プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
金属表面で起こる分子の選択的分解反応と表面拡散運動の可視化に成功
- 触媒反応の微視的メカニズム解明や念願の高機能触媒の創成へ向けての大きな一歩 -
平成20年3月31日
◇ポイント◇
  • STMのトンネル電流で、分子を選択的に切断、表面拡散運動をキャッチ
  • 分子振動の選択的励起が重要、という共通するメカニズムを解明
  • 新機能の触媒開発に確かな情報を提供
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、触媒反応の基本反応となっている金属表面上に吸着した有機分子の選択的分解反応と表面拡散運動のメカニズムを実験と理論計算の両面から単一分子レベルで解明することに世界で初めて成功しました。理研中央研究所(茅幸二所長)川合表面化学研究室の小原通昭客員研究員、金有洙専任研究員、川合真紀主任研究員および、国立大学法人大阪大学産業科学研究所(川合知二所長)量子機能科学研究部門・量子物性研究分野の森川良忠准教授、柳澤将博士研究員らによる研究成果です。
 自動車などから出る排気ガスにはSOx(硫黄酸化物)やNOx(窒素酸化物)などの人体に有毒な有機分子が含まれている場合があり、金属酸化物を主成分とした触媒※1を利用するとこれらの分子は効率的に分解し、排気ガス中から除去することができます。また、シックハウスの原因になっているCH3CHO(アセトアルデヒド)やNH(アンモニア)などの有機分子も金属酸化物の触媒を使うことによって分解することができます。しかし、触媒表面で起こる化学反応の全容は、いまだ解明されていません。これらの全容が詳細に明らかになると、より高い機能を持つ触媒を新たに作り出すことが可能となり、化学工業や環境産業を革新するとされています。そのため、この“触媒反応メカニズムの全容解明”をターゲットに、世界各国で熾烈な競争が繰り広げられています。
 研究グループは、触媒反応を理解する上で最も基本となる“金属表面上で分子内の化学結合が選択的に切断される現象”と“分子が表面上を動き回る現象”を単一分子レベルで可視化し、そのメカニズムを解明することに成功しました。具体的には、原子レベルの分解能を有する走査型トンネル顕微鏡(STM)※2の探針から流れるトンネル電子を利用することで、基板表面上に吸着した分子内部の特定の化学結合を切断する化学反応を引き起こすことに成功し、この分解反応で生成した分子を表面上で自在に動かすことを実現しました。さらに、この2つの現象に共通する因子を、理研スーパーコンバインドクラスター(RSCC)※3を利用した大規模演算を実施して、世界で初めて明らかにしました。これにより、触媒反応機構の全容解明、および高機能触媒の創成へ向けての大きな一歩を踏み出すこととなりました。
 本研成究果は、文部科学省科学研究費補助金・特定領域研究「ナノリンク分子の電気伝導」(領域代表者: 川合真紀)の一環として進めてきたもので、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』(4月4日号)に掲載されるに先立ち、オンライン版(4月3日付け:日本時間4月4日)に掲載されます。


1. 背景
 金属を主成分とした触媒は、プラスチックやタイヤ、ガソリンなどの石油化学製品をはじめとする工業製品の効率的な生産を可能にする一方で、大気汚染の元凶とされるSOx(硫黄酸化物)やNOx(窒素酸化物)、シックハウスの原因になっているCH3CHO(アセトアルデヒド)やNH(アンモニア)などの有機分子の分解・除去などと、多岐にわたり私たちの生活を支える高機能物質です。このように、触媒は、さまざまな産業を生み出す源ですが、触媒表面の上で起こっている化学反応の全容についてはこれまで明らかにされていませんでした。これは、多種多様な化学反応が触媒表面のあちこちで絶え間なく、そして同時に起こっているため、実験結果を詳細に分析することが極めて困難だったためです。
 触媒表面上に分子が吸着するとさまざまなタイプの反応が同時に引き起こりますが、その中で最も基本となるのが、吸着分子の“分解反応”と“表面拡散運動”の2つです。ところが、この基本となる2つの反応でさえ、そのメカニズムを正面から取り上げた議論は十分にできていませんでした。これらの反応を正確に理解し、そして精緻に制御するためには、まずは金属表面上に吸着した分子に着目して、そしてそれを単分子レベルで取り扱うことが必要不可欠です。これを“触媒反応のモデル化”と言います。しかしながら、分子1個の大きさは概ねÅ(オングストローム:1 Åは100億分の1m)レベルで、それらを1個1個取り扱ってその様子を観察する実験などは、極めて困難なこととされていました。そこで、本研究では原子レベルの空間分解能を持つ走査トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscope: STM)を利用することで、観察しながら基本反応を起こさせ、金属の基板表面に吸着した個々の分子についての分解反応と表面拡散運動の両方を可視化することに挑みました。


