質問1 未来は変えられるでしょうか?

 日本は四方を海に囲まれた島国です。皆さんは、この日本近海に、どれくらいの種類の海洋生物が住んでいるか知っていますか。

 日本近海に現れる種の数は、バクテリアから哺乳類まであわせると、実に33,600種を超えます。全海洋生物種数約23万種の14.6%がここに分布していることが、最近の調査からわかりました。海洋生物について、日本近海は、非常に多様性に優れた海域なのです。

 海洋には、セメントの材料になるケイ素や、プラスチックに応用できるポリマー原料といった物質を作り出す生物も存在しています。これらはまだ、私たちが利用することができずにいる有望な資源です。世界の地勢から見ればほんの小さな日本という国ですが、この周りには、たくさんの可能性が眠っています。しかし、残念なことに、その多くはまだ知られざるままです。誰かが研究を進めて解明しない限り、私たちはそれを活用することが出来ません。

 ところで、現在、学生時代を送っている皆さんのなかには、ほぼ決まった顔ぶれの学校生活が、“全世界”のように思える人が多いでしょう。毎日、家と学校、塾を往復し、それ以外の生活を知らず、いつも同じ仲間とばかり顔を合わせていると、世界がそこで閉じているかのように錯覚しがちです。

 よく知っている身近な人たちと過ごしている限りでは、たいていが平凡な日常です。いつも周りにいる人たちは、皆さんが何に喜ぶかを知っているし、どういうことに怒るのかも知っています。ある決まったパターンのもとで関係が作られていくからです。パターンの力というのは強力で、いったん出来上がってしまうと、そこから外れることはなかなか難しい。

 しかも、その輪を出ようとすると、仲間はずれにしようとする人たちさえいます。
「これをやらないと、もう仲間じゃない」「君は仲間だから、私たちの言うことを聞かないといけない」「同じことをやれば認めてあげる」。一つの閉じた世界にいると、そうしていじめられたら、もう人生が終わりと絶望を感じることがあるかもしれません。
しかし、そんなことをあなたに言う人は、本当は“仲間”でも“友達”でもありません。断言しても良いですが、そうした“知人”と縁を切っても、あなたの人生はそこでおしまいにはならないのです。たとえ一時、ひとりぼっちになったとしても、孤独と感じるその時間を、人に無理に合わせるために使うより、自分を高めることに使った方がだんぜん良い。

 電車に乗って地図を見ながら小旅行をしたり、美術館や博物館の見学に行ったりするのも良いでしょう。
そういう外の世界を誰に命じられるでもなく、不安と好奇心を両方持ちながら、自分の足を使って知ること。それは、あなたにとって、頭の中の知識と経験が結びつき、“世界”が広がると思います。そうしたことを重ねると、あなたの前にはたくさんの選択肢があることに気づくでしょう。いつもと同じ日常を過ごすのも、一歩外の世界に出てみるのも、同じように選択肢です。「こうするしかない」というのは、たいていの場合、思い込みです。よく見て、考えてみると、ほかにも取れる道はたくさんあるのです。

 ふだん知っている以外の人に接する時の緊張や心細さは、必ずしもあなたにとって心地よいものではありません。今まで未経験のことは、自分にとって異質と感じるものだからです。それに対する十分な考えや答えがまだ自分の中にない。それだから何か落ち着かない感じがする。
しかし、未知なる世界を避けていては、“一人でもやっていける”という自信がいつまでも持てません。“誰か”や“何か”に依存し続けてしまいます。

 今、皆さんは、イライラする自分を感じることがありますか? 例えば、家族やいつも遊ぶ友だち、あるいは学校の先生に対して小さなことで突っかかったり、八つ当たりをしたくなる…。そんな時は、家や学校や塾以外の社会に、一歩を踏み出せない弱気な自分自身にいら立ちを持っているからかも知れません。 最近、海外へ留学しようとする日本人の学生がどんどん減っています。これもとても残念なことです。「資金に余裕が無い」というのも昨今の経済状況の中では大きな理由ですが、あえて言えば、本当に欠けているのは好奇心や勇気なのかもしれません。いま、中国やインド、韓国といった同じアジアの学生が、海外の留学に熱心になっています。自分が外国にでられない時には、そういった国々の学生と、どんどん交流して欲しいと思います。
そして互いの価値観に触れながら、地球に住む我々共通の未来について想像してみてください。

 未来は、誰にも分からないからこそ、「これから、どんなすばらしいことが起きるだろうか」とわくわくします。同時に、「自分の使命」ということも意識してみてください。自分がどう変われば、社会がわくわくするような豊かなものに変わるのだろうか? と。

 逆に、もし未来というものが確定しているとすれば、それはつまり、あなたのこれからの人生がすでに確定していると言うことです。もう少し言えば、これから先、あなたが頑張ろうと、あるいは頑張らなくても、結局、未来は同じだ、ということです。あなたが「何のために生きるのか」、そう問うことの意味などあまりなくなってしまうのです。これはつまらない。まさに、生きる意味がないことだ、と私は思います。
幸いなことに、現実の世界では、未来は不確定のままです。ひとりひとりの行為とか、努力とか、あるいは信念とその行動によって、未来はどのようにも変わるものです。
今を生きる私達は、未来に対して責任を負っています。

皆さんは、今ある姿を正しく分析するために学問という技術を十分に身につけ、そしてその分析をさまざまな視点から検証するための力強いパートナーシップ(多様で異質な価値観を持つ世界の仲間たち)を持ってください。すばらしき未来は、必ずあなた方の行動の先にあります。