プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
ヒトES細胞から層構造を持った大脳皮質組織の産生に成功
- 次世代の幹細胞医学応用を大きく拓く組織形成技術 -
平成20年11月6日
◇ポイント◇
  • ES細胞から、70%の高効率で大脳皮質組織を試験管内で産生
  • 生体に似た立体構造と特有の神経活動を持つ大脳皮質組織を世界で初めて産生
  • 異なる大脳皮質の領域を選択的に分化誘導する技術を開発
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、マウスおよびヒトES細胞※1から脳の高次機能をつかさどる大脳皮質※2組織を、生体に近い立体構造で産生し、特有の神経活動の一部を再現することに世界で初めて成功しました。発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)細胞分化・器官発生研究グループの笹井芳樹グループディレクター、永楽元次研究員を中心とした研究グループの成果です。
 研究グループは、これまでマウスおよびヒトES細胞から多様な中枢神経系の神経細胞などを試験管内で分化させる研究してきました。しかし、これまでの研究では、個々の神経細胞の分化を制御することが主で、多くの神経細胞などが整然と集合して機能する「神経組織」の形成は困難でした。
 今回、研究グループは、これまでに開発していたES細胞からの大脳分化のための無血清浮遊培養法(SFEB法)を改良した「SFEBq法」を新たに開発し、従来の倍以上となる70%の効率で大脳皮質前駆細胞※3の分化誘導を可能としました。この大脳皮質前駆細胞を立体的にで浮遊培養※4し続け、大脳皮質に特有の層構造※5を持った立体組織の形成に成功しました。特にヒトES細胞から分化させたものでは、ヒト胎児の大脳皮質とよく似た4層の組織構造(成人の皮質は6層)を作製することができました。また、この方法で形成した大脳皮質組織は、一定の神経ネットワークを形成し、大脳に特有の同期した神経活動を自発的に行うことから、誘導した大脳皮質組織が生体組織に似た神経活動の一部を示すことも分かりました。さらに、異なった誘導因子を加えることで、大脳皮質の中でも運動野周辺の領域、視覚野周辺の領域、嗅覚の中継をする嗅脳、記憶をつかさどる海馬周辺領域の4つの特徴を持った神経組織を、選択的に分化誘導することにも成功しました。
 この研究成果は、組織を用いた次世代の再生医療や創薬研究などに貢献することが期待されます。また、試験管内での神経組織の自己組織化を明らかにした点でも大きな意義があります。
 本研究成果は、一部を文部科学省「再生医療の実現化プロジェクト」の一環として行い、米国科学誌『Cell Stem Cell』オンライン版(11月6日付け)に掲載予定です。また、『Cell Stem Cell』誌は11月号の表紙に、SFEBq法でヒトES細胞から自己組織化的に形成された大脳皮質組織を取り上げます。


1. 背景
 大脳皮質は、運動と感覚を統合的に制御し、記憶・意識などをつかさどる脳の高次機能の「最高中枢」です。その機能異常は、アルツハイマー病、てんかん、知能障害、運動障害、意識障害、精神病などをはじめとする重篤な脳障害を引き起こします。また、脳血管障害(脳出血、脳梗塞)や頭部外傷でも、大脳皮質に重度の障害が引き起こされ、手足の麻痺などの後遺症を残すことも多くあります。成人の大脳皮質は、複雑な6層構造になっていますが(図1)、妊娠中期までの胎児の大脳皮質は4つの層から成り立っています。こうした層状の構造は、大脳皮質の高度な機能に必須であることが分かっています。
 研究グループはこれまで、マウスやヒトES細胞を用いて、試験管内で選択的な神経細胞へ分化させる培養法を複数開発し、大脳前駆細胞、中脳ドーパミン神経細胞、小脳ニューロン、網膜細胞などの分化誘導に成功してきました。しかし、これら従来の分化誘導研究では、個々の種類の神経細胞を効率よく分化誘導しても、それらが機能的に集合し、整然とした構造を形成してできる「神経組織」を産生することができませんでした。
 今回、研究グループがすでに開発していたES細胞からの大脳前駆細胞への分化誘導法(SFEB法)を改良することで、大脳皮質神経細胞を効率よく分化させ、さらに、生体内で見られるような組織構造を形成させることに挑みました。


