◇ポイント◇
- 立体選択性を持つ新たな糖供与体を発見して実現
- 抗ピロリ菌活性のある胃深部粘膜の糖鎖のメカニズム解明に革新もたらす
- 構造活性相関研究からピロリ菌阻害に特異な抗菌剤の開発が可能に
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、抗ピロリ菌活性機能を持つ糖鎖の合成に世界で初めて成功しました。これは、理研中央研究所(茅幸二所長)伊藤細胞制御化学研究室の眞鍋史乃専任研究員と石井一之協力研究員による成果です。
ピロリ菌は、胃がん、胃潰瘍の原因のひとつと推測されています。胃の中のピロリ菌は、胃粘膜表面にのみ棲息しており、深部粘膜では見つかっていません。その理由は、胃深部粘膜に存在する特異な糖タンパク質※1の糖鎖末端部分の「cis-N-アセチル-D-グルコサミン※2」が、ピロリ菌の増殖を抑制するためとされています。しかし、入手できる糖鎖の量が微量であり、非常に大きな分子量の化合物であるため、分子レベルの解析が難しく、しかも一種類のものしか得られず、研究が進展していませんでした。さらに、この糖鎖は、構造が複雑であるばかりか、末端の「cis-N-アセチル-D-グルコサミン」の構築が立体構造の選択性の問題で難しいため、合成が困難であるとされていました。
研究グループは、独自に開発した糖誘導体「環状カーバメート糖」を用いることで、致命的な課題とされていた立体構造の選択的な合成に成功し、ピロリ菌の抗活性作用があると示唆される糖鎖を合成することに世界で初めて成功しました。
今回の成果は、胃の深部の粘膜に特異的な糖鎖によるピロリ菌への活性測定、増殖抑制メカニズム解明などに活用され、ピロリ菌を除菌する抗菌剤の開発に貢献すると期待されます。
研究成果は、米国化学会誌『Journal of Organic Chemistry 』(ジャーナル・オブ・オーガニック・ケミストリー)に近くオンライン掲載されます。
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背 景 |
ピロリ菌は、胃潰瘍や胃がんの原因とされており、日本人の感染率が高いことで知られています。現在、ピロリ菌を除菌するために抗生物質が使用されていますが、10〜20%程度の割合で除菌に失敗するとともに、耐性菌が出現するなどの問題が報告されています。
胃の中でピロリ菌は、胃壁の粘膜表面のみに棲息しており、粘膜の深部には棲息していません。この理由として考えられているのが、胃の深部粘膜から分泌されている糖タンパク質の末端に「cis-N-アセチル-D-グルコサミン」構造を持つ特異な構造の糖鎖部分が、ピロリ菌の増殖を抑制する作用を持つためとされています (「cis-N-アセチル-D-グルコサミン」だけでは抗ピロリ菌活性を示さず、糖鎖の長い構造が必要です) 。
胃の表面には、タンパク質のセリンまたはスレオニンの側鎖水酸基を介して、糖鎖が結合したタンパク質が多く見られますが、これに加えて、胃の深部には非還元末端に糖鎖の「N- アセチル-D-グルコサミン」がcis結合した特異な「1,2-cis型結合」構造を持つ糖タンパク質が存在しています。特にこの糖鎖構造は、胃、膵臓などのごく限られた組織にしか存在しておらず、本来の意義は明らかではありませんが、ピロリ菌の膜の重要な構成成分で、コレステロールと反応して作られる「コレステリルα-グルコシド※3」の生合成を阻害することで、ピロリ菌の増殖を抑制するとされています(図1)。ピロリ菌がコレステリルα-グルコシドを持つのは、ヒト免疫T細胞からの攻撃から逃れるためとの仮説もあり、この糖鎖を自由に十分量で得ることができれば、ピロリ菌との作用を詳細に分析することや、ピロリ菌を撃退する阻害剤の開発が可能となります。ところが、この糖鎖が結合したタンパク質は、分子生物学的手法を使っても極微量の材料しか得ることがでず、作用の解明などの基礎研究の進展が滞っていました。
一方、有機合成化学では、天然から極めて微量(通常1mg 以下)にしか得られない化合物を、純粋なかたちで合成することが研究の大きなターゲットとなっています。しかし、合成が難しい構造も存在しており、その一つがアミノ糖※4の「1,2-cis型結合」です。
アミノ糖は、抗菌剤として用いられる抗生物質や抗血液凝固薬のヘパリンなどの生理活性を持つ糖鎖の構成分子で、1,2-cis 結合型を持つものが一般的です。しかし、有機合成化学では、1,2-cis 結合を持つアミノ糖結合の選択的な形成は困難でした。通常、アミノ糖のcis 選択的グリコシル化※5反応は、2位にアジド基がある糖誘導体(糖供与体)が第一選択として用いられています(図2左)。これは糖化学の始祖といわれているカナダ研究者のL.U.レミュー(Laymond Urgel Lemieux)とドイツの研究者のH.パールセン(Hans Paulsen)によって30年以上前に開発されたものです。しかし、彼らによる開発後、アミノ糖のcis 選択的なグリコシル化反応は、ほとんど改良されていませんでした。2-アジド糖の調製は、爆発性が懸念される試薬を用いることや、合成収率が必ずしも高くないなどの問題があるとともに、肝心のグリコシル化反応時の選択性に大きな問題がありました。
