分子アンサンブル制御・開発研究
局所電子状態、分子間相互作用を設計・制御することによって新しい分子化合物や分子機能を開発することを目指す。大きな目標として、以下の2つのテーマを2本柱とする。
・分子デバイス実現に向けての基礎の確立
・触媒機能の制御と高度化(有機金属触媒、タンパク質機能制御)
- 分子デバイスのための基礎研究
(1) 分子性導体の基板上電界効果測定と有機モット・トランジスタの実現
研究担当者:山本、須田、木村、加藤(加藤分子物性研究室)
強相関分子性導体(モット絶縁体・電荷秩序絶縁体)の薄膜単結晶を用いて電界効果トランジスタ(FET)を作製し、その性能向上と複数パラメータによる同時物性制御の検証を行った。強相関物質の物性は図1に示すようにバンドフィリングに非常に敏感なため、新しいスイッチング素子として利用できる可能性もある。これまでの研究で、κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Brの薄膜単結晶をSiO2/Si基板に張り付けると低温でモット絶縁状態が実現しn型のトランジスタ動作が可能となることが明らかとなっているが、今年度は物質のレパートリーを増やし、各々の差異を比較検討するために、モット絶縁体である(BEDT-TTF)(TCNQ), (BEDT-TTF)2CuCl2、EtMe3P[Pd(dmit)2]2、および電荷秩序絶縁体であるκ-(BEDT-TTF)2I3の電界効果測定を行った。前3者は結晶成長において電気分解法を用いることなく成長させるため、これまでとは異なる方法論での結晶育成が必要であったが、幸い500nm以下の厚みを持つ薄膜単結晶を得ることが可能となり、電界効果の測定にも成功した。いずれも両極性の電界効果を示したが、その電界効果移動度はそれほど高くなく、界面の品質向上などが今後の課題である。一方、電荷秩序絶縁体であるα-(BEDT-TTF)2I3についても電界効果測定を行ったが、この場合はゲート電圧を上げていくと、負のトランスコンダクタンスを示すことが明らかとなった。これはチャネル厚の減少に伴うキャリア散乱の増加に依る現象ではないかと考えられるが、詳細は今のところ不明である。
また、high-k 材料をゲート絶縁膜に用いたκ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Brの試料では、超伝導による低抵抗状態のON/OFFをゲート電圧の変化によりスイッチさせることに成功した。これは、相分離により超伝導体とモット絶縁体が混じり合った状態(パーコレーション超伝導)に対して電界効果を加えることにより、超伝導成分の割合を増減し、ジョセフソン接合ネットワークのスイッチングを実現したことによるものである(図2)。
( BEDT-TTF = bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene, TCNQ = tetracyanoquinodimethane)

図1(左):κ型BEDT-TTF塩におけるフィリングと電子相関をパラメーターとした相図。FET界面に静電キャリアドープを行うことにより、緑色のモット絶縁状態と白色の金属状態をスイッチできる。
図2(右):κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Brを用いたFETにおける、超伝導・絶縁体共存領域(パーコレーション超伝導)でのジョセフソン接合ネットワークのスイッチング模式図。SC:超伝導、MI:モット絶縁体、JJ:ジョセフソン接合
(2) モット転移近傍へと導いた分子性導体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clにおける電界効果
研究担当者:須田、山本、加藤(加藤分子物性研究室)
強相関分子性導体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Cl(κ-Cl)は、低温においてモット絶縁相に位置し、圧力の印加により超伝導相へとバンド幅制御型のモット転移を起こす。一方、我々はこれまでにκ-Clの薄片単結晶を用いた電界効果トランジスタ(FET)デバイスにおいて、電界効果によりバンドフィリング制御型モット転移が誘起されることを見いだした。本年度は新たに、バンド幅とバンドフィリングの同時制御により、バンド幅制御型モット転移近傍のκ-Clに対する電界効果測定を目的とした。フレキシブルなプラスチック基板上にκ-Clの薄片単結晶FETを作製し、基板の湾曲による歪み(圧力)効果と電界効果とを併用することで、歪み印加下における電界効果測定を試みた。基板上のκ-Clは、歪みの印加に伴う実効的負圧により、超伝導から絶縁体へと歪み誘起相転移を示した。続いて、歪み印加下における電界効果測定を行った。興味深いことに、本デバイスでは絶縁相のみでなく、モット転移過程で生じた超伝導相と絶縁相の混合相においても電界効果が観測され(図21)、ON/OFF 比は10%程度ながら、約280cm2/Vsの非常に高いデバイス移動度を得た。この超伝導相における電界効果および高い移動度は、混合相中の部分的絶縁相に対するキャリア注入により、超伝導相のフラクションが増加したことによるものと推察される。今後は、注入キャリア数の増加などにより、電界誘起超伝導の実現を目指す予定である。
( BEDT-TTF = bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene)

