2011   2010   2009   2008   2007   2006        
分子アンサンブル制御・開発研究
Molecular Ensemble Development Research
  1. 分子デバイスのための基礎研究
    (1) 分子性導体の基板上電界効果測定と有機モット・トランジスタの実現
    (2) モット転移近傍へと導いた分子性導体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clにおける電界効果
    (3) 超高圧下における単一成分分子性結晶[Ni(dmit)2]の電気的性質
    (4) 単一成分分子性伝導体[M(dddt)2](N=Ni ddd)の超高圧下での電気的性質
    (5) フッ素化されたオニウムカチオンを有するPd(dmit)2塩の物性
    (6) 中心金属に白金を有するdmit錯体塩の構造と物性
    (7) Pd(dmit)2塩の誘電特性
    (8) EtMe3P[Pd(dmit)2]2におけるモット転移の臨界性
  2. (9) 第一原理計算による(Cation)[Pd(dmit)2]2の構造と電子状態
    (10) bi-layer構造を有する新奇なNi(dmit)2アニオンラジカル塩の開発
    (11) フェロセン-TTF融合ドナーを用いた新奇な分子性磁性伝導体の創成
  3. 新規構造を有する高性能燐光有機EL材料の開発
  4. タンパク質機能制御の研究
    (1) プロテインキナーゼCα阻害剤IB-6AおよびIB-15Aの阻害メカニズム解析
    (2) Eg5とTerpendole類の相互作用解析
  5. 蛍光タンパク質の開発:高感度で定量的なオートファジー検出系の開発
分子アンサンブル測定・解析研究
Molecular Ensemble Analysis Research
  1. 放射光X線を用いた機能性分子システムの局所電子状態解析
    (1) 環境応答型細胞情報伝達系における分子間・分子内相互作用の研究
    (2) 生体内の鉄輸送の分子論
    (3) 一酸化窒素還元酵素の反応機構の解明
    (4) 放射光静電ポテンシャル可視化法による分子システム/機能相関解明の構造科学:水素吸蔵多孔性配位高分子の構造設計への応用
  2. 軟X線発光分光、角度分解光電子分光によるアミノ酸・タンパク質、分子性結晶の電子状態の研究
    (1) 溶液中のアミノ酸、ポリペプチドの電子状態
    (2) 大規模数値計算による金属タンパク質の電子状態の理論解析
  3. 機能性分子系の局所磁気状態の解明
    (1)STMを用いた単一スピン検出
    (2)収量検出磁気共鳴・過渡光吸収検出による2・3 スピン連携
  4. 分光法による機能性分子系の研究:界面選択的偶数次非線形分光の応用
  5. 多重極限μSR実験装置の開発研究
    (1) 新しいμSR実験エリアの整備
    (2) ガス加圧式磁化率測定装置の開発
    (3) ガス加圧式輸送現象測定装置の開発
    (4) 量子スピン液体の基底状態のμSR研究


分子アンサンブル制御・開発研究
局所電子状態、分子間相互作用を設計・制御することによって新しい分子化合物や分子機能を開発することを目指す。大きな目標として、以下の2つのテーマを2本柱とする。
 ・分子デバイス実現に向けての基礎の確立
 ・触媒機能の制御と高度化(有機金属触媒、タンパク質機能制御)

  1. 分子デバイスのための基礎研究
    (1) 分子性導体の基板上電界効果測定と有機モット・トランジスタの実現
    研究担当者:山本、須田、木村、加藤(加藤分子物性研究室)
    強相関分子性導体(モット絶縁体・電荷秩序絶縁体)の薄膜単結晶を用いて電界効果トランジスタ(FET)を作製し、その性能向上と複数パラメータによる同時物性制御の検証を行った。強相関物質の物性は図1に示すようにバンドフィリングに非常に敏感なため、新しいスイッチング素子として利用できる可能性もある。これまでの研究で、κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Brの薄膜単結晶をSiO2/Si基板に張り付けると低温でモット絶縁状態が実現しn型のトランジスタ動作が可能となることが明らかとなっているが、今年度は物質のレパートリーを増やし、各々の差異を比較検討するために、モット絶縁体である(BEDT-TTF)(TCNQ), (BEDT-TTF)2CuCl2、EtMe3P[Pd(dmit)2]2、および電荷秩序絶縁体であるκ-(BEDT-TTF)2I3の電界効果測定を行った。前3者は結晶成長において電気分解法を用いることなく成長させるため、これまでとは異なる方法論での結晶育成が必要であったが、幸い500nm以下の厚みを持つ薄膜単結晶を得ることが可能となり、電界効果の測定にも成功した。いずれも両極性の電界効果を示したが、その電界効果移動度はそれほど高くなく、界面の品質向上などが今後の課題である。一方、電荷秩序絶縁体であるα-(BEDT-TTF)2I3についても電界効果測定を行ったが、この場合はゲート電圧を上げていくと、負のトランスコンダクタンスを示すことが明らかとなった。これはチャネル厚の減少に伴うキャリア散乱の増加に依る現象ではないかと考えられるが、詳細は今のところ不明である。
    また、high-k 材料をゲート絶縁膜に用いたκ-(BEDT−TTF)2Cu[N(CN)2]Brの試料では、超伝導による低抵抗状態のON/OFFをゲート電圧の変化によりスイッチさせることに成功した。これは、相分離により超伝導体とモット絶縁体が混じり合った状態(パーコレーション超伝導)に対して電界効果を加えることにより、超伝導成分の割合を増減し、ジョセフソン接合ネットワークのスイッチングを実現したことによるものである(図2)。
    ( BEDT-TTF = bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene, TCNQ = tetracyanoquinodimethane)

            


    図1(左):κ型BEDT-TTF塩におけるフィリングと電子相関をパラメーターとした相図。FET界面に静電キャリアドープを行うことにより、緑色のモット絶縁状態と白色の金属状態をスイッチできる。

    図2(右):κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Brを用いたFETにおける、超伝導・絶縁体共存領域(パーコレーション超伝導)でのジョセフソン接合ネットワークのスイッチング模式図。SC:超伝導、MI:モット絶縁体、JJ:ジョセフソン接合


    (2) モット転移近傍へと導いた分子性導体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clにおける電界効果
    研究担当者:須田、山本、加藤(加藤分子物性研究室)
    強相関分子性導体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Cl(κ-Cl)は、低温においてモット絶縁相に位置し、圧力の印加により超伝導相へとバンド幅制御型のモット転移を起こす。一方、我々はこれまでにκ-Clの薄片単結晶を用いた電界効果トランジスタ(FET)デバイスにおいて、電界効果によりバンドフィリング制御型モット転移が誘起されることを見いだした。本年度は新たに、バンド幅とバンドフィリングの同時制御により、バンド幅制御型モット転移近傍のκ-Clに対する電界効果測定を目的とした。フレキシブルなプラスチック基板上にκ-Clの薄片単結晶FETを作製し、基板の湾曲による歪み(圧力)効果と電界効果とを併用することで、歪み印加下における電界効果測定を試みた。基板上のκ-Clは、歪みの印加に伴う実効的負圧により、超伝導から絶縁体へと歪み誘起相転移を示した。続いて、歪み印加下における電界効果測定を行った。興味深いことに、本デバイスでは絶縁相のみでなく、モット転移過程で生じた超伝導相と絶縁相の混合相においても電界効果が観測され(図21)、ON/OFF 比は10%程度ながら、約280cm2/Vsの非常に高いデバイス移動度を得た。この超伝導相における電界効果および高い移動度は、混合相中の部分的絶縁相に対するキャリア注入により、超伝導相のフラクションが増加したことによるものと推察される。今後は、注入キャリア数の増加などにより、電界誘起超伝導の実現を目指す予定である。
    ( BEDT-TTF = bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene)



