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2011年4月25日

独立行政法人 理化学研究所

1兆分の1秒で変形する光分子スイッチの様子をとらえる

―光機能性分子は、光照射によって一瞬身震いした後、変形していく―

ポイント

  • 光機能性分子である有機金属分子の変形を、100兆分の1秒の時間スケールで初観測
  • 光照射直後のわずかな間に、有機金属分子は元の形のまま反復的な震えを起こす
  • 有機金属分子は光を吸収して即座に変形する、と考えられてきた従来の予想を覆す

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、100兆分の1秒という極短時間のスケールで計測可能な最先端の分光計測法を用いて、光分子スイッチなどへの応用が期待されている光機能性分子の1つ「銅(Ⅰ)ビスジイミン錯体※1」が、光照射で「分子の身震い」を引き起こしながら変形していく様子を初めてとらえました。これは、理研基幹研究所(玉尾皓平所長)田原分子分光研究室の岩村宗高協力研究員、渡邉秀和協力研究員、石井邦彦研究員、竹内佐年専任研究員と田原太平主任研究員による成果です。

1価の銅イオン(Cu+)に2つの有機分子が結合した銅(Ⅰ)ビスジイミン銅錯体は、光を効率よく吸収してその形を大きく変形させるため、オン/オフを制御する最小単位の分子スイッチや、光増感型太陽電池における光エネルギー変換のための光増感剤など幅広い用途が期待され、盛んに研究が行われています。しかし、この分子の変形は非常に速く進むため、どのように変形していくのかという詳しい様子は分かっていませんでした。

研究グループは、100兆分の1秒の間に起こる分子の変化を観測可能な最先端の分光技術を使って、この分子が変形していく様子を実時間で観測しました。その結果、光照射の直後から分子の変形が始まるという従来の予想とはまったく異なり、およそ1兆分の1秒の間、原子が反復的に震えている「分子の身震い」という現象を起こし、待機していることが分かりました。さらに、この「分子の身震い」の様子を最先端の量子化学計算を用いて詳しく解析したところ、銅イオンのまわりの原子がバラバラに身震いするのではなく、誘導される変形の方向に大きく震えていることが分かりました。このことは、最初に光が引き起こした原子の震えのエネルギーが、次第に分子の変形のために使われ、やがて分子全体が新たな安定した状態へと変形していくことを示唆しています。今回の結果は、有機金属分子の変形の仕組みに新しい知見を加えると同時に、これら分子の新たな機能の設計に向けた指針を与えると期待されます。

本研究成果は、米国の学術誌『Journal of The American Chemical Society』に近日掲載予定です。

背景

銅は私たちに身近な元素で、自然界では生体や鉱物中に金属(銅)錯体という形で広く存在しています。金属錯体とは、金属イオンの周辺にいくつかの分子が取り囲むように結合してできた分子を指しており、例えば銅の場合、青い水溶液で知られる硫酸銅水溶液では、銅イオンのまわりに水分子が四角形を作るようにして4つ結合した状態となっています。銅イオンには、酸化状態が1価の「Cu+」と2価の「Cu2+」の2種類が存在しますが、銅錯体の構造はこの銅の酸化状態で大きく異なります。具体的には、1価の場合は四面体型構造を、2価の場合は平面四角形型構造をとる銅錯体がよく知られており、硫酸銅水溶液では平面四角形型構造をとっています。こうした性質を反映して、光や電気、化学的手法といった外部からの操作により、錯体中の銅の酸化状態を変えると分子の構造が大きく変化する現象は、銅錯体の「ヤーン・テラー変形」として広く知られています。

この銅錯体の変形は、基礎・応用の両面で重要で、これまで関連する研究が盛んに行われています。例えば応用分野では、分子の構造を任意に変形させてオン/オフを制御する、最小単位の分子スイッチの開発を目標にした研究が行われています。一方、基礎分野では、銅錯体が光合成における電子の輸送システムを担っていることが知られ、銅錯体の構造変化による電子移動の制御に関する研究が盛んに行われています。しかし、この光照射による銅錯体の構造変化は非常に速く進むため、その変化自体がどのように進んでいるかについては詳しく分かっていませんでした。

研究グループは、この銅錯体の高速な変形を調べるため、銅(Ⅰ)ビスジイミン錯体と呼ぶ分子を用いました(図1)。この分子では、光照射によって銅イオンから有機分子へ電子が1つ移動し、銅イオンの酸化状態が1価から2価に変化します(図2)。つまり、光照射によって構造変化を引き起こすことができるため、銅錯体の変形の様子を実時間で分光観測する良いモデル化合物となります。この銅(Ⅰ)ビスジイミン錯体は可視光を効率良く吸収し、光増感型太陽電池などの光エネルギー変換デバイスに使用する安価な増感剤としても大変注目されています。しかし、この光エネルギー変換の観点からみると、吸収したエネルギーが分子の変形によって失われてしまうため、銅錯体の構造変化の様子を知ることは、光エネルギー変換デバイスの開発の上でも、大変重要な課題となっていました。