図23:FETデバイスの模式図(左)およびモット転移近傍のκ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clに対する電界効果(右)
(3) 超高圧下における単一成分分子性結晶[Ni(dmit)2]の電気的性質
研究担当者:崔、圓谷、加藤(加藤分子物性研究室);宮崎、岡野
約10年前、世界で初めて単一成分からなる分子性金属[Ni(tmdt)2]が開発され、研究者の注目を集めるようになった。その後、金属性を保ちながら110 Kという分子性伝導体としては非常に高い温度での反強磁性転移を示す[Au(tmdt)2]が発見された。しかし、伝導性の良い単一成分分子性金属は大型の単結晶の成長が非常に難しく、[Au(tmdt)2]場合も、単結晶で物性を詳細に調べるほどの大きい結晶が得られてないため、磁性と伝導性の関係が現在も未解明である。その反面、伝導性の悪い単一成分分子結晶は比較的大型な単結晶を得易いので、これらの絶縁性結晶へ超高圧を印加して金属状態を実現することは、単一成分分子性金属の探索における重要なアプローチの一つである。今回、ダイヤモンドアンビルセルを用いて金属錯体系分子性導体の基礎物質である中性[Ni(dmit)2]の単結晶に対し、25.5万気圧以上の高い圧力までの四端子法電気抵抗測定を行い15.9万気圧で金属になることを見いだした。第一原理バンド計算でも、非常に高い圧力で(~20万気圧)三次元的なフェルミ面と二次元的フェルミ面が現れることが明らかになった。
(tmdt = trimethylenetetrathia fulvalenedithiolate, dmit= 1,3-dithiole-2-thione-4,5-dithiolate )

[Ni(dmit)2]
(4) 単一成分分子性伝導体[M(dddt)2](M=Ni ddd)の超高圧下での電気的性質
研究担当者:崔、加藤(加藤分子物性研究室)
単一成分分子性結晶[M(dddt)2] (M=Ni, Pd)の単結晶を作製し、ダイヤモンドアンビルセル(DAC)を用いて超高圧下での電気的性質を21.6万気圧まで測定した。 Ni錯体とPd錯体は結晶学的に同型であり、Pd錯体の格子の方が小さくなっている。 [Ni(dddt)2]は常圧では絶縁体であり、約5万気圧から抵抗測定が可能となる。室温抵抗率は圧力の増加とともに小さくなる。10万気圧より低い圧力領域では活性化エネルギーが圧力増加とともに小さくなるが、それ以上ではほとんど変化しない。一方、 [Pd(dddt)2]は常圧では絶縁体であるが、約3万気圧から抵抗測定が可能となる。圧力の増加とともに室温抵抗率は小さくなり、12万気圧では室温から液体ヘリウム温度まで電気抵抗の温度依存性がほとんど無くなった。しかし、それ以上の圧力では伝導性が悪くなる傾向が見られた。
(dddt=5,6-dihydro-1,4-dithiin- 2,3-dithiolate, dmit= 1,3-dithiole-2-thione-4,5-dithiolate )