    図23:FETデバイスの模式図(左)およびモット転移近傍のκ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clに対する電界効果(右)



    (3) 超高圧下における単一成分分子性結晶[Ni(dmit)2]の電気的性質
    研究担当者:崔、圓谷、加藤(加藤分子物性研究室);宮崎、岡野
    約10年前、世界で初めて単一成分からなる分子性金属[Ni(tmdt)2]が開発され、研究者の注目を集めるようになった。その後、金属性を保ちながら110 Kという分子性伝導体としては非常に高い温度での反強磁性転移を示す[Au(tmdt)2]が発見された。しかし、伝導性の良い単一成分分子性金属は大型の単結晶の成長が非常に難しく、[Au(tmdt)2]場合も、単結晶で物性を詳細に調べるほどの大きい結晶が得られてないため、磁性と伝導性の関係が現在も未解明である。その反面、伝導性の悪い単一成分分子結晶は比較的大型な単結晶を得易いので、これらの絶縁性結晶へ超高圧を印加して金属状態を実現することは、単一成分分子性金属の探索における重要なアプローチの一つである。今回、ダイヤモンドアンビルセルを用いて金属錯体系分子性導体の基礎物質である中性[Ni(dmit)2]の単結晶に対し、25.5万気圧以上の高い圧力までの四端子法電気抵抗測定を行い15.9万気圧で金属になることを見いだした。第一原理バンド計算でも、非常に高い圧力で(〜20万気圧)三次元的なフェルミ面と二次元的フェルミ面が現れることが明らかになった。
    (tmdt = trimethylenetetrathia fulvalenedithiolate, dmit= 1,3-dithiole-2-thione-4,5-dithiolate )


    [Ni(dmit)2]

    (4) 単一成分分子性伝導体[M(dddt)2](M=Ni ddd)の超高圧下での電気的性質
    研究担当者:崔、加藤(加藤分子物性研究室)
    単一成分分子性結晶[M(dddt)2] (M=Ni, Pd)の単結晶を作製し、ダイヤモンドアンビルセル(DAC)を用いて超高圧下での電気的性質を21.6万気圧まで測定した。 Ni錯体とPd錯体は結晶学的に同型であり、Pd錯体の格子の方が小さくなっている。 [Ni(dddt)2]は常圧では絶縁体であり、約5万気圧から抵抗測定が可能となる。室温抵抗率は圧力の増加とともに小さくなる。10万気圧より低い圧力領域では活性化エネルギーが圧力増加とともに小さくなるが、それ以上ではほとんど変化しない。一方、 [Pd(dddt)2]は常圧では絶縁体であるが、約3万気圧から抵抗測定が可能となる。圧力の増加とともに室温抵抗率は小さくなり、12万気圧では室温から液体ヘリウム温度まで電気抵抗の温度依存性がほとんど無くなった。しかし、それ以上の圧力では伝導性が悪くなる傾向が見られた。
    (dddt=5,6-dihydro-1,4-dithiin- 2,3-dithiolate, dmit= 1,3-dithiole-2-thione-4,5-dithiolate )


    [Pd(dddt)2]


    (5) フッ素化されたオニウムカチオンを有するPd(dmit)2塩の物性
    研究担当者:野村、崔、Abdel Jawad、圓谷、大島、山本、加藤(加藤分子物性研究室);田嶋(陽)
    ジチオレン錯体Pd(dmit)2のラジカルアニオン塩は通常モット(Mott)絶縁体である。結晶が二量体[Pd(dmit)2]2の三角格子を有するため、その絶縁相と金属相の間には、強相関とスピンフラストレーションが競合・共存しており、物理的外部刺激や化学修飾(化学圧力)などの効果により電子物性を緻密に制御することが可能である。特にサイズの小さい四級オニウムカチオンR4Z+を有するアニオンラジカル塩(R4Z)[Pd(dmit)2]2 (R = Me, Et)においては、そのアルキル基Rを修飾することで基本的な結晶構造(βあるいはβ'型)を変えることなく、二量体[Pd(dmit)2]2間の遷移積分、つまり三角格子の異方性を制御できることがわかっている。しかし、アルキル基Rが嵩高くなると、基本的結晶構造を保てなくなるという合成化学上の問題があった。
    そこで、水素原子に次いでファンデルワールス半径の小さいフッ素原子をRに導入することで、(R4Z)[Pd(dmit)2]2塩の微細な化学修飾を行った(図4)。その結果、基本的な結晶構造を保ったまま三角格子の異方性が変化し、電気的物性や磁性が劇的に変わることを見いだした。既に、フッ素の入ったアンモニウム塩β-[(FCH2)Me3N][Pd(dmit)2]2が常圧で金属的性質を示すことを報告していたが、含フッ素ホスホニウム塩β'-[(FCH2)Me3P][Pd(dmit)2]2も同様の条件下で金属状態を示すことがわかった(図5)。これらの結果は、フッ素を含まない(R4Z)[Pd(dmit)2]2塩が常圧下においてMott絶縁体であることと対照的である。β-(FCH2)Me3N塩は、高温領域での磁化率が温度に依存しないパウリ常磁性的振る舞いを示したが、16 Kにおいて反強磁性転移を示した。一方、β'-(FCH2)Me3P塩の磁化率は、高温領域で2次元三角格子系ハイゼンベルグ反強磁性体に特徴的な温度依存性を示し、29Kで反強磁性秩序を示した。カチオンのフッ素化により三角格子へ異方的化学圧力が加わり、バンド幅が広くなったことにより、常圧下でも金属的振る舞いが現れたと考えられる。特にフッ素化されたカチオンの導入によって、結晶のb軸が短くなる傾向が見られた。b軸は、二量体が形成する三角格子の一辺、すなわち遷移積分tSに沿っており(図6)、この向きに化学圧力が加わっていることを示唆している。また、フッ素化されていない(Me4N)[Pd(dmit)2]2が、b軸方向の一軸歪みを加えることで容易に金属状態を示すことからも、この方向への圧力は系を金属化させる重要な鍵となることがわかった。
    (dmit = 1,3- dithiol-2-thione-4,5-dithiolate)



    図4:フッ素化されたオニウムカチオンを有するPd(dmit)2





    図6:二量体[Pd(dmit)2]2ラジカルアニオンが形成する
    三角格子(結晶b軸はtSに平行)