最近、研究グループは、糖の水酸基とアミノ基を環状に固定する保護基を用いることにより、非常に高いcis 選択性を示すグリコシル化反応を見出し、よりよい糖供与体を得ることに成功しています(図2右)(『Journal of the American Chemical Society 』(2006, 128, 10666-10667))。さらにアミノ基が、ベンジル基で保護されているためにアミノ基へのグリコシル化反応や試薬の付加が抑えられます。この糖供与体である「環状カーバメート糖」が、抗ピロリ菌活性糖鎖の合成に非常に有効に働きました。糖鎖で特に活性の際に必要であると推定されている末端の「cis-N-アセチル-D-グルコサミン」構造の形成にも効果のあることが明らかとなりました(図3)。
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研究手法と成果 |
胃の深部粘膜にある糖タンパク質糖鎖は、分子量1,191ダルトンと大きく、大別すると6つの分子ブロック(6つの糖ブロック)から構成され、末端部に位置する2つのブロックが抗ピロリ菌活性に欠かせないとされている「cis-N-アセチル-D-グルコサミン」構造を持っています(図4化合物1)。
研究グループは、独自に開発した糖供与体の環状カーバメート糖であるブロモ糖 (図4化合物2)とチオグリコシドを持つブロック(図4化合物3)を立体特異的に反応させ、2糖※6(図4化合物4)を得ました。この2糖はさらにそのまま活性化が可能であり、続けて、グルコサミン誘導体などと結合させ(図4化合物5,9)、それぞれ3糖のブロック(図4化合物6)と、3糖のブロック(図4化合物10)を得ることができました。上部3糖を糖供与体に変換し(図4化合物8)、また下部3糖を糖受容体へと変換し(図4化合物11)、この2種類の3糖ブロック[3糖+3糖]をグリコシル化反応させ、目標の糖鎖の骨格である6糖(図4化合物12)を得ました。
アミノ基のフタルイミド基をエチレンジアミンにより除去した後、環状カーバメートをアルカリ性条件にて除去、さらに水酸基保護基のベンジル基を除去し、アミノ基を選択的にアセチル化することにより、目的糖鎖の合成を達成しました(図4化合物1)。アジド糖を原料にした従来の合成方法では立体特異的な反応である「cis 選択的」なアミノ基のグリコシル化反応は難しくて行うことができなかったため、今回の目的とした糖鎖の合成は、世界ではじめての偉業となりました。
この合成は、単糖ユニット合成後、収率は21〜26%で、このように多数の手順を踏む合成で20%を超えるものは、極めて高い効率の合成法といえます。同時に、多段合成の中でポイントとされていた糖ユニットの合成、糖結合形成反応は、すべて高い立体選択性で進行します。また、非還元末端(糖の反応しない末端)から還元末端(糖の還元反応を起こす末端)へと糖鎖伸長を行うことにより、中間体すべてに抗ピロリ菌活性に必須とされている「1,2-cis グルコサミン構造」を含んでおり、水酸基保護基の除去(脱保護)を行った後、生理活性にどれくらい長い糖鎖構造が必要であるかなど調べることができます。
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今後の期待 |
ピロリ菌の増殖を抑制する生理活性があると推測されていた目標の糖鎖は、研究者が自由に手に入れて研究することが難しいという課題を抱えていました。世界初の合成手法は、この課題を解決するもので、今後、今回合成した糖鎖を用いて、ピロリ菌との相互作用を調べるとともに、糖鎖構造が違うものを何種類か合成し、様々な糖鎖の構造と活性の相関を調べることが可能となります。
また、「コレステリルα-グルコシド」は、ピロリ菌以外では、バクテリアでマイコプラズマの一種のAcholeplasma axanthumしか持っていません(人体の中には何千、何万の細菌がいるので、1種類の細菌に作用するというのは、医薬品開発などの好材料となります)。さらに、この糖鎖が標的とすると予測されるピロリ菌の重要な膜成分で、増殖に欠かせない「コレステリルα-グルコース転位酵素」と相同性をもつタンパク質は、バクテリアにはほとんどないことも既にわかっています。したがって、今後、この糖鎖を利用することで、ピロリ菌に対する選択的な医薬品への展開が期待されます。なお、この「コレステリルα-グルコース転位酵素」は、最近、遺伝子のクローニングが他のグループから報告されており(『Nature Medicine』(2006, 12, 1030-1038;Biochem. Biophys. Res. Commun. 2006, 349, 1235-1241.))、これらの研究の進展とともに増殖抑制作用メカニズム解明などの研究に革新をもたらすと期待されます。
また、この糖鎖の持つ、抗ピロリ菌活性以外の、本来の生化学的意義の解明にも貢献できると期待され、企業、大学などとの共同研究を展開したいと考えています。 |
| < 報道担当・問い合わせ先 > |
| (問い合わせ先) |
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独立行政法人理化学研究所 |
| 中央研究所 伊藤細胞制御化学研究室 |
| 専任研究員 眞鍋 史乃(まなべ しの) |
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| Tel | : |
048-467-9432 |
/ |
Fax | : |
048-462-4680 |
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| (報道担当) |