2. 研究手法と成果
 一般に、金属基板表面の上に吸着した分子は、基板の温度が室温(27℃ = 300K)程度の条件でもその上を絶えず高速で動き回っています。分子を1個1個取り扱い、そして単分子レベルの化学反応を正確に追跡するためには、まず基板表面の上で分子の動き(表面拡散運動)を止める必要があります。そのためには、基板を極めて低い温度まで下げなければなりません。極めて低温では、吸着した分子の運動はエネルギーレベルが最も低い状態、すなわち基底状態となり、分子は基板の上で静止します。こうした条件を作り出すために、本研究では液体ヘリウムを使って基板の温度を−268℃(= 5K)まで下げました。こうすることで、さまざまな化学反応が複雑に絡み合っている触媒反応を個別の反応に分解して、単純な化学反応の組み合わせとして理解することができます。今回、着目した反応だけの情報を取り出すために、基板を低温にすることに加えて、3×10-11 Torr(1 atm(標準大気圧) = 760 Torr)という超高真空の中で実験を行いました。
 金属基板としてCu(銅)を用いました。このCu(銅)基板表面の上にCH3S-SCH3(ジメチルジスルフィド)分子を吸着させると、図1(a)の下側に示したように分子内のS(硫黄)原子と基板の間には自発的に2本の化学結合が形成されます。
(1) トンネル電子を注入して分子内結合を選択的に切断する
 基板に2本足で吸着したCH3S-SCH3分子にSTM探針から370mVの電圧でトンネル電子を注入すると、STM画像上で1つの楕円形の輝点として観察されていたもの(図1(a))が2つの円形の輝点へと変化しました(図1(b))。これはCH3S-SCH3分子内のS-S結合だけが選択的に切断され、その結果、2分子のCH3S(メチルチオレート)が生成したことを示しています(図1(b)の下側)。つまり、これらの画像は、金属表面上で起こる選択的分解反応を可視化したもとなりました。
(2) トンネル電子を注入して分子を自在に動かす
 上記の分解反応で生成したCH3S分子(円形の輝点)に80mVの電圧でトンネル電子を注入すると、図2(a)(電子注入の前の画像)と図2(b)(電子注入の後の画像)の比較からわかるように、電子注入された輝点だけがその位置を変えます。これはトンネル電子が注入される度に、CH3S分子が基板上を動き回っている(ホッピングしている)ことを示しています(図2(a)〜(d))。つまり、これら一連の画像は金属表面上で起こる分子の拡散運動の“スナップショット”を捉えたことになりました。
(3) 2つの現象の共通点
 分解反応確率(図3(a))とホッピング運動確率(図3(b))のバイアス電圧依存性を調べた結果、全く別々の現象のように見える上記の2つの反応は、“分子振動の選択的励起”が重要な役割を果たしている、という共通点がありました。さらに、理研スーパーコンバインドクラスター(RSCC)を用いて、密度汎関数理論に基づいた第一原理計算を行い、励起される分子振動の種類を特定・予測したところ、実験データと一致する結果となりました。
 このように、本研究により金属表面上に吸着した有機分子の選択的分解反応と表面拡散運動のメカニズムを、実験と理論計算の両面から単一分子レベルで解明することができることを実証しました。


3. 今後の期待
 今回の研究結果は、(1)金属表面上に吸着した単一分子について、分子振動を選択的に励起させることで分子内の特定の化学結合を選択的に切断できること、(2)同様にして、分解生成した分子を表面の上で自在に動かせること、(3)この2つの現象には分子振動の選択的励起が重要な役割を果たしていること、を明らかにしました。今後、吸着分子の分解反応・表面拡散運動に寄与する因子(分子の種類や構造、分子と表面の接合部の構造と電子状態など)と、それら因子が関与する微視的なメカニズムをさらに明らかにすることで、これまでにない高い機能を持った新しい触媒の創成が期待できます。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 中央研究所 川合表面化学研究室
  専任研究員 金 有洙(きむ ゆうす)

Tel: 048-467-4073 / Fax: 048-462-4663
携帯電話: 080-3215-7387
※4月4日まで学会で不在のため、
携帯電話までご連絡ください。

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 触媒
特定の化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないもの。
※2 走査型トンネル顕微鏡 (STM)
先端を尖がらせた針(探針)をサンプルの表面をなぞるように走査して、その表面の状態を観察する顕微鏡。金属探針とサンプル間に流れるトンネル電流を検出し、その電流値を探針とサンプル間の距離に変換させ画像化する仕組み。本研究では、分子の観察のみならず、探針から流れるトンネル電子を対象分子に注入し、化学反応・分子運動を引き起こすためのツールとしても使用する。
※3 理研・共同利用計算機システム(RSCC)
計算リソースの中心に2048CPUのLinuxクラスタシステムを置き、単一プロセスで大量のメモリを要求するジョブ用に共有メモリ型ベクトル計算機のSX-7を有する複合的な計算機。


CH3S-SCH3分子の選択的単分子分解反応の例
図1  CH3S-SCH3分子の選択的単分子分解反応の例
反応前(a)と反応後(b)のSTM画像と吸着構造の模式図。CH3S-SCH3分子のS-S結合(赤矢印で示す)だけが選択的に切断されて、その結果、2つのCH3S分子が作り出される。


CH3S分子の表面拡散運動(ホッピング運動)の例(STM画像)
図2  CH3S分子の表面拡散運動(ホッピング運動)の例(STM画像)
トンネル電子を注入する度に、分子が表面上を動き回る。一連の画像は、分子の表面拡散運動のスナップショットに相当する。


CH3S-SCH3分子の分解反応確率のバイアス電圧依存性とCH3S分子のホッピング運動確率のバイアス電圧依存性
図3  CH3S-SCH3分子の分解反応確率のバイアス電圧依存性(a)と
CH3S分子のホッピング運動確率のバイアス電圧依存性(b)
図(a)の縦軸はS-S結合の切れやすさを、横軸はSTMの探針に印加するバイアス電圧をそれぞれ示している。図(b)の縦軸は分子の動きやすさを、横軸はSTMの探針に印加するバイアス電圧をそれぞれ示している。各図の上部にある点ほど結合が切れやすい、または分子が動きやすいことを意味する。それぞれの反応確率の閾値から、選択的に励起された分子振動の種類を特定することができる。

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