質問2 「やりたいこと」の見つけ方を、知っていますか?

 みなさんは、携帯電話やインターネットの情報に詳しく、流行には明るいけれども、いま自分が口にしているものが、どこで誰によって作られ、私たちが日々排泄(はいせつ)するものやゴミがどのように回収され、どのように処分、リサイクルされているのか、よく知らないでしょう。

 ましてや、不思議なほど何ごともない日常が続く日本では、諸外国のいずこかでは毎日のように戦火が上がり、あるいは貧困で死んでいく子供達がいることさえも、想像する機会が少ないでしょう。しかし現実には、この日本でも、家族や、友人や、あるいは全く見知らぬ人を殺傷するような悲しい事件が続発しています。死や貧困は意外に身近なところにあるのです。それに気付くかどうかです。

社会に出て、自分の力で生きていくための準備期間である今を大切にしてください。自然環境やそこで仕事をする人、あるいは日々の家事手伝いさえとも接点がなく、机の上の勉強に明け暮れ、何とはなしに大学に入ってしまう。会社に入ってしまう。それでは生活力に乏しい、浮世離れした思考になってしまいます。頭の中の知識ではなく、実際にそれを目の当たりにすることが何よりも大切です。

 ところで、自分のやるべきことに気がつく瞬間がいつ訪れるのか、その正確なところは、誰にも分かりません。だいたい、20代か30代くらいでしょうか。しかしもっと年を重ねてからの人もいますし、中には10代になるかならないかで、自分のやるべきこと、自分の宿命のようなものに気がつく場合もあるでしょう。
もし、皆さんが将来、自分が思い切って打ち込める何かを見つけることができたのであれば、その時は、周りの人に自慢をしたり、急かしたりしないでください。反対に、なかなか自分がやるべきことを見つけられなくても、必要以上に自分を責めることはありません。「だいじょぶだ、これからだ」と、自分を励ましてあげることはとても大事です。
また、年齢を重ねるごとに、やるべきことは変わっていきます。その年代、年代にできることを精一杯やっておくことが大切です。別にそれは偉いことでもなんでもなく、また他人に強要するものでもありません。

 様々な経験を通じて、“分かった”と気づいたり、発見したりできるのは、いくつになっても面白いことです。
あなた自身もここまでたどり着くのに、さんざん迷ったり回り道をしたりしたはずですから、きっと“分かる”でしょう。
私は常々、単純な原理原則に立って考えることをしています。複雑なことを取り扱うのが、あまり性に合っていないせいかもしれません。
身の回りには、蓋(ふた)をあけてみれば、非常にシンプルで、なおかつ美しいものがあります。遺伝子DNAの螺旋(らせん)構造も、そういうものの一つだと思います。しかし、それを発見するまでは、非常に多くの研究者の努力の積み重ねがありました。
最近は、インターネットなどでいろいろな情報を手に入れられる時代です。分からないことがあれば、考えるよりも先に、キーボードですぐに“答え”を探すほうが効率的だと考える人はたくさんいます。あなたはどうですか?
大事なのは、時間をかけても自分で考えることなのです。“答え”が見つからなくて、その間にあせったり、不安になったりした時にどうするか。

 執念を燃やし続けることは、ある面では愚かなことです。私は、何事もあきらめなければよい、といっているわけではありません。ただ、鳥が地上を見渡すように、時間に限りのある自分の人生において、先の分からない自分の将来を第三者的な眼で批評的にながめていることに時間を費やすのもまた、楽しいことです。

 研究でもスポーツでも、それまで積み重ねてきた取り組みが糧になり、ある時点まで達したときに一気に動き出すことがあるのです。

 私は、今も研究の場に身を置いて思うことは、研究は果てしなく続く知の旅だということです。研究の途中で様々な人に出会い、様々な出来事がある。目的地に到達することよりも、旅をする、つまり研究を続けること自体に大きな意味がある。そして人生が豊かになっていくと考えています。もちろん研究以外の、ほかの仕事であっても同じです。
何もしないで、どこかに閉じこもり続けている人には、心を大きく揺さぶるような劇的なことは起こりません。反対に、何かに真剣に取り組んでいる時には、素晴らしい出会いということが少なからずあるものです。

 皆さんはどうですか? 「自分がやりたいこと」を探しあぐねているなら、あえて、今までの自分とは違う世界に身を置いてみることで、思っても見なかった輝きを発見するかもしれない。だから、いつも同じ所に閉じこもらず、不可能と思われている分野にも飛び込んでいってください。

 ただし、無理をして人のやらないテーマを選んでも長続きするものではありません。大事なのは、あなたがやろうと考えたこと、たとえそれが今まで誰もやったことがなくて、どんな成果を生むのかわからないものであっても、果敢に挑戦するべきだという点です。
皆さんが求める答えは、皆さん自身によってしか見つけることができないものなのです。