No. 225 March 2000 理化学研究所
| 目次 | ・細胞内輸送のダイナミズム・メンブレントラフィックに迫る ・脳の構造と機能の出現をあざやかに描き出す |
・ベンチャーの源流を探る 〜科学研究所の創生期を支えたペニシリン〜 | |
・「理化学研究所特別展」が開催される ・平成12年度 一般公開のお知らせ ・新主任研究員・新チームリーダー紹介 ・「第13回理化学研究所と企業の懇親会」が開催される | |
・和光市民大学講座「生命の神秘と未来」スタート ・「テクニカルショウ ヨコハマ2000」に理研が出展 ・お花見・構内開放 | |
・播磨研究所周辺の四季の楽しみ |

細胞内輸送のダイナミズム・メンブレントラフィックに迫る | ||||||
「メンブレントラフィック」と呼ばれる分野の研究が、昨今、細胞生物学で最もホットな分野のひとつとなっている。メンブレントラフィックとはいったい何だろうか。メンブレン、すなわちここでいう膜とは細胞の中にあるさまざまな膜構造をもつ小器官、例えば核膜、小胞体、ゴルジ体、エンドソーム、リソソームなどを指し、輸送されるのはいろいろなタンパク質。運び役は小胞である。。 | ||||||
細胞の中の膜系器官 | ||||||
核をもつ生物の細胞の中を電子顕微鏡で観察してみると、オルガネラ(細胞内小器官)と呼ばれる構造が細胞内を占めていることがわかる。酸素呼吸に必要なミトコンドリアの起源は寄生した好気性細菌、葉緑体の起源はラン藻とされているが、この2つを例外として、そのほかのオルガネラはバクテリアから核をもつ真核生物に進化した時に、細胞膜が陥入して分化したと考えられている。そのようにして、核膜、小胞体、ゴルジ体、エンドソーム、リソソームなどの膜系器官ができ、それぞれ独自の機能をもつに至った。ただし、これらのオルガネラはいつもじっとしてそれぞれの役割をこなしているわけではない。実はダイナミックに変化し続けている。つまり、出芽・遊離と接着・融合を繰り返して、小胞を介して特定のタンパク質を目的地である膜に輸送する仕事をしている。 運ばれるタンパク質は、合成された時からどこへ行くかがきちんと指定されている。例えば、核タンパク質は核に行くシグナルを備えていて、細胞はそれを認識して指定通りの場所まで輸送する。細胞の外に分泌されるタンパク質(分泌タンパク質)、例えば各種の消化酵素、ペプチドホルモン、抗体タンパク質、乳タンパク質などの場合も、同じようにシグナルの指定通りに細胞内を輸送されて細胞外に出る。合成されるとともに小胞体膜を通過して内腔に放出され、ゴルジ体を経て、分泌小胞を介して細胞膜の外に分泌されるのである。 | ||||||
タンパク質の仕分け方 | ||||||
| 「もともとはタンパク質の生合成の研究をしていたのですが、そのころブローベル教授がシグナル仮説を提唱していて、これはおもしろいと興味をもったのです。その後、生体膜を研究している研究室に所属することになって、膜とタンパク質の運命を結びつける仕事はできないかと考えて、タンパク質が細胞内の膜系をどうやって識別して仕分けられているのかをテーマにしたのです」と、中野主任研究員はおよそ20年前にメンブレントラフィックの研究を始めたきっかけを語る。 小胞体、ゴルジ体を経て細胞膜の外に至る分泌タンパク質の輸送のうち、最初に経路に入るシグナルについてはブローベル教授が予想していたが、その先についてはまださっぱりわかっていなかった。中野主任研究員はそのあたりに研究のターゲットを決めて、いっかんして分泌タンパク質の輸送のメカニズムを追い続けてきた。どうやって運ばれるものと残留するものの仕分けが行われるのか、膜系の出芽・遊離と接着・融合はどのようにしてコントロールされているのか。分子レベルで理解すべき問題はたくさんあった。 | ||||||
小胞輸送の仕組み | ||||||
