1. Home
  2. 研究成果(プレスリリース)
  3. 研究成果(プレスリリース)2017

2017年12月7日

理化学研究所
九州大学

発火タイミングに基づく匂い識別の仕組みを解明

-匂いの濃度が変わっても感じる匂いが変わらないのはなぜか?-

要旨

理化学研究所(理研)多細胞システム形成研究センター感覚神経回路形成研究チームの今井猛チームリーダー(九州大学大学院医学研究院教授)、岩田遼訪問研究員らの共同研究チームは、哺乳類の嗅覚一次中枢である嗅球[1]において、匂いの情報が神経細胞の発火タイミング[2]に基づいて識別される仕組みを明らかにしました。

ヒトは、鼻腔の嗅上皮に存在する約400種類の嗅神経細胞によって匂いを検出します。嗅神経細胞によって受容された情報は嗅覚一次中枢である脳の嗅球へと入力されますが、嗅球でどのような情報処理が行われて、匂いの認識に至るのかは十分に解明されていません。脳の神経細胞は、一過性の電気的活動である発火[2]を用いて情報伝達を行います。感覚情報が脳に入力されると、情報を受け取った神経細胞は発火頻度[2]や発火タイミングを変化させることが知られています。個々の神経細胞が情報をやりとりする上で、発火頻度の重要性は理解されていますが、発火タイミングの制御機構や役割についてはよく分かっていませんでした。

今回、共同研究チームは、匂い情報処理の一次中枢である嗅球の糸球体[1]において僧帽細胞[1]の活動を計測しました。その結果、発火頻度はダイナミックに変化していることが分かりました。一方、発火タイミングは極めて安定で、匂いの種類をより正確に区別できることが明らかになりました。匂い刺激がやってくると、僧帽細胞は匂いの種類に応じて、呼吸サイクルの特定のタイミングで発火します。匂いの濃度を変化させると、発火頻度は変化するものの、発火タイミングは変化しませんでした。さらに、嗅神経細胞には「機械刺激[3]受容」という、呼吸に伴う空気の流れを検出する仕組みが備わっており、この入力がいわばペースメーカーとなって正確な発火タイミングが刻まれていることが分かりました。例えば、バナナの香りは近くで嗅いでも遠くで嗅いでもバナナに感じられるというように、匂いの質が濃度によって変わらない仕組みはこれまで大きな謎とされてきました。今回の結果は、匂いの濃度が変化しても種類が変わらないように感じられる理由の一つは発火タイミングが安定しているためであることを示しています。今後、発火タイミングを厳密に制御する神経回路機構を解明することで、神経回路における演算原理の理解や脳情報の解読につながると期待できます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Neuron』(12月6日付け:日本時間12月7日)に掲載されます。

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業個人型研究(さきがけ)「末梢入力依存的に生じる神経回路形成のロジック」、日本学術振興会科学研究費補助金 若手研究A「嗅球における匂い情報の時間コーディングを支える神経基盤(研究代表者:今井猛)」、新学術領域「スクラップ&ビルドによる脳機能の動的制御(研究代表者:榎本和生)」、特別研究員奨励費「匂い情報の時間コード化を実現する神経回路メカニズムの解明(特別研究員:岩田遼)」、ブレインサイエンス振興財団「匂い情報の時間表現を支える神経回路の解明」の支援を受けて行われました。

※共同研究チーム

理化学研究所 多細胞システム形成研究センター
感覚神経回路形成研究チーム
チームリーダー 今井 猛(いまい たけし)(九州大学大学院医学研究院 疾患情報研究分野 教授)
訪問研究員 岩田 遼(いわた りょう)(日本学術振興会特別研究員)

ライフサイエンス技術基盤研究センター 生命機能動的イメージング部門
生命動態情報研究グループ 生体モデル開発ユニット
ユニットリーダー 清成 寛(きよなり ひろし)

背景

私たちが感覚器官で受容した外界の情報は、中枢の神経回路で処理され、必要な情報の抽出が行われます。神経回路内の個々の神経細胞は、入力に応じて一過的な電気的活動を生じる「発火」を用いて情報の伝達・処理を行っています。脳に感覚入力が入ると、中枢の神経細胞は発火の頻度を変化させるだけでなく、タイミングも変化させることで、情報の抽出や演算を行っていると考えられていますが、その詳しい仕組みや意義はよく分かっていません。