2. 研究手法と成果
(1) 新規分化培養法(SFEBq法)によるES細胞からの移植可能な大脳皮質神経細胞への選択的な分化誘導
 SFEB法は、ES細胞を単一細胞にバラバラにして浮遊培養させる培養法で、神経分化への選択性が90%以上と非常に高い優れた方法として知られていました(Watanabeら、Nature Neuroscience Vol. 8:288-96, 2005)。また、神経細胞の中でも大脳前駆細胞への分化を効率よく(〜30%)誘導できましたが、半分以上の細胞を大脳以外の細胞が占めており、技術的限界の1つとなっていました。
 研究グループは、分散したマウスES細胞を小さなくぼみ(細胞が底に接着しないタイプの培養ウェル)の底へ集めて培養することで、2〜3時間以内に素早く3次元に再凝集(細胞数は約3,000個程度)させる方法「SFEBq法」を開発し(図2)、大脳前駆細胞、特に大脳皮質前駆細胞(Bf1およびEmx1陽性細胞)を70%という高い効率で分化させることに成功しました。
 この分化誘導培養法 (SFEBq法)は、単に高い効率で大脳皮質前駆細胞へ分化できるだけではなく、分化させた細胞の形態に非常に特徴があります。大脳などの中枢神経系組織は、妊娠初期の胎児で一層のシート状の神経前駆細胞組織(神経上皮あるいは神経板とも呼ばれます)の形で発生します。SFEBq法でマウスES細胞から試験管内で分化誘導した神経組織(5日間分化培養後)は、この神経上皮の形態やマーカータンパク質※6の発現を示しており、胎仔の大脳発生過程によく似たものであることが分かりました。
 このマウスES細胞由来の大脳皮質前駆細胞は、バラバラに分散して長期培養すると、大脳の主要な4種類のニューロンに分化する能力を持つことが分かりました。また、新生仔の大脳皮質に移植すると、皮質組織によく取り込まれ、大脳に特徴的な錐体細胞に効率よく分化しました。さらに、移植したマウスES細胞由来のニューロンからは軸索が伸展し、視床・大脳脚・橋核など(本来の大脳皮質神経の投射先)に投射することも明らかとなりました。
 これらのことは、SFEBq法によりマウスES細胞から産生された大脳前駆細胞は、胎仔の大脳皮質前駆細胞とよく似た性質を持ち、効率よく大脳皮質ニューロン※3へ分化する能力を有することを示します。
(2) マウスES細胞からの層構造を持った大脳皮質組織の自己組織化的な形成
 一般に、未分化ES細胞のような均一なものから自発的に構造やパターンが生み出されることを「自己組織化」と呼びます。研究グループは、マウスES細胞由来の大脳皮質前駆細胞が、さらにどのような組織形態を作り出すのかを、この自己組織化の観点から詳細に解析しました。
 マウスES細胞由来の大脳皮質前駆細胞を細胞凝集塊のまま浮遊培養を続けると、分化培養延べ10日目には上記の神経上皮構造が変化し、もともと1つだった細胞層から、4つの細胞層が重層している球状の組織が生み出されていました(図3)。この重層した細胞層を詳細に解析した結果、4つの細胞層は胎仔の大脳皮質(特に新皮質)に見られる4つの細胞層(脳室帯層、前期皮質板層、後期皮質板層、カハール・レチウス細胞層)に対応していることが判明しました。
 これらの結果は、マウスES細胞由来の大脳皮質前駆細胞を浮遊培養で3次元立体培養すると、自己組織化的に胎仔の大脳皮質構造を形成するという興味深いものです。
(3) ヒトES細胞からの層構造を持った大脳皮質組織の自己組織化的な形成
 研究グループは、さらにヒトES細胞にSFEBq法を応用し、高効率で大脳皮質前駆細胞の分化誘導を可能にしました。この際には、ヒトES細胞培養で頻発する細胞死を抑制するために、これまでに研究グループが開発したROCK阻害剤※7による細胞死抑制法(Watanabeら、Nature Biotechnology, Vol. 25:681-686, 2007)を組み合わせました。そして、ヒトES細胞由来の大脳皮質前駆細胞を3次元立体培養することで、マウスES細胞由来の大脳皮質組織のような層構造が認められるかを検討しました。その結果、46日目には、ヒト初期胎児の大脳皮質でも見られる4層構造がはっきりと確認でき、胎生50日前後の胎児の大脳と形態的にもよく似ていました(図4)。しかも、マウスES細胞由来の大脳皮質構造が100〜200μm(10のマイナス6乗メートル)程度の大きさの球状であるのに対し、ヒトES細胞由来の大脳皮質組織は、径が1mm近いマッシュルーム状の比較的大きな構造を作ることも分かりました。
 このようにヒトES細胞からもSFEBq法を用いて分化誘導させると、初期胎児の大脳によく似た組織構造を形成することを見いだしました。また、今回の発表論文では、ヒトES細胞と同様の性質を持つヒトiPS細胞からも、同様の方法で大脳皮質組織が形成されることも確認しました。
(4) ES細胞由来の大脳皮質組織は大脳に特有の神経ネットワークを形成する
 こうして形成した大脳皮質組織が、大脳に特有の神経活動の一部を示すかどうかをカルシウム・イメージング法※8で詳細に解析しました。培養24日目のマウスES細胞由来の大脳皮質組織の神経活動を観察すると、神経細胞が単にランダムに発火(神経細胞の興奮性活動)をするのではなく、ネットワークを形成して、同期した発火パターンを示すことが判明しました(図5)。特に、新生仔の大脳皮質では、1mm以上も離れた神経細胞が一斉に同期して発火する特有の現象(長距離同期性カルシウム波)が知られていますが、ES細胞由来の大脳皮質組織でも、この長距離同期性カルシウム波が明確に観察できました。
 このことは、ES細胞由来の神経組織は形態的な自己組織化をするだけでなく、神経ネットワークもある程度自己組織化することを示しました。
(5) シグナル因子の添加による領域特異的な大脳皮質細胞の分化
 大脳皮質は、大きく新皮質(大脳皮質の大半を占める哺乳類に特有の新しい皮質)、旧皮質(海馬などの記憶や情動に関係する進化的に古い皮質)および古皮質(嗅覚に関係する古い皮質)に分かれます。また、古皮質の延長には鼻での嗅覚刺激を古皮質に伝搬する嗅球があり、これも発生学的には大脳皮質の一部と考えられています。
 研究グループは、これらのうち、どの領域※9がマウスES細胞から分化するのかを詳細に解析しました。その結果、ES細胞から分化した大脳皮質組織のほとんどが、新皮質の性質を持っていることが分かりました。
 さらに、新皮質には運動野などがある前方新皮質と、視覚野などの感覚系をつかさどる後方新皮質があります。研究グループは、FGFというタンパク性のシグナル因子を培養過程の後期に培養液に添加することで、運動野などがある前方新皮質タイプの組織を分化誘導でき、FGFの阻害剤を作用させると、視覚野などがある後方新皮質タイプの組織を選択的に分化誘導できることを明らかにしました(図6)。また、FGFシグナルとNotch阻害剤を組み合わせることで、嗅球に特有のニューロンを分化させることができることも見いだしました。
 一方、Wntというタンパク性のシグナル因子を培養液に添加することで、海馬周辺の旧皮質タイプの神経組織を選択的に分化誘導できることも明らかにしました。
 このように、試験管の中でES細胞から大脳皮質組織を領域ごとに選択的に分化誘導した成果は世界で初めてです。