[Pd(dddt)2]
(5) フッ素化されたオニウムカチオンを有するPd(dmit)2塩の物性
研究担当者:野村、崔、Abdel Jawad、圓谷、大島、山本、加藤(加藤分子物性研究室);田嶋(陽)
ジチオレン錯体Pd(dmit)2のラジカルアニオン塩は通常モット(Mott)絶縁体である。結晶が二量体[Pd(dmit)2]2の三角格子を有するため、その絶縁相と金属相の間には、強相関とスピンフラストレーションが競合・共存しており、物理的外部刺激や化学修飾(化学圧力)などの効果により電子物性を緻密に制御することが可能である。特にサイズの小さい四級オニウムカチオンR4Z+を有するアニオンラジカル塩(R4Z)[Pd(dmit)2]2 (R = Me, Et)においては、そのアルキル基Rを修飾することで基本的な結晶構造(βあるいはβ'型)を変えることなく、二量体[Pd(dmit)2]2間の遷移積分、つまり三角格子の異方性を制御できることがわかっている。しかし、アルキル基Rが嵩高くなると、基本的結晶構造を保てなくなるという合成化学上の問題があった。
そこで、水素原子に次いでファンデルワールス半径の小さいフッ素原子をRに導入することで、(R4Z)[Pd(dmit)2]2塩の微細な化学修飾を行った(図4)。その結果、基本的な結晶構造を保ったまま三角格子の異方性が変化し、電気的物性や磁性が劇的に変わることを見いだした。既に、フッ素の入ったアンモニウム塩β-[(FCH2)Me3N][Pd(dmit)2]2が常圧で金属的性質を示すことを報告していたが、含フッ素ホスホニウム塩β'-[(FCH2)Me3P][Pd(dmit)2]2も同様の条件下で金属状態を示すことがわかった(図5)。これらの結果は、フッ素を含まない(R4Z)[Pd(dmit)2]2塩が常圧下においてMott絶縁体であることと対照的である。β-(FCH2)Me3N塩は、高温領域での磁化率が温度に依存しないパウリ常磁性的振る舞いを示したが、16 Kにおいて反強磁性転移を示した。一方、β'-(FCH2)Me3P塩の磁化率は、高温領域で2次元三角格子系ハイゼンベルグ反強磁性体に特徴的な温度依存性を示し、29Kで反強磁性秩序を示した。カチオンのフッ素化により三角格子へ異方的化学圧力が加わり、バンド幅が広くなったことにより、常圧下でも金属的振る舞いが現れたと考えられる。特にフッ素化されたカチオンの導入によって、結晶のb軸が短くなる傾向が見られた。b軸は、二量体が形成する三角格子の一辺、すなわち遷移積分tSに沿っており(図6)、この向きに化学圧力が加わっていることを示唆している。また、フッ素化されていない(Me4N)[Pd(dmit)2]2が、b軸方向の一軸歪みを加えることで容易に金属状態を示すことからも、この方向への圧力は系を金属化させる重要な鍵となることがわかった。
(dmit = 1,3- dithiol-2-thione-4,5-dithiolate)