| 動物細胞の電子顕微鏡像を見ると、たくさんの小胞体が細胞内をびっしりと埋めているのが印象的だ(図1)。小胞体は細胞内でもっとも量が多く、膜系のかなりの割合を占めている。周囲にはエネルギーを供給するためのミトコンドリア、分泌タンパク質が小胞体の次に移動するゴルジ体などが控えている。小胞体にはタンパク質を合成するリボソームがたくさん乗っているのも見ることができるだろう。 こうした膜系の器官を舞台に行われているタンパク質の選別と輸送の巧妙なプロセスをあらためて見てみよう。 タンパク質はシグナルペプチドの働きで小胞体の膜内に入り、ゴルジ体に渡されることになる。タンパク質を詰め込んだ小さい輸送小胞が形成されて、これが小胞体から飛び出してゴルジ体に移り、その膜と融合して中味がゴルジ体に入る。ゴルジ体から出て細胞膜から外に出るときにも同じような仕組みが繰り返される。これが小胞輸送である。ゴルジ体はいくつもの輸送経路の交差点になっていて、いわば小胞輸送の配送センターの役割を果たしている。細胞の外から物質を取り込むエンドサイトーシスや動物細胞のリソソームができる過程や、植物細胞の液胞ができる過程でも、小胞輸送が行われている(図2)。タンパク質の中には小胞体やゴルジ体で働くものもあるわけだが、そうしたタンパク質はきちんとそれぞれの器官に残る。こうしたタンパク質の仕分けのメカニズムもメンブレントラフィックの鍵だ。もし間違って、本来送り届けられるべきでないところにタンパク質が行ってしまった時には、すぐに元のところに返送される仕組みも備わっている。リサイクリングと呼ばれる過程である。 | ||||||
輸送の分子メカニズムを見る | ||||||
これらのメカニズムを分子レベルで調べるために、中野主任研究員らは酵母を用いて実験を繰り返した。小胞輸送については関連する遺伝子が酵母で100個以上も知られている。生体膜研究室では、小胞体からの輸送小胞の形成に低分子量GTP結合タンパクが関与していることを発見した。これがどんな機能調節をしているかを追っている。また、タンパク質の仕分けのメカニズムの解明についても酵母を使って成果を挙げてきた。「もうひとつは小胞輸送を実際にこの目で見てやろうという試みなんです」と中野主任研究員が示すのは、レーザー共焦点顕微鏡を使い、緑色蛍光タンパク質と融合させることによって光らせた目的のタンパク質の像である(図3)。この方法により現在はビデオカメラで記録することもできるようになり、輸送小胞の動きはリアルタイムで観察することができるようになった。これまで研究上なかなか解決できなかった課題が、膜の動きや小胞の動きを観察する手段が現われたことによって簡単に解かれる可能性も出てきた。現在、生体膜研究室と横河電機との共同研究で、画期的な高速・高感度の共焦点顕微鏡システムが開発されている。 | ||||||
植物の形づくりと小胞輸送 | ||||||
生体膜研究室は、最近、植物のかたち作りとメンブレントラフィックとの関連に注目している。モデル植物であるシロイヌナズナを使って研究が進行中だ。植物細胞では細胞分裂板が形成されるプロセスがタンパク質の分泌過程であり、分裂間期に外に向かっている分泌経路が分裂期になると一斉に細胞中央の分裂面に向きを変える。細胞が移動できない植物では、組織や器官の形態形成において細胞分裂の向きと細胞伸長の方向性が重要になってくる。ここでもメンブレントラフィックの働きが大きな意義をもっているに違いないというのが、生体膜研究室の研究のねらいだ。植物ばかりでなく、多細胞生物ではメンブレントラフィックがさまざまな役割を果たしていると考えられる。神経細胞におけるシナプス伝達はメンブレントラフィックそのものだ。糖の輸送、免疫系におけるMHC*複合体の抗原提示などもメンブレントラフィックが中心的な役割を果たしている。医学からの関心も高まっているようだ。 生体膜研究室では、4月の理研の一般公開日に緑色蛍光タンパク質(GFP)で光る輸送小胞などの姿を見せて、見学者を驚かせようと計画している。顕微鏡で見られるようになったことで、新たなブレークスルーが期待できそうである。 *:主要組織適合遺伝子複合体 移植臓器の拒絶反応に関係する細胞膜の同種抗原群を支配する遺伝子群 | ||||||
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脳の構造と機能の出現をあざやかに描き出す | ||||||
