プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
大脳皮質へ情報を送る中継地点「視床」でも機能領域のパターンを変化
- 視床発生のメカニズムをはじめて解明 -
平成20年8月13日
◇ポイント◇
  • 繊維芽細胞増殖因子(FGF8)の発現量の操作で、視床の地図が変化
  • 視床の発生の仕組み解明への確証を得る
  • 動物種ごとに異なる脳の進化の様子の解明に貢献
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、外部から入った情報が、神経細胞の回路を経て大脳皮質に到達、投射される過程で、重要な中継地点である「視床」の発生の仕組みを発見しました。理研脳科学総合研究センター(田中啓治センター長代行)回路機能メカニズムコア臨界期機構研究グループ 下郡研究ユニットの下郡智美ユニットリーダー、片岡礼音テクニカルスタッフによる成果です。
 動物が、得た情報をもとに発揮する活動能力は、種ごとに異なります。大脳皮質内では、入力される情報ごとに領域が分けられた「脳地図」が存在し、この地図の領域の数や種類が動物種ごとに違うために、異なった能力を持つと考えられています。しかし、大脳皮質への情報移送の前段階である視床においても、情報ごとに区分けされた「視床の脳地図」が存在し、異種動物によってその地図が違うことも能力の差を生む原因であると考えられます(図1)。今回、マウスの発生途中の視床内で、繊維芽細胞増殖因子(FGF8)の発現の様子を観察し(図2)、同因子の活性を調節して視床の脳地図を変化させることに成功しました(図3)。これらの成果により、脳の一部である視床の仕組みを解明し、脳全体の進化の理解が深まることにつながります。
 外部からの情報のほとんどが、脳内の深部に位置する視床という場所を中継して大脳皮質に送られます。動物種ごとで異なるさまざまな能力は、情報移送先である大脳皮質の大きさや機能領域の違いによって生じると考えられ、その発生の仕組みを理解しようとする研究室が数多くあります。しかし、情報移送の中継地点である視床も大脳皮質同様に種による違いがあり、この違いが異種動物間の情報の処理能力の差を生じていると考えられます。ところが、視床は大脳皮質に覆われていて見えにくい、深部にあるため外部から遺伝子導入の操作がしにくい、などの理由から研究があまり進んでいませんでした。研究グループは、視床部位だけに遺伝子を導入する独自の方法を開発し、もともと発生途中のマウスの視床で発現している遺伝子Fgf8を、過剰に発現、または逆に抑制することで、視床内における大脳皮質への投射を担う領域の形を変えることに成功しました。今回の成果により、どのようにして、動物が視床の中で処理する情報量や種類を種特異的に変化させ、その結果、大脳皮質がどう変化するかを理解することができると期待できます。
 本研究成果は英国の科学雑誌『Development』(8月号)に掲載される予定です。


1. 背景
 動物は、その見た目の違いだけでなく、能力にもさまざまな違いがあります。ところが、われわれ哺乳類は、共通祖先から生まれてきたと考えられています。それでは、哺乳類の多種多様な能力は、共通の祖先からどのような進化の過程を経て獲得されたのでしょうか? 外部からの情報を処理し、記憶するためには大脳皮質が必要であることは広く知られています。この大脳皮質全体の大きさ、機能領域の種類や大きさの差が、異種哺乳類間のさまざまな能力の違いを生んでいると考えられています。しかし、大脳皮質で情報が正しく処理・記憶されるためには、大脳皮質に正しく情報が送られることが必要で、脳内の深部に位置する視床という部分が、この情報移送の中継地点としての役割を担っています。
 それでは、この中継地点である視床は、異種哺乳類間でみな同じなのでしょうか?実際には、大脳皮質同様に、進化に伴ってその大きさや、機能領域の数が異なることが知られています。つまり、哺乳類の脳の進化を理解するためには、どのようにして哺乳類種ごとで視床の大きさや機能領域の違いが特異的に生じているのかを理解する必要があります。しかし、哺乳類の全遺伝情報(ゲノム)を見る限り、大きく異なった能力を持つ異種哺乳類間でも、その配列はよく似ており、例えば、ヒトとチンパンジーのゲノムの違いは1.23%しかないという発表もあります。(2002年プレスリリース)従って、ゲノム上の遺伝子配列だけで異種哺乳類間の能力の差が生じたと考えることは難しいとされています。しかし最近では、この能力の差を生んだ可能性の1つとして、ゲノムの中に入り込んで広がった、繰り返し配列「レトロポゾン」の一部が、哺乳類の脳の進化にかかわっているという報告もあります。研究チームも、東京工業大学のチームなどと共同で、視床での繊維芽細胞増殖因子(Fibroblast Growth Factor:FGF8)の発現を、特定のレトロポゾンが増強させているという報告をしており (Sasaki et al, 2008, Proc. Natl. Acad. Sci.)、脳内でのレトロポゾンによる遺伝子の活性変化が、動物種ごとに特異的な脳を作る原因になっている可能性が強まってきました。