3. 今後の展望
 今回、新たにSFEBq法を開発し、マウスやヒトES細胞から大脳皮質神経細胞を高効率で産生させることを実現しました。この培養系で産生される複数の種類の大脳皮質細胞は、ランダムに産生されるのではなく、発生過程に見られるような整然とした時間・空間的な制御のもとに自発的に生み出されていました。このようにマウスやヒトES細胞が自己組織化的に発生過程の大脳皮質組織を生み出すことは、世界初の報告であり、複雑な脳の発生メカニズムを考える上で、非常に示唆に富んだ発見となりました。
 これまでの幹細胞研究は、有用細胞の産生を主たる目的としてきましたが、本研究成果により細胞が有機的に集合した「有用組織」の形成が可能となりました。再生医学の面からいえば、細胞を移植しただけで治療できる疾患には限りがありますが、組織の形で移植できると、より高い機能性の回復を期待できます。
 大脳皮質は非常に複雑な脳組織で、研究グループは、まだその機能が完全ではない初期胎児型の大脳皮質組織を作製することができただけにすぎません。また、脳梗塞の治療などに必要なサイズとしては不十分な小さい組織しか試験管の中では産生できていません。しかし今後、さらに成熟した大脳皮質組織(成人型の6層構造などを持ったもの)の試験管内産生を目指す研究が加速することと思われます。
 一方、今回の研究成果から、少なくともマウスES細胞を用いて、運動野を中心とする前方大脳皮質ニューロンの選択的な分化も可能となりました。さらに、SFEBq法では各種大脳ニューロンが分化するタイミングを精密にコントロールできることを利用して、大脳の6つの層のニューロンのうち、第5層のニューロン(錐体細胞ニューロン)を選択的に分離する方法も見いだしました。このことは、神経難病の1つであるALS(筋萎縮性側索硬化症)※10への将来的な再生医学応用に貢献する可能性があります。ALSでは、脊髄・脳幹の運動ニューロンが変性すると同時に、大脳皮質運動野の第5層錐体ニューロンも変性し、その両方の脱落のために、高度の運動障害が起こります。これまで、当研究グループを含めた複数の研究グループが、脊髄・脳幹の運動ニューロンの分化誘導に成功していましたが、大脳皮質運動野ニューロンの分化の報告はありません。今後さらに、ヒトES細胞で同様の検討が必要で、また詳細なニューロンの特性解析が欠かせませんが、ALSへの幹細胞医学の前進に大きく寄与することが期待できます。
 さらに、創薬研究、副作用研究、難病の病因研究への利用も期待できます。従来の「細胞レベル」の利用も、一定の価値はありますが、今回のように大脳皮質細胞が有機的に組織構築し、しかも一部の神経ネットワークの活動を持ったものができれば、こうした機能的な組織の利用によって、薬理作用の研究や毒性研究、またアルツハイマー病などの原因研究やワクチン開発などが、より“生体に近い組織環境”で行うことが可能となります。今回の成果の応用は、このようないわば「ミニ器官」の医学利用の先鞭となることが期待されます。
 また、同じヒト多能性細胞であるヒトiPS細胞でも、ヒトES細胞と同じように大脳皮質組織の形成が可能であることを確認できたため、応用面での広がりがさらに増すと思われます。例えば、遺伝性のアルツハイマー病やてんかんなどの患者の細胞から得たiPS細胞を用いる治療法の開発や、個人差の大きい抗精神薬の効き目をコントロールするオーダーメイド医療、遺伝背景に依存する中枢神経系の副作用の予防法など、幅広い研究に試験管内で作成された患者特異的な「大脳皮質組織」が活躍する日も遠くないと期待されます(図7)


