プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
生体を生きたままで微細観測が可能な「水の窓」領域のX線を発生
- 動く生体の「その場観測」に応用可能な卓上サイズのコヒーレント軟X線発生源が登場 -
平成20年11月25日
◇ポイント◇
  • 従来の100倍以上の効率でレーザー光をコヒーレントなX線に変換
  • 超短・高出力の赤外励起レーザーの新たな開発やネオンガスによる分散で実現
  • 軟X線顕微鏡開発、XFELへの シード用光源などへの応用を切り拓く
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、赤外域(波長1.55マイクロメートル:マイクロは10-6)で超短パルス(時間幅40フェムト秒:フェムトは10-15)のレーザー光を、原子に照射することで、このレーザー光を軟 X 線レーザー光(波長2〜4ナノメートル:ナノは10-9)に高効率で変換する手法を確立しました。その結果、卓上サイズのコヒーレント※1な「水の窓※2」領域の X線光源を開発することに成功しました。これは、理研基幹研究所(玉尾皓平所長) エクストリームフォトニクス研究グループ高強度軟 X 線アト秒パルス研究チームの緑川克美グループヘッド、高橋栄治研究員らの研究成果です。
 研究グループは、高次高調波発生※3の手法を利用することで、世界最高瞬間輝度を目指したコヒーレントなX線光源の開発を行っています。今回、赤外域の励起レーザーとネオンガスの媒質分散による位相整合技術※4を用い、「水の窓」 と呼ばれる生体観測に有用なX線波長域を、高効率で高次高調波発生する手法を開発しました。従来法と比較すると、レーザー光からX線への変換効率は100 倍以上も改善し、かつ高品質なX線ビームを得ることができました。さらに、本手法は高い変換効率を保ったまま、高調波の出力エネルギーを増加できるといった優れた特徴を持ちます。
 発生したX線は、時間幅が10フェムト秒 以下で、卓上サイズという特徴に加えて、大型放射光で得られる X 線とは異なり、時間・空間において完全にコヒーレントです。今回開発した高効率化の手法に基づき、高出力のコヒーレントな X 線光源を開発することができると、軟X線顕微鏡の開発などに大きく貢献できると期待できます。また、卓上という光源サイズは、大学の研究室レベルで光源所有を可能とし、X線光源利用の裾野を広げ、その応用研究を大きく前進させます。
 本研究成果は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版の11月26日号に掲載予定です。


1. 背景
 1960年にルビー結晶を用いて可視域でレーザー発振が成功して以後、レーザー開発に携わる研究者は、レーザーの発振波長域を軟 X 線領域(波長30ナノメートル〜10ピコメートル: p(ピコ)は10-12 )にまで拡大することを大きなターゲットとしています。レーザー開発の歴史を振り返ると、光源の短波長化や高出力化は、応用範囲を画期的に広げる重要な要素となっています。
 例えばレーザーの波長を10 分の1 に短くすると、空間分解能は10 倍に拡大します。この原理を活用して、波長が短いX線領域のレーザーを実現することができると、ナノメートルの精度でさまざまな物質の加工が可能になるばかりでなく、タンパク質の3次元構造解析などにも大きな力を発揮すると期待されています。特に波長2.3〜 4.4 ナノメートル という軟X 線波長域は、水の層を通過しても X 線がほとんど減衰しないので、水を含む状態でタンパク質などを直接観測することができるため、「水の窓」 と呼ばれています。この「水の窓」領域のX線を活用した顕微鏡の開発は、生体分子を生きたままの状態で詳細に観測でき、細胞の反応機構や病気のメカニズムの解明につながるため、生命科学の分野などから大きな期待が寄せられています。
 この領域のX線を使って生きて動いている生体試料を観測するためには、試料に対する放射線損傷を避けるため、単一ショットで撮影ができる程度の十分な「明るさ(輝度)」と、 試料への損傷が像に影響を与えない程度に被爆時間を短くする「短パルス性」が要求されます。
 現在、「水の窓」領域のX線顕微鏡用の光源として、大型放射光などが利用されていますが、1パルスあたりの輝度が低いため、多重ショットを駆使して試料撮影を行っています。そのため、生きて動いている生体試料を、ある瞬間で正しく撮影することができません。また、装置規模が大型なため、大学の研究室レベルでの X 線光源所有が困難であるという問題もあります。このようなことから、卓上サイズで高輝度な「水の窓」領域のX線光源を実現することが、生命科学における光源利用研究の重要な要素となっています。