「遺伝か環境か」は、脳の発達を考える上での大きな課題だ。「遺伝情報に書かれていないことは絶対起こらないでしょうが、遺伝という舞台で環境がどんな役割を演じているのかを明らかにしたいと思っています。そのため、数理モデルをつくってシミュレーションを行い、その結果を生理学的な実験で確かめる方法をとっています」と語るのは、理研 脳科学総合研究センター(BSI)脳型情報システム研究グループ 脳回路モデル研究チームの田中 繁チームリーダー。物理学の出身で、1980年代後半に第一次視覚野のコラム構造を見て「磁性薄膜の磁区構造と同じではないか」と思ったのが、脳研究に取り組むきっかけとなった。以来、一次視覚野の構造と機能を中心に研究を進めている。いったいどんな脳の数理モデルが作られているのだろうか。 | ||||||
第一次視覚野のコラム構造 | ||||||
網膜の視覚情報は視神経によって外側膝状体と呼ばれる中継点に入り、そこから後頭葉の第一次視覚野に入る。1960年代に米国のヒューベルとウィーゼルは、サルやネコの第一次視覚野に微小電極を刺し込み、形や色などの視覚刺激を与えて神経細胞の活動電位を測定するという実験を行い、「横縞には反応するが、縦縞には反応しない」といった神経細胞が存在することを発見した。つまり、第一次視覚野の1ミリ四方くらいの領域に、「線分のある角度に特異的に反応する細胞が180度にわたり揃っている」ことを見出したのである。また、同様の実験により、右目(あるいは左目)からの視覚情報にだけ反応する細胞や、色のコントラストだけに反応する細胞などがあることも明らかになった。そして同じ機能を有する神経細胞は大脳皮質の厚み方向に柱状に存在し、コラム構造をとっていることもわかった。その構造は図1のようなもので、コラムを作るひとつひとつの神経細胞は右目(あるいは左目)情報を扱うか、どの傾きの線分を扱うか、どの色を扱うかなど複数の情報処理機能に関わっている。 「この構造を見た時に磁気バブルメモリに使われている磁性薄膜の磁区のパターンと同じだと思ったのです」 磁区の明暗の縞模様(図2)は上向きに磁化した領域と下向きに磁化した領域とが交互に棲み分けてできている。この磁区のパターンは数理モデルで再現することができる。また、シマウマの黒白の縞模様も同様な数理モデルで再現することができる。このような秩序形成に基づきパターンを作っていく現象を自己組織化現象といい、80年代以降の物理学の一翼を担っていた。「第一次視覚野のコラム構造を数理モデルで表すという研究は1970年頃から行われていたのですが、私はそこで使われた仮定や制限を単なる数学上のテクニックではなく、脳生理学の知見に基づいた現実対応のモデルを作ろうとしたのです」 | ||||||
仮説を立ててモデルを作る | ||||||
田中研究チームのモデルはさまざまな改良が加えられてきたが、その仮定となる条件(仮説)は大きく分けて3つある。1つは「近距離相互作用と遠距離相互作用の原理」とも呼ぶべきものだ。これは2種類のものがあった時に、近距離的には同じ種類のものが集まり、遠距離的には違う種類のものが集まるという原理である。磁区構造なら上向きと下向き、シマウマの模様なら黒色と白色ということになり、両ケースとも近距離と遠距離の相互作用を仮定すると縞模様が再現できることが確かめられている。 コラム構造のモデルの場合、近距離は数10から100ミクロンオーダーで、遠距離は200〜300ミクロン程度である。 2つ目の仮定は「ヘッブ学習則」と呼ばれるものだ。1949年に心理学者のヘッブは、神経細胞同志をつなぐシナプス結合についての仮説「ヘッブ学習則」を思考実験的に見出した。神経細胞はシナプスを介して興奮(スパイク放電)を伝えていくが、興奮を伝えようとする神経細胞(シナプス前細胞)と受け側の神経細胞(シナプス後細胞)の興奮が同期した場合にシナプス結合が強化されるというのがヘッブ学習則である。 3つ目の仮定は、神経細胞上にはスパイン(とげ)と呼ばれる突起が多数存在するが、1個のスパインに結合する神経細胞は1個であるということ、外側膝状体の神経細胞が有するシナプス数の制限である。これらの仮説をもとにモデルを立ててシミュレーションを行ったところ、見事に右目(あるいは左目)からの視覚情報にだけ反応する細胞のコラム(図3)も方位のコラム(図4)もできたのである。 「神経科学の面からいえば、ただ再現できただけでは面白味がありません。コラム構造がヘッブ学習則に代表されるように神経活動によって作られるのなら、視覚経験の違いによってコラムがどう変わるかをきちんと予言できるモデルでなければつまりません」と田中チームリーダーは話す。 | ||||||