    図5:β'-[(FCH2)Me3P][Pd(dmit)2]2の抵抗率の温度依存性
    および圧力依存性



    (6) 中心金属に白金を有するdmit錯体塩の構造と物性
    研究担当者:野村、崔、Abdel Jawad、圓谷、大島、加藤(加藤分子物性研究室);田嶋(陽)
    強相関とスピンフラストレーションが競合・共存したモット絶縁体Pd(dmit)2塩においては、物理的外部刺激や化学修飾(化学圧力)などの効果により、電子物性を緻密に制御することが可能である。四級オニウムカチオンR4Z+を有するパラジウム錯体塩(R4Z)[Pd(dmit)2]2では、そのカチオンを修飾することで基本的な結晶構造(βあるいはβ'型)を変えることなく、二量体[Pd(dmit)2]2間の遷移積分を制御でき、伝導性や磁性が変化する。一方、金属dmit錯体の中心金属をパラジウムから白金に替えることで、二量体内の金属間距離を変え、二量体内の遷移積分を制御できる可能性がある。しかし、βあるいはβ'型結晶における白金dmit錯体塩の研究は、β-Me4N塩のみに限られており、この塩の伝導性や結晶構造、光学伝導度スペクトルを除いては詳しい研究が行われていなかった。
    四級オニウムカチオンとしてMe4N+、(FCH2)Me3N+、Me4P+、Me4As+およびMe4Sb+を有する白金錯体塩(R4Z)[Pt(dmit)2]2を電解酸化法によって作成した(図7)。(FCH2)Me3N塩はβ型、Me4N塩もほとんどがβ型であったが、β型結晶もマイナー成分として存在することがわかった。一方、Me4P、Me4AsおよびMe4Sb塩はそれぞれβ'型構造を有している。[Pt(dmit)2]分子は二量化しているが、β-Me4Nおよびβ-(FCH2)Me3N塩の場合は二量体内のPt-Pt距離が約3.16Åであり、Pd(dmit)2塩の場合と同等である。一方、γ-Me4Nおよび各種β'塩ではPt-Pt距離が3.23-3.30Åとなり、[Pt(dmit)2]分子は比較的弱く二量化していることがわかった。第一原理計算によるバンド構造は、結合性HOMOバンドと反結合性LUMOバンドの準位とが逆転しており、Pd(dmit)2系のバンド構造と類似している。電気伝導度測定によると、β-(FCH2)Me3N塩およびβ'塩は、常圧下においても高温領域で金属的な挙動を示し(図8)、通常のPd(dmit)2塩とは異なる。金属状態を示す理由としては、二量化の度合が弱くなったことで、二量体上のオンサイトクーロン相互作用が減少したことがあげられる。また、上記いずれのPt(dmit)2塩も低温で金属-絶縁体転移を起こす。低温X線構造解析および磁化率測定によると、これらの転移温度(Tc=158-215K)以下では構造変化が起こるとともに、非磁性状態となる。これらの結果は、Tc以下では、二量体[Pt(dmit)2]2間の電荷移動により、0価の二量体と-2価の二量体を形成する電荷秩序の状態になっていることを示す。
    (dmit = 1,3- dithiol-2-thione-4,5-dithiolate)




    図7:四級カチオンを有する[Pt(dmit)2]2

    図8:β'-(Me4Z)[Pt(dmit)2]2塩の抵抗率の温度依存性(常圧測定下)



    (7) Pd(dmit)2塩の誘電特性
    研究担当者:Abdel Jawad、加藤(加藤分子物性研究室);田嶋(尚)
    ダイマーモット絶縁体β´-EtxMe4-xZ[Pd(dmit)2]2 (Z= P, As, Sb; x = 0, 1, 2)の誘電特性を系統的に調べ、異常な誘電応答を見いだした。この誘電異常の周波数および温度依存性は、リラクサー誘電体に見られる誘電分散と良く似ており(図9)、分極がそろった領域が不均一に生じていることを示唆している。このような誘電異常は同じくダイマーモット絶縁体であるκ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3で最初に報告されており、これが多くのダイマーモット絶縁体に共通の現象であり、電気双極子モーメントの起源は(電荷秩序を起こすEt2Me2Sb塩を除けば)二量体に内在する電荷の自由度であると考えている。
    キュリー定数から求めたβ´-型Pd(dmit)2塩の双極子モーメントは、カチオン依存性をほとんど示さなかった。一方、キュリー温度は、電子相関効果tA/WtAは二量体内の遷移積分(オンサイトクーロン相互作用の目安)、Wはバンド幅)との相関関係が見られる(図10)。今後、さらに詳細な実験を行い、これらの相関関係が、幾何学的フラストレーションに起因するものなのか、あるいは電荷秩序を示すEt2Me2Sb塩と反強磁性秩序を示す塩(Me4P, Me4As, EtMe3As, Et2Me2P, Me4Sb, Et2Me2As)との境界で起こる現象に由来するのかを明らかにする予定である。


    図9:Et2Me2Sb[Pd(dmit)2]2, EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2,
    Me4P[Pd(dmit)2]2の誘電率(面間方向)の実部の温度・
    周波数依存性

    図10:β'- Pd(dmit)2塩の誘電率測定から得られたキュリー温度と
    (室温における)電子相関効果との関係。tAは二量体内の遷移積分
    (オンサイトクーロン相互作用の目安)、Wはバンド幅。



    (8) EtMe3P[Pd(dmit)2]2におけるモット転移の臨界性
    研究担当者:Abdel Jawad、加藤(加藤分子物性研究室);田嶋(尚)、渡邊、石井
    我々は、圧力下で超伝導体となるダイマーモット系EtMe3P[Pd(dmit)2]2のホール係数が温度-圧力相図の特定の領域で異常な温度依存性を示すことを見いだした。この起源を明らかにするために、ヘリウムガスを圧力媒体として、この系の温度-圧力相図を精密に検討することを始めた。図11の圧力掃引による電気抵抗データから、モット転移の臨界点が33.5K , 1765 bar付近であることがわかった。さらに臨界指数(δ, β, γ)として(3/2, 2, 1)が得られた(図12)。これは通常の普遍性クラスの値とも、また他のダイマーモット系κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clで報告されている (δ, β, γ)=(2, 1, 1)とも異なる。今後、ホール効果を含め、さらに詳細な検討を行う予定である。


    図11:温度一定で圧力掃引を行って測定した
    EtMe3P[Pd(dmit)2]2の電気抵抗

    図12:電気伝導のスケーリング。
    ΔPは1次相転移境界線 (Tc)あるいはクロスオーバーライン
    (T>Tc)からの圧力差。Δεは臨界温度からの温度差。
    Gcは電気伝導の臨界値(T>Tc)。



    (9) 第一原理計算による(Cation)[Pd(dmit)2]2の構造と電子状態
    研究担当者:圓谷、加藤(加藤分子物性研究室);宮崎
    金属ジチオレン錯体Pd(dmit)2のアニオンラジカル塩 (Cation)[Pd(dmit)2]2 (Cation= EtxMe4-xZ, x= 0, 1, 2, Z= P, As, Sb; Et= C2H5, Me= CH3)は、二量体 [Pd(dmit)2]2-を含むモット絶縁体である。カチオンの異なる一連のβ'型Pd(dmit)2塩に対し、密度汎関数理論に基づく第一原理計算手法を用いて、電子状態を調べた。これまで、カチオンの違いによりPd(dmit)2の二量体内と二量体間の構造が少しずつ異なり、この物質群のバンド幅やフェルミ面の異方性が制御されるということは拡張ヒュッケル法に基づくtight-binding近似のバンド計算で指摘されてきた。今回、より精度の高い第一原理計算によって得られた電子構造からも、カチオンが異なるとバンド幅およびフェルミ面の形状に有意な変化が見られることが示された。図13にEt2Me2Sb[Pd(dmit)2]2、図14にMe4P[Pd(dmit)2]2に対して第一原理計算で得られたフェルミ面を示す。Et2Me2Sb塩では、2つの楕円がほぼ重なって現れている。それに対してMe4P塩では、楕円がそれぞれ傾き、異方的となる。また、2つの楕円が交わる点に節があることがわかった。これはカチオン層を挟んだ(結晶学的に等価な)2つのPd(dmit)2層間の相互作用によるものであると考えられる。カチオンが異なった場合のバンド幅については第一原理計算の結果とtight-binding法の結果との定量的な違いはあるが、二量体が形成する準三角格子の異方性と相関があることがわかった。さらに、一般化密度勾配近似 (GGA) の範囲内で内部座標の最適化を実行した結果、カチオンが異なった場合にPd(dmit)2の二量体構造に変化が見られ、それに起因するバンド構造との関わりについて調べている。
    (dmit= 1,3-dithiole-2-thione-4,5-dithiolate)