2. 研究手法と研究成果
 研究グループはこれまで、可視域(波長0.8マイクロメートル)の励起レーザー光を用いた高次高調波発生の手法を用いて、卓上サイズで世界最高瞬間強度のコヒーレントな軟 X線光源を開発しています。すでに、波長 30 ナノメートル (光子エネルギー: 40 eV)で1026 photon/mm2mrad2 sec(光の強度/面積・単位立体角)の瞬間輝度を実現しており、これは大型放射光のX線の1億倍の強さにもなります(2005年2月2日のプレスリリース)。高次高調波光は、レーザー光と同様に直進性、干渉性などの優れた性質を持っています。開発した光源は、軟 X 線領域における非線形光学研究や、アト秒(アトは10-18)パルス列の構造解明など(2006年10月17日のプレスリリース)に利用されています。
 今回は、励起レーザーを従来の可視域から赤外域(波長:1.55 マイクロメートル)に変えて、「水の窓」 と呼ばれる X 線領域の高調波を、高効率に発生させる手法の開発に成功しました。従来の可視域の励起レーザー光を用いた手法では、高調波発生時における位相整合条件(図1)を十分に満足させることができないため、レーザーから X 線への変換効率は10億分の1以下と劇的に低下していました(図2)。また、位相整合技術には、中空ファイバーを利用した位相整合が用いられてきましたが、高出力な励起レーザーを通すため、ファイバーが損傷するという問題が発生し、高調波エネルギーの高出力化が困難でした。これらの課題を克服するため、研究グループは、赤外域で時間幅40フェムト秒の超短パルス高出力レーザーを新たに励起レーザー光として開発し、媒質ガス(ネオンガス)の分散による位相整合技術を用いることで、従来の手法と比べて レーザー光からのX線の発生効率を100 倍以上改善することに成功しました。この手法は、位相整合素子に中空ファイバーを用いないため、ファイバーの損傷を考慮する必要がなく、高効率で高調波エネルギーを高出力化できるという優れた特徴を持ちます。
 実際に、ネオンガスから発生した高次高調波のスペクトル(図3)を見ると、光子エネルギー250eV近辺(「水の窓」領域は280 eV 以上)に強度のピークがあります。ネオンガスは、「水の窓」領域に近づくに従い自己吸収が減少するため、ガスの圧力を調整することで位相整合条件を250 eV 近辺に最適化し、「水の窓」領域での発生効率を増加させることに成功しました。最適化条件におけるレーザーから X 線への変換効率は約 1,000万分の1で、これまで実現された実験値と比べて約 100 倍もの効率の改善になります。また、発生した「水の窓」領域の X 線ビームは、良好な空間分布と 7 mrad (ミリラジアン)という低いビーム発散角を持ち、高品質であることが分かります(図3挿入図)。ビーム品質は、イメージングなどへの応用の際に非常に重要な役割を果たすので、今回の手法は、高い品質の高次高調波ビームを得ることができる、という点でも優れています。
 さらに、媒質ガスをヘリウムガスに変えた場合の高次高調波スペクトル(図4)も観察しました。ヘリウムは、ネオンに比べて非線形感受率が低いため、高次高調波の発生強度は低下します。しかし、励起レーザーによるイオン化がネオンより起こりにくいため、励起レーザーの強さ(レーザーのエネルギー/面積・レーザーの時間幅)を上げることができ、ネオンガスの場合よりも短波長の高調波を発生することができます。さらに、マイラフィルターと呼ばれる炭素を含んだ光学薄膜を、発生した高調波ビームの光路に挿入することで、炭素の K 吸収端 (283 eV) ※5を確認することができました。生体のイメージングでは、この炭素の吸収を使用して細胞の観察が行われており、この高調波スペクトルが、生体観測に有効である検証結果も得ることができました。
 今回、励起レーザーに赤外域の光を用い、媒質ガスによる分散で位相整合条件を実現できたことが、従来法より格段に優れた「水の窓」領域の高次高調波発生の成功につながりました。今後、今回の手法と理研独自の高調波の高出力化手法※6を組み合わせることで、出力エネルギーは、高調波次数の1次あたりナノジュールレベルになると期待でき、「水の窓」領域全域で試算すると、1パルスあたり100 ナノジュールが可能となります。その結果、密着型の光学顕微鏡のコヒーレント光源として十分実用的な X 線光源になると期待できます。