哺乳類は、数百から千種類ほど(嗅覚受容体の種類はヒトで約400、マウスで約1,000)ある嗅神経細胞によって匂い分子を受容し、それぞれ異なる匂い分子の検出を行っています。嗅神経細胞で受け取った匂い情報は、脳の嗅球にある糸球体と呼ばれる構造で僧帽細胞へと伝達されます(図1上段)。この僧帽細胞では、匂いの入力があると、発火頻度が変化するだけでなく、呼吸サイクルにおける発火のタイミングも変化します(図1下段)。そのため、発火タイミングも匂い情報処理において何らかの役割を果たしている可能性が考えられていました。しかし、その意義やメカニズムは不明でした。

研究手法と成果

哺乳類においては、匂い分子は常に呼吸(吸気)に伴って嗅神経細胞のある嗅上皮へと取り込まれます。このため、匂い応答は呼吸サイクルごとに生じることになります。マウスに匂いを嗅がせると、僧帽細胞は発火頻度を変化させるだけでなく、各呼吸サイクルの特定のタイミングで発火します。しかも、そのタイミングは異なる糸球体では異なっており、また同じ糸球体でも匂いの種類によって異なっています(図1下段)。

共同研究チームは、発火タイミングの意義を探るため、2光子カルシウムイメージング法[4]を用いて、発火タイミングの安定性について調べました。2光子カルシウムイメージング法を用いると、多くの糸球体で僧帽細胞の神経活動を捉えることができます。

まず、マウスに同じ匂いを20呼吸サイクル嗅がせたときの発火パターンを経時的に解析しました。その結果、僧帽細胞の発火頻度はサイクルごとに次第に変化したのに対し、発火タイミングは20回の呼吸サイクルを通して常に一定であることが分かりました(図2A)。

次に、マウスに対して5種類の異なる濃度の同じ匂いを嗅がせたときの発火パターンを解析しました。その結果、僧帽細胞の発火頻度は濃度によって変化しましたが、発火タイミングはどの濃度でもほぼ一定であることが分かりました(図2B)。一方、匂いの種類を変えると、発火タイミングは異なっていました。さらに、実験によって得られた発火頻度の情報と発火タイミングの情報のどちらを使うと、匂いの種類をより正確に判別できるかを数理的に解析しました。その結果、発火タイミングの情報を用いた方がより正確に匂いの種類を予測できることが分かりました。

これらの結果から、僧帽細胞においては、匂いの種類の情報は発火タイミングによって表現されることが分かりました。すなわち、濃い濃度のバナナの香りも薄い濃度のバナナの香りも、同じ匂いに感じられるのは、発火頻度が変わっても発火タイミングが不変であるため、と考えられます。例えば、動物が餌を探すときには、繰り返しその匂いを嗅いで、匂いの源を探し当てる必要があります。もしその過程で脳内に表現される匂いの情報が変わったとしたら、餌にたどり着けなくなります。匂いを繰り返し嗅いだり、匂いの濃度が変わったりしても、僧帽細胞の発火タイミングが保持されていることで匂いの同一性が保たれ、匂いの探索が可能になっていると考えられます(図2C)。

共同研究チームは、僧帽細胞で正確に発火タイミングが刻まれる仕組みの解明にも取り組みました。嗅神経細胞は、匂いを検出するだけでなく、機械刺激も検出できることが知られていました。このことから、嗅神経細胞は呼吸に伴う「空気の流れ」を検出している可能性が示されていましたが、動物個体ではほとんど検証されていませんでした。

そこで、本研究では、2光子カルシウムイメージング法を用い、生きているマウスでの検証を行ったところ、嗅神経細胞が空気の流れに伴う機械刺激を検知していることが分かりました。また、呼吸サイクルに伴って入ってくる機械刺激は、嗅球の僧帽細胞において、糸球体ごとに異なる発火の波(脳波の一種)を作り出していることが分かりました(図3A)。この波のパターンは呼吸の条件を変えても不変であり、匂いの検出に対して干渉しませんでした。一方、鼻腔に流す空気を連続的にすることでこの波をなくすと、発火タイミングを正確に刻むことができないことが分かりました(図3B、C)。したがって、機械刺激の受容によって作られた発火の波は匂い情報処理を手助けする、いわばペースメーカーとして働くことが明らかになりました。