図4:フッ素化されたオニウムカチオンを有するPd(dmit)2塩

図6:二量体[Pd(dmit)2]2ラジカルアニオンが形成する 三角格子(結晶b軸はtSに平行)
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図5:β'-[(FCH2)Me3P][Pd(dmit)2]2の抵抗率の温度依存性 および圧力依存性
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(6) 中心金属に白金を有するdmit錯体塩の構造と物性
研究担当者:野村、崔、Abdel Jawad、圓谷、大島、加藤(加藤分子物性研究室);田嶋(陽)
強相関とスピンフラストレーションが競合・共存したモット絶縁体Pd(dmit)2塩においては、物理的外部刺激や化学修飾(化学圧力)などの効果により、電子物性を緻密に制御することが可能である。四級オニウムカチオンR4Z+を有するパラジウム錯体塩(R4Z)[Pd(dmit)2]2では、そのカチオンを修飾することで基本的な結晶構造(βあるいはβ'型)を変えることなく、二量体[Pd(dmit)2]2間の遷移積分を制御でき、伝導性や磁性が変化する。一方、金属dmit錯体の中心金属をパラジウムから白金に替えることで、二量体内の金属間距離を変え、二量体内の遷移積分を制御できる可能性がある。しかし、βあるいはβ'型結晶における白金dmit錯体塩の研究は、β-Me4N塩のみに限られており、この塩の伝導性や結晶構造、光学伝導度スペクトルを除いては詳しい研究が行われていなかった。
四級オニウムカチオンとしてMe4N+、(FCH2)Me3N+、Me4P+、Me4As+およびMe4Sb+を有する白金錯体塩(R4Z)[Pt(dmit)2]2を電解酸化法によって作成した(図7)。(FCH2)Me3N塩はβ型、Me4N塩もほとんどがβ型であったが、β型結晶もマイナー成分として存在することがわかった。一方、Me4P、Me4AsおよびMe4Sb塩はそれぞれβ'型構造を有している。[Pt(dmit)2]分子は二量化しているが、β-Me4Nおよびβ-(FCH2)Me3N塩の場合は二量体内のPt-Pt距離が約3.16Åであり、Pd(dmit)2塩の場合と同等である。一方、γ-Me4Nおよび各種β'塩ではPt-Pt距離が3.23-3.30Åとなり、[Pt(dmit)2]分子は比較的弱く二量化していることがわかった。第一原理計算によるバンド構造は、結合性HOMOバンドと反結合性LUMOバンドの準位とが逆転しており、Pd(dmit)2系のバンド構造と類似している。電気伝導度測定によると、β-(FCH2)Me3N塩およびβ'塩は、常圧下においても高温領域で金属的な挙動を示し(図8)、通常のPd(dmit)2塩とは異なる。金属状態を示す理由としては、二量化の度合が弱くなったことで、二量体上のオンサイトクーロン相互作用が減少したことがあげられる。また、上記いずれのPt(dmit)2塩も低温で金属-絶縁体転移を起こす。低温X線構造解析および磁化率測定によると、これらの転移温度(Tc=158-215K)以下では構造変化が起こるとともに、非磁性状態となる。これらの結果は、Tc以下では、二量体[Pt(dmit)2]2間の電荷移動により、0価の二量体と-2価の二量体を形成する電荷秩序の状態になっていることを示す。
(dmit = 1,3- dithiol-2-thione-4,5-dithiolate)

図7:四級カチオンを有する[Pt(dmit)2]2塩 |

図8:β'-(Me4Z)[Pt(dmit)2]2塩の抵抗率の温度依存性(常圧測定下) |
(7) Pd(dmit)2塩の誘電特性
研究担当者:Abdel Jawad、加藤(加藤分子物性研究室);田嶋(尚)
ダイマーモット絶縁体β´-EtxMe4-xZ[Pd(dmit)2]2 (Z= P, As, Sb; x = 0, 1, 2)の誘電特性を系統的に調べ、異常な誘電応答を見いだした。この誘電異常の周波数および温度依存性は、リラクサー誘電体に見られる誘電分散と良く似ており(図9)、分極がそろった領域が不均一に生じていることを示唆している。このような誘電異常は同じくダイマーモット絶縁体であるκ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3で最初に報告されており、これが多くのダイマーモット絶縁体に共通の現象であり、電気双極子モーメントの起源は(電荷秩序を起こすEt2Me2Sb塩を除けば)二量体に内在する電荷の自由度であると考えている。
キュリー定数から求めたβ´-型Pd(dmit)2塩の双極子モーメントは、カチオン依存性をほとんど示さなかった。一方、キュリー温度は、電子相関効果tA/W(tAは二量体内の遷移積分(オンサイトクーロン相互作用の目安)、Wはバンド幅)との相関関係が見られる(図10)。今後、さらに詳細な実験を行い、これらの相関関係が、幾何学的フラストレーションに起因するものなのか、あるいは電荷秩序を示すEt2Me2Sb塩と反強磁性秩序を示す塩(Me4P, Me4As, EtMe3As, Et2Me2P, Me4Sb, Et2Me2As)との境界で起こる現象に由来するのかを明らかにする予定である。

図9:Et2Me2Sb[Pd(dmit)2]2, EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2,
Me4P[Pd(dmit)2]2の誘電率(面間方向)の実部の温度・
周波数依存性 |

