『竹取物語』は、光り輝く竹の中から現れて竹取の翁(おきな)の夫婦に育てられる、かぐや姫にまつわる物語。この物語をもとにつくられた(社)日本舞踊協会の新作公演『かぐや』は、同協会と理化学研究所の有志が、台本制作の段階から意見を交わしながらつくり上げてきた作品である。
宇宙時代の現代人の目でとらえ直す古代の人々の想い、願望。原作の根底に流れる自然界の摂理、この世の不条理と無常。 アーティストとサイエンティストが、それぞれの見地から日本最古の物語をひも解く。公演を間近に控え、『かぐや』へのそれぞれの思いを語ってもらった。
非日常をつくる
――日本舞踊協会は7月15日(金)〜18日(月・祝)、新作公演『かぐや』を国立劇場小劇場で上演します。15日には戎崎俊一 主任研究員、16日には牧島一夫グループディレクターを招いてのゲストトークもあり、戎崎主任研究員監修による最先端の宇宙映像を舞台で使うと伺っています。舞踊(アート)と科学(サイエンス)のコラボレーションを打診されたとき、どう思われましたか。
戎崎:私たちは1996年から、科学技術館(東京都千代田区)で毎週土曜、映像やコンピュータシミュレーションを用いてさまざまな自然現象を分かりやすく紹介するイベントを行ってきました。その経験があるので、舞踊と映像のコラボレーションも可能だと思いましたね。コンピュータでつくるグラフィック映像は確かに綺麗ですが、自由自在にできてしまうのでどこか気持ち悪さが残ります。一方、自然の法則に則(のっと)ってつくった映像には、一定の美しさが残ります。そこにアーティストが加わることによって、高い芸術性が生まれます。科学技術館には“シンラドーム”という立体フルデジタルドームシアターがあり、そこでは広大な宇宙の中を自在に動いているような臨場感を体験いただけます。5月7日(土)、シンラドームで『かぐや』公演のプレイベントを行い、映像の前で、かぐやをイメージした踊りを観せていただいたのですが、まるで天女が舞っている感じでしたよ。
森崎:私は今回は演出ですが、映像作家でもあります。制作サイドから舞踊に最先端の宇宙映像を取り入れたいという話がきたとき、最初は正直、嫌でした。映像を使うならそれなりのものでないといけないし、舞台で踊る舞踊家の後ろに映像を流すと舞踊の良さを損なってしまうと思ったからです。ところが実際の映像をみたら、すごく面白かった。とにかく見たことのない世界でびっくり。今回は舞踊作品の最初と最後に宇宙映像を使わせていただき、幕開きはかぐやの目線で月から見た地球で始まり、エンディングはホリゾント(舞台背景用の布製の幕)一杯に無限の宇宙映像が広がります。
宇野:舞踊だけでなく舞台芸術全般に言えることですが、自然と相反するところがあります。リアリズムとは対極にいるみたいな。だから、公演の初めと終わりに自然の法則に則った宇宙映像を流して、その間に様式化した舞踊をおく。うまくいくかいかないかは、演出家の腕次第ですね。
牧島:太陽系や銀河の映像は自然の姿ですが、非日常であるという点では同じです。舞台芸術は、ある意味“非日常をつくる”場合が多いのでは?