一見すると、嗅神経細胞が匂いだけでなく機械刺激にも反応すると、匂い検出が妨げられそうに思えます。このことから、嗅神経細胞がなぜ機械刺激を受容しているのかは、これまで謎でした。本研究によって、嗅神経細胞の「機械刺激受容」は、僧帽細胞における神経発火タイミングの制御に役立つことが明らかになりました。

今後の期待

これまで、僧帽細胞における嗅覚情報処理は発火頻度だけで説明ができるという考え方が支配的でしたが、今回の成果によって発火タイミングの重要性が明らかになりました。また、神経回路の情報処理において、発火タイミングの重要性は、聴覚系や海馬[5]などの一部の例を除いてよく分かっていません。今回の成果から、脳内の感覚情報処理において、発火タイミングが情報の「同一性」を保つという普遍的な役割を担っている可能性が考えられます。

また、嗅球は単に嗅神経細胞からの入力を僧帽細胞に伝達するだけの装置ではなく、ノイズに満ちた末梢の入力から匂いの種類に関する情報だけを抽出して時間パターンへと変換する、精緻な情報処理回路であることが明らかとなりました。

今後、発火タイミングを厳密に制御するための神経回路機構を解明することで、神経回路における演算原理の理解につながると考えられます。また、こうした研究は脳情報の解読技術の向上にもつながると期待できます。

原論文情報

  • Ryo Iwata, Hiroshi Kiyonari, & Takeshi Imai, "Mechanosensory-Based Phase Coding of Odor Identity in the Olfactory Bulb", Neuron, doi: 10.1016/j.neuron.2017.11.008

発表者

理化学研究所
多細胞システム形成研究センター 感覚神経回路形成研究チーム
チームリーダー 今井 猛(いまい たけし)
(九州大学大学院医学研究院 疾患情報研究分野 教授)
訪問研究員 岩田 遼(いわた りょう)

研究チームのメンバー写真 今井猛(中央)、岩田遼(左端)および感覚神経回路形成研究チームのメンバー

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
お問い合わせフォーム

産業利用に関するお問い合わせ

理化学研究所 産業連携本部 連携推進部
お問い合わせフォーム

補足説明

  • 1.嗅球、糸球体、僧帽細胞
    匂い分子は嗅上皮の嗅神経細胞によって検出される。個々の嗅神経細胞は多くの嗅覚受容体(ヒトで約400種類、マウスで約1,000種類)の中から1種類のみを発現しており、同種の嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞の軸索は脳の「嗅球」にある「糸球体」という構造へと集められる。糸球体では、嗅神経細胞から入力された情報がシナプスを介して次の神経細胞である「僧帽細胞」へと伝達される。嗅球内には僧帽細胞以外にも多くの神経細胞があり、匂い入力の制御を行うと考えられているが、まだ不明な点も多い。
  • 2.発火タイミング、発火、発火頻度
    神経細胞は膜電位の急激かつ一過的な変化(約0.001秒)をドミノ倒しのように伝播することで信号を伝達する。この膜電位変化のことを活動電位、あるいは単に「発火」と呼ぶ。一般的に、神経細胞に興奮性の入力が入ると、その神経細胞の「発火頻度」が上昇する。このことから、発火頻度の変化によって情報を次の神経細胞へと伝える可能性が考えられる。一方、入力に伴って「発火タイミング」が変化する例も多く知られており、これによって情報を伝える可能性も考えられる。
  • 3.機械刺激
    物理的な力によって生じる刺激のこと。例えば、触覚は機械刺激受容を行っているが、具体的には細胞膜に加わる圧を機械受容チャネルによって検出している。一方で、嗅神経細胞が機械刺激を受容する仕組みにはまだ不明な点が多い。匂い受容と共通したcAMPシグナル経路によって機械受容を行うとされている。
  • 4.2光子カルシウムイメージング法
    2光子励起顕微鏡を用いたカルシウムイメージング法。2光子励起顕微鏡とは、近赤外パルスレーザーを用いた蛍光顕微鏡で、脳の深部まで観察できるという特長がある。カルシウムイメージング法は、細胞内カルシウムイオン(Ca2+)濃度に応じて蛍光輝度を変化させるようなセンサーを用い、Ca2+濃度の分布を画像化する方法。神経細胞は発火に伴い細胞内Ca2+濃度を上昇させることが知られているため、Ca2+動態を蛍光顕微鏡で観察すれば、間接的に発火頻度や発火タイミングを計測することができる。本研究では、クラゲ由来の緑色蛍光タンパク質GFPを改変して作出されたカルシウムセンサーGCaMPを用いてカルシウムイメージングを行っている。
  • 5.海馬
    大脳側頭葉の内下部にある領域で、記憶に関与することが知られている。海馬には空間認識に関わる「場所細胞」と呼ばれる神経細胞があるが、場所細胞は発火タイミングに基づいて自分の位置と目標物の位置関係を表現していることが知られている。
哺乳類の嗅神経細胞と僧帽細胞における匂い情報処理の図