3. 今後の期待
 今回の手法は、高調波への変換効率を保ったまま、励起レーザーのエネルギーを増やすことで高調波をそのまま高出力化できるという点に大きな特徴があります。また、この手法は、ガス媒質だけで位相整合を実現しているため、中空ファイバーなどの位相整合素子を必要とせず、励起レーザーによる損傷がないという点が工学的な点でも画期的な特徴となっています。
 今回開発した高調波 X 線光源の出力エネルギーは、1パルスあたり数十ピコジュール程度で、まだイメージングなどへの応用には十分ではありません。しかし、今回の成果によって、励起レーザーの改良で現在得られている高調波出力を 100 倍以上に高出力化できることが示唆できました。将来、励起レーザー光のさらなる高出力化や長波長化、また「水の窓」領域における光学系の技術が進展すると、単一ショットで、生きた細胞を観測できることが期待できます。また、軟 X 線顕微鏡開発への貢献だけではなく、高調波の時間・空間コヒーレントな性質を活かして、現在、理研で整備を進めているXFEL へのシード光源への応用も開けてくると期待できます。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
基幹研究所 エクストリームフォトニクス研究グループ
高強度軟X線アト秒パルス研究チーム
研究員 高橋 栄治(たかはし えいじ)

Tel: 048-467-9501 / Fax: 048-462-4682

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 コヒーレント
波の位相がそろっていること。レーザー光は単色性に優れ、指向性を持ち、干渉性が良く、エネルギー集中度が高い(高輝度性)といった性質を持つ。これらの性質をコヒーレント(位相がそろっていること)という言葉を用いると、「時間的にも空間的にもコヒーレント(位相のそろった)な光である」と表現され、1つの波長の光が、一定の方向に、規則正しく拡がらずに進む光であることを示す。
※2 水の窓
波長2.28 〜 4.36 ナノメートル (光子エネルギー: 543 eV〜 284 eV) の領域は酸素と炭素の吸収端の間の波長域であり、水とタンパク質などの生体を構成する物質との吸収係数の差が大きく、水の層を通してもタンパク質などが観測できることから「水の窓」 と呼ばれている。つまり「水の窓」領域の軟X 線顕微鏡が開発されると、生体分子を脱水することなく、生きたままの状態で観測でき、さらに、可視光より波長が短いため、原理的には光学顕微鏡よりも2桁程度高い空間分解能を実現することが可能となる。
※3 高次高調波発生
高強度の可視レーザー光を、ある種のガス(キセノン、アルゴン、ネオンなどの希ガス)に集光すると、その可視レーザー光と同じ方向に、複数の波長の短い光が発生する現象が知られている。一般に電磁波を取り扱う分野では、基本の波長の整数分の1の波長の電磁波が発生すると、これを「高調波」と呼ぶ。高強度の可視レーザー光により発生した波長の短い光は、可視レーザー光の波長の奇数分の1(例えば、1/11 や 1/13)の波長になっており、またその分母に入る数が数十以上に達する場合もあることから、「高次高調波」と呼ばれている。波長1.55マイクロメートルの励起レーザー光で4.1 ナノメートル (300 eV) の高調波を発生させた場合、その次数は 375 次となる。最近ではアト秒パルスという極短パルスのX線発生に応用されている。詳しい発生原理に関しては2007年3月23日のプレスリリースを参照。
