広報活動

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2016年3月16日

理化学研究所
シドニー大学

スーパーコンピュータでフラーレンの性質を探る

-世界最大規模の電子状態計算で生成熱の正しい値を予測-

要旨

理化学研究所(理研)計算科学研究機構の平尾計算化学研究ユニットの平尾公彦研究ユニットリーダー、量子系分子科学研究チームの中嶋隆人チームリーダー、シドニー大学のブン・チャン リサーチフェローらの国際共同研究グループは、スーパーコンピュータ「京」[1]を利用した高精度電子状態計算[2]により、C60フラーレン分子[3]と高次フラーレン分子の生成熱[4]を世界最高の精度で理論予測しました。

C60フラーレン分子は1985年に発見されて以来、ヒト免疫不全ウィルス(HIV)の特効薬、化粧品、半導体材料など、さまざまな分野への応用が進められています。そのため、実験・理論の両面からの研究が盛んに行われています。どのように炭素原子同士が結合し、その結合がどの程度安定であるかといった基本的な物性の指標となるのは生成熱です。しかしこれまで、実験もシミュレーションも難しいため、フラーレン分子の生成熱の正確な値は分かっていませんでした。

国際共同研究グループは、「京」に理研が開発した分子科学計算ソフトウェア「NTChem[5]」を用いて、C60フラーレン分子と炭素の原子数がもっと多い高次フラーレン分子(C70、C76、C78、C84、C90、C96、C180、C240とC320)の合計10種類の大規模分子系の生成熱を、高精度電子状態計算で算出することに成功しました。また「より大きなフラーレン分子の生成熱を算出する一般的な計算式」を導き出しました。さらに、炭素原子だけで構成されている同素体[6]グラフェン[6]とフラーレン分子の物性が大きく異なる原因を推定しました。さらに、フラーレン分子を大きくすることによる物性の変化を実験に先んじて理論予測することに成功し、新材料として利用するための計算基盤を作りました。

本研究を発展させることにより、これまで難しかったC60フラーレンや高次フラーレンなどの大規模分子の電子物性や化学反応の理論計算による予測がより正確になります。また、フラーレン分子の性質を実験に先んじて理論で明らかにすることで、新材料設計の指針を計算科学の立場から立案することが期待できます。

本研究は、米国の科学雑誌『Journal of American Chemical Society』(2月3日号)に掲載されました。

※国際共同研究グループ

理化学研究所 計算科学研究機構
平尾計算化学研究ユニット
研究ユニットリーダー 平尾 公彦 (ひらお きみひこ)
研究員 川島 雪生 (かわしま ゆきお)

量子系分子科学研究チーム
チームリーダー 中嶋 隆人 (なかじま たかひと)
特別研究員 河東田 道夫 (かとうだ みちお)

シドニー大学 化学科
リサーチフェロー ブン・チャン (Bun Chan)(理研平尾計算化学研究ユニット 客員研究員)

背景

炭素原子60個で構成されるサッカーボール構造を持つ「C60フラーレン分子」(図1)は、1985年に米国のハロルド・クロトー博士らによって発見されました。その功績により、クロトー博士らは1996年度のノーベル化学賞を受賞しました。

C60フラーレン分子は電気伝導性があり、材料として有用な性質を持つことから、ヒト免疫不全ウィルス(HIV)の特効薬、化粧品、半導体材料など、さまざまな分野への応用が進められています。そのため、実験・理論の両面からの研究が盛んに行われています。また、炭素原子が60個よりも多い「高次フラーレン分子」も合成されており、新たなデバイスなどの材料として注目を集めています。

どのように炭素原子同士が結合し、その結合がどの程度安定であるかといった基本的な物性の指標となるのは「生成熱」です。しかしこれまで、フラーレン分子の生成熱の正確な値は分かっていませんでした。フラーレン分子の生成熱は実験での測定誤差が大きく、正確な測定が困難です。また、生成熱を理論的に算出する場合、分子中の電子の振る舞いを明らかにするために電子状態計算が必要です。しかし、高精度の電子状態計算は計算コストが高く、莫大な時間を要します。特にフラーレン分子は、電子状態計算の対象としては大き過ぎ、一方で、水や金属結晶のように同じ構造が周期的につながる連続的なものとして近似するには、小さ過ぎます。このように、生成熱の高精度電子状態計算による算出は非常に難しいものでした。