森崎・宇野:そうです。
牧島:日常をつくる場合もあるけど、やはり観客が求めるのは非日常の世界でしょう。自然の法則に則った映像であると分かって見ていても、それでも日常と違うものを感じてしまう。そこが宇宙映像のいいところですね。
型を破る
――古典を重んずる日本舞踊としては、かなり大胆な試みですね。
デザイン:宇野亜喜良氏
森崎:科学とコラボレーションするのは、日本舞踊の世界では初めての試みだそうです。日本舞踊家は、日ごろは伝統芸能である古典舞踊の稽古を基本にしていますが、現代に生きる舞踊家として、現代人の視野に立った新しい作品を創作していくことも課題のひとつです。日本の伝統芸能は、能、狂言、文楽、歌舞伎、日本舞踊もすべて“型”を学び、習得し、伝承していくことが第一義です。日本舞踊には伝統の中で生み出されてきた豊かな型のバリエーションがありますが、新作をつくる場合、型と真っ向から対峙して潜んでいる可能性を現代に蘇らせるとともに、ときには型を破って新たな表現法も模索しなければなりません。
牧島:型は良くもあり、悪くもありですね。この型にはこういう意味があるということが分かっている人には、型を示すだけで伝わるから楽です。型を破って新しいものをつくろうとすると、説明する必要があるから大変ですね。
宇野:長い歴史の中で約束事ができ、それを守らないと意図が伝わらない。その約束事を使いながら前衛的な姿勢で、というのは難しいことです。かぐや姫のように皆が知っている話を舞踊にするとき、どこまで話を共有していくか、どこまで抽象的にするか、そのせめぎ合いが演出家と舞踊家の課題になってくると思いますね。
――科学には型はないのですか。
牧島:あると思います。一番大事なのは、どこで型を破るかですね。他人のやり方を真似て、ちょっとだけ新しいことを見つけたとします。そういうときはちょっとの進展しかない。大きく進展させるにはどこかで型を破らなくてはいけません。それには、やっぱり勇気がいる。型を破るような論文を書くと、査読者からいろいろ厳しい指摘や注文がくるのでエネルギーが必要です。私たち科学者も、普段は自分の型にしたがって同じようなことを積み重ねていますが、どこかでちょっとずつ型を破ったり、時には大きく破ったり、そういうことを潜在的にやっているのかもしれないですね。
戎崎:とりあえず実践してみる、というのが私の型ですかね。やってみないと分からないことが多い。その中に真実がある。私は常にそういう主義です。
――科学とのコラボレーション以外に、型を破る試みは。
森崎:日本舞踊では、舞台の上に所作台(しょさ)という檜(ひのき)製の高さ4寸(約12cm)の台を敷き詰めて踊ります。中は空洞なので、トンと踏むと音が響きます。日本舞踊の足拍子は踊りであると同時に、打楽器的な役割も果たしているのです。今回は所作台を舞台全面に敷き詰め、足拍子を生かしたいと思っています。ビートたけしさん監督の映画『座頭市』(2003年公開)のタップみたいに。所作台で踊るというと、イコール古典舞踊のイメージもあって、新しい創作の日本舞踊は、洋舞と同じようにリノリウム(木粉やコルクなど天然素材でつくられた床材)などの舞台で演じられることが多いのですが、今回はあえて所作舞台の上で宇宙時代の新作に挑戦してみようと。
クラシックバレエの世界では、ロシアのヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー(1890〜1950、バレエダンサー・振付師)が現れて踊りが変わりました。ところが本人はクラシックをやっているつもりだったのです。つまり、古典の中から新しいものが突然出てくる可能性はあると思うのです。同じ動き、同じ型の中でやっているにもかかわらず、ちょっとした間(ま)が違うだけで、全く違う世界がふぁーっと現れてくる瞬間が絶対にあります。私としては、そのあたりを楽しんでみようと思っています。
宇野:制約があってこそ出てくるものがありますからね。自由に劇場を使っていいよというときには出てこなかったもの、そういうのが出てくると嬉しいですね。
――衣裳デザインはどうですか
宇野:かぐや姫はエミリオ・プッチ(1914〜1992、“プリントの王子”の異名を持つイタリアナポリ出身の男性ファッションデザイナー)風の感じで、帝(みかど)は最初、韓国風な派手な衣裳で登場します。群舞は全員白い着物と小袴で、役柄に応じた紋(もん)をつけます。