※4 位相整合技術
基本波(励起レーザー)と高調波の位相速度をそろえることで、高効率な波長変換を行う技術。一般に、高調波発生媒質の屈折率は波長依存性を持つため、発生した高調波と基本波の位相速度は異なる。両者の位相速度がそろっていない場合、つまり位相不整合量(Δk = kq - qk0) が存在すると、発生する高調波の効率はコヒーレンス長(Lc = π/Δk) の周期で振動し、高効率な高調波発生を行うことができない。それに対して、位相速度をそろえて位相不整合量をゼロ (Δk〜0) に近づけると、効率よく高調波発生を行うことができるようになる。この際のコヒーレンス長さ Lcは無限大となり、媒質長さの2乗に比例して出力が増加する。
非線形結晶を用いた波長変換の場合、位相整合技術として、結晶の複屈折を利用する角度位相整合法や、温度位相整合法などが利用されている。一方、ガスを用いた高次高調波発生においては、ガス媒質の分散、励起レーザーの波面変化、媒質ガスのプラズマ分散などを用いて位相整合条件を満足させる。
※5 K 吸収端 (283 eV)
原子の中の電子は電子殻(エネルギーの低い方からK、L、M ・・・殻と呼ばれる)に収まっている。その内 K 殻にある電子が吸収を始めるエネルギー(光の波長)を K 吸収端と呼ぶ。このエネルギーは原子の種類に固有であり、炭素原子の場合は 283 eV となる。
※6 理研独自の高調波の高出力化手法
励起レーザー光を長焦点(集光距離を長くする)で緩やかに高調波発生媒質(ガス)に集光する手法で高調波のビーム品質を損なうことなく高出力化を実現する方法。中性原子による位相整合技術用いて高い変換効率を実現できるという特徴を持つ。これまでにこの手法を用いて、世界最高瞬間輝度の高調波光源が開発されている。


図1 高次高調波発生における位相整合の概念図
赤線は高調波発生用のレーザー光(基本波)、青線は発生した高調波の位相を示している。基本波の半サイクル毎に発生する高調波と、基本波の位相速度を媒質全域でそろえることで、高効率な高次高調波発生が可能となる。


図2 媒質距離とレーザーから高次高調波への変換効率の関係
位相整合条件が満たされていない場合、変換効率はコヒーレンス長 Lc(位相整合がどのくらい満足されているかを表す指数)の長さで振動してしまうため、効率が増加しない。位相整合条件下(コヒーレンス長が無限大)では、媒質距離に対して2次の関数で効率が増加する。ただし実際は、媒質自体の吸収などにより有限の変換効率となる。


図3超短パルス赤外レーザーをネオンガス媒質に照射した際に発生した
高次高調波のスペクトル
ネオンガス自身の吸収の効果のため、高い光子エネルギー領域に行くに従い発生した高調波の強さが増加し、250eV近辺でピークを持っている。挿入図は、「水の窓」領域の高調波ビームの空間形状。空間的にほぼ完璧なビーム分布が得られている。


図4超短パルス赤外レーザーをヘリウムガス媒質に照射した際に発生した
高次高調波のスペクトル
青線は超短パルス赤外レーザーをヘリウムガス媒質に照射した際に発生した高次高調波のスペクトル。ネオンガスから発生した高調波より強度は弱いものの、光子エネルギーは 450eV にまで達している。
赤線はマイラフィルター (C10H8O4)と呼ばれる炭素を含んだ光学薄膜を高調波光路上に挿入した際のスペクトル。炭素の K 吸収端 (284 eV) を明瞭に確認することができる。

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