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
発生・再生科学総合研究センター
細胞分化・器官発生研究グループ
グループディレクター 笹井 芳樹(ささい よしき)

Tel: 078-306-1841 / Fax: 078-306-1854
神戸研究所
広報・国際化室 中込 咲綾(なかごみ さや)

Tel: 078-306-3310 / Fax: 078-306-3039
神戸研究推進部企画課

Tel: 078-306-3008 / Fax: 078-306-3039

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail:koho@riken.jp


<補足説明>
※1 ES細胞(胚性幹細胞)
哺乳類の着床前胚(胚盤胞)に存在する内部細胞塊から作成した細胞株で、身体を構成するすべての種類の細胞に分化する能力(多能性)を有するもの。マウス、サル、ヒトなどから樹立されており、マウスのES細胞を初めて樹立したマーチン・エバンス卿(英国)は昨年のノーベル賞医学・生理学賞を受賞した。また、多能性を持つ細胞にはES細胞のほかに、皮膚細胞などの体細胞をOct3Sox2Klf4などの遺伝子を導入して初期化し、人工的に多能性を持たせたiPS細胞もある。
※2 大脳皮質
大脳は、大きく分けると、その表面の大半を占める大脳皮質とその深部に存在する大脳基底部に分けられる。大脳基底部は、運動制御などに関係する大脳基底核(スムーズな動きなどに関係)が主たる構成要素である。一方、大脳皮質は、詳細な運動、知覚(視覚、触覚、聴覚、嗅覚など)、判断、思考、言語、人格、感情などをつかさどる高次の脳機能の最高中枢であり、哺乳類で特に発達している。ヒトなどの高等な哺乳類動物では、しわ(脳回)が多く存在することでも知られる。
なお、大脳前駆細胞という場合は、大脳皮質前駆細胞と大脳基底部前駆細胞をあわせたものをいう。
※3 大脳皮質前駆細胞と大脳皮質ニューロン
発生過程では、大脳皮質を生み出す前駆細胞(大脳皮質前駆細胞;マーカーとしてはBf1陽性、Emx1陽性、Pax6陽性)がシート上の神経上皮を形成する。それらは盛んに分裂を繰り返し、左右の大脳半球の基となる袋状の大脳皮質原基を形成する。さらに発生が進むと、分裂が盛んな大脳皮質前駆細胞は、主として袋の内腔(脳室)に接する脳室帯を形成する。脳室帯では、分裂が終わった大脳皮質前駆細胞が、各種の大脳皮質ニューロン(マーカーとしてはBf1陽性、Emx1陽性、TuJ1陽性)を生み出す。生み出されたニューロンは、大脳皮質のより表層へ移動し、カハール・レチウス細胞層(Reelin陽性)、前期皮質板層(Tbr1陽性、Ctip2陽性)、後期皮質層(Brn2陽性)をまず形成する。その後、それらから第1〜6層のニューロンが順次分かれてゆく。発生過程では、各層のニューロンが第1、6、5、4、3、2層の順に生み出されるが、SFEBq法で産生した大脳皮質ニューロンもおおむねその順番で生み出される(今回の研究では、第2〜4層の順は未確定)。なお、大脳皮質細胞は大脳皮質前駆細胞(分裂能を持つ)と大脳ニューロン(分裂能を失った、より分化した神経細胞)を合わせたものを意味する用語である。
※4 浮遊培養による3次元培養
細胞の集合塊を培養する場合、通常の細胞培養で行うような「細胞を培養シャーレに接着」させて培養する接着培養を行うと、一般に立体的な組織形成が損なわれて、きれいな構造体を作ることができない。そのため、培養容器を「細胞非接着性ポリマー」でコーティングし、細胞や組織が容器にくっつかないようにすることで、細胞塊を培養液の中で浮遊させる浮遊培養が有効である。今回のSFEBq法では、ES細胞の凝集塊を大脳前駆細胞へ分化させる過程で、この浮遊培養を続けることで、発生過程の大脳皮質に特有の層構造を自己形成させることに成功した。