モデルを使って構造の変化を導く | ||||||
視覚経験の違いによるコラム構造の変化を見ようという実験は、ヒューベルとウィーゼルも行っている。生まれたばかりのサルの片目を閉じたまま育てると、開いている方の目に対応する神経細胞の領域は広がり、閉じた方の領域は狭くなることを見出している。また、生まれてすぐに縦縞(あるいは横縞)だけの部屋にネコを入れて育てるという実験も方々で行われている。縦縞部屋で育てたネコの第一次視覚野の神経細胞を調べると、多くのものが横縞には反応しないという結果が出ている。またそのネコの行動を観察すると、縦縞は見えるが横縞は見えないらしく、例えば階段を降りるといった行動がとれないことが報告されている。 田中研究チームのモデルのシミュレーション結果は、右目(あるいは左目)を閉じた場合は図5となり、縦縞(あるいは横縞)部屋で育てた場合は図6となる。正常な場合の図3、図4と比べるとその違いがよくわかる。 | ||||||
モデルの意味すること | ||||||
数理モデルによって環境に応じたコラム構造が形成されたが、現実の脳のメカニズムとどのように関連づけられるのだろうか。「第一次視覚野という限られた領域では、右目・左目や線分の方位など異なった種類の情報が競合して陣取り合戦を繰り広げています。この競合がコラム形成の源であり、最終的にはヘッブ学習則に合ったものが選ばれると考えられます」 秩序形成の強力な仮説であるヘッブ学習則だが、最近ではこれを支持する脳生理学の実験結果も出ている。シナプス前細胞と後細胞の興奮が同期すると、シナプス後細胞へのカルシウムの流入が起こり、これが引き金となってシナプス結合が強化されるというのである。 また、情報理論面からは「神経細胞で構成されたある層から他の層への神経結合では、相互情報量を最大化するように回路が形成される」という最大情報保持原理が提唱されている。つまりノイズによる劣化を防ぐように配線を作るということだが、ノイズの非常に高い状態ではヘッブ学習則に則した結合がこれを満たすことが明らかになっている。 網膜の像は位置関係を保って第一次視覚野に投射されると考えられている。つまり網膜の各部位と視覚野の神経細胞は、あらかじめある程度対応しており、これは遺伝的に決められているとされている。つまり、視覚経験がなくても配線の初歩的な秩序は遺伝的に形成されるというのだ。 「モデルのシミュレーションでもこの説を支持する結果が出ました。網膜部位対応のないランダムな神経結合を初期条件にすると、秩序だった網膜部位対応を形成することができません」 また、ある種の化学物質が発現されることによって部位対応が生じるといわれていたが、最近、鳥類でその物質が特定されはじめている。 「モデル研究からも、まず始めに遺伝が基本的な枠組みを決め、そののち環境の変化に伴う学習により多様性が生じることが示唆されました」 | ||||||
モデルと実験を突き合わせる | ||||||
見事なシミュレーション結果を導き出した田中研究チームだが、今後は実験にも力を入れるという。「右目を閉じたり、縦縞部屋で育てたりという実験では、対応領域が広くなったり狭くなったりという定性的な結果は出ていますが、それがどのようなコラム構造になるのかといった具体的なパターンはまだきちんと出ていません」 そこで田中研究チームでは実験を行ってパターンの決定版を導き出し、シミュレーション結果と突き合わせようとしている。より正確で簡便な実験システム構築のためにさまざまな試みがなされている。その1つが新しい測定法の導入だ。 従来、第一次視覚野の構造を調べるのには動物の脳に直接、微小電極を刺し込んでいたが、最近では容易に神経活動を観測できる「光計測法」が開発されている。田中研究チームでは内因性シグナル光計測法を用いている。神経細胞が活動すると酸素を必要とし、ヘモグロビンから酸素をもらう。そのため活動している神経細胞の側では、活動していない神経細胞の近傍に比べて還元ヘモグロビンの濃度が高くなる。還元ヘモグロビンと酸化ヘモグロビンでは光吸収スペクトルが違うので、特定の波長を用いれば神経細胞の活動を集団的に観察することができるのだ。 「これで、ほぼ30年の歴史をもつコラム構造と機能のモデル研究に一応の終止符を打てればと思っています」 どのような結果が出るか楽しみである。 | ||||||