    図13(左):Et2Me2Sb[Pd(dmit)2]2のフェルミ面             図14(右):Me4P[Pd(dmit)2]2 のフェルミ面


    (10) bi-layer構造を有する新奇なNi(dmit)2アニオンラジカル塩の開発
    研究担当者:草本、山本、大島、山下、加藤(加藤分子物性研究室);田嶋(尚)
    bi-layer構造を有する新奇なNi(dmit)2アニオンラジカル塩の開発を目的として、アルキル-モノハロチアゾリウムカチオンに注目した。このカチオンは、今までbi-layer Ni(dmit)2アニオンラジカル塩の開発に用いられてきたアルキルジハロピリジニウムカチオンよりも分子サイズが小さいことから、結晶内においてNi(dmit)2アニオンラジカルがより密に集積されることが予想される。本研究ではエチル-4-ブロモチアゾール(Et-4BrT)を対カチオンとするNi(dmit)2アニオンラジカル塩(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2(図15:Scheme)の結晶および電子構造、磁気特性ならびに電気伝導性を調べた。単結晶X線構造解析の結果、単位格子中において結晶学的に独立な二つのNi(dmit)2アニオン(AおよびB)がそれぞれ独立した層を形成しており、この塩がbi-layer systemを形成していることが明らかとなった(図16)。結晶中ではカチオン上の臭素原子-アニオンの硫黄原子間のハロゲン結合のみならず、カチオンの硫黄原子とアニオンの硫黄原子間にも原子間接触が見られ、これらの超分子相互作用がbi-layer構造の形成に寄与していると考えられる。バンド計算および電気磁気特性測定の結果、この塩は両層共にMott絶縁化状態にあるbi-layer Mott insulatorであることがわかった。この塩の詳細な磁気測定の結果、30 K以下では、スピン間相互作用が反強磁性的である層と強磁性的である層が共存していることが示唆された(図17)。さらに、磁気抵抗測定の結果、この塩は1GPaの圧力下、4Kにおいて大きな負の磁気抵抗(-75 % at 7T)を示すことがわかった。



    図15:(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2


    図16:(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2の結晶構造




    図17:(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2の磁気挙動の温度依存性および磁場依存性



    (11) フェロセン-TTF融合ドナーを用いた新奇な分子性磁性伝導体の創成
    研究担当者:草本、加藤(加藤分子物性研究室)
    分子性磁性伝導体は、伝導性と磁性を併せ持つ多機能性分子性固体として注目されている。この系では、伝導電子と局在スピンに働く相互作用により、巨大磁気抵抗や磁場誘起超伝導などの新奇な物性が発現される。このような電子間相互作用に基づく新奇物性の創成は、物性科学の新たな分野の開拓につながるため重要である。
    今回我々は、今までにない機構で新奇な物性を発現しうる分子性磁性伝導体の開発を目的として、有機ドナー分子FcS4TTF(R)2からなる分子性導体を考えた(図21)。この分子はフェロセン(Fc)とテトラチアフルバレン(TTF)という二つの電子ドナー部位から成る。この分子の酸化挙動を図21に示す。図21中のCでは局在スピンと ラジカルが近い位置に固定されているため、この状態で分子性磁性伝導体が構築できれば、結晶構造に依らず、伝導電子-局在スピン間相互作用とそれに基づく物性発現が期待できる。一方A, Bにおいて、両状態を熱、光などの外部刺激により変換できれば、A-Bの相互変換に基づく分子性導体の物性のスイッチングが可能になる。これらを実現するには、FcS4TTF(R)2の酸化体において(A, B, Cにおいて)FcとTTF部位間に有効な電子相互作用が働くことが重要となる。
    本年度は、FcS4TTF(R)2(R = SMe, CF3)の実用的な合成法を確立した。室温ベンゾニトリル中におけるFcS4TTF(R)2の酸化還元挙動をサイクリックボルタンメトリー法により調べ、他の類似分子と比較したところ、FcS4TTF(SMe)2では一電子酸化によりTTF部位が酸化されAとなる一方、FcS4TTF(CF3)2ではFc部位が酸化されBとなることが示唆された。この結果は、置換基RによりTTF部位の電子ドナー性を制御することで、図21に示すA, Bの相対的な安定性を制御できる、ということを意味している。



    図18:FcS4TTF(R)2の分子構造と酸化還元挙動


  2. 新規構造を有する高性能燐光有機EL材料の開発
    研究担当者:侯、西浦、瀧本、Rai(侯有機金属化学研究室)
    [Ir(ppy)3]錯体のような、ホモレプテックなキレート型遷移金属錯体は、有用な燐光有機EL材料として注目されているが、このような同型の配位子を3個持つ錯体は、合成や物性制御において様々な制限がある。当研究室では最近、キレート配位子型を2個持つイリジウム錯体種[Ir(ppy)2]に窒素含有配位子を補助配位子として導入すると、錯体の発光効率などが大きく改善できることを見いだした。本年度は、新たに、リチウムアミドとカルボジイミドより容易に調製可能なグアニジナート配位子を導入した種々の中性のを合成した。これら錯体は室温にて528-560 nmに高い量子収率で燐光発光を示した。これら錯体をCBP(4,4'-N,N'-dicarbazoylbiphenyl)にドーピングしたものを発光層とした有機ELデバイスでは、高い電流効率(~45.7 cd/A)および、電力効率(~45.7 lm/W)で発光し、その発光色はグアニジナート配位子によって緑色から黄色の範囲で調製可能であった(図19)。また、その発光効率は電流密度やドーピング濃度に対して依存性が低かった。このような特徴は、嵩高いグアニジナート配位子が分子間相互作用を抑制し、自己消光、三重項―三重項消滅を大きく減少させるためと考えられる。今後、様々な配位子を持つ類縁錯体を合成し、さらなる効率化等を目指す。



    図19:強く燐光発光する中性イリジウム錯体


  3. タンパク質機能制御の研究
    (1) プロテインキナーゼCα阻害剤IB-6AおよびIB-15Aの阻害メカニズム解析
    研究担当者:田村、平井、袖岡(袖岡有機合成化学研究室)
    プロテインキナーゼCはタンパク質リン酸化酵素であり、その活性化にはC1ドメインリガンド、カルシウムイオン、およびホスファチジルセリンが必要である。C1ドメインリガンドとしては、生理的リガンドのジアシルグリセロールや、発がんプロモーターであるホルボールエステルなどが知られており、これらはPKC活性化剤として働く。一方我々は、C1ドメインリガンドであるIB誘導体IB-6AとIB-15AがPKCαを活性化せず、ホルボールエステルによるPKCα活性化を阻害することを見いだしていた。また昨年度の検討によって、これら化合物はホスファチジルセリンとPKCαとの相互作用に影響を与えて、阻害活性を示している可能性があることがわかった。今年度は、この相互作用解析のためにBiacoreを用いた実験系の構築を行い、これまでにC1ドメインの一つであるC1aとホスファチジルセリンが結合することを示唆する結果を得ている。さらに酵素活性を有する3FLAG-PKCαの精製にも成功した。3FLAG-PKCαの変異体を用いた解析によって、結合部位の同定につながると期待される。