※5 大脳皮質の層構造
哺乳類の大脳皮質のうち、その大半を占める新皮質は、生後には6層の層状組織の構築を示す(表面から深部へ向けて、第1層〜第6層と呼ばれる)。発生過程に見られる初期胎児の大脳皮質では、6層に分かれる前に、まず4層の細胞層を認める。それらは、カハール・レチウス細胞層(生体では第1層になる)、前期皮質板層(生体の5、6層)、後期皮質層(生体の2〜4層)、脳室帯層(生体の2〜3層の一部やグリア細胞を生み出す)からなる。今回の研究成果では、こうした胎児型の大脳皮質組織の層構造とそれを構成する大脳細胞が、ES細胞から自己組織化的に産生できたことがその骨子である。
※6 マーカータンパク質
細胞の分化状態や分裂能などの性格を解析するための指標・目印(マーカー)となる細胞内あるいは細胞表面のタンパク質。例えば、大脳前駆細胞が発現するBf1という核タンパク質を、今回の研究では大脳前駆細胞にES細胞が分化した指標として使っている。一般に、そのタンパク質に対する抗体をウサギなどで作成し、その抗体に蛍光色素標識したものを用いて、該当するマーカータンパク質の発現の有無を解析する。
※7 ROCK阻害剤
Rhoキナーゼ(ROCK)は、細胞質に存在し、細胞の形や運動などさまざまな制御を行う重要なリン酸化酵素で、京都大学医学部成宮教授や名古屋大学医学部貝渕教授によって90年代に発見された。Rhoなどいくつかの細胞内因子によって活性化される。ROCK阻害剤のY-27632やFasudilは、それぞれ、日本の企業である三菱ウェルファーマ、旭化成で開発された。さらに、成宮教授らはROCKの阻害が血管拡張をひき起こすことを発見し、血管拡張剤などとして循環器・脳外科領域での臨床ですでに利用されている。2005年に、当研究グループの渡辺毅一らは、ROCK阻害剤のY-27632がヒトES細胞やiPS細胞の培養過程で高頻度に起こる細胞死を抑制すると報告した。
※8 カルシウム・イメージング法
神経細胞の活動を顕微鏡下で蛍光シグナルを利用して観察する方法。神経細胞の活動により細胞質のカルシウムの濃度が増加することを利用し、カルシウム濃度で蛍光強度の変化する蛍光色素(Fluo4など)を用いて行う。
※9 大脳皮質の領域の分類
大脳皮質は大きく分けると、新皮質(高次機能中枢;哺乳類に特有で、哺乳類の大脳皮質の大半を占める)、旧皮質(記憶において重要な海馬とその関連組織)、古皮質(主に嗅覚の情報処理を行う進化的に最も古い組織)に分かれ、古皮質は新皮質の前方から、旧皮質は新皮質の後方から主に発生する。古皮質と連続した部位からは、嗅覚の中継組織である嗅球(鼻腔にある嗅覚上皮と嗅覚中枢をつなぐ。発生学的には古皮質の一部であると考えられる。)も発生する。
大脳新皮質はさらに、おおむね前後軸に沿って、前頭葉(運動野と人格を司る前頭前野など)、頭頂葉(触覚の知覚野と連合野など)、側頭葉(聴覚野など)、後頭葉(視覚野など)に分かれる。これらのうち、部位的に前方に位置する前頭葉は大脳の運動・行動出力の制御系であり、後方に位置する頭頂・側頭・後頭葉は知覚の処理・統合系である。このように、大脳皮質は前後軸に沿って大きく役割分担をしている。
※10 ALS(筋萎縮性側索硬化症)
高度の運動障害を引き起こす神経変性疾患。筋肉を直接制御する脊髄・脳幹の運動ニューロンと、運動ニューロンを上位で制御する大脳皮質運動野の第5層ニューロンの両者が同時に変性し、細胞がなくなることで起こる。末期にはすべての全身筋肉をほとんど動かすことができなくなる(眼を動かす筋肉は例外)。