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ベンチャーの源流を探る 〜科学研究所の創生期を支えたペニシリン〜 | ||||
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第2会社・科学研究所が発足 | ||||
| 45年12月に収監された大河内は、4ケ月後に戦犯容疑も晴れて釈放されたが、46年10月、理研所長を辞任した。大河内は、51年に解除されるまで公職追放となった。 大河内の後任となった仁科は、GHQに精力的に掛け合い、第2会社として理研を実質的に存続させる道を切り開いた。47年11年、「財団法人理化学研究所に関する措置に関する法律」が公布され、48年3月、理研の解散と同時に、科研がスタートした。資本金500万円、従業員は有給530人、無給349人、計879人の規模だった。敗戦直前の2000人近くに比べると半分以下に減っている。 新会社発足までの間、仁科は、自分の研究室に在籍していたことのある医師・武見太郎の紹介で、武見と姻戚関係にあった首相・吉田 茂に会い、その口利きで銀行融資を取り付けたりする苦労も重ねた。しかし、戦後の混乱の中で資金を十分に手当できず、研究員の解雇にまで追い込まれた。鈴木梅太郎と並んで「理研の三太郎」と称せられた、シンボル的存在の長岡半太郎や本多光太郎も解職された。 | ||||
仁科博士がペニシリンに着目 | ||||
財閥解体で資金源の理研産業団から切り離された科研は、発足のその日から、毎日の糧を得る手段を、どうやって確保するのかという切実な問題に直面していた。「自分の額に汗したパンを食べて理想に邁進せねばならぬ」との自活戦略を掲げた仁科が着目したのが、肺炎の特効薬として世界中で注目されていたペニシリンだった。理研では、46年5月、フラスコによるペニシリンの培養試験に着手、47年には200リットルのパイロットプラントでペニシリンの培養に成功していた。その年の10月には、ペニシリン製造部も設置され、11月からは2トン規模のタンクを使った工業生産も開始された。科研は、こうした理研の実績をベースにペニシリンの企業化に乗り出した。ペニシリンの開発に当たっては、旧鈴木研究室のメンバーが中心となり、仁科研究室の新間啓三もサイクロトロンの経験を活かして真空乾燥技術の開発に取り組んだ。理研のペニシリン製造部は、科研の発足時に、唯一の生産部門として引き継がれた。 | ||||
GHQが開発を積極支援 | ||||
GHQも、日本企業によるペニシリンの事業化を積極的にバックアップした。フォスター博士を派遣して技術指導に当たらせるとともに、日本ペニシリン協会の設立も後押しした。戦後の荒廃した社会の中で、何を生産したらよいのか途方に暮れていた企業は、こぞってペニシリンの市場に参入。その数は、元・科研製薬取締役の江角新一郎(52年、科研入社)によれば「83社にものぼった」という。「ペニシリン製造は国民の福祉に貢献できる平和産業だ」というのが、各社の表向きの理由で、技術開発に関しても「各社が助け合う態勢をとっていた」とされている。江角によれば、「日本では陸軍の要請で、製薬会社などが44年頃から研究開発に着手し、敗戦時にはペニシリンを作り出せるようになっていた。しかし、米国の技術の方が進んでいたので、戦後、その指導を受けて急速にレベルアップしたのが実態だ」という。 | ||||
生産量で全国1位に | ||||
