プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
GABA抑制の促進がアルツハイマー病の記憶障害に関与
- GABA受容体阻害剤が、モデルマウスの記憶を改善 -
平成20年8月21日
◇ポイント◇
  • 老化に伴って生じる記憶障害がアルツハイマーモデルマウスで若年期に発症
  • GABA抑制の異常促進が、海馬のシナプス可塑性を低下
  • シナプス可塑性を薬剤によって制御する新たな治療戦略を示唆
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、脳の老化に伴って生じる、GABA※1受容体を介した神経活動の抑制機構「GABA抑制」の異常な促進が、アルツハイマー病モデルマウスでは若年期で生じることを見いだしました。さらに、モデルマウスにGABA受容体の阻害剤を投与したところ、アルツハイマー病による記憶障害が改善することを発見しました。理研脳科学総合研究センター(田中啓治センター長代行)アルツハイマー病研究チームの高島明彦チームリーダー、吉池裕二研究員らと国立大学法人埼玉大学(上井喜彦学長)の古舘宏之助教との共同研究による成果です。
 アルツハイマー病の脳には、老人斑というβアミロイドタンパク質※2の凝集物が沈着します。遺伝性のアルツハイマー病患者では、βアミロイドの沈着や記憶障害がより若年期に起こります。一方、大多数を占める非遺伝性のアルツハイマー病は、老年期に発症することから、脳の老化が最も大きな要因であるといえます。研究チームは、βアミロイドと老化という2つの要因を別々に検討するため、若いβアミロイド過剰発現モデルマウスと老齢の野生型マウスの2種を、それぞれ若い野生型マウスと比較しました。その結果、モデルマウスも老齢野生型マウスも、若い野生型マウスに比べて記憶能力が低下していることがわかりました。この記憶低下の原因を明らかにするため、記憶の形成をつかさどる海馬※3のシナプス可塑性※4について調べました。その結果、モデルマウスと老齢野生型マウスでは、GABA受容体を介した神経活動の抑制機構(GABA抑制)が異常に促進し、シナプス可塑性が低下していることがわかりました。そこで、モデルマウスにGABA受容体の阻害剤を投与したところ、記憶能力の低下が改善しました。GABA受容体の阻害剤は、老齢マウスの記憶能力を向上させることが既に知られています。これらのことから、GABA抑制の異常な促進によるシナプス可塑性の低下が、βアミロイドと老化による記憶障害の共通な発症機構であると考えられます。今回の成果は、GABA抑制機構を含む、恒常性維持のための可塑性※5を制御し、神経ネットワーク異常を調整することで、記憶障害を改善する、新たなアルツハイマー病の治療戦略の可能性を示すこととなりました。
 本研究成果は、文部科学省特定領域研究「統合脳」の助成金を得て実施され、米国のオンライン科学雑誌「PLoS ONE」(8月21日付け:日本時間8月21日)に掲載されます。


1. 背景
 アルツハイマー病は、もの忘れに始まり認知障害へと徐々に進行する病気です。世界保健機関(WHO)の調べによれば、その患者数は世界で約1,800万人と増大しており、高齢化が進む現代社会において重大な問題の1つとなっています。
 アルツハイマー病は、βアミロイドを主成分とする老人斑とタウタンパク質※6を主成分とする神経原線維変化という病理的特徴があります。神経原線維変化の分布は、アルツハイマー病の進行と相関し、βアミロイドの凝集物が神経原線維変化形成を促進すると考えられています。また、これらのタンパク質の異常な凝集に伴って、神経細胞死が起こり、記憶が形成できなくなると考えられています。しかし、神経細胞死から記憶障害までの間にはさまざまなステップがあり、複雑な補償機構※7が働いて脳を守ろうとします。これまでに、βアミロイドの凝集が、記憶障害へとつながる、1つのトリガーとなることは広く知られていますが、記憶障害へ至る過程は謎のままです。一方、アルツハイマー病は、脳の一部が瞬時に破壊されるような病気ではなく、長年かかって発症することから、臨床的には老化が原因の脳の機能不全であるといえます。研究チームは、βアミロイドの凝集と老化という記憶障害を引き起こす2つの異なる要因には、何らかの共通機構があると考えました。