    (2) Eg5とTerpendole類の相互作用解析
    研究担当者:室井、奥村、長田(長田抗生物質研究室)
    Eg5はkinesin spindle protein (KSP)とも呼ばれ、細胞分裂において中心体の分離および紡錘体形成に関わるキネシン様分子モーター蛋白質であり、抗がん剤の標的分子として期待されている。Terpendole Eは既存のEg5阻害剤とは構造が異なり、その類縁体も同様の活性を持つ事が明らかになってきた。Eg5とTerpendole類の相互作用について検討した。Eg5のモータードメインとTerpendole類の共結晶の作製を試みたが、期待された共結晶は得られなかった。そこで、直接の結合を確認する為に、Terpendole類の化合物ビーズを作製して、結合実験を行った。HeLa細胞のライゼート、並びに、Eg5モータードメインの精製蛋白質を用いたところ、Eg5のモータードメインとTerpendole類が直接結合する事が示唆された。

  4. 蛍光タンパク質の開発:高感度で定量的なオートファジー検出系の開発
    研究担当者:片山、小暮、宮脇(細胞機能探索技術開発チーム)
    オートファジーはpHが中性の細胞質にある分子やオルガネラを、pHが酸性のリソソームに運んで分解する現象である。こうしたpH変化を利用して、サンゴ由来pH感受性蛍光タンパク質Keimaを用いた新規オートファジー検出系を開発した。また、この検出系を用い、既知のものとは異なる機構の新しいオートファジーや、傷害ミトコンドリアがリソソームに運ばれて分解される現象(マイトファジー)を検出、可視化することに成功した。





分子アンサンブル測定・解析研究
制御・開発グループと協力し、広範囲にわたる分子系が示す種々の複雑な現象・機能を局所的電子状態の協奏的連携として理解し統一的原理の構築を目指す。特に、「生体物質の機能の電子論的究明」を大目標の一つとして設定する。
  1. 放射光X線を用いた機能性分子システムの局所電子状態解析
    (1) 環境応答型細胞情報伝達系における分子間・分子内相互作用の研究
    研究担当者:城、中村、土井(城生体金属科学研究室)
    細菌や菌類、植物の環境(光、酸素、栄養など)感知・細胞内情報伝達は、環境センサーとして働くヒスチジンキナーゼ(HK)と、レスポンスレギュレーター(RR)の二つのタンパク質間のATP 依存性のリン酸基転移反応を介して行われ、「二成分情報伝達系」と呼ばれる。現在、多くの生物のゲノム解析の結果から一万を超える二成分情報伝達系遺伝子が明らかになっている。本研究は、HKの環境因子感知の分子機構を明らかにすることを目的としている。環境変化に応答した細胞内情報伝達における、「ドメイン間の分子内情報伝達機構」、「HKのATP依存性自己リン酸化機構」および「HK-RR間におけるリン酸転移機構」を非共有結合相互作用の観点から解明する。ジフテリア菌Corynebacterium diphtheriaeのヘムセンサーシステムChrS/ChrA(HK/RR)を研究対象に取り上げた。ジフテリア菌はヒト上気道粘膜に感染する病原菌であり、宿主の血液ヘモグロビンのヘムを主な鉄源としており、ChrS/ChrAが周囲のヘム濃度を感知し、ヘム分解系(ヘムオキシゲナーゼ)遺伝子の発現を促進している。既に構築している大腸菌をホストとする発現系からのChrSを可溶化、精製したChrSをリン脂質二重膜小胞(リポソーム)や脂質ナノディスクに埋め戻し,ヘム依存的自己リン酸化活性の再構築に成功し、ChrS/ChrA(HK/RR)が周囲のヘム濃度を感知するセンサーであることを直接的に証明した。X線結晶構造解析を目指した結晶化を開始した。各種界面活性剤、ヘムの有無、ChrAの有無、ATPアナログの有無などの条件検討した。その結果、1条件で結晶が得られた。得られた結晶は、約8Åと低分解能であったが、引き続き分解能向上を目指した結晶化条件の最適化する。また、環境(ヘム濃度)変化感知における大きな構造変化を見積もることを目的に、X線小角散乱実験を開始した。細胞膜を模倣したナノディスクに埋め込んだChrSを試料とするが、その再構成条件の最適化を行うことができた。

    (2) 生体内の鉄輸送の分子論
    研究担当者:杉本、直江、城(城生体金属科学研究室)
    鉄は、生物の生存に必須の元素である。ヒトでは食物からの鉄分吸収は十二指腸 (duodenum)で行われる。ヒトの体は鉄を能動的に排出するシステムがないために、入り口すなわち腸管からの吸収制御が生体の鉄イオン濃度の恒常性の維持にとって重要となる。腸管に入った鉄はまず、腸管上皮細胞膜上でDuodenal cytochrome b (Dcytb)という膜貫通型の酵素によって三価 (Fe3+)から二価 (Fe2+) に還元され、輸送タンパク質 Divalent metal iron transporter-1 (DMT-1) によって細胞内に取り込まれる。我々は、このようなヒトの小腸で鉄イオン還元酵素として機能することで鉄の輸送システムに介在しているDcytb の分子構造を決定することを目的とし、試料の調製と結晶化を試みた。Dcytb は6 回膜貫通型の膜タンパク質で、ヘムを補欠因子として含む。これまでに哺乳類の膜タンパク質の構造研究は困難を強いられてきたが、大腸菌を宿主としてDcytbを大量発現させ、界面活性剤であるn-dodecyl-β-D-maltoside を用いて精製し、結晶化に成功することができた。得られた結晶はSPring-8において低分解能の反射が観測された。現在結晶化条件の最適化および構造解析を進行している。
    一方、病原性のバクテリアは、感染した宿主のヘムを取り込み鉄源として利用している。その際、膜タンパク質であるヘムトランスポーターが、ATP の加水分解エネルギーを利用して病原菌の細胞外のヘムを細胞内へ輸送している。ヘムトランスポーターによるヘムの認識と解離の機構を分子レベルで理解する目的で、ヘムトランスポーターのX 線結晶構造解析と生化学的な機能解析を行った。ヘムトランスポーターのオルソログを 12 種類準備しGFP 蛍光ゲルろ過を用いて最も結晶化に適したオルソログを選別した。選別したオルソログを大量培養し、精製、結晶化を行った結果、Burkholderia cenocepacia由来のヘムトランスポーターの結晶化に成功し、約 3.5 Å分解能の回折データを得ることができた。また、ヘムトランスポーターの中で、ヘムを捕捉するサブユニットのみの立体構造を 2.3 Å分解能で決定し、 2 つのヘムを 2 つの Tyr 残基が認識していることを明らかにした。また精製したヘムトランスポーターのプロテオリポソームへの再構成に成功し ATPase 活性を測定した結果、過剰量のヘムは 、ヘムトランスポーターのATPase 活性を阻害するという知見を得た。