| 科研は、復興金融公庫からの融資を受けて2トン規模のタンク3基を設置、48年5月から運転を開始した。9月には大量生産の方式を確立。49年2月には、6トン規模のタンク3基が実働に入り、科研のペニシリン生産量は、49年、50年と2年続けて全国第1位となった。ちなみに、販売高は48年の1億6100万円から、49年には3億3300万円にハネ上がっている。他社よりも1年遅れたスタートにもかかわらず、技術力の差でトップに躍り出たかっこうだ。 この間も、仁科は研究資金の確保に飛び回り、50年には東邦生命の太田清蔵社長の支援を取り付けた。同年7月の株主総会で、東邦生命は科研の大株主となった。これには、戦前、理研、日窒、日曹、森と並ぶ新興コンツェルンと称された、日産のリーダー・鮎川義介の薫陶を受けた元・科研常務・内田三郎が一役買っている。内田は仁科に乞われて50年に入社し、事務・管理部門を任されていた。 仁科は、49年に日本学術会議副会長に選出され、50年には米国に赴いてシンクロトロンやサイクロトロンの現状を視察した。49年には、仁科門下の湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞している。激務がたたったせいか、仁科は肝臓がんを病み、51年1月、死去した。 | ||||
ストレプトマイシンも企業化 | ||||
| カリスマ的な指導者を失った科研は、稼ぎ頭のペニシリンの市況下落にも追撃されて混乱状態に陥った。過剰生産による過当競争の結果、ペニシリンの価格は、当初の400円(10万単位)から、52年には20円にまで急落、科研の業績も急速に悪化した。 仁科は生前から、ペニシリンに続く主力製品として、結核治療薬のストレプトマイシンに着目。48年4月には、マイシン研究室を設置し、藪田貞治郎研究室と仁科研究室が共同で開発に当たっていた。ストレプトマイシンは、米国のメルク社が特許を押さえていたが、「藪田は、これをかいくぐる形で、製法を編み出した」(江角)という。50年9月には東京・十條にストレプトマイシンの生産工場を完成させ、6トン規模のタンク3基で量産を開始した。 | ||||
研究、生産部門を分離 | ||||
しかし、それによっても、研究員の給料や研究費の負担増をカバーしきれず、科研は、52年3月期決算で4800万円の繰り越し損失を計上、経営破綻が目前に迫ってきた。このため、研究部門と生産部門を分離する再建策が打ち出され、52年8月4日、研究部門は第2次「科学研究所」として再発足した。同月1日、製薬部門は「科研化学」として独立した。科研化学は、理研の主要な資産を引き継いだが、同時に、資本金2000万円の6倍近くにものぼる1億1700万円もの繰り越し損失(52年9月期決算)を抱えさせられて苦難のスタートを切るかたちとなった。この月の29日、前年に公職追放が解けたばかりの大河内が、脳軟化症のため死去した。反資本主義の想念に裏打ちされた独自の経営思想を具現化した造兵学者・大河内によって花開き、世界的な原子物理学者・仁科にバトンタッチされた「資金を自らの手で稼ぎ出して、科学者たちの自由な楽園をつくる」との夢は、この時点で潰え去った。 その後、科研は、純粋な研究機関として経営的には厳しい道を歩み、56年2月、「株式会社科学研究所法」によって半官半民の特殊会社として第3次・科学研究所に衣替えした。58年10月には、「理化学研究所法」に基づいての特殊法人理化学研究所が誕生し、現在に至っている。78年当時の理研副理事長・宮崎友喜雄は「科研時代の10年は暗黒時代であった」と総括している。 | ||||
合併で科研製薬が誕生 | ||||
| 一方の科研化学は82年10月、科学研究所のペニシリン販売部門からスタートした科研薬化工と合併して、科研製薬と改称した。この間、ペニシリンやストレプトマイシンの開発に貢献した藪田が科研化学の会長(57〜69年)を務め、64年度には文化勲章を受章している。(敬称略) | ||||
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「理化学研究所特別展」が開催される |