図1 哺乳類の嗅神経細胞と僧帽細胞における匂い情報処理

上段)哺乳類では、匂いはまず嗅上皮の嗅神経細胞によって検出される。嗅神経細胞は、ヒトで約400種類、マウスで約1,000種類あり、それぞれ異なる匂い分子の検出を行っている。嗅神経細胞の軸索は嗅球の糸球体という構造で、次の神経細胞である僧帽細胞の樹状突起に連絡している。

下段)匂い分子は呼吸サイクルごとに鼻腔に取り込まれて受容されており、特定の種類の嗅神経細胞を発火させる。僧帽細胞では多くの糸球体で発火頻度の上昇が観察されるが、同時に発火タイミングの変化(呼吸サイクルに対して前進もしくは遅延)が起こることも知られている。今回の研究では、2光子カルシウムイメージングによって発火の波を捉え、波の立ち上がりの点を発火タイミングと定義して解析を行った(右の枠内)。

マウス僧帽細胞において観察される匂い刺激に対する発火タイミングの安定性の図

図2 マウス僧帽細胞において観察される匂い刺激に対する発火タイミングの安定性

A)発火頻度と発火タイミングの経時的な安定性。マウスに20呼吸サイクルにわたって同じ匂いを嗅がせると、発火頻度は次第に変化していき、最初と最後のサイクルにおける発火頻度パターンは大きく異なってくる。一方、発火タイミングに着目すると、最初から最後まで常に一定に保たれている。

B)匂いの濃度による発火頻度と発火タイミングの変化。マウスにさまざまな濃度の匂いを嗅がせると、発火頻度は濃度によって大きく変化する。一方、発火タイミングは濃度を変化させてもほとんど変化しない。

C)動物が匂いの源を見つける場合、繰り返しその匂いを嗅いで探索する必要がある。発火頻度は、繰り返し匂いを嗅いだり途中で濃度が変化したりすると、そのパターンが変化する(例えば、リンゴの匂いがリンゴでなくなる)。一方、発火タイミングに着目すると、ほとんど一定に保たれている(リンゴの匂いは濃くても薄くても、時間が経ってもリンゴ)。こうしたことから、動物は発火タイミングに基づいて匂いの種類を同定しており、これが安定なために混乱することなく匂いの探索が可能になっていると考えられる。

僧帽細胞における発火の波と発火タイミングに基づく匂い情報表現の図

図3 僧帽細胞における発火の波と発火タイミングに基づく匂い情報表現

A)呼吸に伴う機械刺激によって生じる発火の波。異なる糸球体で呼吸によって生じる発火の波を観察したところ、糸球体ごとに異なるタイミング(位相)で発火の波が生じることが分かった。

B)機械刺激によって生じる発火の波がある条件とない条件とで、匂いに対する僧帽細胞の応答を観察した。機械刺激による発火の波がない条件では、発火のタイミングが毎回同じにならない(図は同一条件で行った6回の結果を示す)。すなわち、機械刺激の入力があった方が正確に発火タイミングを刻むことができる。図ではカルシウムイメージングのデータを波形で、立ち上がりのタイミング(発火のタイミング)を縦線で示している。

C)呼吸の吸気速度を上げても発火のタイミングは変化しないが、匂いを嗅いだときだけ発火のタイミングが変化する。この発火タイミングが匂いの種類を反映していると考えられる。一方、機械刺激によって生じる発火の波をなくすと、発火タイミングを何度も続けて正確に刻むことができなくなる。すなわち、機械刺激による発火の波は、匂いの種類を安定的に表現するためのいわばペースメーカーとして重要な役割を担っていると考えられる。

Top