図10:β'- Pd(dmit)2塩の誘電率測定から得られたキュリー温度と
(室温における)電子相関効果との関係。tAは二量体内の遷移積分
(オンサイトクーロン相互作用の目安)、Wはバンド幅。 |
(8) EtMe3P[Pd(dmit)2]2におけるモット転移の臨界性
研究担当者:Abdel Jawad、加藤(加藤分子物性研究室);田嶋(尚)、渡邊、石井
我々は、圧力下で超伝導体となるダイマーモット系EtMe3P[Pd(dmit)2]2のホール係数が温度-圧力相図の特定の領域で異常な温度依存性を示すことを見いだした。この起源を明らかにするために、ヘリウムガスを圧力媒体として、この系の温度-圧力相図を精密に検討することを始めた。図11の圧力掃引による電気抵抗データから、モット転移の臨界点が33.5K , 1765 bar付近であることがわかった。さらに臨界指数(δ, β, γ)として(3/2, 2, 1)が得られた(図12)。これは通常の普遍性クラスの値とも、また他のダイマーモット系κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clで報告されている (δ, β, γ)=(2, 1, 1)とも異なる。今後、ホール効果を含め、さらに詳細な検討を行う予定である。

図11:温度一定で圧力掃引を行って測定した
EtMe3P[Pd(dmit)2]2の電気抵抗 |

図12:電気伝導のスケーリング。
ΔPは1次相転移境界線 (Tc)あるいはクロスオーバーライン
(T>Tc)からの圧力差。Δεは臨界温度からの温度差。
Gcは電気伝導の臨界値(T>Tc)。 |
(9) 第一原理計算による(Cation)[Pd(dmit)2]2の構造と電子状態
研究担当者:圓谷、加藤(加藤分子物性研究室);宮崎
金属ジチオレン錯体Pd(dmit)2のアニオンラジカル塩 (Cation)[Pd(dmit)2]2 (Cation= EtxMe4-xZ, x= 0, 1, 2, Z= P, As, Sb; Et= C2H5, Me= CH3)は、二量体 [Pd(dmit)2]2-を含むモット絶縁体である。カチオンの異なる一連のβ'型Pd(dmit)2塩に対し、密度汎関数理論に基づく第一原理計算手法を用いて、電子状態を調べた。これまで、カチオンの違いによりPd(dmit)2の二量体内と二量体間の構造が少しずつ異なり、この物質群のバンド幅やフェルミ面の異方性が制御されるということは拡張ヒュッケル法に基づくtight-binding近似のバンド計算で指摘されてきた。今回、より精度の高い第一原理計算によって得られた電子構造からも、カチオンが異なるとバンド幅およびフェルミ面の形状に有意な変化が見られることが示された。図13にEt2Me2Sb[Pd(dmit)2]2、図14にMe4P[Pd(dmit)2]2に対して第一原理計算で得られたフェルミ面を示す。Et2Me2Sb塩では、2つの楕円がほぼ重なって現れている。それに対してMe4P塩では、楕円がそれぞれ傾き、異方的となる。また、2つの楕円が交わる点に節があることがわかった。これはカチオン層を挟んだ(結晶学的に等価な)2つのPd(dmit)2層間の相互作用によるものであると考えられる。カチオンが異なった場合のバンド幅については第一原理計算の結果とtight-binding法の結果との定量的な違いはあるが、二量体が形成する準三角格子の異方性と相関があることがわかった。さらに、一般化密度勾配近似 (GGA) の範囲内で内部座標の最適化を実行した結果、カチオンが異なった場合にPd(dmit)2の二量体構造に変化が見られ、それに起因するバンド構造との関わりについて調べている。
(dmit= 1,3-dithiole-2-thione-4,5-dithiolate)

