◇ポイント◇
- シロイヌナズナのリン酸化部位を2,000以上同定、情報を公開
- 植物もヒトと同様にチロシン残基のリン酸化制御を積極的に利用していることを発見
- ヒトや植物細胞の様々な情報伝達機構の理解促進に大きく貢献
慶應義塾大学先端生命科学研究所(冨田勝所長)と独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、共同で植物の大規模なリン酸化部位の同定に成功し、植物でもヒト同様にタンパク質のリン酸化を積極活用している状態などを明らかにしました。これは、慶應義塾大学先端生命科学研究所の石濱泰准教授、ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社(菅野隆二社長)の杉山直幸研究員らの研究チームと理研植物科学研究センター(篠崎一雄センター長)植物免疫研究チームの白須賢チームリーダー、中神弘史研究員らによる共同研究の成果です。
生物は、多種多様な方法を持って外界の変化に対応し、自身の生存もしくは種の保存を試みます。植物は動いて逃げることができない(移動手段を持たない)ため、自身の変化が生育環境の変化や病原体の攻撃から免れるための最大の手段となっています。外界の変化を特定の刺激として認識し、自身の変化を遂げる過程において、細胞内レベルでは、多数のタンパク質性因子が変化を導くための信号の受け渡し(シグナル伝達)を行っています。タンパク質のリン酸化は、シグナル伝達を行う際のバトンのような役割を担っており、細胞内でのリン酸化の状態を網羅的に把握することは、植物の柔軟な適応能力の理解に大いに役立つと期待されています。
近年の目覚ましい質量分析計関連技術の発達は、タンパク質上のリン酸化部位の同定を比較的容易にしました。しかし、細胞粗抽出液のように非常に複雑なタンパク質集団のリン酸化部位を網羅的に解析するためには、まだ乗り越えるべき課題が数多くあります。本研究は、植物材料用にリン酸化タンパク質の精製・濃縮法の改良および最適化を行い、植物の細胞粗抽出液からタンパク質集団のリン酸化の状態を大規模に解析することに世界で初めて成功しました。その結果、これまで植物であまり注目されていなかったチロシン残基のリン酸化が予想外に多く起こっていることがわかりました。同定したリン酸化部位の情報は、世界中の研究者が自由にインターネット上で検索できるように慶應大先端生命研ペップベースおよび理研オミックブラウズ※1にて公開しています。今後、ますます深刻になっていく食糧や燃料問題の解決のために重要である、より優れた植物資源の研究開発に大きく貢献すると期待できます。
この研究成果は、欧州の科学雑誌『Molecular Systems Biology』のオンライン版(5月6日付け:日本時間5月6日)に掲載されます。
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背景 |
リン酸化は、植物に限らず、細菌からヒトに至るほとんど全ての生物種が細胞内シグナル伝達に使用しており、最もよく研究されているタンパク質の翻訳後修飾の1つです。近年、質量分析計関連技術の飛躍的な発展に伴い、細胞内のすべてのタンパク質(プロテオーム)のリン酸化の状態を網羅的に解析しようとするリン酸化プロテオーム解析がさまざまな生物種で盛んに試みられています。このプロテオーム解析の主流は、ショットガンプロテオーム解析※2と呼ぶ方法で、消化酵素「プロテアーゼ」が消化(分解)したペプチド断片の質量分析情報をもとにタンパク質を同定します。リン酸化されたペプチド(リン酸化ペプチド)の量は、リン酸化されていないペプチド(非リン酸化ペプチド)と比較すると圧倒的に少ないため、タンパク質消化物をそのまま解析する現在の技術では、目標とするリン酸化ペプチドはほとんど同定できません。したがって、リン酸化プロテオーム解析を成功させる鍵は、リン酸化ペプチドをいかに効率よく、かつ特異的に精製・濃縮することができるかにかかっています。
これまで報告されてきた植物のリン酸化プロテオーム解析は、主に精製・濃縮技術が未熟なために、膜画分に含まれるタンパク質の解析など、あらかじめ測定試料の複雑性を下げたものを対象としたものに限られていました。そのため、得ることができる情報も限られていました。
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| 2. |
研究手法 |
慶應義塾大学先端生命科学研究所の石濱泰准教授らの研究チームが開発したリン酸化ペプチドの高性能精製・濃縮技術に基づき、慶應大先端生命研の研究チームと理研の植物免疫研究チームは、共同研究を展開し、植物の細胞粗抽出液からリン酸化ペプチドを精製・濃縮するとともに、リン酸化部位の同定を試みました。
ショットガンプロテオーム解析には解析試料のゲノム情報が必要だということと、大量の均一な研究試料を容易に調製することができるという理由から、実験材料として、モデル植物であるシロイヌナズナの培養細胞を用いました。リン酸化ペプチドの精製・濃縮法には、ヒドロキシ酸修飾酸化金属クロマトグラフィー(HAMMOC:Hydroxy Acid-modified Metal Oxide Chromatography)法と固定化金属キレートアフィニティークロマトグラフィー(IMAC: Immobilized Metal Affinity Chromatography)法を採用しました。
具体的には、液体窒素で瞬時に凍結・保存したシロイヌナズナ培養細胞を破砕し、細胞回収時のリン酸化の状態を維持するために、脱リン酸化酵素の阻害剤を加えた緩衝液に懸濁させ、軽く遠心処理をして細胞破砕残さ(渣)を除いた細胞粗抽出液をリン酸化ペプチドの精製・濃縮の開始材料に使用しました。この細胞粗抽出液(タンパク質混合物)を、プロテアーゼであるLys-Cおよびトリプシンを用いて消化してペプチド混合物試料を得ました。次に、酸化金属としてチタニアおよびジルコニアを用いたHAMMOC法と鉄イオンを固定化したIMAC法を用い、リン酸化ペプチドの効率的な精製・濃縮の条件検討を行いました。精製・濃縮したペプチド混合物の解析には、微量なリン酸化ペプチドを効率よく検出できるように独自の工夫を施した液体クロマトグラフィー(LC)システムを、高速かつ高精度でショットガン式のリン酸化プロテオーム解析に適しているハイブリッド型イオントラップ−オービトラップ質量分析計(MS)※3に連結させたLC-MSシステムを使いました。
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| 3. |
研究成果 |