研究手法と成果

研究グループは、銅錯体の高速な構造変化を観測するために、時間幅が100兆分の1秒という極短時間の2つの光パルスを発生させて、過渡吸収分光法※2と呼ばれる測定を行いました。具体的には、まず1つ目の光パルスを銅錯体に照射し、分子の変形を誘導します。その後、2つ目の光パルスで得られるスペクトルを測定することで、分子の変形の様子を“色”の変化として観測しました。これら2つの光パルスの時間差を変えることで、光照射から任意の時刻で分子の変形を観測することができます。特に、研究グループが保有する分光技術は、原子の動き(典型的には100兆分の2秒~100兆分の30秒程度)よりも速い100兆分の1秒という時間スケールで現象を見分けることができるため、原子の様子を時々刻々と直接とらえることができます。

銅(Ⅰ)ビスジイミン錯体は、光照射前では安定な四面体型構造をしています。この銅錯体に、吸収波長である可視光(波長550nm)を照射し、その後の分子の変形を過渡吸収分光法で測定したところ、分子の変形は照射後すぐ始まるのではなく、およそ1兆分の1秒の間、元の四面体型構造を保っていることが分かりました。この新たな知見は、これまで光を吸収して即座に変形すると考えられてきた金属錯体の科学に新しい視点を与えるだけでなく、銅錯体を用いた分子スイッチなどの応用研究に新しい方向性を与えることになります。さらに興味深いことに、過渡吸収分光の信号が激しく振動していることから、銅錯体は変形しないで待機している間、静止しているわけではなく、四面体型構造を中心に反復的に震えていることが分かりました(図3左)。この「分子の身震い」の様子を高精度の量子化学計算を用いて詳しく解析したところ、銅イオンの周りの原子はバラバラに震えているのではなく、特に誘導される変形の方向に大きく震えていくことが分かりました(図3右)。このことは、光照射が引き起こした分子の身震いのエネルギーが、やがて分子の変形のために使われ、その結果、分子の構造が四面体型から平面四角形型へと変わっていくメカニズムを強く示唆します(図4)

今後の期待

今回観測した銅錯体内の原子の反復的な震えや分子の変形前の様子は、金属錯体を使った分子スイッチや光エネルギー変換の研究の進展に大きく寄与すると同時に、これらの分子の新たな機能の設計に向けた指針を与えると期待されます。

発表者

理化学研究所
基幹研究所 田原分子分光研究室
主任研究員 田原 太平(たはら たへい)
専任研究員 竹内 佐年(たけうち さとし)
Tel: 048-467-7928 / Fax: 048-467-4539

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.銅(I)ビスジイミン錯体
    1,10フェナントロリンと呼ぶ有機分子が銅イオンに2つ結合した有機金属化合物。光を照射すると分子の形が変形することから、分子スイッチとして注目されている。また、この銅錯体は光増感剤として優れた特性を持ち、その上、従来の材料に比べて安価に製造できるため、光エネルギー変換素子としての研究も活発に行われている。
  • 2.過渡吸収分光法
    物質が光を吸収する強さの時間変化を、分光学的に追跡する時間分解分光の一種。通常、ポンプ光とプローブ光と呼ぶ2つのパルス光を用いて行う。まず、ポンプ光を物質に照射し、物質の変形を引き起こす。次に、時間を遅らせたプローブ光を物質に透過させ、その時刻において物質がどれくらいプローブ光を吸収するかを測定する。いろいろな波長のプローブ光による測定から得られる吸収スペクトルは、分子の示す“色”を直接表す。この過渡吸収分光は、用いるパルス光の時間幅と同程度の速い現象まで見分けることができる特徴があるため、極限的に短い時間幅のパルス光を用いることにより、今ではおよそ100兆分の1秒の時間スケールで分子の変形を追跡することが可能となっている。
銅(Ⅰ)ビスジイミン錯体:ビス(2,9ジメチル-1,10-フェナントロリン銅(Ⅰ))の構造の図

図1 銅(Ⅰ)ビスジイミン錯体:ビス(2,9ジメチル-1,10-フェナントロリン銅(Ⅰ))の構造

光誘起構造変形の図

図2 光誘起構造変形

光照射前の銅(Ⅰ)ビスジイミン錯体は、2つの有機分子が互いに垂直に結合した四面体型の形をしている。銅錯体に光照射すると、銅から有機分子へ電子が移動する。これに伴って銅原子の酸化状態が2価に変化し、銅錯体の構造が平面四角形型へと変形する。

過渡吸収信号の振動成分と「分子の身震い」の図

図3 過渡吸収信号の振動成分と「分子の身震い」

光が引き起こした原子の震えを反映して、過渡吸収分光の信号は激しく振動する。この信号を解析することにより、「分子の身震い」の様子が明らかとなる。

銅(Ⅰ)ビスジイミン錯体に光照射してから変形するまでの様子の図

図4 銅(Ⅰ)ビスジイミン錯体に光照射してから変形するまでの様子

光照射した直後からおよそ1兆分の1秒の間、分子は変形せず元の四面体型の構造を保つ(D2d構造)。この間、分子内の原子は反復運動(身震い)をしている。分子の変形(D2d→D2構造)に必要なエネルギーは、この「分子の身震い」から得ていると考えられる。

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