図13(左):Et2Me2Sb[Pd(dmit)2]2のフェルミ面
図14(右):Me4P[Pd(dmit)2]2 のフェルミ面
(10) bi-layer構造を有する新奇なNi(dmit)2アニオンラジカル塩の開発
研究担当者:草本、山本、大島、山下、加藤(加藤分子物性研究室);田嶋(尚)
bi-layer構造を有する新奇なNi(dmit)2アニオンラジカル塩の開発を目的として、アルキル-モノハロチアゾリウムカチオンに注目した。このカチオンは、今までbi-layer Ni(dmit)2アニオンラジカル塩の開発に用いられてきたアルキルジハロピリジニウムカチオンよりも分子サイズが小さいことから、結晶内においてNi(dmit)2アニオンラジカルがより密に集積されることが予想される。本研究ではエチル-4-ブロモチアゾール(Et-4BrT)を対カチオンとするNi(dmit)2アニオンラジカル塩(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2(図15:Scheme)の結晶および電子構造、磁気特性ならびに電気伝導性を調べた。単結晶X線構造解析の結果、単位格子中において結晶学的に独立な二つのNi(dmit)2アニオン(AおよびB)がそれぞれ独立した層を形成しており、この塩がbi-layer systemを形成していることが明らかとなった(図16)。結晶中ではカチオン上の臭素原子-アニオンの硫黄原子間のハロゲン結合のみならず、カチオンの硫黄原子とアニオンの硫黄原子間にも原子間接触が見られ、これらの超分子相互作用がbi-layer構造の形成に寄与していると考えられる。バンド計算および電気磁気特性測定の結果、この塩は両層共にMott絶縁化状態にあるbi-layer Mott insulatorであることがわかった。この塩の詳細な磁気測定の結果、30 K以下では、スピン間相互作用が反強磁性的である層と強磁性的である層が共存していることが示唆された(図17)。さらに、磁気抵抗測定の結果、この塩は1GPaの圧力下、4Kにおいて大きな負の磁気抵抗(-75 % at 7T)を示すことがわかった。

図15:(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2 |

図16:(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2の結晶構造 |

図17:(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2の磁気挙動の温度依存性および磁場依存性
(11) フェロセン-TTF融合ドナーを用いた新奇な分子性磁性伝導体の創成
研究担当者:草本、加藤(加藤分子物性研究室)
分子性磁性伝導体は、伝導性と磁性を併せ持つ多機能性分子性固体として注目されている。この系では、伝導電子と局在スピンに働く相互作用により、巨大磁気抵抗や磁場誘起超伝導などの新奇な物性が発現される。このような電子間相互作用に基づく新奇物性の創成は、物性科学の新たな分野の開拓につながるため重要である。
今回我々は、今までにない機構で新奇な物性を発現しうる分子性磁性伝導体の開発を目的として、有機ドナー分子FcS4TTF(R)2からなる分子性導体を考えた(図21)。この分子はフェロセン(Fc)とテトラチアフルバレン(TTF)という二つの電子ドナー部位から成る。この分子の酸化挙動を図21に示す。図21中のCでは局在スピンと ラジカルが近い位置に固定されているため、この状態で分子性磁性伝導体が構築できれば、結晶構造に依らず、伝導電子-局在スピン間相互作用とそれに基づく物性発現が期待できる。一方A, Bにおいて、両状態を熱、光などの外部刺激により変換できれば、A-Bの相互変換に基づく分子性導体の物性のスイッチングが可能になる。これらを実現するには、FcS4TTF(R)2の酸化体において(A, B, Cにおいて)FcとTTF部位間に有効な電子相互作用が働くことが重要となる。
本年度は、FcS4TTF(R)2(R = SMe, CF3)の実用的な合成法を確立した。室温ベンゾニトリル中におけるFcS4TTF(R)2の酸化還元挙動をサイクリックボルタンメトリー法により調べ、他の類似分子と比較したところ、FcS4TTF(SMe)2では一電子酸化によりTTF部位が酸化されAとなる一方、FcS4TTF(CF3)2ではFc部位が酸化されBとなることが示唆された。この結果は、置換基RによりTTF部位の電子ドナー性を制御することで、図21に示すA, Bの相対的な安定性を制御できる、ということを意味している。