    (3) 一酸化窒素還元酵素の反応機構の解明
    研究担当者:當舍、佐藤、城(城生体金属科学研究室);Pisliakov、杉田(杉田理論生物化学研究室)
    一酸化窒素還元酵素(NOR)は、微生物の嫌気呼吸のキー酵素であり、一酸化窒素(NO)還元反応(2NO + 2H+ + 2e-→ N2O + H2O)を触媒することにより、NOの無毒化を行っている。生成物である亜酸化窒素(N2O)が、二酸化炭素CO2の約310倍の温室効果ガスであり、なおかつオゾン層破壊ガスであることから、NORは最近注目されている。さらに、好機呼吸のキー酵素であるチトクロム酸化酵素の分子進化上の祖先と考えられておる。これらの観点から、NORによるにNO還元の分子機構と、その反応に伴うプロトン輸送機構を明らかにするために、我々が最近明らかにした緑膿菌Pseudomonas aeruginosa由来NOR(cNOR)および好熱菌Geobacillus stearothermophilus由来NOR(qNOR)の二種類のNORの立体構造を基盤に、研究を展開させた。全ての鉄を二価に還元した還元型および基質結合型のモデルとなる還元CN結合型cNORの構造を2.5-2.7 Å分解能で決定した。CN結合型では、CNがヘム鉄に配位しており、Fe-C-Nの角度は約110度と折れ曲がった配位様式を示した。CN結合型での活性部位の空間は、非常に狭く、基質であるNOが二分子結合するためには、非ヘム鉄の配位子が解離するなど、何らかの構造変化が必要であることが示唆された。この解離する配位子としてGluの可能性を指摘したが、qNORのNO結合型の振動分光測定の結果、Glu残基とヘムに結合したNOが水分子を介して相互作用し、それによりNOがヘム平面に対して曲がって結合した構造を提案した。このようなNOとGlu残基の相互作用は、N-O結合の開裂を促進するのではないかと考えられる。また、分子動力学(MD)計算によるプロトン輸送経路の検討を行った。qNORとcNORの立体構造の比較に基づき、qNORにのみ存在した細胞内から活性部位へと続くプロトン輸送経路に対応する部位に位置するcNORのアミノ酸残基をコンピューター上で変異させると、わずか2つのアミノ酸置換で、cNORにおいても細胞内からのプロトン輸送経路を形成させられることが示唆した。現在、実際にcNORの変異体を作成し、プロトン輸送経路を人工的に制御できるか検討中である。

    (4) 放射光静電ポテンシャル可視化法による分子システム/機能相関解明の構造科学:水素吸蔵多孔性配位高分子の構造設計への応用
    研究担当者:小曽根、加藤、 高田(高田構造科学研究室)
    我々の目的は、「構造物性」研究と呼ばれる、機能を理解するための原子配列レベル構造解析ではなく、機能性分子システムをテーラーメードに設計する際の指針を、局所電子状態として可視化できる「構造科学」を構築する事である。そのため、SPring-8放射光の高輝度性、高分解能性を活用し、X線回折データから、電子密度、静電ポテンシャルをイメージングし、結晶物質中の分子間の相互作用を可視化する方法の開発を、独自に開発したマキシマムエントロピー(MEM)法を用いて行ってきた。 そして、昨年度までに、分子性導体 (BEDT-TTF)2I3や電子共役系ポリマーPDCHD等の分子性材料の構造科学研究に応用し、電子密度イメージングと比較して、静電ポテンシャルイメージングが分子間相互作用の可視化において高い有意性を持つことを確認した。
    本年度は、実際のテーラーメードな分子システム設計への可能性を、多孔性配位高分子への水素吸蔵機能開発のための構造デザインに応用した。具体的には、ホフマン型類似配位高分子{Fe(pz)x[Pd(CN)4]}(pz = pyrazine) (図20) において、効率的に水素吸着・脱着する分子システムを、細孔空間内の分子間相互作用の可視化により、高分子フレームワークを構成する有機分子および金属原子の構成を最適化する事を試みた。水素吸蔵前と吸蔵後でイメージングされた静電ポテンシャルは、我々が発見した細孔空間内の3つの水素吸着サイト(A, B, C)での、水素分子の安定性に関わる相互作用の違いを明確に示した。吸着サイトAではpzの4つのC-H部分がキレート状に水素分子を挟みこむかたちで安定的に分子を強く束縛し、広い八面体隙間の中心にあるサイトCでは、上下の金属原子によって、細孔空間内に不均一に拡がった(吸着安定性の異なる)ポテンシャル空間が形成されていること明らかになった(図21)。さらに、ポテンシャルの深さと、そこに吸着した水素の占有率の違いに強い相関があることを確認した。よって、放射光X線回折データを用いた静電ポテンシャル解析が、水素分子吸着のような微細な分子間相互作用の可視化にも有用であり、高密度・高安定水素吸蔵に適した細孔内壁の分子システムデザインの指針設計に寄与できることを明らかにした。



    図20:ホフマン型類似配位高分子{Fe(pz)x[Pd(CN)4]}(pz = pyrazine)




    図21:(a) 細孔内の3つの水素吸着サイト位置
    (b) 吸着サイトcの水素吸着前後における静電ポテンシャル分布変化(左図:脱着状態、右図:吸着状態)


  2. 軟X線発光分光、角度分解光電子分光によるアミノ酸・タンパク質、分子性結晶の電子状態の研究
    研究担当者:辛、原田、田口、徳島、堀川(励起秩序研究チーム)
    ガスや固体を中心として発展してきた軟X線発光分光を生体溶液中の特定の元素の電子状態分析にも応用するため、装置開発、実験手法開発および新しいスペクトル解析手法の開発を行ってきた。タンパク質の代表例として、ミオグロビンを対象とした。ミオグロビンは、活性点に金属元素を一つしか含まないため、軟X線発光分光の元素選択性という特長を活かすことができる。また、活性点(ヘム)を取り巻くポリペプチド鎖についても、電子状態という視点で改めて考察するため、溶液中のアミノ酸とその重合鎖の研究を行った。一方、角度分解光電子分光を用いて、擬一次元分子性結晶の研究を行った。
    (1) 溶液中のアミノ酸、ポリペプチドの電子状態(
    研究担当者:徳島、堀川、原田、田口、辛(励起秩序研究チーム)
    一般的によく知られているように、タンパク質は、温度、圧力、pH等がある範囲の値から外れると、折りたたまれてまとまった(フォールディング)状態から、ほどけた(アンフォールディング)状態になってしまう。このような現象には、タンパク質の側鎖の電離、溶媒との水素結合などの相互作用が大きくかかわっていると考えられている。我々は、電子状態を調べることが可能な軟X線分光を用いて溶液中で起きる現象を観測することで、溶液中におけるタンパク質の性質と電子状態のかかわりを調べる研究を行っている。
    この目的を達成するため、軟X線発発光分光法の元素選択性やサイト選択性を利用して、分子内の特定の官能基などの部位を選んで観測する手法を開発した。酢酸のカルボキシル基のC=Oの酸素の選択的観測によって、pHによる水溶液中での酢酸分子の電離による電子状態変化の観測に成功し、分子軌道計算とスペクトルのピーク構造が対応することを確認した。この結果は、軟X線発光分光法の持つ選択性を利用して、分子内の特定の官能基などの部位を選んで電子状態を観測することが可能であることを示した初めての研究例である。