2. 研究手法と成果
(1) GABA抑制の異常促進による記憶障害の発症
 老齢の野生型マウスの脳からは、ヒトのアルツハイマー患者に見られるような、典型的な老人斑や神経原線維変化は報告されていません。そこで、老化要因だけを分離して考えるために、若い野生型マウスと老齢野生型マウスを比較しました。若い野生型マウスと老齢野生型マウスの脳のスライス標本を用いて、マウス海馬のシナプス可塑性(LTP)を調べたところ、老齢野生型マウスではLTPが低下していました。LTPは、記憶能力の実体であると考えられています。GABA受容体の阻害剤(GABA阻害剤、例えばペンチレンテトラゾールなど)が、老齢マウスの記憶能力を向上させることがすでに知られていたことから、研究チームはLTPの低下がGABA抑制に関係していると考えました。老齢野生型マウスにGABA阻害剤を投与すると、若い野生型マウスに比べてLTPが極端に増大し、老齢野生型マウスではGABA抑制の異常促進が起きていることがわかりました(図1)。さらに、GABA抑制の異常促進が原因となって、LTPの低下、それに相関した記憶能力の低下を引き起こしていることを突き止めました。
 次に、βアミロイド要因だけを分離して考えるために、βアミロイドを過剰に産生するような遺伝子改変マウス「βアミロイド過剰発現モデルマウス」と野生型マウスを若齢で比較しました。老齢野生型マウスと同様、モデルマウスでも、GABA抑制の異常促進、LTPの低下(図1)、記憶能力の低下が見られました。
 老化とβアミロイドの凝集という2つの要因は、GABA抑制の異常促進という共通する機構によって記憶障害を引き起こすことが明らかとなりました。
(2) GABA抑制の阻害による記憶障害の改善
 GABA阻害剤の記憶障害への効果を見るために、モデルマウスにGABA受容体の阻害剤を投与し、モリス水迷路※8を用いた実験を行いました。モデルマウスに、10日間、てんかんを起こさない程度に微量なGABA阻害剤を投与し続け、その後トレーニングを9日間行いました。対照実験として、GABA阻害剤の代わりに塩水を投与したマウスと比較しました。その結果、塩水を投与したマウスは失敗が減らないのに対し、GABA阻害剤を投与したモデルマウスは、トレーニング日数に従って学習し、記憶を形成していることがわかりました。GABA抑制を阻害することで、記憶障害が改善することを見いだしました(図2)
(3) シナプスタンパク質レベルの変化
 これらの動物の脳を解析した結果、モデルマウスの脳では、GABA受容体を含む、さまざまなシナプスタンパク質の量が変化していること、投与したGABA受容体の阻害剤がこれらを調整するように働いていることが明らかとなりました(図3)。これらのことから、シナプスタンパク質レベルの異常な変化が、LTPの異常、さらには神経ネットワークの異常を引き起こし、この神経ネットワークの異常が脳の記憶機能不全を起こすことが示されました。同時に、恒常性維持のための可塑性を制御し、神経ネットワークの異常を調整すると、記憶障害を改善することが示唆されました。


3. 今後の期待
 現在検討されているアルツハイマー病治療戦略には、タンパク質の異常凝集を阻害するような予防的なものや、ES細胞から誘導した新しい神経細胞で、失った細胞を補填するような提案があります。今回の結果は、そうした方法以外に、薬剤によって神経ネットワークの異常を調整することで、記憶障害を改善できる可能性を示しました。しかし、神経ネットワークの異常は、脳の複雑な補償機構の上に生じるため、さまざまな要因が集まって発症し、個人個人の病気の進行過程によって変化する可能性があります。今後は、神経ネットワークの異常が、病気の進行過程でどのような変化を起こしうるか、またそれぞれの過程で、どのような薬剤投与が異常を調整しうるかを検討し、治療法としてより現実的なものに近づけていきたいと考えています。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
脳科学総合研究センター アルツハイマー病研究チーム
チームリーダー 高島 明彦(たかしま あきひこ)
研究員 吉池 裕二(よしいけ ゆうじ)