そこで国際研究グループは、スーパーコンピュータ「京」と分子科学計算ソフトウェア「NTChem」を組み合わせ、C60フラーレン分子や高次フラーレン分子の生成熱の高精度な算出を試みました。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、炭素数が60個のサッカーボール型のC60フラーレン分子と、比較的安定に存在するといわれている炭素数が70個、76個、78個、84個、90個、96個、180個、240個、320個で構成される高次フラーレン分子C70、C76、C78、C84、C90、C96、C180、C240とC320の合計10種類を対象として、電子状態計算を行いました。今回、「京」の性能を活かすため、理研計算科学研究機構で開発された高効率の大規模電子状態計算を可能とする分子科学計算ソフトウェアである「NTChem」を用いました。「京」とNTChemを組み合わせることで、世界最大規模の高精度な電子状態計算に成功しました。大規模電子状態計算の結果を解析し、C60フラーレン分子と高次フラーレン分子C70、C76、C78、C84、C90、C96、C180、C240とC320の生成熱を高精度に理論予測することができました。

また得られた知見から、「より大きなフラーレン分子の生成熱を算出するための一般的な理論式」を導き出しました。C60フラーレン分子では炭素原子が結合、六角形と五角形を作り、サッカーボール構造を形成します。六角形構造は安定であるのに対して、五角形では炭素原子同士の結合が歪み、不安定になる原因となります。フラーレン分子において炭素の数を増やすと、五角形構造の割合が減少します。フラーレン分子を限りなく大きくすると、炭素原子の六角形構造のみで平面に形成されるグラフェンの構造(図2)に近づきます。

計算によって得られる限りなく大きなフラーレン分子の生成熱は、実験によって得られるグラフェン分子2面分の生成熱とほぼ等しくなるといわれていました。しかし、本研究では炭素数を増やしてもグラフェンの値には近づかないことが分かりました(図3)。電子状態計算の結果を詳しく解析した結果、フラーレン分子では従来の予想以上に五角形の部分の歪みが大きくなり、炭素原子間の結合が不安定となる領域が存在することが分かりました。そのため、フラーレン分子は六角形のみで形成されるグラフェンとは大きく異なる電子状態を示すことが分かりました。これは、大きなフラーレン分子を合成できれば、グラフェンとは異なる電気伝導性などの電子物性を示す分子となり、大きさを変えることによって新しい材料としての応用が期待できることを示しています(図4)。

国際研究チームは、フラーレン分子を大きくすることによる電子状態の変化を、実験に先んじて予測することにも成功しました。以上の成果により、フラーレン分子を新しい材料として利用するときに必要な電子物性や化学反応などを、正確に計算するための手法やプログラムといった計算基盤を確立することができました。

今後の期待

フラーレン分子の応用研究の1つに、C60の中にアルカリ金属を挿入すると超電導を示すというものがあります。そのため、フラーレン中心の空洞サイズを変える高次フラーレンの研究も盛んに行われています。今回の成果は、こうした研究に大きな知見を与えると考えられます。

本研究を発展させることにより、これまで難しかったC60フラーレンや高次フラーレンなどの大きな分子の電子物性や化学反応の理論計算による予測がより正確になります。また、実験では合成や観測が難しいフラーレン分子の性質を、実験に先んじて理論で明らかにすることで、新しい材料設計の指針を計算科学の立場から立てることが期待できます。

原論文情報

  • B. Chan, Y. Kawashima, M. Katouda, T. Nakajima, K. Hirao, "From C60 to Infinity: Large Scale Quantum Chemistry Calculations of the Heats of Formation of Higher Fullerenes", Journal of the American Chemical Society, 138 (4), pp 1420-1429 (2016), doi: 10.1021/jacs.5b12518

発表者

理化学研究所
計算科学研究機構 研究部門 平尾計算化学研究ユニット
研究ユニットリーダー 平尾 公彦 (ひらお きみひこ)

計算科学研究機構 研究部門 量子系分子科学研究チーム
チームリーダー 中嶋 隆人 (なかじま たかひと)

シドニー大学 化学科
リサーチフェロー ブン・チャン (Bun Chan)
(理研平尾計算化学研究ユニット 客員研究員)

平尾公彦

平尾 公彦

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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補足説明