    図22:酢酸/ヘキサン混合溶液と酢酸/ヘキサン混合溶液中の酢酸のO1s軟X線吸収スペクトル

    さらに分子軌道の情報をより詳細に得るために、直線偏光させた軟X線を利用した測定手法を開発した。気相分子や真空中の清浄表面に整列して吸着した分子においては、顕著な偏光依存性が観測され、以前から偏光特性を利用した研究が行われているが、溶液中の分子のようなランダムで相互作用の強い系においては偏光依存性は観測できないものと思われていた。我々は、溶液中の分子において、顕著な偏光依存性が現れる場合があることや分子軌道との対応を世界で初めて確認した。
    このように軟X線発光分光法の開発によって、水溶液中での選択的観測、pHによる電子状態変化の観測、偏光特性を利用した軌道対称性の観測などが可能であることが明らかになった。同様の観測は、グリシンなどのアミノ酸でも観測することが可能であることを確認している。
    溶液中の分子の電子状態変化のなかで、水素結合は重要な鍵である。そこで、水素結合による電子状態の変化の研究を行った。図に示したのは酢酸/ヘキサン混合溶液と酢酸/ヘキサン混合溶液中の酢酸のO1s軟X線吸収スペクトルである。ヘキサン溶液中では酢酸分子は水素結合で結びついた2量体(Cyclic dimer)として安定に存在するのに対して、アセトニトリル溶液中では酢酸濃度が薄くなると単量体として存在する。スペクトルの形状の変化を正確に捉えるために、全蛍光収量法による測定に見られるSaturation effectと呼ばれるスペクトルの歪みを、濃度依存性の測定結果を使って補正する方法を新規に開発し測定を行った。その結果、水素結合で結びついた2量体と単量体の電子状態の変化や、アセトニトリル溶液中では濃度による単量体の存在比の変化がピークシフトとして観測された。これは溶液中の分子の水素結合形成を電子状態変化として検出できることを示した最初の結果である。

    (2) 大規模数値計算による金属タンパク質の電子状態の理論解析
    研究担当者:田口、原田、辛(励起秩序研究チーム)
    本研究では、金属たんぱく質中のヘム及びその周辺での局所構造とそこでの電子状態との関係を、鉄の3d電子間相互作用(電子相関効果)を近似を行うことなく正しく取り扱うことによって理論的に明らかにし、電子状態に対する局所構造とより大きなスケールでの構造の関連を理解し、金属たんぱく質の「機能」発現のメカニズムを電子状態をもとにしたミクロなレベルで解明することを目指している。平成23年度は、昨年度開発した鉄・ポルフィリン錯体クラスター模型にCOやNOなどの小分子を結合させた模型への拡張を行った。さらに中心に存在する鉄原子がポルフィリン平面からずれる効果も考慮できるようにし、より現実的な拡張型クラスター模型の開発を行った。これにより、従来に比べてより詳細なFe 3dの電子状態を調べることが可能となった。


    図23:クラスター模型計算に用いた鉄・ポルフィリン錯体MbCOとdeoxyMbの分子構造


  3. 機能性分子系の局所磁気状態の解明
    STMを用いた単一スピン検出
    研究担当者:小野、花栗、木(高木磁性研究室)
    走査型トンネル顕微鏡(STM)は、原子レベルの空間分解能で試料表面の原子像を凹凸像として得られるだけでなく、トンネル分光を行うことにより局所的な電子状態密度を調べることができる強力な分光ツールである。STMで測定する物理量は探針試料間に流れるトンネル電流である。通常のSTMでは、1) スピン偏極していない、2) 弾性過程でトンネルした、3) 直流のトンネル電流を測定する。これらの条件から外れたトンネル電流を測定することで、電子状態密度以外の物理量、特にスピンに関する情報を原子レベルの空間分解能で測定する試みが近年さかんである。本研究では、特に3)に着目し、磁場中においてはスピン近傍のトンネル電流がLamor周波数で揺らぐことを利用して、スピン検出を行うことを目指している。これまでにもこの方法でスピン検出した例はあるが、信号は極めて不安定で、安定したシステムの構築が望まれている。本研究では、これまでに培ったSTMの高安定化技術を用い、低温、超高真空環境、精密超伝導磁石を用いた安定で再現性の良い磁場中での実験が可能な装置を立ち上げた。今後、スピン信号の検出に取り組みたい。また、一般に「トンネル電流の揺らぎ」測定から計測の新しい局面を開拓できないか、検討したい。

    収量検出磁気共鳴・過渡光吸収検出による2・3 スピン連携
    研究担当者:坂口(物質評価チーム)
    有機半導体では、電子の担い手はラジカルイオンである。ラジカルイオンは奇電子によるスピンを持ち、電極界面では正・負のラジカルイオン対が形成される。このスピン対は一重項または三重項状態で、電荷再結合過程は多重度により変化する。このスピンを磁気共鳴の手法を用いて操作することで、ラジカルイオン対の挙動を制御し、電子移動過程の詳細を明らかにすることができる。
    ポリビニルカルバゾールをホストとし、Ir(ppy)3及びその誘導体をゲストとする、燐光性有機EL素子製作条件を探索し、ほぼ満足できる素子を得られるようになった。発光強度の外部磁場効果はPPV系の蛍光性素子より小さいが、やはり磁場により増加する。今後ゲスト分子の三重項エネルギーレベル依存性を測定する予定である。また、発光強度測定だけでなく、キャリア移動度などの情報を得る目的で、インピーダンスの周波数依存性とそのバイアス電圧依存性、磁場依存性を測定している。Ir(ppy)3を含む素子では、高周波応答にバイアス電圧依存性とともに明確な磁場依存性が観測された。

  4. 分光法による機能性分子系の研究:界面選択的偶数次非線形分光の応用
    研究担当者:山口、渡邊、Mondal、Kundu、田原(田原分子分光研究室)
    我々は一群の新しい界面選択的な非線形分光を開発してソフトな界面、特に液体界面の研究を行っている。中でもマルチプレクス電子和周波(ESFG)分光は,溶液中の吸収スペクトルに匹敵する高い質で界面分子の電子スペクトルを測定できる強力な方法である。最近、さらにこのESFG分光を発展させてヘテロダイン検出を実現し,約100nmという広い波長範囲で一度に界面分子の二次の非線形感受率(χ(2))スペクトルの実部と虚部を測定できるHD-ESFG分光法を開発した。今年度は,空気/水界面の溶質分子の"上下"の向きをHD-ESFG分光によって初めて明確に決定した。この実験結果は、分子動力学(MD)シミュレーションによる理論計算結果とも整合した。さらにMDシミュレーションによって界面分子の水和構造を計算した。分子の両末端の官能基の親水性の差によって、界面での配向と水和構造が決まっていることが分かった。