図1 大脳皮質の構造と領域化
図1 大脳皮質の構造と領域化
ヒト成人の大脳皮質の構造(左)と領域化(右)。大脳皮質の新皮質は、表面から深層に向かって、第1層〜第6層の6層構造になっている。運動野は本来前方の組織であるが、ヒトではそのさらに前方に前頭前野が大きく張り出して成長するため、相対的に後方へシフトしている。運動野より後方は、感覚とその統合のための中枢である。


図2 SFEBq法の概要とマウスES細胞からの大脳皮質前駆細胞の分化誘導
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図2 SFEBq法の概要とマウスES細胞からの大脳皮質前駆細胞の分化誘導
SFEBq法では、マウスやヒトのES細胞をバラバラに分散した後、小さな細胞培養用のウェル(穴状プレート)の底で迅速かつ均一に再凝集させる。その後、凝集塊は無血清培養液に浮遊させて3次元培養を行う(ここではマウスES細胞の例)。10日後には、大脳前駆細胞のマーカーであるBf1、大脳皮質細胞のマーカーであるEmx1が、70%程度の細胞に発現する。これらの大脳皮質前駆細胞は分散培養やマウス新生仔大脳移植により、錐体細胞などの大脳皮質ニューロンに高効率で分化する。また、胎仔の大脳皮質組織片と共培養すると、盛んに組織内に取り込まれ、各種の大脳皮質ニューロンに分化する。


図3 マウスES細胞からの大脳皮質層形成
>> 拡大図
図3 マウスES細胞からの大脳皮質層形成
マウスES細胞をSFEBq法で分化させた細胞凝集塊は、5日間培養後に大半がN-cadherin陽性のシート状の神経前駆細胞組織(神経上皮;緑)を形成する。培養10日後には、シート状の神経上皮は数個の丸い袋状組織に自然に分割する。それぞれの袋状組織(ロゼット)には小さな内腔があり、内側から外側に向かって4つの層が形成される。それらは、
(1)Pax6陽性で分裂細胞(pH3陽性)の細胞を含む脳室帯層
(2)Tbr2陽性(その一部はPax6陽性)の後期皮質板層
(3)Tbr1陽性の前期皮質板層
(4)Reelin陽性のカハール・レチウス細胞層
であり、右下の胎生13日目のマウス大脳皮質の層構造を模倣して自己組織化されている