2. 研究手法と成果
 研究チームは、特定のレトロポゾンにより増強されたFGF8の活性が、どのような変化を視床にもたらすかを明らかにしました。具体的には、FGF8の活性が大きくなると、視床内での機能領域が神経軸に沿って後方に、逆に活性を阻害すると機能領域が神経軸に沿って前方に、移動していました(図3)。
(1) 発生途中の視床内で発現している遺伝子の検索
視床内で発現し、視床の発生を調節している遺伝子を探しだし、その発現様式をin situ ハイブリッド形成法(in situ hybridization法)という染色法で調べた結果、Fgf8の発現の様子を観察しました(図2)。
(2) 発生途中の視床内に発現するFgf8を強制発現した時の視床領域への影響
発生途中の大脳皮質では、皮質前方だけで発現しているFgf8が、大脳皮質領域の形成をコントロールしていることが知られています(Fukuchi-Shimogori T and Grove EA, 2001, Science)。視床にもこの遺伝子Fgf8が局所的に発現しているため、Fgf8は視床領域もコントロールしていると考えました。そこで、発生途中の視床内に遺伝子導入法(図4)を用いてFgf8を過剰に発現しFGF8の活性を上げると、視床内の機能領域が神経軸に沿って後ろに移動させることができました。(図3中央)
(3) 発生途中の視床内に発現するFgf8を抑制した時の視床領域への影響
発生途中の視床内にFGF8の活性を抑制する遺伝子を導入すると、逆に神経軸に沿って前に移動させることができました。(図3右)
以上の結果より、FGF8の量が、発生途中の視床内の領域形成をコントロールしていることが判明しました。


3. 今後の期待
 脳の進化にはまだ多くの謎が残されており、動物種がどのようにして特異的な脳を持つようになったのかは、全容解明にはほど遠い状態です。しかし、脳の各部位の発生の仕組みが理解され、さらには異種動物間での違いがより明らかになると、どのような進化の過程を経て、現在の脳を獲得したのかの理解が深まることにつながります。
 今後は、動物種に特異的な視床領域の大きさや違いなどが、大脳皮質の領域に与える影響を調べることで、さらに脳全体の進化への理解が深まることが期待されます。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
脳科学総合研究センター 下郡研究ユニット
ユニットリーダー 下郡 智美(しもごおり ともみ)

Tel: 048-467-9779 / Fax: 048-467-9763
脳科学研究推進部 大伴 康志(おおばん やすし)

Tel: 048-467-9596 / Fax: 048-462-4914

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


図1 マウスとヒトの視床の模式図
図1 マウスとヒトの視床の模式図
マウスの大脳皮質の下にある視床(黄色い部分)は、情報により機能領域として細分化される(緑、オレンジ)。視床の機能領域からそれぞれの大脳皮質内への機能領域に視床神経が伸びる(大脳皮質の機能領域、オレンジ、緑の部分)。ヒトの視床も、マウス同様に視床は大脳皮質に覆われている(黄色)。ヒトの視床にはより多くの種類の視床の機能領域が存在し(緑、オレンジ、水色、紫)、それぞれの領域に対応する大脳皮質の機能領域に視床神経が伸びる(模式図)。


図2 Fgf8の胎生10日目のマウス胚でのin situハイブリッド形成法での発現の様子
図2 Fgf8の胎生10日目のマウス胚でのin situハイブリッド形成法
での発現の様子
マウスの胎児の脳内で数カ所のFgf8が発現していることがわかる(赤矢印)。
発生中の視床の中にも限局したFgf8の発現が認められる。


図3 FGF8の活性量が視床内の機能領域のパターンを変化させる模式図
図3 FGF8の活性量が視床内の機能領域のパターンを変化させる模式図
遺伝子導入法によりFgf8の発現量を増加させ、FGF8の活性を上げると、視床内の機能領域(A,B)が後ろに移動する。逆にFGF8の活性を抑制すると機能領域が前に移動する。残りの視床内の機能領域の変化についてはまだ不明(?部)。


図4 視床特異的な遺伝子導入法
図4 視床特異的な遺伝子導入法
麻酔をかけて眠らせた母親マウスのお腹から、胎児を子宮ごと取り出す。その後、子宮の外から遺伝子を胎児の脳内に注入し電気刺激を与える。再び、胎児を子宮ごと母親の体内に戻し、胎児を成長させる。2日後には、既に視床においてのみ、外来の遺伝子が導入されている様子がわかる。

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