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独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当 |
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<補足説明>
| ※1 |
糖タンパク質 |
糖タンパク質とは、タンパク質を構成するアミノ酸の一部に糖鎖が結合したもの。様々な糖鎖がタンパク質を修飾することで、タンパク質の機能の重要な部分を担い、生命現象を制御していることが示唆されている。
糖タンパク質に結合している糖鎖を成す糖の種類はそれほど多くなく、よく見られるもの はグルコース、ガラクトース、マンノース、フコース、N-アセチルグルコサミン、N-アセチルガラクトサミン、N-アセチルノイラミン酸、キシロースなどである。構造様式もある程度限られており、その中のわずかな構造の違いが識別され、精密に認識されて様々な生命現象が制御されている。タンパク質のアミノ酸の修飾では、アスパラギンに結合したもの(N-結合型)とセリンやスレオニンに結合したもの(O-結合型、ムチン型)の2種類が頻繁に観察される。
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| ※2 |
cis-N-アセチル-D-グルコサミン |
| 「cis-N-アセチル-D-グルコサミン」は、立体構造がD型であるN-アセチルグルコサミンがアノマー位においてアキシアル方向に化合物と結合した化合物。 |
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| ※3 |
コレステリル-α-グルコシド |
| コレステロール水酸基にグルコースがα(1,2-cis)結合で結合した化合物。 |
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| ※4 |
アミノ糖 |
| 糖の分類として、水酸基をアミノ基に置き換えたものを「アミノ糖」という。その他、水酸基を水素に置換したものを「デオキシ糖」、アルドース末端の炭素をカルボキシル基に置き換えたものを「ウロン酸」、ケトン基やアルデヒド基がアルコールに還元されたものを「糖アルコール」と呼ぶ。 |
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| ※5 |
グリコシル化反応 |
| アノマー位に脱離基を持つ「糖供与体」と、遊離の水酸基をもつ「糖受容体」を結合させる反応。 |
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| ※6 |
2糖 |
| 単糖2分子がグリコシド結合により1分子となったものを2糖という。同様に、単糖3分子が結合したものを3糖、単糖2分子〜20分子程度が結合したものをオリゴ糖と呼ぶ。さらに多くの単糖が結合したものは多糖と呼ぶ。 |
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| >>拡大図 |
| 図1 推定されているピロリ菌増殖抑制メカニズム |
右のタンパク質の糖鎖部分が胃の粘膜の深部で見つかったもので、ピロリ菌の一部であるコレステリル-α-グルコシド(左下)とコレステロール(左上)が合成して増殖するのを邪魔するとされている。
H-pylori:ピロリ菌
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| 図2 従来の糖供与体と独自に開発した糖供与体 |
| 左が従来の糖供与体で、cis選択性がなかった。右が研究グループの開発した糖供与体で、cis選択性が非常に高い。この「環状カーバメート糖」を出発材料に、今回のターゲットである糖鎖「cis-N-アセチル-D-グルコサミン」を合成した。新しく開発した糖供与体は試薬として東京化成工業株式会社より市販される予定である。 |
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| 図3 合成に成功した糖鎖 |
今回合成に成功した糖鎖は、分子生物学では「糖転移酵素」でつくることもできるが、末端の「1,2-cis結合」を形成する糖転移酵素はひとつのグループしか持っておらず、6糖全部がタンパク質に結合した形のものは、CHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞:Chinese hamster ovary) 内で極少量しか合成できない。また、生体内には少しずつ構造が違う、似たような物性を持つ糖鎖が一群の化合物群として存在しているために、その中から目的のものだけを単離するのは非常に難しい。
また、従来の有機合成化学の手法では「N-アセチル-D-グルコサミン」の1,2-cis結合という立体構造は、選択的に合成することはできなかった。
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| 図4 研究グループが今回の糖鎖合成に用いた手順(1/2) |
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| 図4 研究グループが今回の糖鎖合成に用いた手順(2/2) |
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