Tel: 048-467-9704 / Fax: 048-467-5916
脳科学研究推進部 企画課

Tel: 048-467-9596 / Fax: 048-462-4914

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 GABA
抑制性の神経伝達物質であるγ-アミノ酪酸(ガンマ アミノ酪酸) gamma-aminobutyric acid の略称。GABA受容体はシナプスタンパク質の1つで、GABAが結合すると塩素イオン(Cl-)を細胞内に透過させ、膜電位をマイナスにして神経細胞を発火しにくくする。
※2 βアミロイドタンパク質
39〜42個のアミノ酸からなるペプチド。凝集しやすい性質をもち、大脳皮質や海馬で老人斑を形成する。
※3 海馬
エピソード記憶や空間記憶に関わる脳の器官。
※4 シナプス可塑性
神経細胞間(シナプス)で情報伝達効率を長期的に変化する能力。長期増強(LTP)と長期抑圧(LTD)のほか、恒常性維持のための可塑性がある。
※5 恒常性維持のための可塑性
神経細胞が、自身の興奮性をまわりの神経細胞の活動に応じて制御する能力。補償機構によるため、調整には数日間かかる。
※6 タウタンパク質
微小管結合タンパク質の1つ。アルツハイマー病の脳では、過剰にリン酸化されたタウタンパク質の沈着物(神経原線維変化)が神経細胞内に観察される。
※7 補償機構
脳の恒常性を維持するための機構。可塑性などがある。
※8 モリス水迷路
水をはった円形のプール(直径1m)に、マウスが這い上がって水から出られるプラットホームを水面下に作っておき、マウスをプールに入れプラットホームの場所を、プールの周りの空間的な物体の配置から学習させる。このトレーニングを9日間程度行った後、プラットホームを取り除いた状態で、一定時間内にマウスがどれだけプラットホームが元あった場所を探すかどうかをテストし、空間記憶機能を評価する。


図1 若齢野生型、老齢野生型、若齢モデルマウスの
海馬LTP(シナプス可塑性)の比較
A: 刺激後の興奮性シナプス後電位(EPSP)の長期的増強(LTP)が、老齢野生型マウスと若齢モデルマウスでは若齢野生型マウスよりも低いことがわかった。一方、GABA阻害剤存在下では、若齢野生型マウスよりも高い値を示した。
B: 刺激後30分から60分までのEPSPの平均値を示す。GABA阻害剤がある場合とない場合の差から、GABA受容体を介した抑制(GABA抑制)の程度がわかる。老齢野生型と若齢モデルマウスではこの差が大きいことから、若齢野生型マウスに比べてGABA抑制が異常に促進していると考えられる。*印は、統計的有意差を示す。


図2 モリス水迷路による空間学習・記憶機能の評価
A: トレーニングを重ねても、塩水を投与したモデルマウスは失敗が減らないのに対し、GABA阻害剤を投与したモデルマウスは失敗が減って、学習したことがわかる。
B: トレーニング後のテストで、マウスが4等分した円形の各区分にいた割合を示す。GABA阻害剤を投与したモデルマウスは、プラットホームがあった区分(ターゲット)にいた割合が高く、プラットホームをよく探していることから、記憶が形成されたと考えられる。*印は、統計的有意差を示す。


図3 脳内のシナプスタンパク質レベルの比較
薬剤投与実験にもちいた4グループ(野生型マウス塩水投与、モデルマウス塩水投与、野生型マウスGABA阻害剤投与、モデルマウスGABA阻害剤投与)のマウス脳内のGABAA受容体α1、PSD95、NMDA受容体2Bの量を、ウェスタンブロット法を用いて解析した。塩水投与のモデルマウスで異常に多いタンパク質が、阻害剤投与群では野生型と同等のレベルになっていた。*印は、統計的有意差を示す。

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