1月10日から20日の間、東京・西新宿の未来科学技術情報館、また1月22日から30日の間、大阪・天満のサイエンス・サテライトで「理化学研究所特別展」が開催されました。 今回は『脳の働きを調べよう!』をテーマに「ハノイのパズル」、「鏡像描写」、「共応検査」などの楽しい実験と同時に各種の展示を行いました。実験コーナーではたくさんの親子連れで賑わいました。期間中の来場者は未来科学技術情報館・1,701名、サイエンス・サテライト・6,355人でした。 |
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平成12年度 一般公開のお知らせ | |||||
科学技術週間<2000年4月17日(月)〜23日(日)標語「よくみてかんげきしらべてびっくり かがくっておもしろい」>の行事として理研では下記の日程で一般公開を行います。 理研の最先端の科学研究に親しんでいただくため、研究室・施設の公開をはじめ、講演会、各種のイベントを行います。多数の方のご来場をお待ちしております。 (入場無料、入場は15:30まで) | |||||
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新主任研究員・新チームリーダー紹介 | ||||
新しく就任した主任研究員およびチームリーダーを紹介します。 (1.生年月日 2. 出生地 3.最終学歴 4. 主な職歴 5.研究テーマ 6.信条 7.趣味) | ||||
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「第13回理化学研究所と企業の懇親会」が開催される |
理研の発展を側面から支え、理研と産業界との密接な交流を深めることを目的とした「理化学研究所と親しむ会」の主催により「理化学研究所と企業の懇親会」が、149社316名の企業関係者の参加のもと、2月14日にホテルオークラで開催されました。 13回目にあたる今回は「理研と親しむ会」の太田幹二会長の開会の辞で始まり、講演会では加速器基盤研究部・矢野安重基盤研究部長が「RIビームファクトリー計画について」、高分子化学研究室・土肥義治主任研究員が「環境分子科学研究の展望」と題して理研の研究最前線を紹介し、400名近くの聴衆が参加しました。 懇親会では、中曽根弘文文部大臣兼科学技術庁長官および有馬朗人参議院議員も加わり、会場の一角に設けられた理研の研究成果などを紹介する17の展示コーナーに関心が集まりました。 |
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和光市民大学講座「生命の神秘と未来」スタート |
和光市教育委員会が企画する市民大学講座(4回開催)が和光市中央公民館で開かれました。1回目の2月17日には、工藤俊章微生物学研究室主任研究員が「生命の神秘― 微生物編―」について、また2回目の2月25日には、吉田茂男植物機能研究室主任研究員が「生命の神秘― 植物編―」について講義をしました。両日とも約50名にのぼる熱心な市民の参加があり盛況でした。 この市民大学講座は和光市より「理研との連携による生涯教育活動を重視したい」との意向により開催されたものです。 |
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「テクニカルショウ ヨコハマ2000」に理研が出展 |
2月3日〜5日にパシフィコ横浜・展示ホールにおいて開催された「テクニカルショウ ヨコハマ2000」(主催:神奈川県他)に「ゲノム科学総合研究センター(横浜市鶴見区末広町に開設予定)」の紹介を中心とした理研の出展を行いました。このイベントは、地域産業経済の振興及び発展をテーマに、神奈川県内の民間企業・大学など171社18グループが参加し、3日間で約30,000人(主催者発表)の来場者で賑わいました。 |
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お花見・構内開放 |
桜のシーズンに合わせて、毎年恒例となっています和光本所の構内開放を下記の通り行います。多数の方のご来所をお待ちしております。(飲食物持ち込み可) 4月1日(土)10:00〜16:00 (雨天中止) |