  1. スーパーコンピュータ「京」
    文部科学省が推進する「革新的ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラ(HPCI)の構築」プログラムの中核システムとして、理研と富士通が共同で開発を行い、2012年9月に共用を開始した計算速度10ペタフロップス級のスーパーコンピュータ。
  2. 電子状態計算
    物質を構成する原子や分子の電子の振る舞い(電子状態)を求める計算。ミクロな世界を支配する量子力学の基礎方程式であるシュレディンガー方程式を解くことにより、電子の振る舞いが明らかになる。分子の中で原子がどのように結合しているかを知るためには、電子の振る舞いについて調べることが必要不可欠となる。
  3. フラーレン分子
    多数の炭素原子のみで構成される集合体。一番有名なものは炭素原子60個で構成されるサッカーボール状のC60フラーレンである。米国の建築家バックミンスター・フラーが考案したジオデック・ドームの形に似ていることから、バックミンスターフラーレンともいわれる。フラーレンは導電体であり、ナノサイズの材料としてその有用性が注目されている。C60は、北海道大学の大澤映二博士が1970年にその存在を予測したが、和文雑誌にて発表したために欧米の研究者には広く知られなかった。
  4. 生成熱
    物質を構成する単体から化合物1モルを合成する反応に伴う反応熱(kJ/mol)のこと。C60フラーレンを例にした場合、炭素原子からC60フラーレン1モルを生成するときの反応熱に相当する。反応熱が分かれば、分子中の原子同士がどれくらい強く結合しているかが分かる。
  5. NTChem
    理化学研究所計算科学研究機構量子系分子科学研究チームが開発している、国産分子科学計算ソフトウェア。「京」をはじめとするスーパーコンピュータを活用して大きな分子の電子状態計算を行うために、さまざまな電子状態計算理論や効率的な計算アルゴリズムなど多数の分子科学計算手法がプログラムとして実装されている。
  6. 同素体、グラフェン
    同素体とは、1種類の同じ元素からできているが、構成する原子の配列や結合が異なるために、性質の異なる単体を互いに同素体であるという。炭素の単体の場合、フラーレン、グラフェン、ダイヤモンドなどは同素体である。グラフェンは、蜂の巣と同じ六角形の格子を多数形成し、シート状平面構造をとる。ダイヤモンドよりも炭素原子同士の結合が強く、熱伝導性や電気伝導度が極めて高いため、新しい材料としての利用が期待されている。

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C60フラーレンの分子モデル

図1 C60フラーレンの分子モデル

C60フラーレンは、炭素原子60個からなる切頂二十面体(サッカーボール状)構造をとり、大きさは直径7.1オングストローム(Å、1Åは100億分の1メートル)。六角形の6員環が20個と五角形の5員環が12個で形成されている。

グラフェンの分子モデル

図2 グラフェンの分子モデル

グラフェンは、1原子の厚さのsp2結合炭素原子のシート。蜂の巣のような六角形格子構造をとり、グラフェンの炭素原子間結合距離は約0.142ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)。

フラーレン分子の炭素原子1個あたりの生成熱と炭素原子数の関係図

図3 フラーレン分子の炭素原子1個あたりの生成熱と炭素原子数の関係

縦軸は、フラーレン分子の炭素原子1個あたりの生成熱。黒丸印は10種類のフラーレン分子の今回の大規模計算結果のプロット、赤の点線は本研究で得られた「より大きなフラーレン分子の生成熱を算出するための一般的な理論式」から得られる生成熱を示す。青色の点線は、過去の実験で測定されたグラフェンの生成熱を示す。フラーレン分子の炭素原子数を増加させると生成熱は徐々に小さくなり、グラフェンの値に近づくものの、炭素数をかなり増やしてもグラフェンの値には到達しないことが分かる。

C720フラーレンの表面における炭素原子同士の結合の様子

図4 C720フラーレンの表面における炭素原子同士の結合の様子

炭素数720個の大きなフラーレン分子。緑の球は炭素原子、緑の棒は炭素原子同士の結合を示す。黄色の線はフラーレン分子における安定な六角形構造、赤い線は不安定な五角形構造を示す。大きなフラーレン分子では五角形の部分の歪みが予想以上に大きくなり、炭素原子間の結合が不安定となる領域が存在する。そのため、フラーレン分子はグラフェン分子とは異なる電子状態を示す。

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