図4 ヒトES細胞からの大脳皮質層形成
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図4 ヒトES細胞からの大脳皮質層形成
ヒトES細胞やiPS細胞もマウスES細胞と同様にSFEBq法で大脳皮質組織に分化するが、マウスの3〜4倍の日数を要する。また、培養中の細胞死を抑制するために、ROCK阻害剤の添加も必須である。培養46日後には、ヒトES細胞由来の大脳皮質組織はドーム型の組織の形態を示し、中に1つまたは少数の内腔を有する。切片の組織観察では、内腔に接する大きな連続する細胞の帯状構造(脳室帯)と、その外側に主に大脳皮質ニューロンの層の存在が確認される。大脳皮質ニューロンの層は、内側から外側へ後期神経板層、前期神経板層、カハール・レチウス細胞層を形成しており、マウスES細胞同様、ヒトES細胞でも胎児大脳皮質の層構造を模倣した大脳皮質組織が自己組織化によって産生される。


図5 ES細胞由来の大脳皮質組織内での大脳特異的な同期神経発火
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図5 ES細胞由来の大脳皮質組織内での大脳特異的な同期神経発火
マウスES細胞からSFEBq法で産生した大脳皮質組織の神経活動を、カルシウム・イメージング法(神経活動により蛍光色素の強度が増す仕組み)で解析した。ES由来の大脳皮質組織は、自発的に局所の神経発火を行うが、同時に、1mm四方以上の広範囲にわたって同期する神経発火も認められた。このような広範囲の同期神経発火を繰り返す現象は、新生胎仔の大脳皮質組織に特有なこととして知られている。このことは、ES細胞由来の大脳皮質組織内で、少なくとも一部では大脳皮質特有な神経ネットワークが自己組織化されたことを意味する。


図6 マウスES細胞から領域特異的な大脳皮質組織形成
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図6 マウスES細胞から領域特異的な大脳皮質組織形成
発生過程の大脳皮質では、FGF8(前方に強く発現する分泌シグナル)が前方の大脳皮質の発生を促進し、後方の大脳発生を抑制する。一方、海馬周辺領域はWnt(後方に強く発現する分泌シグナル)によって、発生が正に制御されている。SFEBq法で分化させた大脳皮質の前駆細胞にFGF8を作用させると、前方の皮質組織である嗅球や運動野周辺領域(前方新皮質)が産生され、FGF阻害剤の添加では視覚野周辺領域(後方新皮質)が産生される。Wntの添加により、さらに後方の海馬周辺領域が発生する。


図7 ES細胞からの試験管内分化誘導法の応用への展望
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図7 ES細胞からの試験管内分化誘導法の応用への展望
ヒトES/iPS細胞から自己組織化的に形成された大脳皮質組織は、再生医療の材料としては、脳梗塞や外傷部周辺の機能保持や改善などに期待されるほか、図6の技術や細胞分離技術の開発と相まって、ALSに対する運動野ニューロンの移植治療などの研究開発に貢献する。また、大脳皮質組織はより生体に近く、図5のように自発的な神経活動も行うことから、試験管内での大脳難病の病因研究や治療法研究、創薬での薬理作用スクリーニング、各種薬物の大脳への副作用やその個人差の研究などに広く用いられ、細胞レベルのものより格段に優れた実験系を提供することが期待される。


図8 Cell Stem Cell誌の表紙
図8 Cell Stem Cell誌の表紙(左)
SFEBq法によりヒトES細胞から自己組織化的に形成された大脳皮質組織(培養46日間)が、Cell Stem Cell誌11月号のカバー・ストーリーに取り上げられている。
(マゼンタ)大脳前駆細胞特異的な神経マーカーBf1、(緑)分化した大脳皮質ニューロン、(青)全細胞の細胞核。Bf1陽性の細胞(マゼンタ)の帯状の部分(左表紙写真中央)は、分裂中の大脳皮質前駆細胞が作る脳室帯層。

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