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播磨研究所周辺の四季の楽しみ |
播磨研究所は、兵庫県南西部の播磨科学公園都市にあり、そこに理化学研究所が日本原子力研究所と協力して建設整備した大型放射光施設SPring-8があります。播磨科学公園都市は兵庫県南西部の三郡三町にまたがる200m程度の山地を開発して造り出した都市です。現在は1本のメインストリートを軸とし、その北端のSPring-8を中心的施設として都市整備が進行しています。 東に揖保川、西に千種川があり、南は瀬戸内海、北は千種側支流の角亀川と揖保川支流の栗栖川がぐるっと取り巻いていますが、山は中国山地までつながっています。 人里に隣接しているため、山はいわゆる雑木が多いのですが、杉の植林地も多くあります。神社の境内などには照葉樹の大木が残っていますが、山中にはほとんど存在しません。山も落ち葉の下がすぐに岩になっていて土壌が薄いところが多い一方、最近は山の手入れをする人も少ないのか林床が下草だらけのところが多くなっています。アカマツ林が多いので「松茸」と思いましたが、そううまくは見つかりません。 大きな動物はシカから小さいのは、なんでしょう、ともかくいろいろな生き物が身近にいて、四季楽しめます。 サクラが点々と生えているために春先には、全体として灰色の山肌の所々がぽぉっと桃色になります。うららかな春の日差しを浴びながらぼーっと眺めるのにちょうど良い配色です。5月になればハルゼミが鳴いていますが、ほとんどの人が気付いていません。アカマツ林でかなり騒がしく鳴いているはずなのですが。 初夏には川沿いでゲンジボタルが舞います。こんなに身近なところでゲンジボタルが飛び交う光景を普通に見ることができるとは想像していませんでした。真っ暗な川辺で緑がかった蛍の明かりがふわーっと移動しているのを見ていると時間を忘れてしまいます。カジカも鳴きます。昔の人はカジカを捕らえてきてその鳴き声を楽しんだといいますが、声はすれども姿は見えず。小川のせせらぎの音とともに、その鳴き声を楽しみます。力強い緑に囲まれる夏は、一歩林に踏み込むと、別世界です。強い日差しは木々が広げた緑の葉に遮られて、さわやかな風が渡ってきます。夏の定番のセミは、はじめはニイニイゼミ、そのうちヒグラシが混じり、ツクツクボウシが出てくることにはもう夏もわずかです。クマゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミといった大きなセミは数が少ないようです。 夏の夜の林の中ではヒメボタルが飛んでいます。小さいが強い光が真っ暗な林のあちこちで点滅します。こちらはゲンジボタルと違ってせわしなくピカピカ光ります。懐中電灯を消して闇の中に立つと周りのあちらこちらでピカピカ光ります。 夏の終わり頃から虫のコンサートも本格的になります。個人的にはエンマコオロギの鳴き声が好きですが、公園都市にはそれほど多くはありません。マツムシは播磨に来て初めてその鳴き声を聞きました。 秋には、山は燃えません。紅くなる木が相対的に少ないからだと思います。だから播磨の秋は黄色っぽく、あお(緑)が黄色に変わり黄色が褐色に変わります。秋の青空には輪を描いて飛ぶトビがよく似合っています。大きく翼を広げて澄んだ空を滑空しています。 冬は、思っていたより寒いのですが、これでも数年前より暖かいといいます。ヒートアイランド化している大都会では忘れていたなつかしい冬です。数年前に雪によって交通が遮断され、公園都市にあった唯一のコンビニから日に日に食料品がなくなっていったということがあったそうです。 世界の先端を行く研究が行われる施設の周辺には、まだ豊かな田園風景が残っています。そのほんの一部を紹介しましたが、これからも播磨に生きる動物たちが暮らしていけて、それをちらちらと見ることができたらいいなと思います。皆さんもSPring-8へお越しの際は、播磨の自然を楽しんではいかがでしょうか。 | |
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