森崎:今回は具象的な装置や大道具は何も使いません。竹林も竹取の翁の家も出てこないし、かぐや姫が姿を隠す御簾(みす)も、公達(きんだち)に襲いかかる大蛇も、すべて舞踊家たちが身体で表現する。装置や大道具を使うことで生まれてくる制約や不自由さをなくして、すべて身体で表現してもらいます。竹も大蛇も、踊り手の動きで観客にイメージさせるのが舞踊です。
日本最古のSF『竹取物語』
――宇野先生は2006年に出版された絵本『竹取物語』の絵も描かれています。かぐや姫についてどのようなイメージを持たれていますか。
宇野:謎めいていてはっきりと分からない女性というイメージです。物語には、美女を巡って男たちが右往左往し、いろんな失敗を重ねる話がたくさんあります。例えば、昭和初期の上海を舞台に、時代に翻弄された人々を描いた斎藤憐(れん)作の戯曲『上海バンスキング』も、いろんな運命を背負った男たちが動きまわる悲劇です。その中心に女性がいるけれど、彼女は意思表示をあまりしない。かぐや姫も同じですね。抽象的でよく分からない。また、神聖化するキャラクターをつくるとき、人間から生まれないスタイルにすることが多いのです。竹から生まれるというのは、わきの下から生まれる釈迦と同じ。一つの抽象化パターンなのかもしれません。
――かぐや姫は異星人でしょうか。「月からきました」と『竹取物語』に書いてあります。
牧島:『竹取物語』は、日本最古の物語であると同時に、日本最古のSFですよね。奈良時代を背景にしていると言われますが、当時、異星人という概念はなかったと思います。だけど、やはり違う世界の人、地球の男が近づこうとしたけど、最後にバリアがあってダメだった。
宇野:出てくる男たちはことごとく情けない。しかし、最後に帝だけが成功しかける。そこが少々不愉快です(笑)。
牧島:権力にゴマをすったのかもしれませんね。あるいは、かぐや姫と同じく、ある種の特別なパワーを持った存在として帝を描きたかったのか。
森崎:公達は地球の人間が持つ欲望の象徴として風刺されていて、愚かな男たちとして描かれているけど、帝のことは好きだったのでしょうね。好きというか、他の人間とは違うと捉えられていたのかな。かぐや姫は月から下ってきた人、帝は高天原(たかまがはら)から下ってきた人ということでしょうか。
地球外生命、満月の不思議
――科学的視点から地球以外の星にも生命は存在すると思いますか。
戎崎:地球では海底火山の近くで生命が発生したといわれているので、火山と水が生命誕生の鍵となります。現在、地球以外に太陽系で火山があることが分かっている星は、火星と、イオという木星の衛星です。火星には地下に永久凍土があって、それが溶ければ海ができる。地球も永久凍土ががっちり固まって氷の塊だった時期があるので、火星は今、その時代なのかもしれません。それから月面のクレーターの一つであるアリスタルコスも火山の可能性があり、ときどき天体観測をしている一般の方が不思議な光を放っているのを見つけています。きっと、ガスが出ていて、そのガスが太陽の紫外線を受けて光るのでしょう。ただ、月には水がないから生命が存在している可能性は低いですね。
牧島:その光は、かぐや姫からの合図かな。かぐや姫がせっかく月から地球に流し目を送ってくれているなら、地球の男はそれをちゃんと受けてやらないと(笑)。太陽系ではないですが、惑星を持っている星が次々に見つかっています。地球に似たような星はどこかに必ずある。そこに、どんな生き物がいるのだろうと思うとワクワクします。
戎崎:最近、地球のような星がたくさんあることが分かってきました。その中には、海が非常に深くて100kmくらいある、地球じゃなくて水球のような星もあります。
宇野:そこに水中生物がいる可能性はありますか。
戎崎:もちろんありますね。
牧島:地球上の生物も海から上がってきました。私たちは今でも母親の羊水の中で育ち、生まれるのは大潮の前後が多いと言われます。どうやら満月は生命の誕生と関係があるらしい。
戎崎:サンゴには、年に一度だけ満月の夜に精子と卵をいっせいに放出するものもいます。なぜ満月の夜なのかは分からない。満月のときは大潮なので、潮の満ち引きが一番激しいことが関係しているのか、光が関係しているのか……。
牧島:科学的に証明されていませんが、それなりに根拠があるでしょう。長い歴史の中で、満月の夜に生殖した生物のほうが、生殖しなかった生物よりも有利で生き延びたということかな。
森崎:経験の積み重ねから満月の夜がいいと分かったということですね。