このように、最先端の精製・濃縮技術と質量分析計技術を活用することで、シロイヌナズナの細胞粗抽出液から、1,346種のタンパク質上に位置する2,172のリン酸化部位の同定に成功しました。最適化した精製・濃縮技術と質量分析計技術では、わずか100μgの総タンパク質量から400以上ものリン酸化ペプチドを同定することができるようになりました。ショットガンプロテオーム解析により、未分画の植物細胞粗抽出液からリン酸化部位をこのように大規模に同定したのは、世界で初めてのことです。この研究で、植物の細胞レベルでリン酸化がどのような現象に関わっているかのあらましを明らかにすることができるようになりました。
植物のゲノム上には、ヒトが保有するチロシン残基を特異的にリン酸化する酵素が存在していません。したがって、チロシンのリン酸化の程度やチロシンのリン酸化制御の生命現象に対する貢献度はヒトと比べて低いと考えられており、これまでの植物のリン酸化プロテオーム解析では、チロシンのリン酸化はほとんど認められない状況でした。ところが、興味深いことに、今回、94ものリン酸化チロシン残基が、同定した2,172のリン酸化部位に含まれていました。リン酸化チロシンの割合はリン酸化アミノ酸全体の4.3%と少ないので、大した数ではないように見えますが、ヒトでのリン酸化チロシンの割合2〜6%と比べると同程度の値になります。今回の発見は、生命現象におけるヒトでのチロシンのリン酸化の重要性を考慮すると、植物でのチロシンのリン酸化も同様に生命現象の大切な役割を担っていることを示唆していると思われます。
世界中の研究者がリン酸化部位の情報を閲覧できるように、インターネット上で自由に検索できる慶應大ぺップベースおよび理研オミックブラウズ上に4月から情報を公開しました。
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| 4. |
今後の期待 |
| 本研究により、植物細胞内でリン酸化制御を受けるタンパク質、さらにリン酸化修飾が起こるアミノ酸の位置までが数多く明らかになりました。この情報資源が有用植物の開発推進に大いに役立つことが期待されます。 |
| (問い合わせ先) |
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慶應義塾大学先端生命科学研究所 |
| 准教授 石濱 泰(いしはま やすし) |
| 渉外担当 塩澤 明子 (しおざわ あきこ) |
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| Tel | : |
0235-29-0534 |
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Fax | : |
0235-29-0536 |
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| 独立行政法人理化学研究所 |
| 植物科学研究センター 植物免疫研究チーム |
| チームリーダー 白須 賢(しらす けん) |
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| Tel | : |
045-503-9574 |
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Fax | : |
045-503-9573 |
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| 横浜研究推進部 企画課 |
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| Tel | : |
045-503-9117 |
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F045-503-9113 |
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| (報道担当) |
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独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当 |
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<補足説明>
| ※1 |
慶應大先端生命研ペップベースおよび理研オミックブラウズ |
慶應大先端生命研ペップベースとは、高精度質量分析計を用いたショットガンプロテオーム解析で取得した情報を中心とするペプチドデータベース。
また理研オミックブラウズとは、理研横浜研究所生命情報基盤研究部門の豊田哲郎部門長らの研究グループが開発した、ゲノム上に存在する遺伝子などの様々な情報(アノテーション情報)に関する多数のデータベース群を同時に検索して可視化するソフト。詳細は、2008年3月19日プレスリリース参照。
各リン酸化部位情報は慶應大ぺップベース中のリン酸化ペプチド測定データへもリンクしている。
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| 図 理研オミックブラウズおよび慶應大ペップベース上での表示例 |
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| ※2 |
ショットガンプロテオーム解析 |
| タンパク質の混合物をタンパク質消化酵素「プロテアーゼ」で分解・切断し、得たペプチド混合物を液体クロマトグラフィーで分離する。この分離で得たペプチドと質量分析計内でさらに断片化させたペプチド断片の質量を質量分析計で計測し、その質量情報をもとに、ゲノム情報を参照してタンパク質を同定する方法。 |
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| 図 典型的なショットガンプロテオーム解析の流れ |
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| ※3 |
ハイブリッド型イオントラップ-オービトラップ質量分析計 |
| 前段にイオントラップ型の質量分析計、後段に電場型のフーリエ変換質量分析計であるオービトラップ型の質量分析計を直列に配置したハイブリッド型の質量分析計。イオントラップでペプチドの配列情報を高速で取得しながらオービトラップでペプチドの質量/電荷比を超高精度(3ppm以内)で測定できるため、ショットガンプロテオーム解析に適している。 |
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