図18:FcS4TTF(R)2の分子構造と酸化還元挙動
- 新規構造を有する高性能燐光有機EL材料の開発
研究担当者:侯、西浦、瀧本、Rai(侯有機金属化学研究室)
[Ir(ppy)3]錯体のような、ホモレプテックなキレート型遷移金属錯体は、有用な燐光有機EL材料として注目されているが、このような同型の配位子を3個持つ錯体は、合成や物性制御において様々な制限がある。当研究室では最近、キレート配位子型を2個持つイリジウム錯体種[Ir(ppy)2]に窒素含有配位子を補助配位子として導入すると、錯体の発光効率などが大きく改善できることを見いだした。本年度は、新たに、リチウムアミドとカルボジイミドより容易に調製可能なグアニジナート配位子を導入した種々の中性のを合成した。これら錯体は室温にて528-560 nmに高い量子収率で燐光発光を示した。これら錯体をCBP(4,4'-N,N'-dicarbazoylbiphenyl)にドーピングしたものを発光層とした有機ELデバイスでは、高い電流効率(~45.7 cd/A)および、電力効率(~45.7 lm/W)で発光し、その発光色はグアニジナート配位子によって緑色から黄色の範囲で調製可能であった(図19)。また、その発光効率は電流密度やドーピング濃度に対して依存性が低かった。このような特徴は、嵩高いグアニジナート配位子が分子間相互作用を抑制し、自己消光、三重項―三重項消滅を大きく減少させるためと考えられる。今後、様々な配位子を持つ類縁錯体を合成し、さらなる効率化等を目指す。

図19:強く燐光発光する中性イリジウム錯体
- タンパク質機能制御の研究
(1) プロテインキナーゼCα阻害剤IB-6AおよびIB-15Aの阻害メカニズム解析
研究担当者:田村、平井、袖岡(袖岡有機合成化学研究室)
プロテインキナーゼCはタンパク質リン酸化酵素であり、その活性化にはC1ドメインリガンド、カルシウムイオン、およびホスファチジルセリンが必要である。C1ドメインリガンドとしては、生理的リガンドのジアシルグリセロールや、発がんプロモーターであるホルボールエステルなどが知られており、これらはPKC活性化剤として働く。一方我々は、C1ドメインリガンドであるIB誘導体IB-6AとIB-15AがPKCαを活性化せず、ホルボールエステルによるPKCα活性化を阻害することを見いだしていた。また昨年度の検討によって、これら化合物はホスファチジルセリンとPKCαとの相互作用に影響を与えて、阻害活性を示している可能性があることがわかった。今年度は、この相互作用解析のためにBiacoreを用いた実験系の構築を行い、これまでにC1ドメインの一つであるC1aとホスファチジルセリンが結合することを示唆する結果を得ている。さらに酵素活性を有する3FLAG-PKCαの精製にも成功した。3FLAG-PKCαの変異体を用いた解析によって、結合部位の同定につながると期待される。
(2) Eg5とTerpendole類の相互作用解析
研究担当者:室井、奥村、長田(長田抗生物質研究室)
Eg5はkinesin spindle protein (KSP)とも呼ばれ、細胞分裂において中心体の分離および紡錘体形成に関わるキネシン様分子モーター蛋白質であり、抗がん剤の標的分子として期待されている。Terpendole Eは既存のEg5阻害剤とは構造が異なり、その類縁体も同様の活性を持つ事が明らかになってきた。Eg5とTerpendole類の相互作用について検討した。Eg5のモータードメインとTerpendole類の共結晶の作製を試みたが、期待された共結晶は得られなかった。そこで、直接の結合を確認する為に、Terpendole類の化合物ビーズを作製して、結合実験を行った。HeLa細胞のライゼート、並びに、Eg5モータードメインの精製蛋白質を用いたところ、Eg5のモータードメインとTerpendole類が直接結合する事が示唆された。
- 蛍光タンパク質の開発:高感度で定量的なオートファジー検出系の開発
研究担当者:片山、小暮、宮脇(細胞機能探索技術開発チーム)
オートファジーはpHが中性の細胞質にある分子やオルガネラを、pHが酸性のリソソームに運んで分解する現象である。こうしたpH変化を利用して、サンゴ由来pH感受性蛍光タンパク質Keimaを用いた新規オートファジー検出系を開発した。また、この検出系を用い、既知のものとは異なる機構の新しいオートファジーや、傷害ミトコンドリアがリソソームに運ばれて分解される現象(マイトファジー)を検出、可視化することに成功した。
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