    MDシミュレーションによって得られた空気/水界面(左)とバルク水中(右)の溶質分子を溶媒和する水分子の密度の2次元分布


  5. 多重極限μSR実験装置の開発研究
    研究担当者:渡邊、松崎(岩崎先端中間子研究室)
    ミュオンを用いた微視的立場からの分子性物質の電子状態の研究のために、我々グループは理研RALミュオン施設(英国 Rutherford-Appleton 研究所(RAL)内に設置)において分子性物質の特色により合致した新しいμSR実験エリアの開発を行っている。一方、均質な圧力を広い温度範囲において実現し電子状態の圧力応答のより深い議論を展開するために、ヘリウムによるガス加圧法を用いた輸送現象測定装置、および磁化測定装置を実現させた。ガス加圧法は、日本国内においては高圧に関する法律上の制限のために実現が極めて困難であるが、英国では法整備がなされており技術的問題が解決されればこれまでにないユニークな装置の実現が可能である。RALにおいては、ガス加圧を実現するための経験と実績を兼ね備えた設計グループと高圧グループが組織されており、これらのグループと連携することによって新しい高圧下での測定環境を達成することが可能である。

    (1) 新しいμSR実験エリアの整備
    研究担当者:渡邊、松崎(岩崎先端中間子研究室)
    平成22年度中に分光器の設置および性能試験を終了させている。平成23年度においては実験エリアの作業用プラットフォームの設置作業を実施し、並行して試料冷却用のクライオスタットの整備を開始した。図25は平成23年2月時点での実験エリアの様子である。新しい実験エリアは完全にウッドデッキで覆われ、スペクトロメータ上部から専用クレーンを用いてアクセスできるようになった。ビームライン上も同様にウッドデッキで覆われ、全てのエリアをつなげることによって装置の保管場所を確保するとともに各エリア間の往来をより容易にした。新しい SRエリアに用いるクライオスタットはつねにこのビームライン上に保管し、ピラークレーンでスペクトロメータ上部より設置する方式をとった。試料交換はプラットフォーム上でクライオスタット上部から行う。現在実験実施のためのデータ収集系等のソフトウエアの整備を進めている。実験エリアの使用開始は他のプロジェクトとの関係もありやや遅れているが、春以降の全体調整作業の後に実際の SR実験を展開していく計画である。


    図25:理研RALミュオン施設現状


    (2) ガス加圧式磁化率測定装置の開発
    研究担当者:渡邊、石井(岩崎先端中間子研究室)
    高圧μSR実験用に整備したガス加圧装置を活用することにより、ガス加圧下での磁化率および輸送現象の測定を可能にした。日本よりQuantum Design社製SQUID-MPMS7を輸送し、RAL内のR80建屋中にある新しい化学試料準備室内に設置した。設置・運営に関してはRALのSample Environmentalグループと協力し、広範囲の研究者が活用できることを見越して装置周辺の環境を整えた。高圧セルはRAL側高圧グループと連携して静水加圧用高圧セルをガス加圧式に改良した。図26に設計された高圧セルの模式図を示す。磁化率のバックグランドを極力抑えるためにCuBeを用いて製作し、ブリッジマン方式を用いてガス圧を保持する。ヘリウムガスを用いて加圧し、最大5 kbarまで加圧可能な設計とした。圧力はSQUID外部に設置された高圧Transducerでモニターする。試料設置方法は通常の静水型加圧方式と同様である。セルは約2 Kまで冷却可能で印可最大磁場は7 Tである。図27に実際の装置の設置状況を示す。現在、いくつかの誘起磁性体試料を用いての実機試験を計画中であり、試験的測定を通じてシステムの改善点を洗い出し、より効率的な測定を可能にするような改良を行っていく計画である。



    図26:ガス加圧用SQUID高圧セル


    図27:ガス加圧型SQUIDの現地設置の様子


    (3) ガス加圧式輸送現象測定装置の開発
    研究担当者:石井、渡邊(岩崎先端中間子研究室)、Abdel Jawad(加藤分子物性研究室)
    磁化率測定装置同様に、ガス加圧装置を活用することによって輸送現象(電気抵抗・ホール効果等)のガス加圧型高圧測定装置を開発した。輸送現象の測定には強磁場が必要なことが多く、RALにおけるμSR用強磁場装置であるHiFi磁石を利用することによって強磁場・低温・高圧という多重極限条件を実現した。試料冷却にはHiFi用の既存のクライオスタットを活用する。このため、高圧導入用スティックおよび高圧セルを新たに設計・製作した。図28に製作した高圧セルを示す。CuBeを用いて製作され、ブリッジマンシールで圧力を保持する。分子性物質の輸送現象測定では一般的に小さな結晶を用いて行うことから、装置全体のガス量を極力少なくするという考えも合わせて試料スペースはやや狭くしてある。加圧できる最大圧力は10 kbarとした。これは、将来的にRALの保有する10 kbar加圧装置を活用することを見越しての設計である。現時点では理研側の保有する7 kbar加圧器を用いて測定を実施する計画である。
    本装置を用いて、圧力によって金属=絶縁体を起こす三角格子有機Mott系物質であるEtMe3P[Pd(dmit)2]2における電気抵抗の圧力依存性を調べた。図29に測定結果を示す。各温度で圧力によって絶縁相から金属相への転移が観測されたが、転移が引き起こされる臨界圧力は、液体の圧力媒体を用いて同様な測定を実施した結果に比べて約半分程度の低い値になることがわかった。ヘリウムを用いたガス加圧方式は極めて均質な圧力を印可することができるため、液体圧力媒体の生み出す圧力の不均一性もしくは異方性が物性に大きな変化を与えることが確認された。今後、より詳細な圧力変化に加えて磁場変化等を測定することにより、均質な圧力下における相図の確定を目指している。



    図28:輸送現象測定用高圧セル


    図29:EtMe3P[Pd(dmit)2]2における各温度での電気抵抗の圧力依存性


    (4) 量子スピン液体の基底状態のμSR研究
    研究担当者:石井、渡邊(岩崎先端中間子研究室)
    三角格子を有し、基底状態で量子スピン液体状態が期待されている反強磁性体EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2の磁性基底状態に関する測定を展開している。これまでのμSR測定から、基底状態は26 mKの低温までは非秩序状態である一方、何等かのスピン揺らぎが残留していることを明らかにしてきた。この残留スピン緩和の原因を解明するために縦磁場中でミュオンスピン緩和率(λ)の測定を実施し、その緩和率の磁場変化を求めた。図30に28 mKでの測定結果を示す。λは磁場の増加とともに磁場の-0.5乗に比例して小さく(緩和時間が長く)なっていくことが観測された。過去のポリマー伝導体におけるμSRの結果を踏まえると、この磁場依存性は何等かの磁気励起子が1次元的に拡散運動を行っている結果であると解釈可能である。EtMt3Sb[Pd(dmit)2]2を結晶学的にみると、Pd(dmit)2分子平面内の1次元方向において分子の結合性が弱い(やわらかい)こともあり、この磁気励起子の1次元的に拡散運動は、Pd(dmit)2分子平面内に何等かのスピン共鳴結合状態が作られ、その中をスピン励起状態が分子結合の強弱の方向に添って拡散運動をしているという描像(図31)をもって説明することができる。この描像は、あたかもRVB状態中を伝搬するスピン励起状態とみなすことも可能であり、EtMt3Sb[Pd(dmit)2]2のスピン液体状態がRVB状態であるという推察をも可能にする。



    図30:EtMt3Sb[Pd(dmit)2]2の28 mKでのミュオンスピン緩和率の磁場変化


    図31:ミュオンスピン緩和率の磁場変化より推察される1次元的スピン拡散のイメージ