戎崎:そういうことを本能的に知覚する何かが、われわれの中にまだ残っているのではないですかね。
宇野:人間がカレンダーを見ていて「あぁ、満月がきたな」とか、そういう知覚じゃダメですね(笑)。
「詩」としての科学
――先ほど非日常が芸術と科学の一つの接点という話がありました。両者の共通点、相違点について感じることは。
森崎:牧島先生のブラックホールの研究は、非日常の極致ではないですか。見えないものを解明しようとするのは、ある意味で物語の世界に近いように思えます。
牧島:芸術は、あるものを美しいと思うか思わないかという主観が入るし、時代によっても国によっても変わります。科学者にも情緒的な世界が好きな人間もいれば、理詰めでいくのが好きな人もいます。すると、当然違う解釈が出てきます。しかし最後は、数式に則って、どれが正しいか折り合いをつけないといけない。そこが芸術と科学の違いですね。
宇野:真実が分かった科学者は、そのテーマには興味がなくなってしまうのですか。
戎崎:高い山に登ると、向こうにもっと高い山が見えてくるんです(笑)。
宇野:フランスのジャン・コクトー(1889〜1963、詩人・小説家・劇作家・画家・映画監督)が、詩はみんなが考えているようなロマネスクなものではなく、数学だったり科学だったりするというようなことを言っています。科学も本質的には詩的なものなのではないかと思うのですが、どうですか。
牧島:新しい考えを最初に示した論文には、詩的なものがあります。例えば、米国のリカルド・ジャコーニ博士(1931〜 、宇宙物理学者)が1962年にX線天体“さそり座X-1”を発見した論文。あれは何度読み返しても、見事な世界をつくっています。
戎崎:多くの理論家が否定したのに、ロケットを飛ばしてさそり座の方向から強いX線が来ていることを発見しました。あの論文は一編の詩だと思います。
牧島:当時、かなりの想像力を駆使したと思いますが、結論はほとんど正しい。ジャコーニ博士は2002年にノーベル物理学賞を小柴昌俊先生と一緒に受賞しています。
森崎:僕は、戎崎先生からお聞きした天文学者でSF作家でもあった米国のカール・セーガン(1934〜1996)の「地球とは広い宇宙にポツンと浮かぶ、かすかな青い点でしかない」という言葉に心を動かされ、今回の『かぐや』で宇宙映像を使わせていただくことになりました。これも、まさに一編の詩ですね。
――話は尽きませんが、この辺りで幕を閉めさせていただきます。公演が大変楽しみです。ありがとうございました。


1934年生まれ。名古屋市立工芸高校図案科卒業。カルピス食品工業、日本デザインセンターなどを経てフリー。日宣美特選、日宣美会員賞、講談社出版文化賞さしえ賞、日本絵本賞などを受賞。1999年紫綬褒章、2010年旭日小綬章受章。主な作品に「宇野亜喜良60年代ポスター集」「サロメ」「奥の横道」「MONO AQUIRAX +」、絵本に「あのこ」(今江祥智・文)「白猫亭」「上海異人娼館」(寺山修司・原作)など多数。キュレーターや舞台美術も手掛ける。

1949年生まれ。高校中退後、寺山修司に師事。演出家、映画監督、デザイナー、俳優。「演劇実験室・万有引力」、「第三エロチカ」、「演劇集団・池の下」、「唐組」などのポスター、チラシ、デザイン、荒木経惟写真集の編集・デザイン、パルコ映画「ウンタマギルー」「プ」の助監督、白石加代子「百物語」の音響、日本舞踊の水木佑歌、花柳ゆかしなどの演出、寺山修司監督作品「ローラ」「審判」「青少年のための映画入門」などで俳優出演。

1949年生まれ。理学博士(東京大学)。1974年、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻修士課程修了。1978年、同大学宇宙航空研究所助手。同大学助教授を経て、1995年より同大学大学院理学系研究科教授。2001年より理研中央研究所 宇宙放射線研究室主任研究員、2010年より理研基幹研究所 宇宙観測実験連携研究グループディレクターを兼務(現職)。専門はX線宇宙物理学。

1958年生まれ。1986年、東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程修了。理学博士。NASA研究員、神戸大学理学部助手、東京大学教養学部助教授を経て、1995年より理研中央研究所 計算科学研究室 主任研究員。2008年より理研基幹研究所 戎崎計算宇宙物理研究室 主任研究員(現職)。専門は高エネルギー天文学。