました(図1)。ここで、PS IIおよびCOXはエネルギー生産酵素であるため、触媒反応から得られるエネルギーは酵素の修復エネルギー以上でなければなりません。このことにより各酵素の触媒回転数[11]を評価すると、PS IIはCOXの1/3~1/2の触媒回転数でも、エネルギー生産酵素として機能できることが分かりました。

これらの結果は、光による損傷を受けやすいPS IIと、長期的に安定なCOXの異なる設計戦略をよく表わしています。すなわち、頻繁に分解と修復を繰り返すPS IIは、発現頻度が高い遺伝子を個別に制御することで、エネルギーの浪費を抑制します。これは、個別修復が必要とならないためにオペロン構造を選択したCOXとは対照的な設計戦略といえます。

このように、本研究では遺伝子情報をもとに、生体酵素が長期的な安定性をどのように確保したか、ということに迫りましたが、実は人工系においても、触媒の安定性の低さが大きな課題となっています。このため、触媒の活性だけでなく、寿命や修復費用をも考慮に入れたライフ・サイクル・アセスメントの考えが注目を集めています。これまでの触媒活性予測理論では、酸素発生反応(人工光合成)も酸素還元反応(燃料電池)も、同じ方法で良い材料が開発できると予測されてきましたが、PS IIとCOXが安定性を確保するために真逆の遺伝子制御を行っているということは、人工系においても反応ごとに設計戦略を使い分ける必要があることを示しています。特に安定性が大きな課題となっている、人工光合成用の酸素発生触媒は、多少の触媒活性が犠牲になったとしても、燃料電池における酸素還元触媒以上に安定性に注力する必要があると考えられます(図2)。

今後の期待

2015年に国際連合が発表した「持続可能な開発目標(SDGs)」のように、クリーン・エネルギー技術の確立による人類社会の持続可能性向上、そして気候変動の抑制は、現代社会において最も重要な課題の一つであり、その解決に向けて、活性・安定性を兼ね備えた触媒の開発が不可欠です。そして、このような触媒探索に向けて、統計処理・機械学習を活用したキャタリスト・インフォマティクスは、データ不足という課題さえ解決できれば、強力な研究手法となると考えられます。

今回開発した遺伝子構造から触媒(酵素)の安定性を評価する手法は、触媒に関する良質なデータが不足しているという現状に対する一つの迂回策を示したものです。実際、従来理論から得ることができなかった可逆反応に対する設計戦略の非対称性が明らかとなりました。このような酵素設計指針の非対称性は、燃料電池触媒以上に、人工光合成用の触媒において安定性が重要であることを示唆していす。今後は遺伝子構造のみならず、生体アミノ酸の酸解離定数[12]や立体的な相互作用、そして高次構造の安定性などをも情報源とした、データ駆動型の触媒設計を活用することで、さらに優れた触媒の開発が可能となると期待できます。

原論文情報

  • Hideshi Ooka, Kazuhito Hashimoto, Ryuhei Nakamura, "Design Strategy of Multi-electron Transfer Catalysts Based on a Bioinformatic Analysis of Oxygen Evolution and Reduction Enzymes", Molecular Informatics, 10.1002/minf.201700139

発表者

理化学研究所
環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム
チームリーダー 中村 龍平(なかむら りゅうへい)
特別研究員 大岡 英史(おおおか ひでし)

大岡 英史特別研究員の写真 大岡 英史
中村 龍平チームリーダーの写真 中村 龍平

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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補足説明

  • 1.キャタリスト・インフォマティクス
    統計処理や機械学習など、情報科学の手法を応用することで触媒を開発する手法。
  • 2.遺伝子構造
    ここでは、共同で発現制御される遺伝子の組み合わせ(オペロン)を指す。
  • 3.燃料電池
    水素と酸素を化学反応させて発電する装置。
  • 4.シアノバクテリア
    細菌の1群であり、藍藻とも呼ばれる。高等植物の持つ葉緑体の祖先であると考えられている。
  • 5.d-band理論
    基質と触媒の相互作用の強さによって触媒活性を説明するための理論。
  • 6.支配因子
    触媒の活性や安定性を決定づける材料の性質。例えば、d-band理論では基質と触媒の相互作用が、触媒活性の支配因子として扱われる。
  • 7.光化学系II(PS II)
    光合成反応において、光エネルギーにより水を分解し、二酸化炭素を固定するための還元的なエネルギーを生み出す酵素。
  • 8.シトクロムCオキシダーゼ(COX)
    好気呼吸において、酸素を水に還元することでエネルギーを生み出す酵素。
  • 9.発現
    遺伝子の情報をもとにタンパク質を合成すること。
  • 10.オペロン
    複数の遺伝子が同時に発現されるような遺伝子構造。
  • 11.触媒回転数
    ある酵素や触媒が分解されるまでに行うことができる反応の回数であり、触媒化学の分野では寿命の尺度として活用される。
  • 12.酸解離定数
    酸の強さを定量的に示す指標の一つ。酸から水素イオンが放出される解離反応において、酸解離定数が小さいほど強い酸であることを示す。
PS IIおよびCOXの遺伝子数と修復に必要なエネルギーの関係の図

図1 PS IIおよびCOXの遺伝子数と修復に必要なエネルギーの関係

縦軸は本研究で扱った遺伝子のうち、何個の遺伝子が同程度のエネルギーを発現に必要とするかを示している。この分布より、PS IIはおおよそ2,500ATPで修復可能なのに対し、COXは7,500ATP以上を必要とする。つまり、PS IIはCOXのおよそ1/3のエネルギーで修復できることが分かった。

本研究成果の概要の図

図2 本研究成果の概要

(人工)光合成は、その逆反応である好気呼吸・燃料電池と比べて、安定性重視の触媒開発が重要である。

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